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第1-3話 帰還、そして(3)

「ルウルウ」


 ジェイドがなにか声をかけようとしたそのとき――。


「誰だ、ここはお前のような者が立ち入れる場所ではない!」


 外から老夫の怒鳴り声がした。ただならぬ様子に、皆がハッと顔を上げる。ジェイドが声のした玄関へと向かう。ルウルウたちも続く。


「なんや、なんや、ケチくさいこと言うもんやないで」


 老夫が相対していたのは、小汚い老婆だった。老婆はなまりのある大陸公用語を使い、杖をついている。ボサボサに伸びた白髪、ボロ布のような衣服、枯れ木のような手足――物乞いもかくや、という格好だが、耳が長く尖っているのはエルフの特徴だ。


「あ……!」


 ルウルウは声を上げた。老婆に見覚えがあったからだ。


「アシャ様!」

「ようよう、ルウルウにジェイド。それにおうよ」


 老賢者アシャだった。「導きの賢者」とも評され、同時に魔神の信奉者でもある。彼女はかつてルウルウたちに助言を与えたことがある。

 アシャはルウルウにずかずかと近づくと、その上腕をパシンと叩いた。


「やりおったな、魔王退治を!」

「わかるの……ですか?」

「この眼ぇと、魔族どもの気配がな。教えてくれたわ」


 アシャがみずからの目元を押さえる。彼女の紫色の目は、ただの眼球ではない。西方大陸を見渡す千里眼だ。

 ランダが目を丸くする。


「まさか……老賢者アシャ!? あのヨタ話はマジだったんだ……」

「ふふ、どのヨタ話かは知らんが、ちゃんとおるでぇ」


 老賢者アシャは、冒険者のあいだで存在自体が真偽不明とされている。ランダはアシャを目の当たりにして、驚いたようだった。


「ええと、あの……」


 老夫婦が困惑している。ジェイドが苦笑した。


「すまない、我々の客だ。心配はいらない」

「は、はぁ……」


 老夫婦は怪訝そうに返事をする。


「立ち話もなんやな。茶ぁの一杯でも出してもらおか」


 アシャがケラケラと笑う。

 全員で食堂に移動して、話を続ける。老夫婦が、赤色の茶を出してくれた。馥郁とした香りの、品質がよい茶だ。アシャはジェイドから魔王退治の顛末を聞き、無遠慮に茶を楽しんだ。


「……なるほど、やはり。タージュは責任を果たしたんか」

「ああ」


 アシャの言葉に、ジェイドはうなずいた。


「タージュはずっと悔いとったんやなぁ、聖杯を魔王に渡してしもたことを」


 アシャのしみじみとした口調には、タージュの胸中を慮るような響きがあった。


「それにしても魔王の阿呆は力の前に滅したか! いやぁ愉快愉快!」


 カッカッカ、とアシャは唾を飛ばして大きく笑う。あまり快活に笑うので、ほかの皆が顔を見合わせたほどだ。


「ああ、ああ、数百年ぶりに愉快や……」


 アシャは笑うのをやめて、ルウルウの前に移動する。アシャはルウルウの顔をまっすぐに見た。


「しんどかったやろ」

「……っ!」


 アシャの声音は、意外なまでに優しかった。

 ルウルウはしばし逡巡し――やがて黙ってうなずいた。


「でも、それは……ジェイドも、カイルも、皆も一緒で……」

「いいや、ルウルウ。貴様きさんのしんどさは、貴様だけのモンや」


 アシャは枯れ果てた手で、ルウルウの手を取って撫でた。

 ルウルウの胸がいっぱいになる。


「お師匠様……!」


 タージュを思う心があふれてくる。考えないようにしていたことが、胸の中をいっぱいにする。胸中をいっぱいにした感情は目元を揺らし、涙となってあふれ出た。


「お師匠様……お師匠様……」


 ルウルウは涙が止まらなかった。しゃくりあげながら、師匠タージュを想う。


「ルウルウ」

「ルウルウ……」


 ルウルウの想いを目の当たりにして、皆が動いた。ルウルウの周囲に集まる。ジェイドがルウルウの肩に手を置く。ランダが寄り添って、ルウルウの背中を撫でる。カイルやハラズーンがそばにいてくれる。あたたかな仲間の想いに、ルウルウはいっそう涙をあふれさせた。しばらく、ルウルウは泣いていた。


「……落ち着いたか?」


 ややあって、アシャが尋ねる。ルウルウはひとしきり泣いて、いまは泣き止んでいた。しかし泣き止むと同時に、目の前が暗くなるような思いにとらわれる。


「わたしは……いったいこれから、どうすれば……」


 ルウルウの本音だった。どうすればいいか、まったくわからない。道の先を見失ったようだった。


「ジェイド、貴様の出番や」


 アシャは杖でジェイドを指し示した。


「やりたいが、やれるかどうか迷うとることがあるやろ」

「……そうだな。さすがは千里眼を持つ賢者殿だ」


 ジェイドがルウルウの前にやってくる。椅子に座ったルウルウの前に、ジェイドがひざまずいた。


「ルウルウ」


 ジェイドは優しくも真剣な口調で、ルウルウに語りかけた。


「俺と、東方大陸へ渡らないか?」

「え……」

「東方大陸は言葉も違う。文化も、食べ物も、習慣も……なにもかも、西方とは違う」


 東方大陸――西方大陸の東にある、大陸だ。大帝国を中心とした国々で構成される、異郷である。そしてジェイドの故郷でもある。


「もしついてきてくれるとしても、きっと苦労をかけると思う。だが、それでも……」


 ジェイドの黒い瞳に、決意が宿っている。


「ルウルウ、君と一緒に行きたい場所だ」

「一緒、に……」


 魔王の子だと知ったのちも、ジェイドはルウルウと一緒にいたいと言ってくれている。彼の言葉には嘘がない。


「こりゃ」


 アシャが杖でいきなり、ジェイドの後頭部を小突いた。


「ルウルウが断ったらどないすんじゃい、阿呆あぽちんめ」


 ジェイドの提案は、選択肢のないルウルウに道を示すものだが――同時に、ルウルウの希望できる道を狭める可能性がある。アシャが怒ったのは、その点に気づいたからだ。


「ルウルウ置いて、東方大陸へ行く気ぃか?」


 ルウルウをひとり残し、ひとりで東方大陸へ渡る気があるか。アシャはそう聞いている。ジェイドは自身の後頭部をひとつさすり、首を横に振った。


「いいや。そのときは……どこにも行かない。ルウルウのそばにいる」

「さよか。それでええ」


 アシャは腕組みをして、フンスと鼻息を吹いた。


「わたし……」

「ルウルウ、返事はいまでなくていい」


 ジェイドは優しくルウルウに語りかける。


「よく考えてほしいんだ」

「……うん」


 ルウルウはうなずいた。

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