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第38話

まさに絶好のお散歩日和である。太陽は優しく地上を照らし、風は心地よく頬を撫でる。

なんとも素晴らしい天気。ハイエルフの姫様が優雅に散歩するのに相応しい日和と言えるだろう。


──もし、私の頭の中がヴァンパイアという化け物との縁談で一杯になっていなければ、の話だが。


「はぁ……」


この完璧な天気に似つかわしくない溜息が、私の口から漏れる。


「姫様、どうなされましたか?」


私の横を行く付き人であり、永遠の保護者でもあるセルシルが、親のように声をかけてくる。

本来なら、こんな素晴らしい天気の下でのんびりと散歩を楽しみたいところなのに。

しかし、ダレス先生の「化けも……」という言葉が、ゾンビのように私の頭の中を這い回って離れない。


「セルシル……いえ、なんでもないのです」


私は作り笑顔を浮かべてセルシルに微笑む。

お人形のような、完璧すぎて逆に不気味な笑顔だ。

セルシルに心配をかけたくないという建前と、誰かにこの不安を吐き出したいという本音が、私の中で醜い争いを繰り広げていた。

まさに、私の心の中で小規模な大戦が勃発している状態である。


「姫様」


しかし彼はその薄っぺらな演技を見抜いたのか、長年の経験から真実を読み取るように目を細める。

そして私との距離を縮めると、慈愛に満ちた瞳を向けてきた。


「姫様……私にはお隠しにならずともよろしいのです。これでも姫様の御世話をさせて頂いている身でございます。私は姫様の為に存在し、そしてこうして侍っているのですから」


その真摯な眼差しに、私はなんだか胸が熱くなってしまう。

この世界には狂った兄に、危険な弟、娘を政略の道具にしようとする父など、理不尽な輩が多すぎる気がする。

しかし、セルシルだけは違う。彼だけは心から信頼できる存在だ。

私にとって彼は、実の祖父のような、この狂った世界における唯一の安息なのだ。


「セルシル……ありがとうございます。では、少しお話を聞いてくださいますか?」


私は迷いを断ち切るように、心の内を打ち明けることを決意した。


「実は、また縁談があるらしいのですが、今度の縁談相手はヴァンパイアの王子で……」


私の言葉が終わらないうちに、セルシルの体がビクリと反応する。

彼は死刑宣告を受けたかのように喉を鳴らすと、この上なく深刻な面持ちで口を開いた。


「……もしかして、ルナフォール公国で御座いますか?」


ルナフォール公国……?

あぁ、そう言えば先ほどのダレス先生も同じ事を口にしていたような。

彼も同じように青ざめた顔で、何か言いかけては言葉を飲み込んでいたっけ。


「はい。ルナフォール公国の王子……と私は聞いていますが」


その瞬間、セルシルの体が震え始めた。

真冬の寒風に晒されているかのように、ガタガタと震える。

そして次の瞬間、彼の額から滝のような汗が噴き出す。


(え、なに?どしたのセルシルさん?)

(なんでみんなこんな反応するの?)

(セルシルまでこんな態度を取るってことは、これはマジでヤバい何かがあるってこと?)


私の不安は、見る見るうちに膨れ上がっていく。


「ルナフォール大公の子息……?あの化け物の、息子……?」


セルシルは悪夢でも見ているかのように呟いた。


「え?化け物?今化け物って言いました?」

「あ、いえそんな事は決して」


セルシルは慌てて言葉を否定するが、もう遅い。

私の長い耳には確かに聞こえたのだ。


(今絶対言ったよね!?化け物って絶対言ったでしょ!?)

(もしかして化け物界隈では有名な御方なの!?)

(やばくない?これ普通にやばくねぇ!?)


私の頭の中では、警報のサイレンが鳴り響いている。

ダレスの時となんか似たような展開になってきた。


「セ、セルシル?ルナフォール公国のヴァンパイアというのは一体どのような方々なのでしょうか?」


私は怯えながらも、知らなければならない真実を求めて問いかける。

その声は、自分でも気づかないうちに震えていた。


「うぐ……!」


セルシルは苦しそうな声を漏らす。

口にしてはいけない禁忌に触れるかのような表情だ。

しかし、彼は意を決したように私を見つめると、おもむろに語り始めた。


「ルナフォール公国……その国の支配者はルナフォール大公カルネヴァーレ。ヴァンパイアの始祖の一人であり、私が知る限り、二番目に残忍な存在……」

「えっ……」


私は思わず言葉を失う。

二番目に残忍?なんだその順位付け?

というか、残忍さにランキングがあること自体が既に恐ろしいんだけど。


「奴等は残忍を極め、先の大戦時にはヴァンパイアが通った後には生命の痕跡すら残りませんでした。奴等にとって他種族はただの餌であり、その血を啜る様はまさに化け物……」


セルシルの言葉に、私は思わずゴクリと唾を飲み込む。

聞いてはいけない禁忌の話を耳にしているかのような感覚。

全身の震えが止まらない。


「その中でもルナフォール大公の一族は残虐を極めた外道であり、奴は悪魔をも凌ぐ吸血鬼と謳われました。奴等は血を求めて他国を滅ぼし、その血を啜ってきたのです」


セルシルの言葉が突き刺さった瞬間、私は頭を殴られたような衝撃を受けた。

え……ちょっと待って?そんなやべー奴らとお見合いするの?

私が!?普通の恋愛もままならない私が!?これ完全に死亡フラグじゃない!?


「そ、そんな……」


私が絶望に打ちひしがれていると、セルシルは「しまった!」という顔で慌てて私の顔を覗き込んでくる。


「も、申し訳ありません姫様!貴女様を怖がらせるつもりは……!」

「嫌です……もうお見合いなんかしたくありません……」


私はその場に崩れ落ちるように蹲り、すすり泣き始める。

ドワーフとの縁談はまだしも、本物の化け物とお見合い?そんなの無理に決まってる。

セルシルはそんな私の前に膝をつくと、取り返しのつかない失態を犯してしまった執事のように申し訳なさそうに呟いた。


「し、しかし今度の縁談は大公本人ではなく、その息子でしょう!?親はアレですが、息子は優しい王子かもしれませんぞ!?」


その必死の言い訳が、逆に状況の深刻さを際立たせる。

だって、「親はアレですが」って時点で相当やばい。

「アレ」という単語で表現せざるを得ないほど、その親の存在が恐ろしいってことを示唆している……。


「そ、そうですよね……。親は親、息子は息子。親が残虐極まりない化け物でも、王子は天使のような優しい青年かもしれない……」


私は必死に自分を納得させようとする。

そう、カイナブル王子だって意外と……というかこの世界では一番の常識人だったじゃないか!

希望はあるはず!つーかそうであってくれ!!


「ん……?しかし大昔に見た大公の子供たちは負けず劣らずの残忍極まりない化け物だったような……じゃあ今回の王子もやっぱり……」

「うわあああああん!!!!」


私は地面に崩れ落ちて絶叫する。

どうしてそんなことを言うの!?希望の光が見えた瞬間に、なぜそれを打ち砕くようなことを!?


「お、落ち着いてください姫様!大丈夫です!もし何かあれば私が命に変えてもお守り致します!」


セルシルは必死に私を励まそうとするが、その言葉が逆に不安を煽る。

だって、このご高齢の執事に一体何ができるというのだろう。

私は涙目でセルシルの姿を観察する。


「……」


うん、やっぱり駄目だ。すげぇ弱そう。

5秒どころか1秒ももたないだろう。というか、時間を数える暇すら与えられなさそうだ。

化け物に襲われたら、「えっ?」って顔をする間もなく消し飛ばされるタイプの老執事にしか見えない。


「うっうっ……こうなったらお兄様とカフォンに同席して貰うしかありません……」


私は啜り泣きながら、最後の砦とも言える狂った兄と危険な弟の名を口にする。

まさか彼らに頼ることになるとは。

しかしそんな私の言葉にセルシルは頬を引き攣らせ、呟くように言った。


「カ、カフォン様はともかく、アイガイオン殿下は……その、できれば同席なさらない方が城の修理費がかさまずに済むかと」

「え?どうして?」

「アイガイオン様とルナフォール大公は大戦時に何度も殺し合った仲でして……。アイガイオン殿下は大公の親族を何人も華麗に抹殺なさっておりますので、お会いになった瞬間、この素敵な城が戦場と化す可能性が極めて高いのです」


え、どうしてドワーフよりも仲悪いん。どうなっちゃってんのこの国。

つーかエルフと仲良い種族なんているのか?あぁ、いたな。妖精さんとかいう、よく分からない存在が……。

むしろヴァンパイアの大公とかいうやつの神経を疑う。普通、殺し合いしまくった相手の妹に縁談の話持ち掛けるか?もしかして化け物だから神経も存在しないのだろうか。

私の頭の中で疑問符が乱舞する。

これはもう縁談どころの話ではない。お見合いが戦場になりかねない状況なのだ。


「お兄様とルナフォール大公はそんなに仲が悪いのですか……?」

「それはもう。私の知る限り最も残虐な男がアイガイオン様ですし、お二人の気が合わないのは当然というか……あ、いえなんでもございませんぞ!」


セルシルは慌てて言葉を飲み込む。

兄の黒歴史を暴露しそうになって焦ったかのように。


「?」


今、セルシルが何か重要な情報を言いかけたような気がするが……まぁいいか。

これ以上真実を知ったら、私の精神が持ちこたえられる自信がない。

とにかく、今度の縁談相手は、「化け物」と呼ばれるヴァンパイアの中でも特にヤバい一族だということは分かった。

しかも兄の助力も得られないとなれば、残された希望はただ一つ。


カフォン──。


弟である彼に頼りっぱなしというのも情けない話だが、怖いものは怖い。

可愛らしい見た目をした最強の魔法使いである彼なら、きっと化け物から私を守ってくれるはず。

……どちらが本当の化け物なのか判断に困るレベルだが。


「それと、出来ればカフォン様も同席されない方がよろしいかと……」

「え?」


私は思わず声を上げる。

冗談じゃない。カフォンという私の最終兵器なしで、化け物と対面しろというのか?

それこそ羊を狼の檻に放り込むようなものでは?

しかし、私のそんな不安を更に深める言葉を、セルシルは絞り出すように告げる。


「その……ヴァンパイアの王子の方は存じ上げませんが……大公カルネヴァーレは……えーっと」


セルシルの目が落ち着きなく彷徨う。

そして、彼は覚悟を決めたように口を開く。




「──(邪悪な)魔法使いですので。魔法合戦が始まったら、城どころか国そのものが死滅する可能性が……」




セルシルの絶望的な単語が、私の長い耳から入り、脳で処理される。


その瞬間。


「うっ……」


私はふらりと倒れる。

なんて素晴らしい悪夢なのだろう。化け物の王子と、魔法使いの親。

私の人生、これ以上の地獄があるだろうか。


「ひ、姫様!?姫様ー!!」


セルシルの叫び声が中庭に響き渡る。もう立っている気力すら残っていない。


───あぁ、私の人生、どこで間違えたのだろう。

あぁ、そうか。この世界に転生した時点で間違ってたんだ。



ちくしょう。


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