外の空気はひんやりとしているけれど、太陽が出ているからかそこまで寒くは感じなかった。
貴族のお屋敷はうちなんかよりもずっと広い。塀に囲まれた屋敷は三つの棟に分かれているし、きっと使用人の数も多いんだろうな。
中庭にでると、木々の葉は赤や黄色に染まっていて風が吹くとふわり、と舞う。
その中に、ピンクや白い花があるのに気が付いた。
この寒い中開くお花って何だろう……
「アルフォンソさん、あのお花は」
「あぁ、バラですね。それに向こうに行けばダリアが咲いていますよ」
「ダリア、ですか?」
名前だけは聞いたことあるけれど、どんな花なのかぜんぜんピン、とこない。
「ご覧になられたこと、ないですか?」
あるかもしれないけれど、意識したことがないので私は首を傾げながら答えた。
「たぶん」
「ではご案内しますよ」
そしてアルフォンソさんは当たり前のように私の手を握り、そのまま歩き出す。
うぅ、近いなぁ。
ちらり、と顔を見上げるけれどアルフォンソさんは私の右側に立っているから、包帯が巻かれた左目が真っ先に目につく。
さっきのキスが頭の中でぐるぐる回る。
外に出れば少しは気がまぎれるかと思ったけれど……こんなに近いと恥ずかしすぎる。
案内された庭の一画。東屋があってそれを囲むようにぐるっと花壇がつくられていて花が咲き乱れていた。
淡いピンクに赤、紫色などの、玉のような花が咲いている。
時おり冷たい風が吹くけれど、花は揺れ動くだけで全然散りもせず、その形を保っている。
それに地面には丸くふんわりとした紅い葉の植物が植えられているけれど、あれは何だろう。初めて見た。
「あの、地面に植わっている紅い植物はなんですか?」
「あれはコキアですよ。綺麗に染まっていますね」
コキア、って初めて聞いた名前だった。
「綺麗ですね」
「コキアは枯れ枝でほうきを作るんですよ。幼い頃何度か手伝ったことがあります」
あれがほうきになるんだ。頭の中で紅いほうきが思い浮かぶけれどそんなわけないわね。枯れたらきっと、紅くはないだろうし。
「秋から冬は植物は枯れて花も見られなくなるものだと思っていましたけれど、こんなにも鮮やかに庭を彩ってくれるんですね」
「一年中、何かしらの花が咲いていますよ。庭師が毎日手入れをしてくれていて、その季節の花を育てているようです」
そうなんだ。
うちの庭はそこまで手をかけていないからな。冬に椿が咲くくらいだ。やはり貴族の家ってすごい。
「今日は少し寒いですけど、春先にあちらでお茶会をしたら気持ちよさそうですね」
言いながら私は東屋の方を見る。
そこの中央にはテーブルがあるからきっと、そういう用途があるのだろう。椅子はぱっとみ見えないけれど必要な時に出すのかもしれない。
「あぁ、妹がいつかやりたいと言っていましたね」
妹?
「アルフォンソさん、妹さんもいらっしゃるんですか?」
驚き言うと、アルフォンソさんは頷き私の方を見た。
「えぇ。四人兄弟なので弟もいます」
初めて聞いた。
四人兄弟は珍しい。多くても三人だもの。下にいるのって羨ましいな。私、末っ子だから。
「パトリシアはお兄様とお姉様がいらっしゃいますよね。お姉様はご結婚されていて」
「あ、はい。そうです、けど……」
頷きながら私は不思議に思いアルフォンソさんの顔を見る。ちょっと待って。私、兄弟の話したことありましたっけ?
思い返してみるけれど、そんな話をした記憶はたぶんない。
いや、あの最初の日、酔った勢いで何か話した可能性はなくもないけれど。
何で知ってらっしゃるんですか、アルフォンソさん……?
わざわざ調べたのかな。
アルフォンソさんのそういう行動や言動に対して恐怖を感じることがある。
まあでも、私の家、とりあえず大きな商人の家だしそれに、クリスティに聞けばわかるか……
そう自分に言い聞かせて私は首を横に振り、気にしないことにした。だって今さら過ぎるし。
「ロラン様はご結婚されているんですか?」
「いいえ、まだですよ」
え、嘘。
兄弟で弟の方が先に結婚とかある?
「兄がその手の話からのらりくらりと逃げるので、俺の方が先に話が進んだんですよ」
あ、なるほど。そういうことなのね。
いくら親が話をすすめようとしても本人にその気がなかったらどうしようもないものねぇ。
そうなんだ。てっきり結婚していると思ったけれど。
「私の兄も結婚してないですね。そういえば」
兄も結婚する気がまだないらしく逃げているから、そういうものなのかもしれない。
「俺の知る限りですが、周りだと弟や妹の方が早く結婚する事例が多いですね。うちの兄はもう二十六なので、父としては早く結婚させたいようなのですが本人にその気が全くなくて」
まあ、総じて女性の方が早く結婚するから妹の方が早いのは仕方ないと思うけれど。弟の方が先、っていうのはちょっと気まずい気がする。
「兄は図書館の管理運営の他、領地にも赴きますし、こちらでの貴族としての仕事もこなしていて忙しく過ごしているようなんですよね。だから結婚する気がまだないのかもしれません。縁談はいくつもあるので、その気になればすぐ決まるでしょうけれど」
ロラン様、見た目はいいし、性格もよさそうだから、結婚しようと思えばいつでもできてしまうものなのかなぁ。
自分を振り返ると複雑な気持ちになる。
婚約破棄のあと、全然私、いいなと思える相手に出会えなかったんだもの。
これが貴族と商人の、男と女の違いだろうか。
ちょっと切ない。まあ、そのおかげでアルフォンソさんに出会えた、というのはあるけれど。
「あの、アルフォンソさんはしばらくこちらにいらっしゃるんですか?」
屋敷に呼んだということは寮をまた離れている、ということだろう。
こんな怪我をしているから任務で離れる、ってことはないと信じたいんだけど。
アルフォンソさんは頷き言った。
「えぇ。しばらくはここにいます。団長に、怪我が治るまで城に入ることを禁じられたので、任務もありません」
あ、そうなんだ……それは嬉しいような、でも仕事ができないってことだし複雑だな。
アルフォンソさんの顔を見ると、彼は辛そうな様子は全くない。
怪我したことをどう思っているんだろう。でもさすがにそこに触れる勇気、私にはない。
「なので時間が許す限り会うことができますよ、パトリシア」
とても嬉しそうな、幸せそうな顔で言われ、私はさらに複雑な気持ちになる。
そんなに嬉しいの? 私に会えることが。いや、そう思っていただけるのはまあ嬉しくはあるんですけど怪我の結果って思うとなんだかこう、喜べないんだけど。
やっぱりアルフォンソさんの価値観、よくわからない。
そんなことを考えていると、アルフォンソさんは言った。
「仕事の日は毎日お迎えにあがってよろしいですか?」
なんだかとんでもない事を言いだした。
まさかの申し出に驚きを感じつつ、でも断る理由なんて私にはなんにも思いつかない。
「えーと……大丈夫です、けど……」
戸惑いつつも頷き答えると、アルフォンソさんはほっとした様な顔になる。
「では四時ごろにお迎えにあがりますのでよろしくお願いしますね」
「あ、はい。こちらこそ、お願いします」
言いながら私は小さく頭を下げた。
毎日お迎えか。家にも話してかないとな。たまに迎えに来ることあるし。
「パトリシア」
名を呼ばれ、顔を上げると熱い瞳で私を見つめるアルフォンソさんの顔があった。肩に手がかかり、抱き寄せられてしまう。
何これ、どういうこと?
ドキドキしつつアルフォンソさんの顔を見つめると、彼は言った。
「また、貴方に会えてよかったです。ドラゴンの尾を顔面に喰らった時はもう二度と会えないかと思いましたので」
そんな事をこんな至近距離で言われたら、恥ずかしさで顔から火が吹き出しそうになるじゃないですか。
やだ、アルフォンソさんの鼓動の音がすごく聞こえてくる。
「アル……」
緊張で唇が震えて名前をちゃんと呼べなくて、私はどうしたらいいのかわからないまま彼を見る。
アルフォンソさんはなぜか嬉しそうな顔になって言った。
「あぁ、貴方にそう呼ばれるのは嬉しいですね。俺がいない間にロベルトと何かあったらどうしようかと思っていました」
何もない、とは言わないけれどやっぱりアルフォンソさん、ロベルトさんに嫉妬、してるんだな……
ロベルト様だって貴族だから私としてはむげにできないのよね。
「パトリシア。貴方の隣が俺の場所です」
その言葉のあとアルフォンソさんの顔が近づいてくる。
これってもしかして……
私は一瞬迷った後、彼の背中に右手を回す。そして、唇が触れた瞬間、私は目を閉じた。