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第69話 帰り道

 冬の日暮れはあっという間にやってくる。

 空はすでに星が出ていて、太陽は半分ほど隠れようとしていた。

 久しぶりに遠出をしたからだろう、すっかり遅くなってしまった。早く帰らないと。

 そう思い、私は馬車乗り場へと向かった。早く電車が通るようになってくれないだろうか。

 それだけでも移動時間がだいぶ短縮されるのに。

 最近、路面電車を開通させようと工事を始めたと聞くけれど、まずは王宮の周りから、らしい。

 それはそうよね。あの周囲で働く人が多いわけだし。


 馬車を捕まえようと私は足早に通りを行く。


「あぁ!」


 そんな女性の声が聞こえた気がして、私は足を止める。

 何かに驚いたような声だ。

 なにかあったのだろうか?

 そう思って私は視線を巡らせる。この辺りは人の通りが多いけれど、一本路地を入ると一気に静かになる。

 私は建物と建物の間の細い路地を覗き込む。そこに人の気配は感じないし猫などの動物の姿も見えない。

 私はじっと、路地を見つめる。どうしよう。気になるけど……この路地の先に入って大丈夫だろうか。

 そんな想いとミステリー好きの好奇心がせめぎ合う。周りの人たちは、何事もないように通りを歩いていく。もしかしてあの悲鳴は誰にも聞こえていないんだろうか?

 私にしか聞こえていない? それとも聞こえて無視をしている? どっちともつかないし、さっき聞こえた声は本当に現実なのか不安になってくる。あれは……夢?

 なら確かめに行っても大丈夫、だよね?

 そう自分に言い聞かせて私は一歩、路地へと足を踏み出す。ゆっくりと一歩、また一歩、私は路地を進む。

 足をすすめるたびに、ブーツが音を立てて心臓が大きく跳ねる。

 建物と建物の間。人がひとり何とか通れるだけの幅の路地を私は進んで行った。

 たった一本、路地を進んだだけなのに、まるで薄いベールで仕切られてでもいるように、通りを歩く人たちは何も気にする様子はなく足音が背中を通り過ぎていく。

 悲鳴はいったいどこから聞こえたんだろう。

 不安を抱きつつ建物の隙間をぬけて、裏通りへとたどり着く。左右へと視線を巡らせた。

 その時、足音がどこからともなく響いた。


 カッ……カッ……カッ……


 私ははっとしてきょろきょろと辺りを見回す。

 すると、路地から帽子を被った人物が出てきた。

 黒いマントを着た、背の高い人物……男、かな? その人物はこちらをちらり、とだけ見ると、背中を向けあちら側へと歩いて行く。

 そしてどこかの路地を曲がっていった。

 きっと、大通りの方に出たのだろう。

 なんだろう……近所の人にしては違和感あるような……

 あのマント、高級ブランドの「リューフェ」のものじゃないかしら?

 この辺りはそんな高級ブランドを着るような人が住むような場所ではないし。

 ここに大きなお店が多いひとつの理由は、土地が余っているからだ。町中は家などが隙間なく建っていてあとから大きな店を建てようとすると、土地代も高くかかる。だけど郊外であれば土地は安いから、この辺りに大きなお店が増えているのよね。

 さっきの人、買い物に来た、という感じがしないけれど……なんだろう、気になる。

 恐怖よりも好奇心の方が勝り、私は導かれるように男が出てきた路地へと向かった。

 ゆっくりと、でも大股でその路地に向かいそして、私はそっと、そこを覗き込んだ。

 すると、細い路地の真ん中に、誰かが倒れているのが見えた。

 赤い髪の、コートを着た女性が道に倒れている。

 いや、違う。赤い髪じゃない。あれは……

 血だ。

 そう思った時、私は大きな悲鳴をあげた。




 すっかり日が暮れて、闇が世界を包んでいる。

 警備隊の詰所を後にした私を迎えに来たのは家の者ではなく、アルフォンソさんだった。

 黒い帽子を被った彼は、帽子を外すとこちらに向かってくる。


「アル……」


 彼の姿を見て、その名を呟いた瞬間、私の中でプツン、と何かが切れるような音がした。

 そして私は走りだし、アルフォンソ……アルの胸に飛び込んだ。


「こわかったぁ!」


 彼にしがみ付き、思わず大声を上げてしまう。

 アルは私の背中に手を回し、


「無事でよかった」


 と呟き、ぎゅうっと力を込めてくる。

 本当よね。だってタイミングからあの人、犯人だもの。

 私、殺人事件の犯人を目撃した……!

 私が大好きな推理物の小説では何人も死ぬのは当たり前だけど、現実の殺人を見たのは初めてだし、犯人らしき人を見たのも初めてだ。

 いや、できれば見たくはなかった。

 事件、と聞けば心躍っていたのは確かだけれど、今はそんな気にならない。

 だって、本当に人が死んでいるし、犯人は今もこの町のどこかにいるんだもの。

 そんなの怖い。怖すぎる。


「驚きましたよ。まさか貴方があの連続殺人の犯人を目撃するなんて」


 それはそうでしょうね。私も驚きよ。


「だって、あんなところでリューフェのマントを着ている人なんてそうそういないと思って」


 そう私が言うと、アルは不思議そうな声を上げた。


「リューフェ……のマント?」


「そうですそうです。リューフェは貴族や王族などが好む高級ブランドです。一品だけ買う、なんてできるほど安くはないですし。思い出してみたら帽子は多分『ルアージュ』のものだと思うんですよね」


 ルアージュも貴族などを相手にしている帽子や小物のお店だ。

 ということはあの人は上流階級の人だろう。貴族なのかな。

 私の言葉を聞いたアルは、私の顔を見つめてふふ、っと笑った。


「事件に巻き込まれた割には冷静でよかったです」


「冷静なわけないじゃないですか、怖かったんですから」


 怖かった。初めて見た他殺死体に悲鳴を上げると、それを聞きつけた人がやってきて大騒ぎになった。

 もちろん私は疑われたんだけど、凶器なんて持っていないし、死体にはある特徴があったため、最近起きている連続殺人の犯人の仕業であると断定された。

 その特徴、というのが、死体の身体に書かれた血の紋章だった。

 三角をふたつ組み合わせた星のようなもの……六芒星だ。本で見たことがある。なにかの魔術の儀式で使われたりするものなはずだけど、いったい何が目的なんだろう。


「それで、そのマントや帽子の話はしたんですか?」


「したんですけど、あんまり真に受けていなかったというか、流されちゃいましたねぇ」


 私がリューフェのマントの話をしたときの捜査官の表情、なかなか渋い顔をしていたなぁ……

 調書をとっていたけど絶対、流されたと思う。ちゃんと書いてくれたのかなぁ。

 似顔絵の作成を手伝いはしたんだけど、顔は見なかったから大して役には立てなかった。


「まあ、そうでしょうね。正直、俺には服を見ただけではどこで購入された物かなんてわかりませんから」


 あぁ、そうなんだ。まあそうよね。

 子供の頃からお父様に色んなお店に連れて行かれたのよね。

 大衆向けのお店や高級店まで。だから見ればどこの服なのか、どの階級の人なのかっていうのはだいたいわかるのよね。

 アルフォンソの顔を見たせいだろうか、お腹がぐう、と大きな音を立てた。

 う、恥ずかしい……

 思わずアルから離れて下を俯いてしまう。


「もう、七時を過ぎていますからね。まだレストランはあいていますから、そちらに寄って帰りましょう。送っていきますよ」


「あ、ありがとうございます」


 礼を言うとアルフォンソさんは私に手を差し出してくる。

 なので私は彼の手を取り、


「行きましょうか」


 と言うと、彼は頷いた。 


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