ジェイドが魔族たちの捨て場から離れ、歩き出しているのと同時刻――。
カイルはランダとともに、水路のそばを歩いている。人工的な構造物の内部を、水路が流れていて――その横にある通路を歩いている。水路には得体の知れないクズが浮かび、浮き沈みながらゆっくりと流れている。
ふたりは濡れた衣服をつけている。先の大波を浴びて、濡れてしまった。ランダは冒険者の衣装だ。一方で、カイルはかなりの軽装だ。エルフ王としての大仰な服を脱ぎ捨てたからだ。白い
衣服からもたらされる不快感を引きずりつつ、ふたりは通路を行く。
ランダがあたりを見回す。彼女の手にはたいまつがある。通路の明かりを拝借したものだ。
「……本当にこの道で合ってるのかい?」
「合ってないよ」
あっさりとしたカイルの答えに、ランダが一瞬ぽかんとした。そしてすぐ、ランダはカイルの胸ぐらをつかんだ。
「カイル! やっぱりアンタ!!」
「違うよ! こんな場所、正しい道なんかあるわけない!」
ランダをたばかったわけではない――とカイルは言っている。ここは迷宮だ。歩くうちに、何度も行き止まりに当たった。もしかしたら出口などないのかもしれない。
ランダがカイルをつかむ力を緩めて、ずるりと床に座り込む。手にしたたいまつを、乱暴に床に差す。
「あー……! いったいなんだってんだい、ここはぁ!」
ふたりは長い時間にわたって歩いているが、いっこうに出口は見つからない。さすがに疲労感が溜まってきている。
「おそらく水道というやつだろうね。上下はわからないけれど」
「水道?」
「城とかで使う水を引き入れる水路さ。飲み水は上水道、汚水を捨てるのは下水道」
「ちくしょう、ひとを汚水扱いしやがって!」
ランダは即座に水路が下水道だと断じた。彼女の判断力とユーモアの混じったところに、カイルは「ふふ」と笑った。ランダが床に座ったまま、カイルに尋ねる。
「それよりカイル。あのドレス野郎が魔王ってことで間違いないかい?」
「ああ。女っぽい格好はしてたけど、魔王で間違いないよ」
カイルはさきほどのことを思い出す。不可思議な美しい庭、その
「ああいうことをするんだ、魔王は」
おそらく魔王は、ルウルウを懐柔するためにあんな格好をしていたのだろう。女だと思ってしまえば、ろくに警戒せずルウルウは席についたかもしれない。そして魔王はルウルウを手に入れるつもりだったのだろう。
「変わりモンなんだねぇ、魔王ってのは!」
「あれも彼の悪意さ。ルウルウを騙すつもりだったんだろう」
「ああ……そういうことかい」
ランダは納得したようにうなずいた。ランダは大きく伸びをして、壁に背中をつけた。
「ああ、ちょっと休憩するよ。脚が棒みたいだ」
「うん。そうだね」
カイルも同意して、ランダの隣に座った。あたりは寒くはない。一瞬眠ってしまったとしても、体調は崩さないだろう。疲れているふたりは、やがてウトウトとまどろみ始めた。
――ちゃぷん。
水音がした。水路の奥底から、キラリと光るものがちらつく。二個一対の光が、チラチラと水の内側に集まってくる。それは、眼だ。眼をもつ何者かが何体も、水中に集まってきている。カイルとランダを水中から見つめ、距離を測っている。
「ランダァ――! カイル――!」
突然、大声がランダとカイルの耳を揺らした。ふたりが目を覚ますと同時に、水が盛り上がり中から何者かが飛び出してくる。大口を開けた、ワニ型の魔獣だ。
「わぁぁぁ!?」
「ぬぅん!!」
ランダとカイルの前に、ハラズーンがすべり込んだ。同時にハラズーンが
「起きているな、立て! 逃げるぞ!!」
ハラズーンがランダとカイルに呼びかける。ランダたちが慌てて、たいまつを取って立ち上がる。同時に水中からまたワニ型魔獣が飛び出してきた。ハラズーンが棍棒を振るって、魔獣を叩き落とす。
「逃げるったって、どっちへ!?」
「しかたない、先へ進もう!」
「うむ、我がしんがりをつとめようぞ!」
ハラズーンを最後尾にして、三人は走り出す。水路の中に魔獣が集まり、泳いであとを追ってくる。何匹もの魔獣が、水面をジャンプしつつ泳いでくるのがわかる。最初の一体を叩き落としたときの血が、魔獣たちを昂らせているようだ。
「弓手よ、エルフよ。武器はあるか!?」
「僕はない! ランダは!?」
「短剣と、矢が一本だけ! 弓はどっか行っちまった!」
「ワハハ、上等だ!」
「どーこーがー!!」
三人は水路の横を走りながら、ギャアギャアと騒ぎ立てる。彼らの騒ぎは、ハラズーンと初めて冒険した迷宮でのやり取りを彷彿とさせる。どこか懐かしく、どこか物悲しい。
「あ……っ!?」
三人は袋小路に入ってしまっていた。目の前の通路が、壁で塞がれている。水路の下から、大量の殺気を感じる。ワニ型魔獣が、大量に集まってきている。
「ハラズーン、すこしもたせられる!?」
カイルが叫ぶ。ハラズーンは親指を立てた。
「まかせよ、エルフの王よ」
同時に、水中から次々と魔獣たちがジャンプした。三人を狙って飛んでくる。
「ぬうん! むん! せいやぁ!!」
ハラズーンが棍棒を振るい、次々と魔獣を打ち返す。数匹は頭蓋を砕かれ、二度と襲っては来ない。数匹は手痛いダメージを受けたようだが、かえって怒らせてしまったようだ。しつこく三人を狙ってくる。
「風よ、痛み鋭き
カイルが両手を前に出し、詠唱を始める。
「我が願いに応え、
「ハラズーン!!」
ランダの声とともに、ハラズーンが身をひるがえす。彼の肉体の横を、風の塊が突き抜ける。空中へジャンプした魔獣が、つむじ風の中に取り込まれ――その体をズタズタに切り刻まれる。
風は水の表面をも巻き込み、浮かぼうとしていた魔獣たちを切りつける。魔獣たちは傷つき、驚いたように水路を引き返していく。大きな水音がいくつも起こって、やがて静かになった。
「く……ッ!!」
カイルが両手を前に出したまま、顔をしかめた。風の魔法が治まる。
「カイル!」
ランダがカイルの手を見て、驚いた。彼の手の皮膚が、切れてしまっている。傷はかなり深そうだ。いま使った風魔法で、傷ついたと思われた。
「いたた……ふたりとも、怪我はない?」
「アンタが一番傷ついてるじゃないか! ほら、見せな!!」
ランダは腰の
「傷薬、つけるよ」
ランダは小瓶の栓を抜き、液体をカイルの傷にかけた。血のにじんだ傷に、サラリとした液体が入り込んていく。
「いたたっ!」
「我慢しな、しみるくらいなんだってのさ。生きてりゃ痛いこともある」
ポーチの中から薬草を取り出す。たった一枚、残っていたものだ。それをカイルの傷に貼り付け、上から外套をちぎった布で固定する。
「ランダ……ありがとう」
「恩に着なよ」
カイルが礼を言う。ランダはムスッとした顔で答えた。
「アタシはまだアンタが味方だとは思ってないんだからね」
「そうだね」
「でもほっとくとルウルウが悲しむだろ」
「……そうだね」
ランダの言葉に、カイルはすこしうつむく。悲しそうだが、当然のことだと思っているような表情だ。ランダがカイルを警戒する気持ちを、カイルはよく理解している。
ハラズーンが棍棒を肩にかつぐ。大げさに肩をすくめた。
「これ、弓手よ。エルフをいじめるでない」
「いじめてなんかないっつの!!」
「ハッハッハ! 怒るな怒るな」
ハラズーンとランダのやり取りを見て、カイルが顔を上げる。彼はすこし笑っている。
「ありがとう、ランダ、ハラズーン」
「うむ」
「……ああ」
三人は慎重に、いま来た道を引き返していった。