レークフィア王国の王宮では、魔王を倒したことを祝う宴が催される。大量の料理を振る舞われたあとは、音楽と踊りでひたすら楽しむ。宮廷に仕える楽士たちが奏でる音楽とともに、貴族たちが踊っている。男女で組んで、決められたステップを踏むダンスだ。
ルウルウ一行はダンスに加わらなかった。その素養がなかったからだ。その代わり、一行は貴族たちから冒険の話を求められた。カイルが道化師として振る舞い、皆におもしろおかしく語ってみせる。カイルは、一行がおもしろく旅をしていた頃を上手く語って聞かせた。貴族たちから笑い声や感嘆の声が漏れた。
そんな中――近衛騎士団長アッシュがルウルウに言う。
「ルウルウ殿、宮廷魔術師になりませんか?」
「え……」
「陛下もそれをお望みです」
王国に仕える宮廷魔術師になる――かなりの立身出世であり、居場所もできるかもしれない。だがルウルウは首を横に振った。
「ごめんなさい、宮廷魔術師にはなりません」
「そうですか、やはり」
アッシュはルウルウの答えを分かっていたようだ。
「あなたはもっと自由に生きるお人なのでしょう」
「それも、よくはわかりませんが……」
アッシュの言葉に、ルウルウは同意しかねた。自由に生きたいと願っているわけではない。ただ、いまはどうしていいか、わからないのだ。それだけだ。
曖昧な言葉を返したルウルウに、アッシュは笑って言った。
「よいのです。人はいずれ自分の運命を見つけます。運命が終わったあとの運命も、ね」
アッシュにもそのような運命があったのだろうか。ルウルウには理解しきれなかった。
数時間におよぶ宴ののち、ルウルウ一行は客間へと退出できた。すっかり夜も更けて、空には星が散りばめられている。
「長居は無用、明後日には出立だ」
ジェイドがそう言うと、皆が同意した。
ルウルウはまだ――最終的にどうするか決められていない。ただ、皆が帰る旅に着いていこうとは思っていた。
男女で別の部屋へと入り、華美な衣装を脱いで就寝する。
「…………」
夜中――いったいどれくらい夜が更けているかもわからない頃。
ルウルウは目を覚ました。いったん目を覚ますと頭がハッキリとして、再度入眠するには時間がかかりそうだった。
「…………」
隣のベッドで眠るランダを起こさないように、ルウルウは部屋からつながる中庭に出た。見上げれば、星がきらめいている。白い輝きが無数に空を彩っている。
この広大な世界でたったひとりになった――そんな考えが、ルウルウの中に浮かんでくる。仲間たちは帰る場所を見つけている。ルウルウだけが先の見えない荒野に立っているかのようだ。
「…………っ」
不安が、体の奥底から湧き出す。叫び出したいような恐怖が、チラリと不安の中から見えている。ルウルウはみずからの身を抱きしめて、グッと奥歯を噛み締めた。
「ルウルウ」
声がかかった。ルウルウはハッと顔を上げた。
「ジェイド……」
ジェイドだ。彼もまた眠れずに中庭に出てきたのだろう。ルウルウのただならぬ様子に、ジェイドは近づいてくる。
「……つらい、か?」
ルウルウの思うことは、ジェイドに見透かされているかのようだった。
「ううん……」
ルウルウは首を横に振った。不安感は治まらないが、すこしマシになったようだった。
「ジェイド、どうして?」
「目が覚めた。もう一回寝るのも、時間がかかりそうだった」
「そう……」
もしかしたら彼も同じように、不安なのかもしれない――ルウルウはなんとなく、そう思った。そうだとしたら、すこし心強かった。
「ルウルウ」
ジェイドが真剣な表情で、ルウルウを見る。
「俺には昔、好きなひとがいた」
ジェイドの言葉に、ルウルウはドキリとした。
ジェイドの愛したひと――東方大陸の獣人族の姫君。どんな女性だったか、想像することもルウルウには難しい。でもきっと素晴らしいひとだったのだろう。ルウルウにはそう思える。
「俺はそのひとを救えなかった。あのときの無力感は、ずっと俺の中にあるだろう。そしてひと自体を疎ましく思う心も、きっとあるだろう」
魔王が指摘した、ジェイドの心の奥底にある
「でも」
ジェイドの黒い瞳が、まっすぐにルウルウの瞳を見た。
「君を好きになったのは、あのひとの代わりにするためじゃない。あのひとへの贖罪をするためじゃない」
幾度、誰かを好きになっても、ほかの誰かの代償にするためではない――ジェイドはそう言っている。
「君にはずっと、誠実に向き合っていきたいと思ってる」
そう言って、ジェイドはルウルウに左手を差し出した。
ルウルウはおずおずと彼の左手に右手を乗せた。次の瞬間、ジェイドが右腕をルウルウの腰に回して抱えた。ルウルウの右手をつかんだ左腕をスッと伸ばし、ルウルウを抱えてクルクルと回転する。
「わわ……っ」
「ふふ、やっぱり上手くはないな」
回り終わると、ジェイドはルウルウを下ろした。ルウルウにもこの動きはなにを示すか、わかった。夕暮れどき、王宮で貴族たちが舞っていたダンスだ。男性が女性をリードしつつ、華麗に回っていたのが思い出される。
「好きだ、ルウルウ」
「ジェイド……」
「好きだ」
ジェイドは何度だって、誠意を伝えてくれる。ルウルウはそれを理解して、うつむいた。彼に応じるだけの確固たる想いを、ルウルウはいまだ持ち合わせていない。
彼のことは、好きだ。でも彼と同じ言葉を紡ぐ勇気が、ない。
自分は魔王の血を引く者だ。いつか魔王のようになってしまうかもしれない。ルウルウにはそんな恐怖もあった。
「ジェイド、もうすこしだけ……」
「ああ」
「もうすこしだけ、待ってくれる?」
ルウルウがかろうじてそう絞り出すと、ジェイドは笑った。
「ああ。いつまでも待つ」
「いつまでも……?」
「うん。俺たちには、時間がある」
時間がある――ルウルウは思いもよらなかった。いままではなにかに駆り立てられて、旅をしていた。それがなくなった。だから時間はあるのだ。
「ありがとう……」
ルウルウはジェイドに感謝した。彼女の素直な気持ちだった。
「なんじゃ、もう心配はなさそうやないか」
突然、茂みの向こうから声がかかり――ルウルウとジェイドはハッとそちらを見た。ジェイドはルウルウをかばうように立つ。
「……アシャ殿、ふざけておられるのか?」
ジェイドが尋ねると、茂みの向こうから老婆がヒョッコリと頭を出した。ハーフエルフの賢者、アシャだ。ルウルウは驚いた。
「アシャ様! ど、どうやって王宮に……」
「ハン、このぐらいの守りならどういうこともないわ」
アシャは鼻を鳴らした。神出鬼没の老賢者にとっては、王宮も赤子の手をひねるように容易に入れる場所らしい。
「アシャ殿、何用か?」
「ルーガノンまで
「ハァ……了解した。そうしよう」
ジェイドが呆れ顔で承諾する。ルウルウは急におかしくなって、クスクスと笑った。