家に帰り、私はお風呂に入ってひとり部屋の椅子に座り、用意してもらったお茶を飲む。リラックス効果のあるハーブティーだ。匂いが私のざわついた心を少しだけ落ち着かせてくれている気がする。
私の頭の中では、今もあの悲鳴が響いていた。
何でもない、よね? 夜だし悲鳴くらい聞こえることある、よね?
そう自分に言い聞かせるけれどかなり無理があるなと思い至る。
あぁ、心が痛いし心臓も痛い。
私は立ち上がって窓に近づき、外を見た。
この辺りはどの家も玄関先に灯りをつけるし外灯も多いからけっこう明るい。でも遠くへ行けばいくほど灯りは少なくなり、闇が目立つようになる。
王都とはいえ治安のいい場所、悪い場所、というのは存在する。何万、という人がいるのだから毎日何かしらの事件が起きるものだし、殺人事件だって年に何件かは起きている。そんなことはわかっているけれど身近で事件なんて起きたことはないし、あんな悲鳴を聞いたことはないから今でもすごく心臓がバクバクいっている。
頭の中に、アルフォンソさんの顔が思い浮かぶ。想像の中の彼は、目を怪我していない。
……できればもう少し一緒にいたかったな……
って、私、何を考えているんだろう。私は窓を見つめたまま両手で自分の顔を挟む。
顔が熱い。
「アル......」
名前を呟き、窓に手を当てて町を見下ろす。このどこかにアルフォンソさんがいるはずだ。
大丈夫かな、襲われたりしないだろうか。
犯人の目的、一体何なんだろう。
連続殺人の目的って殺人そのものが目的だったりするって、推理小説にあったなぁ……
これが現実にあてはまるものなのかわからないけれど、そんなの怖すぎる。
犯人、どんな人物なんだろう。こういう事件の犯人は男性が多いともあったけど。
犯人の手がかりとかないのかな……うーん、早く捕まえてほしい。
耳の奥で、女性の声が響いてる。
あの声の主は無事なのかな。でももし被害者ならもう……
怖い想像は私の不安を増幅させていく。これ、今夜はあまり眠れないかもなぁ。
結局なかなか寝付くことができずに朝を迎えてしまった。
アルフォンソさん、何かわかったのかなぁ……
重い足取りで階段を降り、朝食をとるために食堂に行くとお父様とお母様がすでに席についていて、お父様は新聞に目を通していた。
「おはよう、パティ。すごく眠そうねえ」
お母様が微笑み言って、コーヒーカップを手にする。
「うーん、あんまり眠れなくて……」
答えながら私は大きく欠伸をした。レディがはしたない、と思うけれど、生理現象には勝てない。
「もう、はしたないわよ」
案の定お母様からのツッコミが入るけれど、私は構わずもう一度欠伸をした。
あぁ、眠い。
結局あの悲鳴が気になってなかなか寝付けなかったのよね。うーん、ご飯食べたらちょっと寝ようかな。寝ないと辛いし。
お兄様はまだ起きてこない。休みの日はのんびりなのよね。
それにしても眠い。視界がなんだかぼんやりしている気がする。ぼうっとしているとメイドがコーヒーを持って来てくれた。
「とても眠そうでいらしたので今朝は少し濃い目のカフェオレにしましたよ」
「ありがとう」
礼を伝え、私は白いカップになみなみに入ったカフェオレを見つめ、それに口をつけた。
確かにいつもより牛乳が少ないみたいでちょっと苦味が強い。
その分お砂糖、多めなんだろうな。
カフェオレを飲みつつ私はお父様の方をちらっと見る。
正確にはお父様が見ている新聞を、だ。昨日の夜のこと、ニュースになっているんだろうか。時間的には間に合いそうなんだけどな。
「また、昨日の夜殺人があったらしい」
新聞を畳みながら苦い顔をしてお父様は言った。
殺人、という言葉に胸がぎゅうっと締め付けられるような感覚に襲われる。
やっぱり昨日の悲鳴……
「昨夜の七時から九時頃のことらしい。悲鳴を聞いた者がいて警備隊が駆け付けたそうだが、すでにこと切れていたとか」
そう、なんだ……
じゃああの悲鳴はやっぱり……
そう思うと心が痛い。でもきっと、あのとき私たちが駆けつけたとしても間に合わなかっただろうし、犯人と顔を合わせていたら被害が増えていただけかもしれない。
アルフォンソさんは騎士だけど、あの時剣は下げていなかったと思うし、それに目を怪我、しているものね。
「あら、その時間ってパティが帰って来た頃じゃないの。ねえ、パティ、しばらくは夜帰ってくるようなことないようにね」
お母様が心配そうな顔をして、こちらを見ながら言った。
「え? あ、は、はい。あんな時間に帰ることないわよ。昨日だってアルフォンソさんに送っていただいたし」
普段はあんなに遅くなることはない。どこかに出かけたとしても夕暮れ前にはいつも帰ってきているもの。
私の返事を聞いて、お母様はそうよね、と呟く。
「アルフォンソ様って騎士だものね。なら安心だわ」
確かに普通の人よりは安心かもしれない。
それにしてもあの悲鳴、やっぱりそうだったのかな……うぅ、考えると心がざわざわしてしまう。
いや、できることなんてきっとなかったしどうにもならなかったとは思うんだけど。
人が死ぬ瞬間を感じた、という事実が私には重すぎる。
「今回の被害者は仕事帰りの女性だそうだ」
お父様の言葉を聞いて、私は小さく首を傾げた。
あれ、被害者って娼婦じゃなかったっけ? 対象が変わっている? それとも犯人は別なのかな。
そこで私はアルフォンソさんの言葉を思い出す。最初は娼婦を狙う。そして次は普通の人を狙い始めるってこと?
そういう事なのかな。
そうなると私も危ないし、いや、誰だって危ないってことよね。無差別殺人なのか、それとも別々の事件なのか。どちらにしろ短期間で殺人事件が続いているのは怖い。
「手口は今までの娼婦の事件と同じで、暴行を加えた後喉を裂かれていたらしい」
こ、怖いじゃないのそれ。
ということは犯人は男、なのかな。無差別殺人って自分よりも弱いものを狙うものだし。
私も気をつけないと……どう気をつけたらいいのかわからないけれど。
「警備隊の見回りを強化するそうだが……効果があるのか」
神妙な面持ちでお父様が言ったところで食事と、お兄様が入ってきた。
「おはようございます」
眠そうな様子で言ったお兄様は、大きな欠伸をして席に着く。
「休みの日だからってのんびりしすぎじゃないのか?」
呆れた様子でお父様が言うけれど、お兄様はどこ吹く風だ。
「だって休みの日だし。それよりパトリシア、今日の午後お前時間ある?」
話しを向けられて私は驚いてお兄様を見る。
え、私?
「まあ、あるといえばあるけど」
お兄様がそんなことを言ってくるなんて珍しい。
ちなみに兄弟仲は良くも悪くもないと思う。
「宝石商を呼んでいるから、ちょっと付き合ってくれないか?」
お兄様が宝石商を呼ぶなんて珍しい。いったい何があったんだろう。
「別にいいけど、どういう事なの?」
「女性にプレゼントするんだけど俺のセンスに自信がないから意見を聞きたくて」
あぁ、そういうことか。
ひとり納得したものの、全然納得していないような声が食堂内に響いた。
「え、あ、じょ、女性? お前まさか……!」
「やっとその気になってくれたのねぇ。よかったぁ」
お父様とお母様の驚きと嬉しさの入り混じった声が聞こえてくるけれど、お兄様は気にする様子もなく、それらを無視して眠そうな顔のまま私に向かって言った。
「一時半頃にくるからよろしく」
「はーい」
女性へのプレゼントってことは、お父様たちが期待するような話、なのかなぁ。
お父様やお母様はお兄様に質問攻めをしているけれど、その全てをはぐらかしていて何も答えない。
後で聞こう。