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第63話 悲鳴

 時間は多分、六時を過ぎていると思う。

 今日はレストランに立ち寄ってから帰宅する、ということになっている。

 外灯には明かりがすでに灯っていて、町を優しく照らしていた。

 この照明は、町の魔法使いたちが点けて周るものだ。

 担当地区を周り、ひとつひとつの外灯に灯りをともしていく。

 照明は犯罪抑止にもなるそうなので、大通りはどこも明るい。だけどひとつ路地裏に入ると、各家庭の玄関にのみ灯りが点いているだけでそこまで明るくはなかった。

 どこもかしこも外灯を設置して、灯りをつけてまわるのは現実的に難しいものね。

 それは仕方がないことだ。


「こんなに町を明るく照らしているのに、犯罪って起こるのだから不思議ですね」


 レストランに立ち寄り食事をとったあと、家へと向かう馬車の中で私は外を見つめて言った。

 夜の町を、気持ちよさそうに歩く男性たちの姿が目に映る。

 この辺りはいわゆるお酒を提供するお店が多いらしい。

 彼らは談笑しながら通りを行く。


「そうですね。光があれば影が必ずできますからね。下町には、すこし危ないところもありますし」


 下町かぁ……私の住む地区とは少し離れているので近づいたことはない。

 だけど、学校はいろんな地域の子たちが集まっていたから、私の友達の中には下町育ちの子もいた。でも詳しい話は聞いたことないな。


「最近、娼婦の連続殺人事件が起きているのをご存知ですか?」


「はい、少し前に新聞で見ました」


 それ以降、話題にはなっていないけれど。


「ご存知ですか、連続殺人というのは最初、娼婦などを狙うんですよ。そこから徐々に犯行の手をひろげていきます。まだ犯人は捕まっていませんから、夜はひとり歩き、しないでくださいね。娼婦だけが狙われる、とは限りませんから」


 そう言ったアルフォンソさんの顔が鬼気迫っていて、私の背中に冷たい汗が流れる。

 そうか。娼婦だけが狙われる、とは限らないものね。今外を歩いている酔っ払いの男性たちだって狙われるだろうし、そうしたら次は日中、活動するかもしれない。

 そうなるとこうすれば安全、なんてないじゃないのかな。

 身体がぶるり、と震えて、私は思わずアルフォンソさんの手を掴んだ。


「あぁ、怖がらせてしまいましたかね」


 言いながら彼は私の手を握り返してくれる。

 えぇ、怖いですよ。だってまだ、死にたくはないし。


「事件の話はどんな幽霊の話よりも怖いですよ」


「そうですね、生きている人間というのは本当に厄介ですから」


 確かにそうね。何してくるかわからないし。

 その時だった。

 うっすらと悲鳴が聞こえたような気がして、馬車がゆっくりと止まってしまう。

 私とアルフォンソさんは顔を見合わせそして、私はぎゅっと、彼の手を握りしめた。

 何今の。気のせい……?


「すみません、馬が立ち止まってしまいまして」


 御者席側にある小さな窓が開いて、御者のおじさんがそう声をかけてくる。

 この様子だと、おじさんは声に気が付いていない?

 ってことは気のせい?


「先ほど何か声が聞こえなかったか?」


 そうアルフォンソさんが声をかけると、おじさんが不思議そうな声で答えた。


「声……ですか? うーん、酔った男たちの笑い声なら聞こえましたけれど。それがどうかしましたか?」


「いいや、なんでもない」


 私が聞いたのはそういう声ではなかった。もっと高い、女性の声だったと思う。この様子だとアルフォンソさんにも聞こえていた、のよね?

 でも外にいる御者さんには聞こえなかったってことよね?

 うーん……なんだかモヤモヤするけれど、馬車は動き出してしまう。

 私とアルフォンソさんは顔を見合わせて、同時に首を傾げた。


「あの、声、聞こえましたよね?」


 自信のない声で私が言うと、アルフォンソさんが神妙な顔をして頷く。


「えぇ。わずかにですが」


 そして首を傾げた。


「とても高い声……たぶん女性だと思いますが……自信、無いですね」


「私も女性の声だと思うんですが……でもかすかにでしたしどこから聞こえたのか全然わからないです」


 気のせいではないと思うんだけど……言いようのない不安が心の中に生まれてしまう。


「辺りを見回りたいですが、貴方や御者を巻き込むわけにはいかないので、まずは貴方を送り届けます。そのあと俺は、警備隊の詰所に寄っていこうと思います」


「そう、ですね。よろしくお願いします」


 もし、あの声が殺人の被害者だったら?

 もし、襲われているところだったら?

 今向かったら助かるかもしれない。だけど私には何にもできないし、御者のおじさんにも危険が及ぶだろう。そう思うと今は家に帰るのが先決だ。

 それはわかるけれど、罪悪感が心の中に生まれてしまう。

 そんな不安が顔に出たのだろう。俯いた私の頬に、アルフォンソさんの手が触れる。


「貴方が気にすることではないですよ。毎日どこかで事件が起きています。何かしら声が聞こえてもわからなかった、気が付かなかった、という人は多いですから。これは日常の一場面ですよ」


 悲鳴が日常の一場面、というのはどうかと思うけれど。

 面白い慰め方だな。


「てっきり貴方は、事件かもしれないから行きましょう、と言いだすと思っていました」


「わ、私、そこまで非常識ではないです!」


 確かにちょっとだけ、心惹かれるものはあるけれどさすがに殺人、となると話は別だ。

 事件になんでも首を突っ込むようなことはしない。


「ならよかったです。以前のような、熊のぬいぐるみの尾行は楽しいものでしたけれど、今回はわけが違いますからね」


 その時馬車が止まり、うちの前に着いたことがわかる。

 そして私とアルフォンソさんの視線が絡まりそして、どちらともなく口づけた。

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