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第3-2話 因縁の終着点(2)

 タージュの庵に似せた、魔王の庵から飛び出す。

 明るい。あまりの明るさに、ルウルウは目を灼かれるのではないか、と感じるほどだった。魔王の庵の扉が閉じて――庵が消失し、あたりは白いだけの空間になる。上下左右すべてが白色で満たされている。だが体はしっかりと立っている感覚がある。


 やがて光が弱まり、あたりの様子が見えてくる。

 円形の白い床が広がり、壁は透明な結晶の柱が無数に並んでいる。まるで大小さまざまな大きさの水晶を、突き立てたような空間だ。壁と天井の一部が開いており、そこから白い空が見えて――月が浮かんでいる。白い空と月明かりが水晶の壁に反射して、空間は真昼のごとき明るさだった。


 開いた壁から、魔王が空を見上げている。魔王はすそを長く引いた長衣ローブをまとっている。ローブのあちこちに、大粒の真珠を連ねた装飾が着いている。カイルがエルフ王としてまとっていた衣装を、さらに豪奢にしたローブに見える。


「我が希望をくじく、たったひとつの方法を教えよう。ルウルウ」


 魔王はルウルウたちに背を向けたまま、言った。


「聖杯を打ち砕け。内部に貯蔵された魔力は霧散し、我は二度と神になれぬ」


 ルウルウはドキリとした。聖杯を壊す――その方法を、魔王はあっさりと開示した。普通の人間なら、それにすがりついてしまうかもしれない方法だ。だがあらゆる状況が、聖杯を打ち砕くことを許さなかった。


「そんなこと……できるわけがない」


 魔王の悪意はどこに潜んでいるか、わからない。魔王の言葉に誘われるまま聖杯を砕いた途端、魔王が神になることだってあり得る。それに聖杯の内には、タージュの魂がある。


「ああ、貴様の言葉はどこも信ずるに足りない」


 ジェイドが言う。魔王はクスクスと笑った。


「おや、ジェイド。我の語った貴様の恋物語も嘘だと?」


 魔王の言葉に、ジェイドの眉間にシワが寄った。


「……人生は思いも寄らないことばかりだ」


 ショートソードの柄に手をかけて、ジェイドが身構える。


「悲しいことも、つらいことも、他人ひとに話したくないようなことだってある」


 話してこなかった、彼の過去。過去を隠してしまった後ろめたさは、彼の中にきっとあるだろう。


「だが、俺が真心を捧げる相手は、俺が心から愛するひとだ。――それに嘘はない。ひとかけらの後ろめたさもない!」

「ほざけ、ひと嫌いが」


 魔王はケラケラとジェイドの言葉を一笑に付した。ジェイドが剣を抜き払う。月明かりを、ショートソードが反射した。その瞬間、ランダが矢を魔王に打ち込む。魔王は避けもせず、わずかに振り返って、矢に一瞥いちべつをくれる。鋭く飛んだ矢が、するりと魔王を避けて壁に当たった。キーン! と甲高い音がする。


「ハァッ!!」


 その音が、開戦の合図だった。

 素早く踏み込んだジェイドが、剣を振り下ろす。魔王が振り返り、長い袖を振り上げる。剣と袖がぶつかり合って、バチッと火花が散る。魔王の袖はただの布ではなさそうだ。袖を振り上げれば、ジェイドの剣撃を防ぎ、弾き返す。まるで魔王がむちでショートソードに対抗しているかのような光景が広がる。


 魔王が軽やかに袖をひるがえす。舞っているかのような動きで、ジェイドの剣を弾き返していく。白色をまとう魔王と、黒色を持つジェイド。白と黒が相争い、激突し、火花を散らす。


「そら、もっと踏み込め。その程度では、貴様の刃は届かぬぞ?」


 魔王の口調は余裕を帯びている。魔王は一歩、前に出る。剣を弾き返す袖が、ジェイドに向かってひるがえる。ジェイドは反射的に袖をショートソードで払う。ジェイドもまた踏み込んで、ショートソードを突き出す。


「おや」


 ショートソードの一撃が、魔王のまとう装飾品――真珠を連ねた糸の一部を斬った。大粒の真珠が数粒、床にパラパラと落ちていく。


「浮かべ」


 魔王がひとことそう言うと、床に落ちた真珠が空中に浮かんだ。ジェイドに向かって、真珠が飛んでくる。


「チッ!!」


 ジェイドは一歩、二歩、三歩と体を引いて、飛びかかる真珠を剣で打ち落とす。落とされた真珠が水晶の床や壁に当たり、甲高い音を立てて砕けた。


「ジェイド!!」


 ランダが矢を放つ。ひときわ大きな真珠が空中に浮かんでおり、ジェイドを狙って猛スピードで落下してくる。それにランダの矢があやまたず当たった。真珠の軌道がそれて、床にぶち当たる。その一撃で、水晶の硬い床が砕ける。真珠も砕けた。


「……さすがに一筋縄じゃいかないな」


 ジェイドは魔王から間合いを取り、つぶやいた。


「やれやれ、我が珠がこぼれ落ちてしまった」


 魔王は装飾品の糸を手元に寄せて、切れた部分をもてあそぶ。彼の衣装は全身のあちこちに真珠があしらわれている。もし真珠を切り落とすのであれば、先ほどと同じ攻撃が飛んでくるのは容易に想像できた。


「ルウルウ」


 魔王は淡青色の瞳を、ルウルウに向ける。ルウルウは同じ色の瞳で、視線を返す。


「そなたはどちらだ? 我が身に戻るか、こぼれ落ちて砕けるか」

「ッ!」


 この期に及んで、魔王はまだルウルウを味方に引き入れようとしている。その余裕が、ルウルウの中に嫌悪感を呼び起こす。


「わたしは……」


 そこまで言って、ルウルウは声量を抑えた。口の中で小さくなにかをつぶやく。そして――魔王に答えた。


「――我が願いに応え、水神鳴みずがみなりの奇跡を示せ!」


 ルウルウは右手で御守りのついた杖を掲げる。タージュがルウルウのために残していった杖が、編み上がったルウルウの魔力を現象へと変換する。すなわち――稲妻が、魔王へと襲いかかる。


 閃光と轟音、そしてあたりを揺るがす衝撃。水魔法で起こせる攻撃手段、その究極の一撃だ。魔王は避けもせず、直撃を受けた。


 強い光が収まると、そこに魔王の姿があった。だが右半身がない。稲妻の直撃を受けて、吹き飛ばされたのだろう。それでも彼は立っている。


「浮かべ」


 半身となった魔王がそう言うと、あたりに散らばった真珠や水晶の礫(つぶて)が空中に浮かぶ。無数の礫は月明かりを反射し、まるで星屑が浮かんでいるかのような光景が広がる。


「ルウルウ」


 魔王が尋ねる。


「その技はあと何度、出せる?」

「…………」

「二度か、三度か? そなたの魔力が切れるまで、何度出せる?」


 ルウルウは答えない。答えられなかった。体内の魔力は回復しているが、稲妻を起こす魔法は魔力の消費量がかなり多い。あと二度ほど出せれば御の字だろう。


「出せなくなれば、そなたの負けだ。そなたら全員の負けだ」


 魔王は残っている左腕を掲げた。空中に浮かぶ無数の礫が、キラキラと輝く。ただ輝いたわけではない。砕けた切っ先を、ルウルウたちに向けたのだ。無数の礫の無数の切っ先が、ルウルウたちを狙っている。


「防いでみせよ、ルウルウ」

「っ!! ――水神鳴の奇跡を示せ!」


 ルウルウが素早く呪文を唱えるのと、魔王が左腕を振り下ろしたのは同時だった。

 閃光があたりを貫く。襲いかかった礫の多くが、稲妻によって砕かれる。だが一部は稲妻をすり抜け、ルウルウ、ジェイド、ランダを襲う。


「きゃあっ!!」

「うお……っ」

「あっつ! いてて……!」


 小粒の礫は、三人に多くの切り傷を与える。三人はとっさに頭部をかばったが、手や腕に傷を負った。深い傷はない。だが無数の浅い傷から、赤い血がにじんでくる。装備も傷んでしまう。


「ふふ。いくらでもあるぞ、ルウルウ。――浮かべ」


 半身の魔王が告げる。彼が左腕を掲げると、また床に散った礫が浮かび上がる。


「我はこの手だけで、あと十度は遊ぶぞ」


 あと十回はこの攻撃を繰り出す。しかもほかにも攻撃方法がある。魔王はそう言っている。

 一方でルウルウたちは手詰まりだ。ジェイドの剣技も、ランダも弓矢も、ルウルウの魔法もろくに通用しない。


「いや、十度は飽きるか」


 魔王はつまらなさそうに首をかしげた。


「久方ぶりに遊べると思ったが、存外つまらぬな」


 そう言って、魔王はゾッとするような笑みを浮かべた。凄まじい悪意をにじませた表情だった。

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