その日の帰り。
太陽は西の空に沈もうとしていて、辺りはすっかり暗くなっている。
外灯の明かりがぼうっと辺りを照らしていて、家路を急ぐ人たちや迎えの馬車が通りに多く見られた。
私も迎えの馬車が来ているはずだけど、頼んで騎士の詰所に連れて行ってもらおう。約束していないから会えるかわかんないけれど。
通りに出て馬車を探しているときだった。
「パトリシアさん」
聞きなれた、静かな男性の声にハッとしと振り返ると、そこにいたのは闇に溶ける様な黒いコートと帽子をまとったロラン様だった。
彼は杖を片手にこちらへ近づいてくると、帽子を上げて微笑み言った。
「お帰りですか?」
「あ、はい。いえ、あの……ちょっと寄り道をしていこうと思いまして」
素直に私は、騎士の詰所に寄りたいことを伝えた。
「まあ、会えるかわかりませんけれど」
と言い、首を傾げて苦笑すると、ロラン様は目を見開いた後、ふっと笑い頷いた。
「そうですか。俺も同行していいですか? 帰りはお送りしますから」
「え、あ、はい。大丈夫ですけど……アルフォンソ、様にご用が?」
戸惑いつつ私が言うと、彼は言った。
「えぇ。家を出るとなかなか連絡を寄越さないのでこちらから行こうと思っていたのです」
「奇遇ですね、私も同じことを思っていました」
私の言葉にロラン様は苦笑する。あぁ、やっぱりそうなのね。私に対しても急に連絡寄越さなくなるけれど、ご家族にもそうなんだ。
「アルフォンソの悪いところですね。職務上、言えないこともあると思いますけれど、手紙のやりとりがふっととだえるのですよね」
「わかりますわかります。以前のドラゴン討伐も、しばらく連絡ないなぁ、と思っていたところに手紙が届いたので。その前はしょっちゅう会う約束していたというのに」
「あはは、そうだったんですね。貴方にもそれでは、俺たちに何の連絡も寄越さなくなるのは納得です」
そこは納得してはいけない気がするけれど、そうなんだろうな。
「なのでこちらから乗り込んでいこうと思いまして。両親もいつ挨拶に行けばと気にしておりまして」
「そんな気になさらなくてもいいですけど、まあ、一般的にはそうなりますよね。うちも父が今領地に行ったままなのでそうなると俺が対応することになるんですよ」
あー……そうか、そうなるのね。
職場の上司に両親と結婚の挨拶に行くのってなんだか複雑な気持ち。
「立ち話もなんですから、行きましょう」
「そうですね」
頷き私たちは連れだって、馬車へと向かった。
まず私の迎えに来た馬車に、ロラン様に送っていただくことを伝えて先に帰ってもらい、ロラン様の馬車に乗せていただく。
正直、私がひとりで行ったとして中にいれてもらえたか不安だったので、ロラン様がいっしょでほっとする。
「アルフォンソとは会っていないのですか?」
「ランタン祭りでご一緒したきりですね」
だからもう、三週間くらい会っていないと思う。
その前に一週間も一緒に過ごしていたし、その前も毎日会っていたわよね。
いつもながらこの温度差がすごい。
「そういうところがよくないと思うんですよね」
と言い、ロラン様はため息をつく。
その様子を私は苦笑して見つめるしかできなかった。
私もそこまで気にはしていないけれど、でも結婚の話は進めないとなのよねぇ。面倒事も多いけれど。家と家との話にもなるし、特にアルフォンソの家は貴族だからいろんなしがらみがあるだろう。
あ……考えただけでちょっと憂鬱になるかも。
住む家とかどうなるのかな。
騎士の収入とかしらないし……どうなるんだろう……メイドとか何人雇えるのかな……
そんな事を考えているうちに、騎士の詰所に馬車がつく。
馬車を下りた私たちは受付で手続きを済ませて、通路を歩く。
面会室、というところがあるそうで、係の人にそこで待つように言われた。
係の方がお茶を持って来てくれて、私たちはソファーに並んで座り、アルフォンソが来るのを待つ。
面会室には暖炉があって、ぱちぱち、と薪が弾ける音がする。
窓の外はすっかり暗くなっていて、わずかに星が見えた。
お茶が入ったカップを手に取った時、ロラン様が言った。
「それで結婚式の日取りですが」
「ロラン様、気が早いです」
さすがにまだ結婚式の日取りを決める段階にはない。その前に決めることがあると思うのよ。
私の突っ込みに、ロラン様は顎に手を当てて、首を傾げつつ言った。
「それを決めて教会を押さえておけばもう、動くしかなくなると思ったんですけど」
「その考え方を否定いたしませんが、どうかと思います」
ロラン様、こんなちょっと愉快な人だったっけ。
「そうしないと、アルフォンソは今の状況に安心してなかなか動かない気がするんですよね」
「そう、なんですかね」
「早く囲い込みたいのであれば、もう結婚の日取りを決めていると思います」
「それはさすがにやり過ぎな気がしますが」
そんな話をしているうちに、扉を叩く音が響いた。
そして現れたのは、黒いマントを纏ったアルフォンソだった。相変わらず眼帯をしているけれど、もう片方の目で私を見つめ、嬉しそうに微笑んだ。
「いらっしゃい、パトリシア。兄上もご一緒だなんてどうされましたか」
「アルフォンソ、君が結婚の話を決めないからそれを決めに来たよ」
そう、にこやかに言ったのはロラン様だった。
いや、それ私の台詞……いや、そこまで私、言うつもりはないけれども。
ただ、会えないからどうしているのか話をしたかっただけだし。
ロラン様の言葉に、アルフォンソは微笑み頷く。
「その事ですか。考えていますよ、お兄様」
「え、そうなんですか?」
驚いた私は、目を見開いて彼を見る。
「えぇ、手紙より直接会って話そうと思っていたんですが、仕事があかなくて、手紙を書いていたところです」
「だったら今決めてしまおうよ。アルフォンソにしてはずいぶんと気が早いし大胆なことをすると思っていたけれど、そういうところが悠長すぎると思うよ」
と、少し呆れた様子でロラン様が言う。
悠長、かな、そうね。そうかも。
「というか突然連絡しなくなりますよね、アルフォンソって」
「あぁ、確かにそうですね」
「ふたりして何なんですか。俺が何もしていないわけないじゃないでしょう。教会の神父様に話は通していますし、日にちはおさえていますから」
さらっと予想外の事を言われ、私は思わず固まってしまう。
なんですと?
私は瞬きを繰り返し、アルフォンソを見つめる。
彼が見ているのはロラン様の方だ。
彼はまじめな顔で言葉を続けた。
「春……四月の終わりにルミルアの祭りがあるでしょう。その後に、と思って教会側に予定を確認しています」
あ……ルミルアの祭り。
そう言えば行けたら行きたい、という話をしたような……
彼は私の方を向き、言った。
「それに三月の終わりから四月にイベントがありますよね。なので六月ごろが妥当かと思ったのですが、いかがですか、パトリシア」
ろ、六月……っていうと、五か月後か……
断る理由も見当たらず、特に予定もないはずなので私はその申し出に頷いた。
「あ、はい、あの、大丈夫です」
そう答えると、アルフォンソは安心したように笑う。
「ならよかった。あとは両家の挨拶ですよね。父に連絡をとったところ先日返事があり、しばらくは帰ってこないということでした」
「あぁ、なので俺の方で対応するよ、アルフォンソ」
なんだかどんどん話が決まっていく予感?
私ひとりぽかん、としていると、ロラン様が話しかけてくる。
「家に行くのは気を遣われるでしょうから、どこか場所を用意しますよ、パトリシアさん」
「え? あ、あのえ?」
何を言われているのかわからず、変な声が出てしまう。
「両家の挨拶ですよ。父の代わりに俺と母でご挨拶することになりますが、その事、お父様にお伝えください。日程についてですが……」
「あ、えーと、あの、休みの日でしたらいつもで、と言っていました」
「わかりました。色々予定もありますでしょうから、なるべく早めに決めますね。それとアルフォンソ」
「はい」
「そういう大事なことはちゃんと話し合って決めようね。どうもアルは、彼女のことについては暴走しがちだから少し心配だよ」
そう言われたアルフォンソは、なんだかばつが悪そうな表情になり、
「それは……はい」
とだけ返事をした。