——あれから四ヶ月。
俺は隠居していた。
「お姉さまー!」
ぼへーっとした俺に、朔月が駆け寄ってきて。
「なんでこんな、カビまで生えて! どうしたというのですかっ!?」とはたかれた。
「えー……いや、とくになにも」
「なにもないわけないですわ!」
とは言っても、本当に何もないので仕方ない。——いや、むしろ『何もないから』こうなったのかもしれない。
「だってさ——俺にはもう、何も残っていやしないんだぜ?」
——あの日、一晩で書き上げた小説はろくに推敲もせずに、というかする暇すら無く、カトルんとこの商会を通して皇妃選抜に持って行かれた。
いちおう活版印刷された原稿は帰ってきたのだが——それがまた、なんとひどい文章だこと。
これじゃ皇妃選抜に引っかかるわけもない。今回の妃が俺じゃ無いことだけは確かだ。
「レモンもフレアも心配してましたわよ? 部屋はかび臭くなる一方ですし、食事も最近は取っていらっしゃらないようで——」
「水と砂糖だけでも結構生き延びられるもんなんだな、人間って」
「あなたの身体が特殊なだけですわ! というかそうではなくて!」
ぺしぺしと俺のほこりを払い、彼女は告げた。
「行きますわよ」
「どこへ? またデートか?」
「それもいいですけど——目一杯めかし込まなくてはいけませんわね、いまは」
「だから、どこへだ?」
「決まってますわ!」
そう言い、彼女は俺の手を引いた。
「皇妃選抜の結果発表ですわ!」
「え、嫌だ」
拒絶する俺を床から引き剥がす朔月。え、お前いつの間にそんなに強くなったの?
そう思って腕を見たら。
「ご主人様っ! 風呂に入りましょうね?」
「そのあとは——解っているわよね?」
たわしを持って微笑んでいるレモンと、重そうなドレスを持って腕をぷるぷるさせているフレア。
え、ちょっと待って。やめて。腕引っ張らないで! ちぎれちゃう! こわれちゃう! やだ! やめて————!
悲鳴むなしく、俺は風呂場に連行された。
*
結局すっごいおめかしされた俺は、すごい不服そうな顔をして宮廷前の広場まで歩くことになった。
「……赤いドレス、すっげー恥ずかしいんだけど」
「ガマンしてよ。ついてきてるボクらだって二十代でこんなコンカフェ嬢みたいなミニスカメイド服着てんだし」
「ヘンタイご主人様って言われても文句は言えないわね」
自分の従者二人の文句に、何も言えなかった。
俺はため息をつく。
「でもさあ、敗北が解っている皇妃選抜に行く意味なんてないだろ」
弱気な言葉に、しかしフレアは唇を尖らせた。
「そんなの、まだ解らないじゃないの。——チャンスが無いと決まったわけじゃないわ」
「それに、今回は皇帝様直筆の招待状で呼ばれてるしね」
レモンの言葉を聞き流しかけて。
「……えっ、聞いてないんだが」
「聞く耳を持たなかったのは誰よ」
俺でした。平謝りしつつ、俺は宮廷前に向かう。
広場は大盛況。
普段は閑散としている場所だが、今日ばかりは大勢の人が押し寄せていた。
「ほら、最前列は指定席だよ!」
「…………」
案内するレモン。隣に座っていたのは——。
「シレーヌ!?」
「やっほー、ハルちゃん」
微笑んだ彼女に、驚く俺。
「なんで……」
「皇帝様にお呼ばれしちゃった。——ほら、もうすぐ始まるみたい」
いろいろ聞きたいことは山積みなのだが、聞く暇もなく。
「皆の者、よくぞ集まった」
皇帝が、姿を現した。
どっと沸く民衆。その中でも罵声はほとんど聞こえない。どうやら皇帝の評価がうなぎ登りだっていう噂は本当のようだ。
皇帝が手を上げると、途端に静かになる。
「——皇妃選抜に参加してくださった者たち、そしてそれに協力した皆様方に、まずは感謝を申し上げる」
皇帝が民衆に向けて放つ感謝。それは決して当たり前のことではない。——少なくとも、今までではあり得なかっただろう。
「此度の選抜は、大変心苦しいものがあった。創作に優劣をつけるなど、本来あってはならぬことだからである。
——我自身、この選抜期間中に様々な心変わりがあった。得たものもあれば、失ったものもある。我も一人の人間なのだということを痛感させられた。
創作にも、一人一人の人生が乗っている。
その重みを、今まで我は知らなかった。——故に、それを知った今、この選抜に苦しみを覚えたのだ」
彼の言葉には、皇帝の座から見た彼なりの本心が乗っている。それをひしひしと感じた。
——今にも泣きそうな顔で、額に汗を滲ませて必死に話す彼の姿を、誰が疑おうか。
「だが、やり通すと決めたことだ。——苦渋の決断の末、我自ら素晴らしき作品を選んだ。……今から読み上げる。聞いてほしい」
それから、作品名と作者の読み上げが始まった。
一つずつ呼ばれていく名前。悲喜こもごもの人間模様。
途中でランの名前も呼ばれた。思わず後ろを向き、弟子の姿を探した。——声なき声を漏らし、嗚咽しているのが見えた。
けれど、俺の名はいつまで経っても呼ばれなかった。
名前を呼ぶ声が途切れた。
「——以上が、金賞だ。次が、最優秀賞となる」
最前列に招かれた数名の中で、呼ばれていないのは——俺と、シレーヌだけだった。
……期待はしていなかったが、ここまでじらされると何かあるのではと思ってしまう。
しかし——告げられたのは。
「最優秀賞。楽曲『会いたい』——シレーヌ」
彼女は目を丸くしていた。
「……え」
俺は一瞬だけ俯いて——しかし。
「やったね、シレーヌ。……最優秀賞。おめでと」
そう、微笑んだ。
拍手と歓声。皇帝の寸評が読み上げられる中、彼女は徐々に自分の置かれた状況——評価を理解したのか、目に涙を湛え。
「ありがと」
そう、一言だけ溢した。
皇帝が、歓声を制した。
静まる会場。
「以上、二十一作品。——そのほかに、特別賞を用意してある」
皇帝の言葉に一瞬どよめく民衆。
——そして、しんと静まりかえった中、皇帝は俺の方に近づいてきて。
「壇上に上がれ、奉景」
「え」
俺の手を取り、引っ張り出した。
狐につままれたような戸惑いに足を取られる俺を、彼は優しげにエスコートする。
「特別賞。短編小説『花の匂い』——奉景」
自分の書いた作品の名前だ。
いい友人になれるかもしれなかった——けど、今はもういないアイツのことを想って書いたやつ。
「我には、親友がいた。側近として働いていた——先日、事故で亡くなった親友が。——彼によく似た人物が主人公だった」
皇帝は語り出す。
「奴には、よく軽口を叩いては、窘められていた。ときには我が内面をさらけ出して、そのたびに『貴方は優しすぎる』と言われていた。
我の——『俺』の、かけがえのない友人だったのだ。
——奴は、手を汚せない我に代わって、国をよりよく導こうとしていた。我にとって、決して許されざる悪だった——が、信念のある男でもあった。
そんな奴に、せめて救いと弔いを手向けたような——まさに、優しき花の匂いがした。そんな一作であった。
——我は、これを読んで、はじめて救われたような気がしたのだ。……彼を、赦せたのだ」
皇帝の独白。そばにいる彼の頬に、光るものがあった。
「我にとって、特別な一作となった。——唯一の『特別』の称号を贈るに、相応しいと……そう思ったのだ」
そう語る皇帝は、どこか優しい目をしていて。
何かを決心したかのように、彼は一つ息をした。
「だからこそ——お主に、我の魂を預けたい」
そう言って、膝をついた。
「我の妃になってくれ。——好きだ、奉景」
俺は赤面した。
脳内でファンファーレが鳴り響いた。
フレアが一言、口にした。
「おめでとう。——ミッション、コンプリートよ」