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第2-4話 宴(4)

 ランダがトーリアに帰還した夜――祝賀会が開かれる。


 レークフィア王国や竜人谷ルーガノンで行われたそれよりも、ずっと小規模なパーティーだった。辺境の厳しい暮らしをうかがうような宴だった。それでも心尽くしの品が並び、トーリア新領主クリスティアの手腕を感じさせる。


 ランダのかつての仲間たちも招待され、ささやかながらにぎやかな宴になった。


「ここから先、アンタらふたりになるんだねぇ」


 果実酒を飲みながら、ランダがジェイドに話しかけた。

 ルウルウはクリスティアと話している。ジェイドたちへ注意を向けていない。


「そうだな」

「東方大陸へルウルウを連れていくのかい?」

「いや……わからない」


 ジェイドもまた、果実酒を飲む。渋みのある味が、わずかな熱を感じさせる。


「気長な男だね、アンタも」

「それは褒め言葉として取っておこう」


 ジェイドは何度でもルウルウに好意を示してきた。

 ルウルウはそれにもどかしい態度で応えている。東方大陸へ行くのか、西方大陸で暮らすのか、それもまた答えが出ていない。


「東方大陸へ行こうにも、ふたり分の旅費のこともあるしな」

「そんなの、レークフィアで十分もらったろ?」

「そうだなぁ……」


 魔王を倒した褒賞として、ジェイドたちは大金を与えられている。一行の人数で平等に分けても、数年間は遊んで暮らせる額だ。ジェイドはみずからの分のほとんどを、冒険者ギルドを通して行える貯金に回した。東方大陸へ渡るための、資金はあるのだ。


「東方大陸へ行こうにも……」

「答えが、まだない……か。アンタの恋路も、大変だね」

「ランダも」


 ジェイドがランダの杯に果実酒を注ぐ。

 ランダはこれから、クリスティアのパートナーとなる。公私を超え、クリスティアを支えて暮らす。その道はいばらで覆われているようなものだ。厳しいことも起こるだろう。


「アタシはいいんだよ。クリスティアにかばわせるからね」

「ははは、おたがいその覚悟があるってのはいいことだ」


 クリスティアがランダをかばい、ランダがクリスティアをかばう。そういう関係に、ふたりは落ち着いていくのだろう。ランダの言葉は、クリスティアの新領主としての手腕に期待したものだった。


 ランダの視線の先――クリスティアがいる。

 クリスティアはルウルウから旅の話を聞きたがった。歳の近いふたりは、気安く話せるようだった。


「ルウルウ様は、これから……レハームの森へお戻りになるのですか?」

「はい、いったんは……そのつもりです」


 ルウルウは、みずからが育ったレハームの森へ向かうことだけは決めていた。

 もうタージュと過ごした庵はないが、それでも向かいたいと思っている場所だ。向かってどうするかは、まだ考えていないが――なにか思いつくかもしれない、とルウルウは思っている。


 ジェイドだけと帰る、レハームの森。

 いったいどんな心持ちになるか、不安もあり、わずかに希望もある。


「わたくしも……領主のつとめがなければ、旅に出てみたいものです」

「え……」

「旅って、どんな感じですか? おつらいだけではないのでしょう?」


 クリスティアの質問に、ルウルウは驚いている自分に一驚した。ルウルウにとって旅は強制的な出来事だった。つらいことも多かった。

 だがいまは――悪くなかった、と思う自分がいる。ルウルウはそう思った。


「歩くのは、すごく大変です……山があって、谷があって、川もあって」

「ええ、そうでしょうね」

「でも見たことのない人たちと会って、見たことのない料理を食べて……」

「ええ、ええ」

「それは楽しい、と思います」


 ルウルウはたどたどしく、旅の思い出を辿った。大変だったこと、苦しかったこと、それを上回る楽しかったこと――多くの思い出が、ルウルウの胸中をいっぱいにする。


「ランダさんも、ハラズーンさんも、カイルもよくしてくれて」


 次に浮かぶのは、仲間たちの顔。すでに遠き地へと別れた仲間たちの顔も、鮮やかに脳裏に浮かぶ。皆が笑った顔をしている。


「ジェイドも……」


 そして浮かんだ、たったひとり。

 ルウルウの胸の中が、急に苦しくなる。切なくなる。冷たい雫が落ちるようでいて、熱く熱く湯が沸き立ってくるようだ。どうしてそんな思いになるのか――ルウルウにはわからない。


「……ジェイド様は、どんな方?」

「どんな……」

「ルウルウ様にとって、どんな方なのですか?」


 クリスティアに問われて、ルウルウはハッとした。ジェイドについて考えるのを、ルウルウはずっと――やめていたような気がする。考えると、胸が苦しくなる。考えると、頭の中がいっぱいになる。そんなことのせいで、彼について考えるのをやめていた。


 しかし――それは不誠実だ、とルウルウは思った。いつまでも、放っておける話ではないのだ。いつかジェイドについて考えねばならないときが来る。もしかしたら、いまがその時かもしれない。


「ジェイドは……」


 ルウルウはゆっくりと思考を巡らせる。


「とても強くて、とても……頼れるひとです。ずっとわたしのそばにいてくれて……」

「旅をして、おたがい初めて知ったこともおありですか?」

「初めて知ったこと……ええ、あります」


 それはルウルウにとっても、初めて知ることだった――魔王の子であったことは。そう考えて、ルウルウはドキリとした。ジェイドはそれを知っていても、ルウルウのそばにいてくれる。彼の気持ちが、本当に誠実であることを示している。


 想いに答えていないのは、自分だ――ルウルウはそう思った。


「ルウルウ様」


 急に言葉を失ったルウルウに、クリスティアが話しかける。


「わたくしも、ランダ様の出自を知って――とても驚きました」

「クリスティア様……」

「でもそんなことでわたくしの想いは変わらないのです。わたくしだけでなく……ひとは、想いを変えないでいられる。そう思うのです」


 どんなことがあっても、一度抱いた想いを変えないでいられる。そうできるのは、ひとの特権である。クリスティアはそういうことを言っている。


「ルウルウ様は……ジェイド様を、お想いでないの?」

「…………」


 ルウルウは黙り込み、ちらりとジェイドを見る。ジェイドはランダと話しており、こちらに意識は払っていないようだ。ルウルウはギュッと手を握りしめた。


「ジェイドのことは……ずっと大切に、想っています」


 ルウルウがそう答えると、クリスティアの表情がパッと明るくなった。


「よかった! ルウルウ様にも、大切な方がいらして……」

「でも、わたしは」

「いいのです。どんな出自同士でも、どんな親から生まれても、たがいを想っている。それで十分ではありませんか?」


 クリスティアの言葉は希望に満ちていた。キラキラと光るような言葉だった。ルウルウの胸がいっぱいになり、涙となってあふれそうになる。


「クリスティア様……ありがとうございます」

「いいえ……わたくし、生意気なことを申してしまいましたかも」


 急に照れ始めたクリスティアに、ルウルウは笑って首を横に振った。クリスティアの言葉が、急速にルウルウの胸の中に染みていく。


「たがいを想っている。それで十分……ですね、本当に」


 ルウルウはほほ笑んだ。ひとつ、理解できたような気がする。大切なことを理解できた気がした。

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