「ほら。……俺たちの皇帝は、歪んでいるか?」
「何のことだ、奉景」
皇帝の言葉に、俺はしれっと「吉谷里と脱獄の話してたとこ」と答える。
「だ……ッ」
絶句する皇帝にニヤニヤする俺。吉谷里はため息をついた。
「あまり冗談を真に受けないでください。皇帝閣下」
「……冗句にしてはひどく真に迫っていたが」
「冗句です」
「…………そうか」
そうして、金属の格子越しに対面する俺たちと皇帝、そして吉谷里。あと朔月。
「どうしていなくなりましたの?」
朔月の問いに、俺は。
「……さあ、なんでだろうな」
「しらばっくれないでくださいまし!」
ツッコミを入れられる。
ひゅうひゅうと風の音がした。
「…………たぶんさ、疲れてたんだよ」
「詳しく教えて——」
禁忌に踏み込もうとした彼女。それを遮ったのは。
「解ってくれ」
紛れもなく俺の声。
「どう、いう」
「……自分でもよくわからないことを、他人に説明は出来ない。『疲れて、おかしくなっていた』以上の説明は、きっと意味を成さない」
「…………」
「人の心にずけずけ踏み込んでくの、お前の美点であり——同時に欠点でもあるぜ? 朔月」
黙りこくった彼女。しかし、次の言葉で俺は、逆に言葉を呑んだ。
「……そう言って自分の感情——心の声から逃げるのも、またあなたの弱点でしてよ? 奉景さん」
一方、吉谷里と皇帝はにらみ合っていた。
「吉谷里。貴様は何のつもりで我に仕えていた」
「何のつもり、とは?」
「この期に及んで、まだ知らぬふりをするのか。逆賊よ」
「逆賊とは失敬な。——俺は、朝敵です。あなたの、ではない——この国に対する、敵です」
目を見開いた皇帝。腰に携えたものに手をかける。それが、両刃の剣であることに気づいたのは、数秒先のことだ。
皇帝が剣の切っ先を吉谷里に向ける。息を呑む俺を横目に、吉谷里は告げた。
「俺の処分はいかようにも。——而して、いまは目標を見誤らぬよう」
「いやァ、崇高な思想ですなァ、吉谷里殿」
いつの間に居たのか、地下牢の入り口に人影があった。
「……斑鳩ッ」
吉谷里の言葉。一斉に、彼に視線が集中する。
「おっと。私を殺せばここに居る人全員道連れですぜ?」
そう言って彼は、スーツの上着をめくって見せた。
中には大量の小瓶がくくりつけられていた。
「この中身は、混ざることで大量の毒ガスを生み出す薬品。私を刺せば——どうなるか、解っていますよねェ?」
「……ッ」
歯噛みする吉谷里。しかし皇帝は臆さず、男に刃を向けた。
「斑鳩と言ったか。——今すぐ彼らを解放しろ」
「良いのですかィ? 彼らは大罪人。死刑に処すべき——」
「我は認知していない。故に、彼らは皇帝の名の下において、『刑罰を強いられるべきではない』人間と見做す。そしてたとえ評議会でも不当な監禁は違法だ」
「……皇帝が認知していなくても、彼らは罪人だ。『評議会法』を知らぬとは言わせぬぞ」
舌戦。皇帝は斑鳩を睨み付けた。
「その上にさらに法があることを知らなかったか。——『皇帝』という名の、法を」
——皇帝はよくよく考えなくてもこの国の最高権力者だ。その最高権力が『それは白だ』と言えば、たとえそれが黒くても白だと見做される。
「我はこの権力の恐ろしさを知っていた。故に、振るう覚悟が無かった」
「使わぬ権利など、持っていても仕方ないではないですぜ?」
暗にその権利を自分がもらい受けようと企む斑鳩に、しかし皇帝は突きつけた。
「いいや、理由はある。——貴様らのような悪人に、この権利を振るわせないためだ」
「誰が悪人だァ!」
「星月国皇帝、
後ずさる男——斑鳩。誰もが息を呑む。
皇帝のカリスマが支配した空間。その中で唯一の敵は、静寂の中で苦渋の滲んだ顔で、何かを思考する。
数秒の緊張感の後、斑鳩は舌打ちした。
「——この命が誰にも伝わらなければ、それは無かったも同然だぜぇ、皇帝サンよォ」
鉄の扉が閉まった。一気に暗闇に包まれる。
蝋燭のか細い明かりに目が慣れ始めた頃に見えたのは——小瓶を地面に落とす斑鳩。
ぱりん、じゅう、じゅう。
焦げる音。腐臭。
「——ッ、斑鳩め——やりよったな」
吉谷里の唸るような声に、俺は全てを悟った。
「自分もろとも消して——全員殺してしまえば、評議会の解散は阻止できる。……阿呆が」
皇帝は低い声で告げた。
「逃げますわよっ」
朔月が俺の手を引いた。だが、鉄格子で引っかかる。
歯噛みする彼女に、俺は告げた。
「俺は置いて、お前だけでも逃げろ」
「——でもっ」
「お前だけでも逃げれば、評議会の解散を伝えられる。皇帝も連れて行けるとなお良いが、一番身軽で逃げやすいのはアンタのはずだ」
「————でも」
「でももだってもない。俺はここから逃げられない。ここで死ぬ。……俺なんかの命より、はるかにお前の方が」
「そんなこと言うな、ですの」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
少し間を置いて、しかし。
「……逃げろよ、早く」
告げるが。
「貴女を置いてなんていけないですわ。奉景」
信じられず。
「なんでだよ。俺は——おれは、」
叫んだ。
「——俺は、偽物なのにッ!」
叫んで、しまった。