翌々日、ルウルウ一行はレークフィア王都から東へと出発した。王宮を盛大に送り出された。しかも途中の街まで馬車で送り届けられた。
そこからさらに数日をかけて、ルウルウたちは竜人たちの住む谷――ルーガノンへと至った。
「ハラズーン! ハラズーンか!」
「魔王を倒したと聞いたぞ!」
「皆の者、ハラズーン殿が帰ってきたぞ!!」
竜人谷へ入るためには、関所で検問を受ける必要がある。以前はここで関守たちに取り囲まれ、お尋ね者として捕まった。それは魔族が成り代わった偽の竜王の指示だった。魔族と魔王を倒したいま、ハラズーンはお尋ね者ではない。彼は英雄になったのだ。
ハラズーンの周囲に、多くの竜人たちが集まってくる。
「皆、息災であったか?」
ハラズーンが尋ねると、竜人たちが嬉しそうにうなずいた。
しかし一方で、ハラズーンに竜人谷の異常を知らせる者もあった。その者によると、行方知れずになった竜人が幾人かいるという。行方不明者が出たのは、ルウルウたちが魔王を倒した日のことだった。
「レークフィアで聞いた異常現象と同じだな」
「ああ、おそらくこの谷の者たちも……」
ジェイドの言葉に、ハラズーンはじっと目を閉じて思案する。そして目を開いて、周囲の者たちに尋ねた。
「王に会いたい。竜王は館にいらっしゃるのか?」
ハラズーンの問いかけに誰かが答えるより早く、関所の向こうから別の竜人が走ってくる。竜王の侍従をつとめる竜人だ。
「ハラズーン様! よくぞご帰還なされました!!」
侍従は挨拶もそこそこに、ハラズーンとルウルウたちを連れて、竜王の館へと向かった。
「ほほぉ……噂に聞く、竜王の一枚岩とはここか」
アシャが興味深そうに、竜王の館を見上げる。竜王の館は、谷間の一枚岩を削り出した館だ。岩を削ったとは思えない、繊細な装飾が施されている。石細工の見事さは、竜人たちの独特な文化を現しているかのようだった。
「竜王よ、ハラズーンが戻ったぞ」
「おお、おお、ハラズーン! 勇士よ、我が次代よ……!」
竜王は大げさな言葉とともに、ハラズーンの帰還を喜んだ。竜王は侍従に支えられつつも、自力で立ってハラズーンを迎えた。
「帰ってきたということは、王の位を継ぐ決心がついたか?」
「ああ、やるべきことが済んだ。ゆえに次にやるべきことをやるまでだ」
ハラズーンはまずは魔王を倒すことを目標としていた。それが済んだいま、次にやるべきこととは王位を継ぐことである。
「ふふふ、喜ばしいことだ!」
竜王はバシバシとハラズーンの体を叩いて、その無事を喜んでいた。また竜人谷で起こった行方不明事件について、ハラズーンは竜王と語り合った。竜王の判断によって、行方知れずの者はしばらく捜索することになったが、おそらくは塵と化した――もう戻らない、とハラズーンは竜王に告げた。
竜王やその侍従、衛兵、それに身分の高い竜人たちの前で、ハラズーンは宣言した。
「改めて皆に、我が仲間を紹介しようぞ。旅をともにしたジェイド、ルウルウ、ランダ、カイル。彼らに加えて、導きの賢者アシャ殿だ」
「わしは第二の神の信奉者や。ルーガノンに来れて光栄……とでも言うとこか」
アシャがずけずけと言う。第二の神――すなわち竜人たちの創造主を信奉する、とアシャは言っている。その言葉に、竜人たちの怪訝な視線がすこし和らいだ気がする。
「ジェイド、ルウルウ、ランダはさらに東へと去る」
ハラズーンはそう言いながら、カイルを見た。
「一方で、カイルには王佐の才がある。ゆえに未熟なる我の補佐とする」
王佐の才――つまりカイルには王様を助ける才能がある、ということだ。本当にそうなのかは、これからわかることだ。ハラズーンがカイルに期待していることを示していた。
「よろしく」
カイルは短く挨拶をした。ハラズーンがアシャを示す。
「カイルが補佐に慣れるまで、アシャ殿に指導をお願いしようではないか」
「ヒヒヒ、わしのしごきは
アシャがケラケラと笑った。千里眼を持つアシャの導きでカイルを助け、そしてカイルがハラズーンを助ける。そういう構図がしばらく出来上がりそうだ。
ルーガノンにおいても、宴が行われた。
ハラズーンの即位はまだだが、前祝いのような宴会だった。竜人谷じゅうの竜人たちが、浮かれ騒ぐ。大量の食事や酒が用意され、火をともして竜人たちが踊る。レークフィア王宮の宴よりもずっと素朴だが、心のこもった席だった。
「本当は我の即位式までいてほしいが、引き止めることはせぬ。好きなときに好きな場所へ旅立ってくれ」
ハラズーンはジェイドたちにそう告げた。
「気遣い、感謝する」
ジェイドはそう応じた。
ハラズーンによれば、即位式には三ヶ月の準備期間があるらしい。ジェイドたちもさすがにそれほど長居するつもりはなかった。留まるとしても、せいぜい七日といったところだろう。
「あまり長居すると、離れがたくなる」
「ハッハッハッ、そうだなぁ!」
ジェイドとハラズーンがそう言葉を交わした。
やがて日が暮れると、宴はますます盛り上がった。ランダやジェイドが竜人たちに引っ張られ、慣れない踊りに加えられている。打楽器のリズムに合わせて、体を揺らすダンスだ。
ルウルウは自分の席についたまま、隣のカイルを見た。カイルは竜人谷に来てからというもの、万事控えめにしてハラズーンに従っている。カイルはこれから、竜人ばかりの土地で暮らしていくのだ。ただでさえ異人が目立つ場所で、さらに目立つエルフとして。
カイルにはこれからも思いもよらぬ困難があるだろう。ルウルウは心配していた。
「カイル」
「ん、なに?」
ルウルウはカイルに話しかけようと、名前を呼んだ。だがなかなか次の言葉が出てこない。手元にある杯に、ルウルウは視線を落とした。
「えっと……」
「もしかして、心配?」
ルウルウの気持ちを、カイルは言い当てた。ルウルウはすこし逡巡してから、小さくうなずいた。ルウルウがカイルの顔を見ると、カイルが笑う。
「ありがと、ルウルウ」
カイルはすっきりとした表情だった。最初に会ったときよりも、印象が大人びている。この旅の中でカイルが成長したのか、それとも元々からこういうひとだったか――ルウルウには判断がつかなかった。
「僕は大丈夫。ここで生きていく」
カイルの言葉は決意に満ちていた。それでもルウルウは心配そうな表情を崩せなかった。
「ダメだったら、アシャについていくよ」
カイルは苦笑して、別の道もあることをルウルウに告げた。たしかにアシャはひとところに留まる賢者ではない。アシャはいずれ竜人谷から出ていって、西方大陸を旅するのだろう。それについていくというのも、ひとつの道だ。
「ありがとう、心配してくれて。でも、もう……大丈夫だから」
「カイル……」
「楽しそうじゃん、ルーガノンも。ハラズーンがどんな王様になるか、楽しみだ」
カイルの明るい口調に、ルウルウは励まされた。ルウルウがカイルを励ますつもりだったのに、まるで逆の立場だ。
「それより心配なのは、ルウルウだよ」
カイルが眉を寄せて、水瓶を取る。水瓶には果実水が入っている。その甘い水を、カイルはルウルウの杯に注いだ。
「どうするの、ジェイドとは?」
「う……」
「ジェイドはきっと、本当に、いつまでも待ってくれるような人だ。間違いない」
ジェイドがルウルウに誠意を向けている。そのことをカイルはよく理解していた。
「でも、それに甘えて……いつまでも待たせちゃダメだよ?」
「…………うん」
カイルの言葉が耳に痛い。ルウルウはただ杯をギュッと握って、うつむくしかない。
「う~ん……ルウルウ」
カイルがひとつ悩んでから、ルウルウに言う。
「東方大陸も、きっとここみたいにいろんな問題を抱えてる」
「……うん」
「でも……信頼できる仲間と一緒なら、きっと乗り越えられるよ」
「信頼……」
ルウルウは「信頼」という言葉を繰り返した。
ルウルウはジェイドを信頼している。ジェイドもルウルウを信頼してくれている。それはきっと事実だ。一方で、たがいの心の奥底に隠していたこともある。ジェイドのこれまで語らなかったことを責める気持ちはない。だが――ルウルウが魔王の子であったことを責められないのは、後ろめたかった。
「わたしは……たぶん、自分が許せないんだと思う」
ルウルウはぽつりとそう言った。
「ジェイドに、言えなかったことがあるんだもの……」
「ルウルウ。生きていれば、隠し事のひとつやふたつ、あるもんさ。自分の知らなかった隠し事だってある」
カイルは笑って、夜空を見上げた。
「でも、それは乗り越えていける。僕がそう言うんだ、間違いない」
「カイル……そう、かな」
「うん、そうだよ」
仲間に特大の隠し事をしていたカイルが言う言葉は、どこかルウルウを納得させるものがあった。
「……ルウルウ、君たちのあいだにはさ」
カイルが小さな声で言う。
「きっと誰にも切れない絆があるよ」
ルウルウは小さくうなずいた。そして杯を口につけて、果実水を飲む。甘酸っぱい味が、喉を潤していった。