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第2-1話 暴くもの(1)

 ルウルウはハッと意識を戻した。


 視界には天井が映っている。ルウルウは家屋の中で、ベッドに横になっていた。ぺったりとした敷布団、ふかふかとした掛け布をかぶっている。ルウルウが体を起こすと、木製のベッドがきしむ。ふかふかの掛け布をどけて、ルウルウは床に立つ。木の床がぎしりと音を立てた。


「これは……夢?」


 ルウルウ一行は魔王城へ向かって、天へと昇る階段を上がっていたはずだ。かなり長い階段で、全員が体力を消耗していたのだけは覚えている。

 ルウルウはあたりを見回す。部屋の中だ。部屋の様子は、見覚えしかない。だからルウルウは、見えているものを夢だと疑っている。


「わたしたちの……家……」


 その部屋は――ルウルウが育った、レハームの森の庵だ。タージュとルウルウがひっそりと暮らし、ジェイドが時折訪ねてきた家だ。レハームの家の寝室に、そっくりな部屋の中にルウルウはいた。


「どうして……」


 もしかして、いままで起こったことのほうが、すべて夢だったのだろうか。長い長い夢を見ていたのだろうか。家を焼かれて旅に出た――そのことが悪い夢だったようにも感じる。

 ここは間違いなくレハームの庵で、きっとタージュもいるのだろう。寝室の扉を開ければ、タージュが帰ってきている。きっとジェイドもいるだろう。


「う、ううん」


 ルウルウは首を横に振った。旅のことが夢だったとは思えない。混乱した思考を振り払う。


「あ!」


 ベッドまわりの床に、ランダとハラズーンが横になっている。ふたりとも掛け布にくるまって、安らかに寝息を立てている。


 それを見て、ルウルウはさらに現実に引き戻された。レハームより西で出会ったふたりが、レハームの庵にいるはずがない。庵は焼かれ、かくしてルウルウは旅に出たのだ。ランダとハラズーンは夢の中の住人ではない。現実にいる仲間だ。


 ルウルウはあわてて、ふたりに近寄る。


「ランダさん、ハラズーンさん!」


 ルウルウはふたりを揺り動かし、起こそうとした。しかしランダもハラズーンも、深い寝息を立て、寝相を変えただけだった。疲れ切った冒険者の仕草だった。


「どうしよう……」


 床に寝ているのは、ランダとハラズーンだけだ。ジェイドの姿がない。


「ジェイド!」


 ルウルウはベッドの部屋から、台所の部屋へと出る。かつてタージュの庵は、台所とベッドルームしかない簡素なつくりだった。果たしてそのとおりに、台所がある。かまどに水場、それに暖炉が設けられている。暖炉には火が小さく入っていた。


 台所の中央に鎮座する、大きなテーブル。そこにジェイドが突っ伏している。彼の肩がわずかに上下しており、眠っているようだった。


「ジェイド、ジェイド……!」


 ルウルウはジェイドの肩を揺らした。ジェイドが目を覚まし、頭をもたげる。ジェイドも眠そうに目を瞬かせる。


「ルウルウ……」

「ジェイド、わかる? ここ……」

「ここ?」


 ジェイドが怪訝そうにあたりを見回す。そしてハッとした表情になる。


「まさか……タージュ殿の家か!?」

「隣の部屋に、ランダさんとハラズーンさんもいるの。起きないんだけど……」

「なら、過去の夢を見ているってわけでもなさそうだな」


 ジェイドは椅子から立ち上がり、おのれの頬を叩いた。ジェイドは注意深くテーブルや壁の様子を見る。ルウルウもあたりを見るが、この庵は寸分たがわずタージュの家に似ている。置いてある家具や道具類も同じだ。壁に杖をかける場所があり、そこにタージュの御守りがついた杖がかかっている。


「いい家であろう」


 突然、第三者の声がした。ジェイドとルウルウが視線をやると――テーブルの対角線上に、人影がある。真珠色の長髪を垂らした、淡青色の目の美しい男が座っている。あの庭で出会ったトオミと同じ容姿をしている。


 ――魔王だ。


 ジェイドとルウルウの背筋を、悪寒が駆け抜けていく。いつからそこに魔王がいたのか、ふたりにはまったくわからなかった。


 魔王の座る席の前には、華麗な装飾の器――聖杯がある。魔王が手を伸ばせば、届く位置に置かれている。魔王が聖杯に語りかける。


「タージュ。そなたはこのような庵で、ルウルウを育てたか」

「魔王!?」


 弾かれたようにジェイドが腰のショートソードに手をやった。立ち上がり、剣を抜き払い、テーブルを越えて、魔王に斬りつけようとした――はずだった。


「座っておれ」


 魔王がひとことそう言うと、ジェイドの体が動かなくなる。まるで重しをされたかのように、席から立ち上がれない。腕も上がらず、ショートソードを抜くことすらできなくなったようだ。魔王の得体の知れなさに、ルウルウもジェイドも恐怖心を抱いた。


「すこし、話をしようではないか」


 魔王がうっすらと笑う。

 ジェイドが魔王を睨みながらも、尋ねる。


「ここは、どこだ?」

「タージュの庵だ」

「ふざけるな!」


 ジェイドが怒鳴り、次の言葉を吐き出そうとする。その瞬間、魔王がピッと人差し指を上げた。ジェイドの唇がひとりでに引き結ばれる。


「~~~~!!」

「静かにせよ、仲間が起きるであろ? 疲れているのに、かわいそうだ」


 魔王がクスクスと笑う。ジェイドは叫ぶこともできず、喉元を押さえ、荒く鼻息を吐く。

 ルウルウはその様子を見ながら、必死で恐怖心を抑え込んでいた。怖い。怖いが、逃げることは許されない。涙があふれそうになる目で、魔王を睨みつける。


 悪意の魔族王――魔王。

 真珠色の長髪。先ほどは結い上げてあった髪は、ほどいて長く垂らしてある。開いた目は淡青色。容姿はルウルウを大人びさせたような雰囲気がある。もし魔王でなければ、その美しさに目を奪われていただろう。


然様さように怖ろしい顔をしなくてもいい、ルウルウ」


 魔王が軽く首をかしげ、ルウルウに語りかけてくる。深い優しさを帯びた声だ。しかし同時に、得体の知れなさも含んでいる。魔王はそれを自覚しているのかいないのか――それすらも悟らせぬ様子で、ルウルウに話しかけてくる。


「お前の口は結ばないよ。言いたいことがあるなら、言えばよい」


 魔王は鷹揚な態度でルウルウに言う。魔王の口調には、気安ささえある。


「……どうして」


 ルウルウは疑問をぶつけた。


「あなたは……どうして魔神になりたいのですか?」

「我はもはや、退屈に耐えられぬ」


 魔王はわずかに目を細めた。淡青色の瞳に、憂いが見えた。


「我が眼は、望めばなんでも見える。大陸の多くを統べる王のしとねでも、金持ちの男が騙されるさまでも、貧しい女が身を捨てるさまでも、大陸の端で泣く赤子でも、なんでも」


 千里眼――すべてを見通す瞳を、魔王もまた持っている。


「我は望めばなにもかも手に入る。土地も、黄金も、宝石も、忠誠も――ひとの愛ですらも」


 ひとの愛――タージュのことを言っているのだろうか。だが魔王はなんでもないことのように言ってのける。


「それの、なんと退屈であることか」

「そんな……」


 タージュの愛情を受け取ることすら、退屈だったと魔王は言っている。ルウルウはそう感じ取った。ルウルウの胸の中がチクリと痛む。


 愛されることの尊さ、愛されることのあたたかさ。なにものにも代えがたいことなのに、魔王は退屈だったという。魔王の穏やかな口調の底にある傲慢さに、ルウルウは腹立たしさを覚えた。


 魔王が続ける。


「しかし魔神になる道だけは、困難に満ちておる。我が望んでも、簡単には手に入らぬことだ。我が退屈して三千年、ようやく場が整うまでになった」


 苦難を語る魔王は、嬉しそうだった。神を目指すことは、魔王にとって生まれ落ちて初めての困難だ。困難に直面したことを、魔王は喜んでいた。

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