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第3-1話 想い、奔る(1)

「……ゴホッ!」


 喉奥に引っかかった水を吐き出す。ジェイドは起き上がった。

 あたりは水びたしになっている。しかも暗い。洞穴かと思ったが、違う。手をふれた地面は、整った石畳になっている。地面と同じ材質の壁には、明かりが小さくともっている。


「地下迷宮ダンジョン……いや、地下かどうかはわからないが」


 あたりは人工的に造られた構造物、ダンジョンのようだ。しかも大きな水路が併設されている。水路には深さもわからない水が、音もなく流れている。ジェイドは水路横にある、すこし高さのある通路にいた。あの波に呑まれて、ここまで流されてきたと推定できた。


 あたりに仲間の姿はない。


「……うん」


 ジェイドは全身を確かめる。打ち身がいくつか出来ているが、骨は折れていない。肌も切れていない。手足も痛みなく動く。体力も残っていそうだった。いまからでも立ち上がり、戦い続けるのに不足はない肉体だ。


 衣服は濡れてしまっている。乾かしたいが、贅沢は言えない。ここは敵地――魔王の庭のどこかだ。


 身の回りのモノも確かめる。小袋ポーチの中には、すこしばかりの薬がある。ルウルウが持たせたものだ。包みのおかげで、濡れずに済んでいる。傷に効く飲み薬のはずだ。


 武器を確かめる。ショートソードは手元にない。剣帯にはショートソードの鞘と、短剣だけが差してある。短剣を鞘から抜いて、異常がないか確かめる。短剣の刃は欠けておらず、いつものように使えそうだ。


得物ぶきはこれだけか……」


 短剣で戦うすべは心得ている。鞘だって振り回せば多少の武器にはなる。だがもし相手がきちんとした武器を使ってくれば、こちらは不利になる。せめてもう少し、マシな武器が欲しかった。


「ないものねだりだな」


 ショートソードは、あの波に呑まれたときに手放してしまったのだろう。迂闊だったとは思うが、後悔しても剣は戻らない。

 ジェイドはひとつ頭を振り、あたりを見回す。ひとけはない。明かりが一定距離を置いて、ぽつぽつと続いている。


 ジェイドは短剣を鞘に戻し、その上に手を置く。いつでも抜けるような格好だ。


「ランダ! ハラズーン!」


 ジェイドは叫んだ。返事はなく、石壁に自分の声が反響して聞こえる。


「ルウルウ!」


 ジェイドは立ち上がり、水が流れるのとは反対の方向へと歩き出した。上流に、あの奇妙な庭がある――と信じたい気持ちだった。


「カイル!」


 誰の名を呼んでも、返事は聞こえなかった。


 ジェイドは進む。通路が曲がっている。曲がった部分に、草木のクズが引っかかって小山ができている。ジェイドはゴミの小山に登ると、壁の明かりを取った。たいまつ状のかたちをした明かりは、手に持つことができた。


「…………」


 通路の角を曲がる。しばらく行くと、広い空間に出た。


「!」


 たいまつをかざすと、あたりが明るくなる。明かりの中に映し出されたのは、無数の亡骸だ。


「……人間、じゃないな」


 亡骸はひとのような姿をしているが、いずれも亜人――特に、魔族と呼ばれる魔王の眷属たちのものだった。彼らは、複数の獣を混ぜて最後にひとの形にしたような姿をしている。そんな彼らの大量の亡骸が、無造作に山積みになっている。流されてきたのか、棄てられたのか。


「…………」


 ジェイドは慎重に、亡骸をあらためる。骨をさらすものも多いが、肉が残っているものもある。だがいずれもカラカラに干からびてしまっている。水気の多い、水路のそばとは思えない状態だ。


「……誰かがやった、のか?」


 ジェイドは亡骸の山のすきまを、慎重に進んでいく。


「アァ……アァ……」


 干からびた声がした。ジェイドは声のしたほうを振り返る。短剣を抜いて、声の方角へたいまつをかざす。


「タス……ケテ……」


 亡骸の山の下に、年若く見える魔族が倒れている。幼い少女のような姿をしている。実際に幼いのか、このような姿に見えている魔族なのかはわからない。幼子の魔族は、痩せこけた頬がカラカラに乾いている。


「…………」


 ジェイドは黙って松明を地面に差し、短剣を咥えた。幼子の魔族を、折り重なった亡骸の下から引きずり出す。


「――!」


 幼子の魔族は、すでに下半身がなくなっていた。下半身は骨となり、ほかの亡骸の重みで砕け散ってしまったのだろう。助けたところで、長くもつとは思えなかった。


「アア……アリガとウ……」


 それでも幼子の魔族は、礼を言った。落ち窪んだ眼窩にあるギョロギョロとした眼で、ジェイドを見る。恐ろしい容姿になってしまっているが、視線には敵意がなかった。


「……なにがあった?」


 ジェイドは魔族の横にひざまずき、短剣を鞘に戻して、尋ねた。


「魔王サマ……すべテの魔族……セイハイ、ニ……ソそグ……」


 幼子の魔族は小さく拙い言葉でしゃべり出す。


「神ニなるノハ……魔王サマだケ……ワタシたち……タダのエサ……」

「…………」

「あァ、苦しかっタ……」


 そう言うと、幼子の魔族は事切れた。ジェイドは手を彼女の目元にかざす。手を慎重に撫で下ろすと、魔族の目がまぶたで閉じられる。ややあって、幼子の亡骸は黒いちりへと変化した。サラサラと崩れていってしまう。


 ジェイドは深い憂いと怒り、そして悲しみの感情が交じる思いがした。

 あたりを見回す。干からびた魔族たちの亡骸は崩れずに残っている。完全に死ねば塵になってしまうはずの彼らが、こうして積み重なっている、その意味は――。


「……生きているのか」


 膨大な数の魔族が、半死半生――否、ほとんど死に瀕した状態で、打ち捨てられている。ジェイドはそのことに思い至った。彼らは声を発することもできず、ごくわずかに残った生命力で生きているのだ。


 魔王はおそらくこの惨状をなんとも思っていない。おのれが神になるのに必要なことだ、と考えていることだろう。ジェイドの胸の中に、ふつふつと複数の感情が絡み合って浮かんでくる。


 憂いのような、怒りのような、悲しみのような、そして哀れみのような――。


「なんだろうな、この思いは」


 ジェイドはつぶやく。魔族とは、ジェイドだけでなくルウルウたちや亜人たちの敵でもある。旅をしてきて、つくづくとそう思った。敵なのだから、出会えば殺し合いになるだけのことだ。


 けれどもいまのジェイドは――魔族に慈悲をかけた。幼い姿の魔族が哀れだと思ってしまった。その感情が、ジェイドに魔族の目を閉じさせた。おのれの甘さなのだろうか。それとも誰かに影響されたのかもしれない。


「……ルウルウ」


 ジェイドは胸元を手で押さえた。そして愛する者の名前を呼ぶ。どんなことがあっても、守っていくと決めた相手だ。ジェイドに深い慈悲の心を教えたのは、彼女かもしれない。


「すぐ、行く。待っていてくれ」


 そうつぶやく。ルウルウがどこにいるのかは、まったくわからない。だがジェイドは行くべきなのだ。行きたいと思っている。

 ジェイドはたいまつを床から取ると、ふたたび道を求めて歩き出した。

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