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第92話 誕生日

 朝、目が覚めると誰かと目があった。

 あれ、なんで私のベッドに人が……

 眠い頭で考えてそして、私は昨夜、アルと一緒に寝たことを思いだす。

 一緒に寝た。同じベッドで抱き合って。でもそれだけだ。何もしてはいない。

 私はダニエルたちみたいに軽率なことはしないし、それはアルも同じだった。


「君に触れるのは、もう少し我慢するよ」


 と、普段と違う口調で言われた時はドキドキが止まらなかった。正直、切なげな顔をされて彼の低く甘い声で囁かれたらころっと流されていたとは思うけれど。そう考えるとけっこう危うい事をしたようにも思う。

 そして文字通り一緒に寝て迎えた朝だ。

 だから私と目があったのはアルであり、つまりそれは私が起きるよりも早く彼が起きていたことを意味する。


「い、いつ起きたの」


 そう眠い声で尋ねると、彼は私の頬に触れてふふっと笑い、言った。


「しばらく前に」


「起こしてくれてもいいんですよ?」


「もったいないでしょ。君の寝顔を見られる貴重な機会なのに」


 なんて言われたから、恥ずかしさで思わず私は羽毛布団を顔にぼすん、と被った。

 もう、何を言っているのよこの人は。

 というか口調、変わっていますよね? 私、振り回されっぱなしなのが本当に嫌なのよ。そう思っているのにいつまでたっても私は彼の手の中で踊らされてばかりだ。


「どうしたの、パトリシア」


 そう言いながら彼はそっと、私から布団をはぎとる。

 どうしたもこうしたもない。私は顔が紅くなっているのを感じながら、私を見つめる黒い双眸を見つめ返す。

 すぐにでも触れそうなほど近くにアルフォンソの顔がある。その事実が恥ずかしいし、言葉遣いが違うことにときめいちゃっているし。

 私、どうかしているかもしれない。


「だって、恥ずかしいことを言うから」


「そう? だって事実だから」


 そして彼はおもむろに私に顔を近づけてきて、額に口づけを落とした。

 うう……恥ずかしい、でも嫌じゃない。

 私は顔が熱くなるのを感じつつ、彼の顔を見つめる。


「でも結婚したら毎日見られるじゃないですか」


「それまで待っていられないから」


「待ってください。いつか結婚するんでしょう?」


「えぇ、だから婚約指輪を決めたわけだし」


 そういえばそうですね。

 私、年末のランタン祭りの夜にプロポーズされるんだ。

 その日が待ち遠しくて、でも恥ずかしくって。なんだかわけがわからない。

 まさか一年の間に二度も婚約することになるとは思わなかった。

 本来、婚約式で指輪を贈るものなはずだけど、そうしなくていいのかな。


「婚約式はいいんですか?」


「二度もやるの、いやでしょう?」


 それはそう。

 まあ、省略したところで問題のないものではあるけれど、上流階級ほどそういう儀式って気にするものだと思っていた。

 うちは気にするかなぁ。でもさすがに二度目はいいかってなるかな。

 そう思い私は、頷き答えた。


「そうですね。年末、楽しみにしています」


 そう言って笑いかけると、アルフォンソの顔が近づきそして、今度は唇が触れた。



 今日はアルの誕生日。

 朝起きて朝食を食べた後、私は辺りを見回した。

 昨日見たあの少女の姿はない。もう食べたのかな。

 そう思い首を傾げていると、すっかり顔を覚えた男性のスタッフが声をかけてきた。


「何かお探しですか?」


「あぁ、あの、女の子いないかなって思って」


 そう私が言うと、彼は小さく首を傾げて言った。


「女の子、でございますか?」


「はい、あの……十歳前後かな。長い金髪の女の子」


 そう私が言うと、彼は怪訝な顔をした。


「あの、そのようなお客様はいないはずですが……というか今、お子様のお客様はいらっしゃらないですよ?」


 と言われ、私は思わず黙り込む。

 え、でも夜、ホテルにいたんだから宿泊客よね?

 じゃあいったいあれは……


「妖精に出会ったんでしょうか」


 と言い、スタッフさんは笑う。


「妖精って……ホテルに住んでいるっていう?」


「はい。いたずらが好きなのが少々困りものですが、ここぞって時に現れて幸せを運ぶって話ですから。パトリシア様に幸福が降り注ぎますように」


 そしてスタッフさんは頭を下げて去って言った。

 ……今年の私、いったい何なんだろうか。

 動くぬいぐるみに殺人事件に、そして妖精。

 普通じゃないことばかりが起きている。

 もう何も起きなくていいんだけどなぁ。まだ何かが起きそうだ。

 楽しいけれど、怖いことは起きませんように。

 私はそう祈りブレスレットを撫で、こちらを振り返って私を待っているアルを追いかけた。


「パティ、どうかしたの?」


「いいえ、なんでもないです。さあ行きましょう、アル。貴方の誕生日だし、楽しく過ごしましょう」


 そう言いながら私は彼の腕に絡みつく。するとアルはちょっと驚いた顔をした後、


「えぇ、もちろん」


 と言い、笑いかけてきた。

 外は寒いからコートを着て、帽子を被ってマフラーもして外に出る。

 海が近いせいか、町中とは違う、ちょっとしめった風が吹いているような気がする。

 すっかり見慣れた海沿いの町だけれど、まだまだ行ったことがない場所がある。

 この町は異国情緒が溢れていて、見るものすべてが新鮮だった。

 見たことのない衣服を着ている男性や、見たことのない食べ物を売るお店などがある。


「異国の空気が味わえるの、楽しいです」


「確かに。これから行く劇場もそういうところだよ」


 あぁ、昨日行っていた劇場に行くのね。推理物が題材の異国の劇。楽しみだな。

 潮の匂いにお店の人の呼び込みの声。


「あ、お魚が売ってますよ!」


 私は思わず走り出し、店先に並ぶ魚たちを見つめた。

 木の箱におさめられた銀色や赤に光る魚は何の魚か全くわからない。こんな風に魚を見る経験は余りないのでとても新鮮だった。

 店の奥には珍しい、ガラスでできた水槽があってその中で魚が泳いでいるのが見えた。大きくて太い魚だけれど、あれ、なんて魚だろう。


「すごい、生きてる」


「あぁ、何の魚でしょうか」


「これはブリですよ、お客様方」


 気のよさそうなお店のおじさんがそう教えてくれた。

 ブリ。名前だけは聞いたことあるような。


「この時期は特にあぶらがのっていておいしいんですよ。焼いてもいいし、煮てもおいしいんですよ」


 話しているだけでいるだけでお腹が空いてきそう。


「ありがとうございます」


 おじさんに礼を伝え、私たちは先を急いだ。

 私たちが向かっているのは小さな劇場だった。

 なんでも、異国の劇を専門にやっている劇場らしい。

 生まれた頃からずっと王都に住んでいるのに、ここには知らないことばかりだ。

 茶色の大きな建物の入り口に、『アークシエル劇場』と書かれている。ここがアルが言っていた劇場なのね。

 劇場前にはたくさんの人がいて、開場を待っているようだった。


「すごい人ですね」


「ここでしか見られない劇もあるからね。ファンは多いらしいよ」


 なるほど。私たちが住んでいる王都の中央にも大中小さまざまな劇場がある。どの劇場でも毎日のように劇や音楽の演奏会が開かれている。

 それは人々の娯楽で人気が高いからだ。他に手品や魔術のショーも人気だった。


「今日の劇、外国の劇なんですよね」


 言葉、わかるかな。周辺国ならまだしも、離れた国は言語が違うのよね。


「えぇ。でも言葉はこちらに合わせてやるそうだよ」


 それならよかった。言葉がわからなかったら面白さがわからなくなってしまうものね。

 劇の広告ポスターを見つけ、私はそこに書かれている文字を読む。


「逆転する、裁判?」


 そこに書かれている文字を見ると、どうも裁判の話らしいけど、なんだか妙なタイトルだ。

 弁護士と思われる男性と、騎士と思われる女性。そして、白いひげをたたえた、法衣を着た年配の男性がきっと裁判長何だろうな。

 法廷物語なんて斬新だなぁ。すごい楽しみ。

 しばらくすると開場になり、私たちは中に入った。



 劇は弁護士が主人公で、証人の嘘を捜し、矛盾点を指摘。そこから容疑者とされている人の無罪を勝ち取っていく、という物語だった。

 たいてい、こういうのって逮捕されたら最後だし、裁判なんてもう形式的だと聞いたけれど、無罪を勝ち取るなんて斬新すぎる。

 なのですごく面白かった。


「こんなに面白い劇があるなんて。ここに連れて来てくれてありがとう、アル」


 劇を見た後、私は劇場の前でそうアルに伝え、彼の腕に絡みつく。

 すると、彼は少し恥ずかしそうな顔をした後、満足そうに微笑んだ。


「好きそうだなと思ったので。一緒に来られて良かった」


「今日はアルの誕生日なのに、私に合わせていいの?」


 それが一番の気がかりだった。

 私、何にも思いつかないから結局アルに任せっぱなしになってしまっている。

 すると彼は頷き言った。


「当たり前でしょう。君と一緒にいることが俺にとって一番の贈り物なのだから。それに、一緒に朝を迎えられたし、君の寝顔も見られた」


「う……あ、えーと……そ、それでいいならいいけど」


 寝顔を見られたの、そんなに嬉しいものなのかな。それならいいけど……ちょっとだけ恥ずかしい。


「パトリシアといる時間が俺にとって一番大事なものだからね」


 と言い、彼は人目もはばからず私の腰に手を回してきて私の身体を引き寄せた。


「ちょ……」


 思わず辺りを見回すけれど、皆自分の周りしか見ていないようで、私たちのことなど誰も気にしている様子がなかった。


「こうして触れられて、こうして一緒にいられてとても嬉しいよ。ねえ、パトリシア。君と夫婦になる日が楽しみだ」


「え、あ……う……た、誕生日おめでとう、アルフォンソ」


 私大丈夫? 混乱して変なタイミングでおめでとうを言ってない?

 そう思ったものの時すでに遅し。

 アルフォンソは幸せそうな笑顔を浮かべて頷きそして、


「ありがとう、パトリシア。俺と共にいてくれて」


 と言い、人目もはばからず額に口づけてきた。



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