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終章・下 カーテンコール

#51 糸


「――よお、久しぶりだな。皇帝さんよ」

 そう言って、俺は目の前の玉座と相対する。

「それともこう呼んだ方がいいか? ――旦那サマ」

「……っ、気色悪いぞ、奉景」

 そう告げる皇帝の顔は、めっちゃ赤く染まっていた。

「照れてやんの」

 かわいいとこもあるんだな、こいつ。

 ……男に対してそういう感情を少しでも抱いてしまっている俺に、もはや男の心は残っているのか。それはもうわからない。


「――この会議も、一年ぶりだ」

「会議にしては、人数が少ないけどね」

 広い、宮廷中心部の部屋。仮に復旧されたものの戦いの爪痕が随所に痛々しく残るこの空間には、俺たち二人だけの声がむなしく残響している。

「……やはり、寂しいな」

「側近、募集してみれば?」

「考えておこう。――ここで話すのは、それ以前の問題だ」

 彼はため息をついて、頬杖をついて、口角を上げて告げた。


「――結婚生活についての取り決めをしよう」

「この国のことじゃなかったか?」


「…………どちらの方が優先順位が高いと思う?」

「私に聞かれましても」

「………………」

 無言で拳を突き出す皇帝。……そっちがその気なら、やってやろうじゃねえの。

「じゃーんけーん――」


 負けた。浮かれ気分の皇帝に。

「ふはははは! 勝った! 勝ったぞ!」

「くだらねぇ……」

「いま何か言ったか」

「なんでも」


「……お前はいま、幸せか?」

 皇帝が不意に尋ねてきた。

「新興宗教みたいなこと言ってる」

「人聞きの悪いこと言うな。――結婚するからには、今度こそ互いに幸せになりたいものだろう?」

「そういうものか」

「我は、そう思っている」


 俺は遠くを見た。

 ——皇帝の輝く瞳から、目を背けていた。

「我は思う。幸せになりたい。だが、それ以上に」

 彼は俺をじっと見て、告げる。

「お前にも、幸せになってほしいのだ」

「……」

 俺に、幸せか。

 なおも目をそらす俺に、彼は小さなため息をつく。


 外からの歓声が、宮廷中央のここまで響いていた。

 当然のことか。俺もため息をついた。


 今日は俺と皇帝の、結婚式。その朝なのだから。


    *


「あなたはいま、幸せなのですか?」


 自室。当然のようにそばに座って、俺の着替え(させられるさま)を見守っている朔月が、不意にそんなことを聞いてきた。

「なんだ、急に。流行ってんのか? しあわせ教」

「何ですの、そのうさんくさい宗教は。いえ、そうではなく」

 朔月の言葉に、俺は「ならなんだ?」と尋ねる。

「あの皇帝の人となりを知って、それでもなお一緒になろうとするなんて、自分をないがしろにしているとしか考えられませんわ」

「言い過ぎだよ?」

 窘める俺に、「こほん、失礼しましたわ」と咳払いをする朔月。さすがに言い過ぎは自覚していたらしい。

「しかし、仮にも今日はめでたいはずの日。そんな日くらい、笑ってみてはいかがですの?」

 ——そんな、今日の俺が笑っていないみたいな。笑ってるつもりなのにな。

「目が笑ってないわよ」

 俺の着付けをやってくれているフレアに指摘され、俺はため息をつき「動かないで頂戴」あ、ごめん。


「……なんで結婚なんて決めましたの?」

 不意に、朔月に聞かれた。

「なんだよ、急に」

「貴方、もともと男でしょう? ——心が男なのに、どうして男の皇帝と……」

「偏見が過ぎねぇか? ——男同士でそういう感情が芽生えることだって」

 赤面する朔月に「……冗談」と告げた。「からかわないでくださいまし!」ごめんて。


「なら、本当はどうしてですの?」

 改めて尋ねられると、俺は少しだけ悩んで。


「……この国、変えたいから」


 皇妃の立場は、この前解散した評議会の全体と同等——すなわち、皇帝のすぐ下の権力を得ることになる。

 皇帝には及ばないものの、その権力は絶大だ。それこそ、この国を自由に変えてしまえるほどに。


「この力で、国民を救いたい。国の状況を少しでもよくしたい。——世界を、ちょっとでも動かしたい」


「あの性悪役人の意思を受け継ぐ、ということですの?」

「まあ、結果的にそうなるな」

 そう告げると、朔月はガタガタ震える。

「今度こそリストラされますの……」

「安心しろ。廃妃の身分は保障するから」

 ほっとした息を吐く朔月。しかし。

「でも」

 彼女は、問いを口にする。


「……そこに、貴方の幸せはありますの?」


 俺は目をそらし——「動かないで頂戴。そろそろメイクも佳境だから」あ、ごめん。

 目を閉じた俺。少ししてから「目を開けなさい」と言われたとおりにすると。


 そこには、美しい女が座っていた。

「……綺麗だ」

 口紅が動いて初めて、それが自分だということに気がついた。

 驚いたように開いた目に引かれたアイラインは、切れ長の瞳を華麗に強調する。

 色づいた頬に、後ろで束ねられた長い髪。

 着せられた白無垢に、改めて「これから結婚式なのだ」という実感がわいてきて背筋が伸びる。

 目を細めた。

「……えへへ」

 否応なしに幸福感を覚えてしまうのは、おそらくこの衣装にかけられた魔法のようなものだ。

 やっぱり、俺の中の「男」はもう息をしてはいないんだろうな。一人称だけが、不格好にその面影を覗かせている。

 いびつな「俺」は、微笑を顔に貼り付けながら立ち上がった。


「行ってくるよ。——この国、変えてくる」


「……どうか、後悔のない選択を」

 少女の祈りが聞こえた。

 俺は少しまた目を開いて、また細めて。

 ゆっくりと呼吸した。


 幸せか、なんて聞かないでくれよ。

 そんなもの、俺には似合わない。


 不格好な白無垢を引きずりながら。


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