ランダがトーリアに帰還した夜――祝賀会が開かれる。
レークフィア王国や竜人谷ルーガノンで行われたそれよりも、ずっと小規模なパーティーだった。辺境の厳しい暮らしをうかがうような宴だった。それでも心尽くしの品が並び、トーリア新領主クリスティアの手腕を感じさせる。
ランダのかつての仲間たちも招待され、ささやかながらにぎやかな宴になった。
「ここから先、アンタらふたりになるんだねぇ」
果実酒を飲みながら、ランダがジェイドに話しかけた。
ルウルウはクリスティアと話している。ジェイドたちへ注意を向けていない。
「そうだな」
「東方大陸へルウルウを連れていくのかい?」
「いや……わからない」
ジェイドもまた、果実酒を飲む。渋みのある味が、わずかな熱を感じさせる。
「気長な男だね、アンタも」
「それは褒め言葉として取っておこう」
ジェイドは何度でもルウルウに好意を示してきた。
ルウルウはそれにもどかしい態度で応えている。東方大陸へ行くのか、西方大陸で暮らすのか、それもまた答えが出ていない。
「東方大陸へ行こうにも、ふたり分の旅費のこともあるしな」
「そんなの、レークフィアで十分もらったろ?」
「そうだなぁ……」
魔王を倒した褒賞として、ジェイドたちは大金を与えられている。一行の人数で平等に分けても、数年間は遊んで暮らせる額だ。ジェイドはみずからの分のほとんどを、冒険者ギルドを通して行える貯金に回した。東方大陸へ渡るための、資金はあるのだ。
「東方大陸へ行こうにも……」
「答えが、まだない……か。アンタの恋路も、大変だね」
「ランダも」
ジェイドがランダの杯に果実酒を注ぐ。
ランダはこれから、クリスティアのパートナーとなる。公私を超え、クリスティアを支えて暮らす。その道はいばらで覆われているようなものだ。厳しいことも起こるだろう。
「アタシはいいんだよ。クリスティアにかばわせるからね」
「ははは、おたがいその覚悟があるってのはいいことだ」
クリスティアがランダをかばい、ランダがクリスティアをかばう。そういう関係に、ふたりは落ち着いていくのだろう。ランダの言葉は、クリスティアの新領主としての手腕に期待したものだった。
ランダの視線の先――クリスティアがいる。
クリスティアはルウルウから旅の話を聞きたがった。歳の近いふたりは、気安く話せるようだった。
「ルウルウ様は、これから……レハームの森へお戻りになるのですか?」
「はい、いったんは……そのつもりです」
ルウルウは、みずからが育ったレハームの森へ向かうことだけは決めていた。
もうタージュと過ごした庵はないが、それでも向かいたいと思っている場所だ。向かってどうするかは、まだ考えていないが――なにか思いつくかもしれない、とルウルウは思っている。
ジェイドだけと帰る、レハームの森。
いったいどんな心持ちになるか、不安もあり、わずかに希望もある。
「わたくしも……領主のつとめがなければ、旅に出てみたいものです」
「え……」
「旅って、どんな感じですか? おつらいだけではないのでしょう?」
クリスティアの質問に、ルウルウは驚いている自分に一驚した。ルウルウにとって旅は強制的な出来事だった。つらいことも多かった。
だがいまは――悪くなかった、と思う自分がいる。ルウルウはそう思った。
「歩くのは、すごく大変です……山があって、谷があって、川もあって」
「ええ、そうでしょうね」
「でも見たことのない人たちと会って、見たことのない料理を食べて……」
「ええ、ええ」
「それは楽しい、と思います」
ルウルウはたどたどしく、旅の思い出を辿った。大変だったこと、苦しかったこと、それを上回る楽しかったこと――多くの思い出が、ルウルウの胸中をいっぱいにする。
「ランダさんも、ハラズーンさんも、カイルもよくしてくれて」
次に浮かぶのは、仲間たちの顔。すでに遠き地へと別れた仲間たちの顔も、鮮やかに脳裏に浮かぶ。皆が笑った顔をしている。
「ジェイドも……」
そして浮かんだ、たったひとり。
ルウルウの胸の中が、急に苦しくなる。切なくなる。冷たい雫が落ちるようでいて、熱く熱く湯が沸き立ってくるようだ。どうしてそんな思いになるのか――ルウルウにはわからない。
「……ジェイド様は、どんな方?」
「どんな……」
「ルウルウ様にとって、どんな方なのですか?」
クリスティアに問われて、ルウルウはハッとした。ジェイドについて考えるのを、ルウルウはずっと――やめていたような気がする。考えると、胸が苦しくなる。考えると、頭の中がいっぱいになる。そんなことのせいで、彼について考えるのをやめていた。
しかし――それは不誠実だ、とルウルウは思った。いつまでも、放っておける話ではないのだ。いつかジェイドについて考えねばならないときが来る。もしかしたら、いまがその時かもしれない。
「ジェイドは……」
ルウルウはゆっくりと思考を巡らせる。
「とても強くて、とても……頼れるひとです。ずっとわたしのそばにいてくれて……」
「旅をして、おたがい初めて知ったこともおありですか?」
「初めて知ったこと……ええ、あります」
それはルウルウにとっても、初めて知ることだった――魔王の子であったことは。そう考えて、ルウルウはドキリとした。ジェイドはそれを知っていても、ルウルウのそばにいてくれる。彼の気持ちが、本当に誠実であることを示している。
想いに答えていないのは、自分だ――ルウルウはそう思った。
「ルウルウ様」
急に言葉を失ったルウルウに、クリスティアが話しかける。
「わたくしも、ランダ様の出自を知って――とても驚きました」
「クリスティア様……」
「でもそんなことでわたくしの想いは変わらないのです。わたくしだけでなく……ひとは、想いを変えないでいられる。そう思うのです」
どんなことがあっても、一度抱いた想いを変えないでいられる。そうできるのは、ひとの特権である。クリスティアはそういうことを言っている。
「ルウルウ様は……ジェイド様を、お想いでないの?」
「…………」
ルウルウは黙り込み、ちらりとジェイドを見る。ジェイドはランダと話しており、こちらに意識は払っていないようだ。ルウルウはギュッと手を握りしめた。
「ジェイドのことは……ずっと大切に、想っています」
ルウルウがそう答えると、クリスティアの表情がパッと明るくなった。
「よかった! ルウルウ様にも、大切な方がいらして……」
「でも、わたしは」
「いいのです。どんな出自同士でも、どんな親から生まれても、たがいを想っている。それで十分ではありませんか?」
クリスティアの言葉は希望に満ちていた。キラキラと光るような言葉だった。ルウルウの胸がいっぱいになり、涙となってあふれそうになる。
「クリスティア様……ありがとうございます」
「いいえ……わたくし、生意気なことを申してしまいましたかも」
急に照れ始めたクリスティアに、ルウルウは笑って首を横に振った。クリスティアの言葉が、急速にルウルウの胸の中に染みていく。
「たがいを想っている。それで十分……ですね、本当に」
ルウルウはほほ笑んだ。ひとつ、理解できたような気がする。大切なことを理解できた気がした。