視界いっぱいに広がる海。はるか向こうに見える水平線。
海に浮かぶ帆船の白い帆が、青空を背景に美しく映えている。
海風が強く、かたかたと窓を揺らすのでベランダにでるのははばかられるけれど、景色は最高に美しい。
こんな近くで海を見るのは久しぶりだった。
王都は広い。
王宮や私が住むいわゆる高級住宅街は高台の方にあり、海までけっこうな距離がある。だから滅多に海には来ないのよね。
子供の頃、暑い時期には海辺で遊ぶことはあったけれど、成長するとそんな機会はめっきりなくなってしまった。
砂浜に人影はないと思ったら、意外にも散歩と思われる人たちの姿が散見されるし、犬が走っているのが見える。
外は寒いのに、犬は元気だなぁ。
私は窓から離れてそして、振り返って室内を見る。
部屋の仕様なのだろう。大きなベッドがふたつ並び、ひとり掛けのソファーがふたつとテーブルが置かれている。
そしてクローゼットがあってバスルームもある、広々とした部屋だ。
ただしこの部屋、ひとつ気になる点がある。
私は部屋を出て廊下を行き、らせん階段をおりて下の部屋へと向かう。そこはいわゆるリビングになっていて大きなソファーやテーブル、それに暖炉もある。
そこはアルが使う部屋だ。
この部屋、いわゆるメゾネットになっていてこの部屋の他、寝室は二部屋あるんだけど私が使う部屋は上の階で、外に出るにはアルが使うこの部屋まで下りてこないといけない。
事前に別々の部屋、とは言われていた。それはある意味間違っていない。
だけど間違っていませんかね。同じ部屋、じゃないのこれ。
いや、寝る部屋は別だからいいのかな……あ、わけがわからなくなってきた。
なんだかハメられた気持ちを抱きつつ、私はソファーに座り雑誌に目を通すアルに話しかけた。
「部屋、広いですね」
正直、ホテルにこんな広い部屋があるなんて知らなかった。
話しかけると彼は顔を上げて、雑誌をテーブルに置き立ち上がり言った。
「えぇ。この部屋をおさえられてよかったですよ。別々の部屋となると限られていて」
でしょうね。
普通は別々の部屋といったら入り口も別ですもの。
まさか入り口が同じの別々の部屋、なんてものがあるなんて思ってもいなかったもの。
「海がよく見えますね」
「えぇ。年越しの時にはこの海岸から花火が上がります。さすがに年越しはもう部屋、満室と言っていましたけど」
「花火にランタンと、夜でも賑やかですね」
「えぇ。今から楽しみです。家族以外と過ごすのは初めてなので」
そうか。私もそうだな。ダニエルとそんな事しなかったし。
「もうしばらくすると宝石商が来ますから、またブレスレットを選びましょうね」
そして彼は微笑み、私に手を差し出してくる。
「それまでまだ時間がありますから、カフェに行きましょう。上階のカフェから海を見ながら、ティータイムが楽しめますから」
「わかりました」
私は差し出された手を取り、彼に従い部屋の外に出た。
カフェは全面窓になっていて、外の景色が良く見えた。
テーブルには紅茶の入った白いカップと、焼き菓子やケーキがのったお皿が置かれている。
辺りには私たちと同じようにティータイムを楽しむ男女の姿が多くあった。
服が違うように見えるから、たぶんよその国の人もいそうだ。
「あの、目の調子はいかがなんですか?」
「まだ余り。ぼんやりとしか見えなくて。だいぶ慣れたのですが、やはり視界が狭いのは厄介ですね」
あぁ、そうなんだ。
騎士ってそんな危険なことがあるんだなと、改めて思い知らされる。
この間の事件だって、下手したら殺されていたかもしれないのよね。
「パティ、兄に手紙を出していましたよね」
「あ、はい。あの……例の呪術に関する本をどうにかできないかと思いまして」
あんな危険な本、申請が必要とはいえ誰でも見られる状態にあるのは危険すぎるから、ルミルア地方の呪いの遺物の博物館に寄贈できないかと考えた。
あそこなら喜んで引き取ってくれそうだから。
「そうですね。あの本がなければあんなことは起こらなかったのか。別の方法で彼は甦りの魔術を探そうとしたかもしれませんが」
「神話の中では、不死とか死者を甦らせるとかありますけど、しょせん神話ですし、そんな事できるわけないとわかりそうなものですけど」
「魔法は自然の摂理を捻じ曲げるものでもありますからね。死をなかったことにする魔法も、あると思ったのかもしれません。実際、ルミルア地方には、死者を甦らせる十字架があるわけですから」
ルミルア地方は、アルフォンソさんのお父様がもつ領地だ。そこにあった岩の教会クローチェには、ドラゴンにより殺された人々を甦らせたという十字架のネックレスの伝説があった。
レプリカがお土産で売られていたっけ。
「アルは、その伝説を信じていますか?」
そう尋ねると、彼は肩をすくめた。
「どうでしょう。ドラゴンはいたでしょう。伝説にいるほど強力なドラゴンではないものの、存在はしていますし。けれど十字架については俺も半信半疑ですよ」
ですよね。
でも伝説はたしかにあって、十字架は存在している。
「時おり、その十字架を貸してほしい、という人が現れると聞いたことがあります。ですが、あれは我が家の財宝ですし、教会には貸していることになっているので父の許可なく誰かに見せることはないし、父も許可を出さないでしょう。だから誰も見ることができません。司祭様ですら、レプリカしか見たことがないと言っていました。伯爵位を受け継いだとき、父はそれを見たそうですが、詳細を語ったことはないですね」
あぁ、やっぱり十字架の力を借りたい、という人、現れるのね。
「甦ったとして、結局死は必ず訪れるわけですから……意味がある事とは思えないですよ」
そうなのよね。結局老化はするし、病にはかかるしいつかは死ぬ。
なのに甦ったって意味があるとは思えないのよ。
私の言葉に、アルフォンソさんは神妙な顔で頷き、言った。
「そうですね。貴方なら、例え俺が先に死んでも十字架の力を使おう、なんてこと、思わないでしょうね」
「当たり前ですよ……って、嫌なこと想像させないでください」
私たちの年令でそんな死を意識することなんてないし、する必要もまだないと思う。
「だから、死ぬのはまだ先にしてください。せめて婚約して、結婚して、子供を産んで、大きくなってまたふたりきりになってからがいいです」
言いながら私は指を折っていく。
そう考えると人生長いなぁ。
結婚に子供かぁ。想像つかないけど、私に子供が生まれたらどんな子に育つんだろう。
「あはは、それって結婚の申し込みをされているみたいですね」
笑いながら言われ、私はぴたり、と止まってアルフォンソさんを見る。
結婚の……もうし、こみ?
私は自分が言ったことを思いだし、反芻し、そして、恥ずかしさに首を激しく振りながら言った。
「ち、ち、ち、ちがうんです。だって私はあの、その……」
慌てる私を、彼は口元に指を当てて笑いながら見つめてくる。
あーもう、恥ずかしい。
私ってば何を言っているんだろう。たしかにアルの言う通り、これって結婚の申し込み、よね?
「その時はちゃんと俺から申し込ませてくださいね。指輪を用意しますから」
笑いながら言われて、さらに恥ずかしくなった私は気持ちを落ち着かせようとカップを手にしてお茶を口にした。