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#52 Sign


 耳をつんざくほどの歓声が、広場を埋め尽くした。

 俺と皇帝が登場した、その瞬間のこと。


 この国には宗教的な施設はないという。

 いや、多分ないわけではないが、そのどれもがごく小規模なものだ。祠とかそういったレベルの奴。そんなものの前で結婚式をやるわけにも行かないだろう。ましてや、皇帝が。

 他の宗教だと、西欧宗教の教会が数年前に廃止されて久しいという。十中八九、いまは孤児院になっているあの施設だろう。

 寺院や神社的なものがほぼ残っていないこの国で、どうやって結婚式を挙げるか。

 すなわち、広場で簡易的な挙式を行うというものだ。

 神には誓わないが、結婚の証人として多数の参列者に見守られながら行うような式で、人前式とも呼ばれる。……ずっと昔に結婚式場のバイトで身につけたことが、今更役に立つなんてな。

 とはいっても、公的な人物同士の結婚とだけあって、それなりの強い儀式色や宗教色は帯びているようで、まあまあ長めのバージンロードやら、神父的な人物やら——よくみたら白銀しってるひとだ——仏壇的なサムシングやら……とにかく、たくさんのお金やらなんやらをかけられて丹念に用意されたものだということがわかった。時間がない中ここまで用意してくれた職人さんたちや商人たちにも感謝だ。


 その中で、俺は笑顔を作って民衆に手を振る。

 これだけたくさんの人に見守られる結婚式。その主役は、とても嬉しいに違いない。まさしくハッピーエンドだ。

 ——それが俺だということを失念してしまうくらいには。


 挙式はつつがなく進んだ。

 この国独自の、様々な宗教がちゃんぽんにされたような式で、青年神父が仏壇的な何かに祝詞を上げる姿はまさしく国際交流が豊かな星月国ならではの光景だと感じた。吹き出しそうになったのはここだけの話。


 大真面目な雰囲気の中。

「……新郎、皇帝・太陽タイヤン。貴方は、ここに居る皇妃・奉景を、いついかなる時も、妻として、愛し、敬い、慈しみ、幸せにすると誓いますか?」

 神父の言葉に、問われた皇帝は、わずかに目を細めて。

「誓おう」

 一言だけ答えた。

 そして、神父はこちらを向いた。


「……新婦、皇妃・奉景。貴女は、ここに居る皇帝・太陽を、いついかなる時も——愛し、敬い、慈しみ、幸せにする……幸せになると、誓いますか?」


 神父は、俺に問いかける。

 薄暗い目を、こちらに向けて。

 ……その奥にあるのは、何かわからない。けれど。


「……はい。誓います」


 覚悟を持って、告げた。

 突き刺さる視線。俺に向けられた、重圧の刃。

 ——幸せになってほしいという、願い。


 いま、解った。

 ここに参列している人は、皆、俺たちの幸せを願っている。

 だから……その期待に、応えなくてはならない。

「我らは、この国をよりよく導くと約束する。二人で、いや、皆で。そして、我らは皆の幸福の土台になれるよう、幸福に努めたい。互いを慈しみ、敬い、愛し——幸せになると、誓おう」

 皇帝の演説に、俺は決心を固める。


「旦那の言ったとおり、私たちはこの国を、よりよい方向に導きたいです。そのための方策も、話し合いました。式典後に、具体的な話をしようと思います。——が、その前に」

 一オクターブくらい高い「外行き」の声で話したあと。

 俺は皇帝を睨み付けた。


「確かめておかねばならないことがあります」

「なんだ」

「知っていますか。……私の、正体を」

 沈黙する皇帝。

 俺は静かに、告げた。


「私は、偽物です」


 ざわつく民衆。しかし皇帝は動揺せずに。

「静まれ。——真相を、話すがよい」

 話を急かした。


「私は異世界から来て、奉景の身体に宿った……死者です。ここ一年近く、この身体を借りて——奉景に成り代わって、生活しておりました。近作も、私が勝手に書いた代物です」


 息を呑む民衆。その真相を知っていた数人の人物も、固唾を呑んでこの状況を見つめる。

「私は、奉景ではございません。騙してて、申し訳ありませんでした」

 これで、死刑は確定だ。

 この国では、身体は同じでも魂の人格が違えば別人と見做される。廃妃、そして皇妃にまで成り代わっていたとなれば、皇帝侮辱罪に問われてもおかしくない。死刑だ。

 もっとも、俺はやるべきことはやった。目標も達成したし——もう帰れないなら、死んだって構わない。

 偽物に、幸せになる権利なんてないんだから。

 頭を下げる俺の頬に、皇帝は手を添えた。


「名を申せ」

「名乗るほどの名は、ありません」

「であれば——奉景」

 皇帝は、俺を見据えて告げた。


「そんなこと、知っておったわ」

「……え?」

 死刑は?

「我が審美眼を舐めるでない。初対面で、既に違和感には気づいていたぞ」

「え……え?」

「会うたびにその違和感の正体を掴んできていた。——風邪の時なんて、一人称まで変わっていただろう」

「あっ……」

 戸惑いながら、俺はおずおずと尋ねる。


「……皇帝侮辱罪は」

「評議会が勝手に決めたものだ。そして、今は評議会など存在しない。あとはわかるな?」

「マジかー……」

 白目を剥いた俺。気が抜けてへなへなと座り込む俺を、皇帝が支える。


「それでもなお——お前が、好きなのだ」


 その言葉に、俺は納得した。

 よく考えれば解る。——皇妃選抜で評価されたのは、『俺』が書いた作品だ。『奉景』の作品じゃない。

 それ以前に——目の前の光景を見て、俺は理解した。


「大丈夫ですか!」

「ちょ、押すなですの!」

「ご主人様っ」

「せんせー、起きてください!」

「まったく、しょうがないわね」

「ん……おねえちゃん」


 たくさんの人が、俺に手を差し伸べてくれている。そんな光景。

 ——『俺』はもう、一人じゃない。


「ありがと、みんな」


 俺は微笑んで、手を伸ばした。


    *


「——以上がテスト範囲です!」

 社会の教師が告げた言葉に『えー』という大合唱が響いた。

 キンコンカンコンとチャイムが鳴る。

 僕はため息をついて、窓の外を見た。

 巨大な城跡が町の大半を占める、星月の町を。


 二十一世紀。

 ここは星月。芸術と歴史の町。


 百年前、伝説の文豪・奉景がいたとされている国だ。


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