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第3-2話 想い、奔る(2)

 ジェイドが魔族たちの捨て場から離れ、歩き出しているのと同時刻――。


 カイルはランダとともに、水路のそばを歩いている。人工的な構造物の内部を、水路が流れていて――その横にある通路を歩いている。水路には得体の知れないクズが浮かび、浮き沈みながらゆっくりと流れている。


 ふたりは濡れた衣服をつけている。先の大波を浴びて、濡れてしまった。ランダは冒険者の衣装だ。一方で、カイルはかなりの軽装だ。エルフ王としての大仰な服を脱ぎ捨てたからだ。白い短衣チュニックだけを身に着けている。


 衣服からもたらされる不快感を引きずりつつ、ふたりは通路を行く。

 ランダがあたりを見回す。彼女の手にはたいまつがある。通路の明かりを拝借したものだ。


「……本当にこの道で合ってるのかい?」

「合ってないよ」


 あっさりとしたカイルの答えに、ランダが一瞬ぽかんとした。そしてすぐ、ランダはカイルの胸ぐらをつかんだ。


「カイル! やっぱりアンタ!!」

「違うよ! こんな場所、正しい道なんかあるわけない!」


 ランダをたばかったわけではない――とカイルは言っている。ここは迷宮だ。歩くうちに、何度も行き止まりに当たった。もしかしたら出口などないのかもしれない。

 ランダがカイルをつかむ力を緩めて、ずるりと床に座り込む。手にしたたいまつを、乱暴に床に差す。


「あー……! いったいなんだってんだい、ここはぁ!」


 ふたりは長い時間にわたって歩いているが、いっこうに出口は見つからない。さすがに疲労感が溜まってきている。


「おそらく水道というやつだろうね。上下はわからないけれど」

「水道?」

「城とかで使う水を引き入れる水路さ。飲み水は上水道、汚水を捨てるのは下水道」

「ちくしょう、ひとを汚水扱いしやがって!」


 ランダは即座に水路が下水道だと断じた。彼女の判断力とユーモアの混じったところに、カイルは「ふふ」と笑った。ランダが床に座ったまま、カイルに尋ねる。


「それよりカイル。あのドレス野郎が魔王ってことで間違いないかい?」

「ああ。女っぽい格好はしてたけど、魔王で間違いないよ」


 カイルはさきほどのことを思い出す。不可思議な美しい庭、その四阿あずまやにいた黒いドレスの魔族――魔王のことを。


「ああいうことをするんだ、魔王は」


 おそらく魔王は、ルウルウを懐柔するためにあんな格好をしていたのだろう。女だと思ってしまえば、ろくに警戒せずルウルウは席についたかもしれない。そして魔王はルウルウを手に入れるつもりだったのだろう。


「変わりモンなんだねぇ、魔王ってのは!」

「あれも彼の悪意さ。ルウルウを騙すつもりだったんだろう」

「ああ……そういうことかい」


 ランダは納得したようにうなずいた。ランダは大きく伸びをして、壁に背中をつけた。


「ああ、ちょっと休憩するよ。脚が棒みたいだ」

「うん。そうだね」


 カイルも同意して、ランダの隣に座った。あたりは寒くはない。一瞬眠ってしまったとしても、体調は崩さないだろう。疲れているふたりは、やがてウトウトとまどろみ始めた。


 ――ちゃぷん。


 水音がした。水路の奥底から、キラリと光るものがちらつく。二個一対の光が、チラチラと水の内側に集まってくる。それは、眼だ。眼をもつ何者かが何体も、水中に集まってきている。カイルとランダを水中から見つめ、距離を測っている。


「ランダァ――! カイル――!」


 突然、大声がランダとカイルの耳を揺らした。ふたりが目を覚ますと同時に、水が盛り上がり中から何者かが飛び出してくる。大口を開けた、ワニ型の魔獣だ。


「わぁぁぁ!?」

「ぬぅん!!」


 ランダとカイルの前に、ハラズーンがすべり込んだ。同時にハラズーンが棍棒メイスを振るう。ドゴン! と重い音がした。ハラズーンが、水中から飛び出してきた魔獣を殴りつける。魔獣は殴られた勢いで水路に落ちる。胴体をぷかりと浮かせ、赤黒い血が水に流れ出す。


「起きているな、立て! 逃げるぞ!!」


 ハラズーンがランダとカイルに呼びかける。ランダたちが慌てて、たいまつを取って立ち上がる。同時に水中からまたワニ型魔獣が飛び出してきた。ハラズーンが棍棒を振るって、魔獣を叩き落とす。


「逃げるったって、どっちへ!?」

「しかたない、先へ進もう!」

「うむ、我がしんがりをつとめようぞ!」


 ハラズーンを最後尾にして、三人は走り出す。水路の中に魔獣が集まり、泳いであとを追ってくる。何匹もの魔獣が、水面をジャンプしつつ泳いでくるのがわかる。最初の一体を叩き落としたときの血が、魔獣たちを昂らせているようだ。


「弓手よ、エルフよ。武器はあるか!?」

「僕はない! ランダは!?」

「短剣と、矢が一本だけ! 弓はどっか行っちまった!」

「ワハハ、上等だ!」

「どーこーがー!!」


 三人は水路の横を走りながら、ギャアギャアと騒ぎ立てる。彼らの騒ぎは、ハラズーンと初めて冒険した迷宮でのやり取りを彷彿とさせる。どこか懐かしく、どこか物悲しい。


「あ……っ!?」


 三人は袋小路に入ってしまっていた。目の前の通路が、壁で塞がれている。水路の下から、大量の殺気を感じる。ワニ型魔獣が、大量に集まってきている。


「ハラズーン、すこしもたせられる!?」


 カイルが叫ぶ。ハラズーンは親指を立てた。


「まかせよ、エルフの王よ」


 同時に、水中から次々と魔獣たちがジャンプした。三人を狙って飛んでくる。


「ぬうん! むん! せいやぁ!!」


 ハラズーンが棍棒を振るい、次々と魔獣を打ち返す。数匹は頭蓋を砕かれ、二度と襲っては来ない。数匹は手痛いダメージを受けたようだが、かえって怒らせてしまったようだ。しつこく三人を狙ってくる。


「風よ、痛み鋭き夜半よわの嵐となるものよ」


 カイルが両手を前に出し、詠唱を始める。


「我が願いに応え、風刃ふうじんの奇跡を起こせ!」

「ハラズーン!!」


 ランダの声とともに、ハラズーンが身をひるがえす。彼の肉体の横を、風の塊が突き抜ける。空中へジャンプした魔獣が、つむじ風の中に取り込まれ――その体をズタズタに切り刻まれる。


 風は水の表面をも巻き込み、浮かぼうとしていた魔獣たちを切りつける。魔獣たちは傷つき、驚いたように水路を引き返していく。大きな水音がいくつも起こって、やがて静かになった。


「く……ッ!!」


 カイルが両手を前に出したまま、顔をしかめた。風の魔法が治まる。


「カイル!」


 ランダがカイルの手を見て、驚いた。彼の手の皮膚が、切れてしまっている。傷はかなり深そうだ。いま使った風魔法で、傷ついたと思われた。


「いたた……ふたりとも、怪我はない?」

「アンタが一番傷ついてるじゃないか! ほら、見せな!!」


 ランダは腰の小袋ポーチを探る。小瓶が入っている。小瓶の中には、薄緑色の液体。旅のさなかに、ルウルウがくれたものだ。ルウルウは傷によく効くと言っていた。


「傷薬、つけるよ」


 ランダは小瓶の栓を抜き、液体をカイルの傷にかけた。血のにじんだ傷に、サラリとした液体が入り込んていく。


「いたたっ!」

「我慢しな、しみるくらいなんだってのさ。生きてりゃ痛いこともある」


 ポーチの中から薬草を取り出す。たった一枚、残っていたものだ。それをカイルの傷に貼り付け、上から外套をちぎった布で固定する。


「ランダ……ありがとう」

「恩に着なよ」


 カイルが礼を言う。ランダはムスッとした顔で答えた。


「アタシはまだアンタが味方だとは思ってないんだからね」

「そうだね」

「でもほっとくとルウルウが悲しむだろ」

「……そうだね」


 ランダの言葉に、カイルはすこしうつむく。悲しそうだが、当然のことだと思っているような表情だ。ランダがカイルを警戒する気持ちを、カイルはよく理解している。

 ハラズーンが棍棒を肩にかつぐ。大げさに肩をすくめた。


「これ、弓手よ。エルフをいじめるでない」

「いじめてなんかないっつの!!」

「ハッハッハ! 怒るな怒るな」


 ハラズーンとランダのやり取りを見て、カイルが顔を上げる。彼はすこし笑っている。


「ありがとう、ランダ、ハラズーン」

「うむ」

「……ああ」


 三人は慎重に、いま来た道を引き返していった。

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