「おー……い」
誰かがジェイドたちに呼びかけている。空耳かと思われた声が、徐々に近くなってくる。
「おーい! おーい!!」
壁の割れ目から、ひょっこりと顔を出した者がいる。
「生きてるじゃん! 生きてるよね!?」
「……カイル、か?」
「もう、生きてるなら返事してよ!!」
ボロボロの姿だが、カイルで間違いない。ランダとハラズーンがあわてて駆け寄る。
「ど、どうしてここへ!?」
「この割れ目の外は断崖だぞ?」
「詳しい話はあと! こっちもギリギリなの!」
ハラズーンたちが割れ目から外を見る。カイルの足元に、キラキラと光の玉が集まっている。玉が集合体となって足場を形成し、カイルを支えていた。
「この光は……エルフたちの魂か!」
「そうだよ、魔王がいなくなったから、いつまでこの状態でいられるかわからない」
カイルを支えるのは、エルフたちの魂が化した光の玉だった。
「とりあえず安全そうな山肌まで、移動するよ。さあ、乗って!」
ランダとハラズーンが光の足場に乗る。ジェイドもルウルウとルウルウの杖を抱えて、足場へ乗り込む。足場が水晶の城からゆっくりと離れる。同時に、水晶の城が崩れていく。甲高い音があたりに響き、城はシュヴァヴ山の表面へ崩れ落ちていく。
「地面へ下りるよ!」
足場はゆっくりとシュヴァヴ山の山肌へと着地した。そして光の玉が霧散して、天へと昇っていく。
「ああ……みんな」
カイルが空を見上げる。ジェイドたちも空を見上げた。
天へと昇る、無数のエルフの魂。つまり彼らは地底湖から解放され、あるべき場所へと還っていくのだ。雲から生まれた被造物、エルフらしい場所へと。
「ありがとう、長いあいだ……」
カイルは昇っていく魂たちに一礼した。穏やかな笑い声が、かすかに響いた。エルフたちが笑っているように思えた。
「はぁ~……疲れた」
「これから山を下らねばならぬなぁ」
ハラズーンがそう言うと、ランダががっくりとうなだれた。
「うなだれておる場合ではないぞ、弓手よ。もし獣が出れば、
「ええ~! こんなに疲れてるのに、働かなきゃいけないのかい!?」
「高山の獣といえばウサギだ! すばしこいゆえ、弓手の一撃でなければ捕らえられぬ」
ハラズーンとランダがぎゃいぎゃいと話し、カイルが苦笑する。
「ルウルウ、ルウルウ」
「……ジェイド……」
ジェイドはルウルウの様子を見る。ジェイドの呼びかけに、ルウルウはわずかに目を開けて反応した。
「終わった。全部……終わった、ルウルウ」
「ジェイド……お師匠様、は……」
「タージュ殿は、魔王を倒した。責任を果たしたんだ」
ジェイドはルウルウにそれだけを告げた。ルウルウの淡青色の瞳から、涙があふれる。
「お師匠様……」
ルウルウは空を見上げる。空へ無数の魂が昇っていく。空に浮かぶ月と星はゆっくりと離れつつある。月と星を離した時間は、誰にも縛られず、ただ過ぎていくだけだ。
「ありがとう……ございました」
ルウルウはそう言って、また意識を手放した。
数時間、パーティはその場で留まった。東の空が明るくなるのを見てから、動き出す。
気を失ったルウルウを、ジェイドが背負う。全員でシュヴァヴ山を下っていく。長い長い道のりのような気がする。でも言葉は少なかった。達成感は疲労によって鈍り、なんともいえない喪失感さえある。
「夜が……明けるな」
東の空の果てから、太陽が昇ってくる。
ジェイドは空を染める太陽光を見つめ、思い出していた。
「あの日も、こんな朝だったかな」
タージュの庵が焼かれ、ルウルウとカイルとともに旅立った日のこと――ジェイドは思い出していた。魔力切れを起こしたルウルウを背負い、朝日の中を歩いた。あのときよりも、ルウルウが喪失したものは多いかもしれない。ジェイドはそう感じた。
「大丈夫だ、俺が……」
そう言いかけて、ジェイドはルウルウを背負い直した。
――すべてが終わったら、話そう。皆で話そう。
そう約束したのだ。なにも心配はない。麓へ下りたら、どこかに身を寄せよう。どこへ行くべきかなどわからないが、なにも心配はない。これ以上、失うものはないのだから。
「早く、話したいな……」
ジェイドはそうつぶやいた。
ルウルウと話がしたい。いつもやっていたことだが、いまは――改めて望まなければ、できない気がする。なにを話すか、考える覚悟がいる。それでもふたりで話したいと思う。
なにを話そうか。不安よりも、どこか楽しみな自分がいる――と、ジェイドは感じた。
だが、ルウルウはどうだろうか。自分と話すことをどう思っているだろうか。彼女が自分との会話を望まなかったら――と思うと、ジェイドはすこしだけ不安になった。
期待と不安。ふたつの感情と、ルウルウを抱えて、ジェイドは慎重に歩みを進める。一歩、また一歩と山を下っていく。徐々に息が上がっていくが、それもまた心地よい気がする。生きているからこそ、なにもかも感じられる。それをジェイドは実感していた。
長い旅が、終わろうとしていた。
第10章へつづく