「ランダさん、ランダさん……」
魔王によって真実を暴かれたランダは黙り込んでしまった。ルウルウが呼びかけるが、ランダは反応しない。ルウルウは悲しそうに顔をしかめ、ランダに寄り添うしかない。
「ハラズーンとやらは、なかなか起きぬな」
魔王はつまらなさそうに言う。
「我と同じ、第二の神の被造物。暗示が強くかかりすぎたか」
第二の神――魔神、と俗称される神のことだ。第一の神――創造神が人間とエルフを作ったように、魔神は魔族と亜人たちを造った。竜人族のハラズーンもまた、亜人である。ルウルウの仲間たちの中では、もっとも魔族に近いと言えるだろう。
「ハラズーン、あれはね」
魔王が語り始める。
「
「……?」
魔王の言葉に、ルウルウは首をかしげる。
「あれは竜人の王族に生まれたが、本当は神官になるはずだったのさ」
魔王は聖杯を撫でて、また腰掛けた。聖杯は沈黙したまま、テーブルの上にある。
「神官は帯剣を許されぬ。ゆえにハラズーンはメイスにて技を磨いた。だが……その膂力強きを誇る乱暴者ゆえに、神官になることを拒んだ。かくして乱暴者は竜人谷の神殿を抜け、冒険者になったというわけだ」
「そんな話、ありふれているだろう……」
ジェイドが低い声で言う。
「そうだな、貴様らのパーティの中ではもっともつまらぬ経歴だ」
魔王はケラケラと笑った。ありふれた話は、魔王にとって退屈なものだと断じられる。侮辱されている――と、ジェイドもルウルウも思った。
「笑わないでください……!」
ルウルウは悲しみをこめて言った。
「あなたに、わたしの仲間を笑う資格なんてない!」
「そうだ。貴様に嘲笑されるほど、俺たちは落ちぶれちゃいない」
ルウルウの言葉に、ジェイドが同意する。
魔王はつまらなさそうに、ひとつ肩をすくめて見せた。
「ジェイド、といったか。ルウルウに想いを寄せているな」
魔王の矛先が、ジェイドに向く。
ジェイドはルウルウが好きだろう、と魔王は言っている。ルウルウはドキリとしたが、ジェイドの表情は変わらない。
「それがどうした? そのことで俺が揺らぐとでも思って――」
「東方大陸で、獣人族相手に恋をしていたらしいじゃないか」
「――!?」
魔王の言葉に、ジェイドの黒い目が見開かれる。
ルウルウはランダの隣で、顔を上げてジェイドを見る。
ジェイドが赤面していた。彼のなにかが暴かれようとしている。彼の心の奥底の、突かれれば痛む部分を突き刺されたようだ。彼のそんな表情を、ルウルウは初めて見た。
「ジェイド、貴様の仕えた帝国は、宮廷にて東方大陸各地から貴人の子女を集めて奉仕させていた。その中に、特に美しい獣人族の姫がいた。白い毛の美しい、オオカミのような姫君だったな?」
魔王の瞳がにんまりと笑う。ジェイドは反論しない。
「皇帝の宮に仕える姫君と、一介の武官。貴様の片想い、成就せぬ恋のはずが――ずいぶんと、相手もまんざらではなさそうだったじゃないか」
魔王はまるで見てきたかのように、ジェイドの話をする。否、見たのだろう。魔王の千里眼は、ジェイドの生まれた東方大陸をも見通す力があるようだ。
「ジェイド……」
ルウルウは初めて聞くジェイドの物語に、心臓が早まっていくのを感じた。彼の過去はいつか聞きたいと思っていた。だがそれが魔王の暴く恋物語だとは想像もしていなかった。聞いてはいけない。そう思うが、魔王の口は止まらない。
「めでたく両想い、かと思われたが。オオカミの姫は、親に呼び戻されて領地へ戻った。ほかの男と結婚するために、な」
「…………」
ジェイドは失恋したのだ。と、ルウルウは思った。
魔王が続ける。
「結局、姫君は死んだな。なぁ、ジェイド?」
「――っ!」
ルウルウはジェイドの顔を凝視した。ジェイドの表情は固く、魔王の言葉に息を呑んだのがハッキリとわかった。
「夫たる男に蹴られた傷がもとで、死んだそうじゃないか」
「……やめろ」
「なぜ蹴られたかって? 姫君は貴様が忘れられず、政略結婚した夫に心を開かなかったからだ」
「やめろ!!」
ジェイドが叫んだ。短剣を抜き、魔王へ飛びかかろうとする。魔王が指を上げる。ジェイドは体の自由を失い、深く椅子に座ってしまう。怒りの表情を浮かべ、ジェイドはもがく。だが彼の腰が椅子から上がることはなかった。
魔王はジェイドの様子を見て、クスリと笑った。
「かわいそうな姫君の死を聞いて、貴様は帝都を飛び出したのだ」
ジェイドの語らなかった、隠していた過去が暴かれる。
ルウルウには思い当たることがあった。かつてレークフィア王国宮廷の中庭にて、ジェイドがルウルウに語ったことがある。
――多くの出会いがあり、別れもあった。
――おのれの立場が不自由で、息が詰まると思ったときがあって。
――気がついたら帝都を出奔していた。西方大陸行きの船に乗ったんだ。
ジェイドの言っていたことは、これだったのだ。出会いと別れ――それは、ジェイドがかつて愛したひととの邂逅と別離。あまりにつらい別れだったのだろう。ジェイドが身分も生まれ故郷も捨ててしまうほどに。
「貴様は変わり者だ。普通の人間であれば、亜人に想いを寄せることなどありえない。だが貴様は亜人と恋をした。恋ができてしまった。つまり、そういう風に生まれ落ちてしまったのだなぁ」
魔王はクスクスと笑った。
「だからルウルウのことも愛したのだろう? ルウルウは人間ではないからな」
「なんの、ことだ……!?」
「フフ、その想いのなんと穢らわしいことか」
心底おかしそうに、魔王が笑う。
「貴様の心の奥底は、人間を疎んじている。だから本能的に亜人に恋もするし、ルウルウをも求めるのだ」
「そんなわけが……! ルウルウは……!」
「あるとも。ルウルウは半分だけ魔族――我が眷属であるからな」
魔王はあっさりその秘密を語る。
ルウルウはビクリと体を震わせた。彼女の心臓を、まるで氷が落ちかかってくるような感覚が襲う。ルウルウの全身から冷や汗が噴き出る。
ジェイドが驚いた声を上げた。
「ルウルウが、魔族……!?」
「おや、ルウルウは話していなかったな。あれは我とタージュの娘であるぞ」
「――!」
すべてを端的に、魔王は語った。ジェイドは言葉を失い、ルウルウを見る。ルウルウはその視線を、うつむいて受けた。ルウルウは顔を上げることができなかった。
「ルウルウ」
魔王が語りかけてくる。深みのある、低い声で。そこには愛情が含まれている。
「お前は肝心なことを仲間に伝えなかったね。もし誰かがそれをそしっても、裏切りではないよ」
優しく、すべてを許す口調で、魔王が語りかけてくる。
「我が魔王であることを、かつてタージュに伝えなかったように」
「……っ!」
ルウルウは心底、自分の行動に打ちひしがれた。
ルウルウは思う。自分のしたことは、魔王と同じだった。裏切るつもりなんてなかった。だが結果的に、仲間に隠し事をしてしまった。これが裏切りでなくて、なんというのだ。恥ずかしい。消えてしまいたい――。
「ごめ……ん……なさい……」
ルウルウはその言葉を喉から引きずり出した。精一杯の言葉だった。
ジェイドもまた、ルウルウの謝罪を聞いて、愕然とした表情をした。
「ルウルウ」
「ごめんなさい……ジェイド、ごめんなさい……!」
ああ、彼に謝ることしかできない。絶望感がルウルウの心を打ちのめした。