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第108話 翌朝

 昨夜は夢を見ていたのかもしれない。もしかしたら、だけど。

 それくらい昨日の出来事はどこか現実味を感じなくて、身体の違和感も自分の事ではないような感じだった。

 でも確かにある、生々しい感触。

 朝目が覚めて、当たり前のように隣にアルがいて私の顔を見つめていた。

 驚いて声も出ない私の頭にそっと触れ、彼は幸せそうな笑みを浮かべて言った。


「おはよう、パティ」


「あ、あの……お、おはよう」


「寒くない?」


「え? えぇ、大丈夫、ですけど」


 室内は暖かいし、布団も暖かい。なんでそんなことを言うのかと思って私はハッとした。

 そうだ私、服、着ていない。

 ……お、落ち着いて私。だって昨日の事を思い出したらそりゃ、服を着るわけがない。そんな流れはなかったもの。だからつまり、アルも裸、よね。

 大丈夫。裸で寝ているだけじゃいの。

 そう言い聞かせて私はアルの顔を見た。


「あぁ、それならよかった。朝目が覚めて君がいて嬉しいよ」


 そう言った後、彼は私の唇にそっと触れた。

 本当に触れるだけのキスだ。


「あ、当たり前じゃないの。だって、一緒にそのまま寝ちゃったし」


「君の事だから夜中に目を覚まして部屋に戻るかと思ったから。あの時みたいに」


「だからそれは忘れてくださいお願いだから」


 あの、酔って裸で寝た事件は私にとって黒歴史だ。開き直る余裕すらない。


「もう、その話はいいから。えーと、目が覚めたから私、部屋にもど……」


 ろうとおもう、という言葉は彼のキスに奪われてしまう。

 触れるだけのキスの後、彼は私の背中に腕を回し、


「もう少ししていたい」


 と、吐息交じりの声で言った。

 いや、そんな声で言われるとなんだかきゅん、としてしまうんだけど、何これ。

 そんな力強く抱きしめれていたら逃げることもできない。だから私は諦めてそのまま彼の腕の中におさまっていることにした。

 とはいえ裸同士なのよね……その事実が私の中に恥じらいを産む。

 暖かいけどね……でもあの……


「当たってるんですけど……」


 恥ずかしさを抑えつつ呟くように言うと、彼は苦笑して言った。


「生理現象だからね。コントロールできるものではないし。でも」


 彼は私の顔をじっと見つめて、何かを企んでいるような笑みを浮かべる。


「俺は今すぐ君と繋がりたいって思っているよ」


 朝から何を言っているのかしら、この人は?


「いや朝だから。無理だから」


 そう極力冷静に答えて、私は彼の胸を軽く手で押した。

 すると彼は一瞬残念そうな顔になったかと思うと、不意に私の額に口づけてきた。


「ちょ……」


 額、まぶた、頬、そして唇とキスの雨が降る。


「アル……やめ……」


 そんな抗議の声はキスによって奪われてしまう。

 これは本当に抱かれてしまいそうな展開では? 朝からそんなつもりはないのに私の身体の奥が熱くなっていくような感じがする。

 なにこれ……どういうことなんだろう。


「あ、アル……」


「その声、もっと聞きたい」


 興奮した様な上ずった声で言い、彼は私の首や胸に口づけを落としていった。



 結局、流されてしまった。

 その事実に心も体も重い。

 今は朝の六時前。

 アルの部屋を抜け出した私は、着替えていそいそとお風呂へと向かった。

 温泉があるってほんと、最高よね。

 お風呂に入っていると、誰かが入ってきた物音が響く。

 このお城でこの時間、女性用のお風呂に入ってきそうなのはひとりしかいない。

 案の定、現れたのはマルグリットさんだった。

 彼女は湯船に浸かる私の姿を見つけると、微笑み言った。


「あら、パトリシアさん、おはよう」


「おはようございます、マルグリットさん」


 軽く挨拶を済ませた後、彼女は身体を洗い始めた。

 私はそんな彼女から顔を反らし、今日の予定を考えていた。

 今日はゆっくりしていていいと言われているから、図書館に行きたいな……いや、城内の探検も捨てがたい。

 あぁ、したいことが多すぎるのよね。

 このお城に、伝説とかないのかな。

 幽霊が出るとか、夜な夜な泣き声が聞こえるとか。

 ……ないか、そんな都合のいい話。

 そもそも私はミステリーを追いかけにきたわけじゃないじゃないの。

 そんな妄想をしていると、水音が響きマルグリットさんが入ってきたことに気が付く。

 湯煙の中、彼女は私の隣に来ると優しい笑みを浮かべて言った。


「昨日はお疲れ様」


「あ、えーと、お疲れ様でした」


 言いながら私は軽く頭を下げる。


「伯爵ったらずいぶんとお酒をたしなんで。パーティーのあと皆さんが帰られてから突然泣き出したのよ」


 と、笑いながら言う。

 そ、そんなことあったのね。


「アルフォンソ、何と言ってもあの見た目だし苦労してきたから」


 マルグリットさんはそう、ほっとした様な声で告げる。

 以前にも言っていたっけ。肌の色の事で実の子じゃないと疑われたって。

 以前彼のお母様にご挨拶した時もそんなことを言っていた。

 確かに全然似てないのよね。アルフォンソの見た目だけが家族の中で異質。

 私の想像を超えた苦労があったんだろうな。


「でも、それでも婚約が一度決まったわけですよねぇ」


「えぇ、まああの見た目だから伯爵が焦っていた、というのもあったんだけれど。あちらも貴族だし問題ないと思っていたのよね。そうしたら……」


 そこでマルグリットさんはまた、息をつく。


「どうもあちらのお嬢さん、『金髪じゃないと嫌だ』と言い出したとかでそれであんなことになったって……」


 そしてまた、ため息をついた。

 ……ん? 今なんておっしゃいました?

 何とも言えない沈黙が、私とマルグリットさんの間に流れる。

 遠くで鳥が鳴いているような気がするけれど気のせいだろうか。

 私はマルグリットさんが言った言葉を頭の中で繰り返しそして、彼女の方をゆっくりと向いて言った。


「えーと、なんておっしゃいました?」


「後であちらのおばあ様から愚痴を聞いたのよ。金髪の男性と結婚したかったからあんなことをしたって」


 あーなるほど。

 結局アルフォンソの見た目が理由でフラれてしまったって事なのね。

 酷い話。

 私にとってもだけど。


「嫌な話ですね」


「そうね……私も複雑な気持ちだったし、あちらのおばあ様も複雑な顔をしていたわね」


 婚約破棄の真相を聞いてよかったのか悪かったのか。気分はよくないけれど、結局はそういう人だったって事よね。

 金髪がいいって、私には全然意味わかんないけど。アルフォンソが見た目で苦労したことを考えると、そう思っている人は潜在的に多いのかもしれない。

 マルグリットさんは呆れたような顔をして、言葉を続けた。


「あせって決める必要はなかったのでしょうね。そのせいでアルフォンソの心を無駄に傷つけてしまったような気がして。それにあなたも」


 そしてマルグリットさんは、申し訳なさそうな顔で私を見る。

 あ、そうか。結果的に私の元婚約者と浮気してるし私も他人ごとではないのよね。

 私は慌てて首を横に振り、


「いや、あの、私はその……大丈夫ですよ。確かにあの、婚約破棄はショックでしたけど。でもそういう人だったってわかって結婚する前に別れられましたし。それにそのことがあったから私、アルフォンソと出会えましたから、今幸せですよ」


 そう私が答えると、マルグリットさんはほっとした様な顔になる。


「ありがとう、パトリシアさん。あの子を受け入れてくれて」


 それについては少々疑念があるのよね。

 絶対私、彼の掌の上で踊らされ続けたって。

 でももういいや。今、私が抱いている彼への想いは本物だから。


「今日はゆっくりしてね、パトリシアさん。春のお祭り、存分に楽しんで」


「はい」


 そう笑顔で答えると、マルグリットさんも安心した様な笑顔で頷いた。

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