目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

第39話

「……あら?」


私がなんとか正気を取り戻し、セルシルと共に散歩を再開していると、中庭の隅で見慣れた姿を見つけた。

木漏れ日の差す砂場で、誰かがうずくまって何かをしているのが見える。


「おや、あれはカフォン王子でございますね」


セルシルの言う通り、そこにいたのは噂をすれば現れるというカフォン君。

私の愛らしい弟であり、今や私にとって唯一の希望の光……。

いや、希望の光というには少々不適切か。「闇を制する闇」とでも言うべき存在だろう。

化け物の魔法使いから身を守るために、危険な魔法使いの力を借りるという、何とも皮肉な状況である。


「うーん……愛する弟との友好を深めるのと、今すぐ全速力で逃げるの、どちらが賢明な選択でしょうか、セルシル?」

「私からは何も申し上げられません。ただ、この老いた足が全力で逃げ出したがっているのは確かでございます」


私は考える。もし今度の縁談で彼の力を借りることになるかもしれない。そう考えると、今のうちから交流を深めておくのも悪くないだろう。

……非常に打算的な考えだが、神様どうか見逃してください。

私だって必死なのだ。化け物から身を守るためなら、弟との絆を利用するくらいは許されるはず。


「大丈夫よ。多分遊んでるだけだから。ほら、妖精さんと仲良くしてるし……」


砂場に近づくにつれ、彼の隣で戯れる妖精さんたちの姿も見えてくる。

その光景は、絵本から抜け出してきたような牧歌的な風景だ。

砂の城を作ったり、お堀を掘ったり──。まさに普通の子供がする遊びそのものである。


確かに時々危なっかしい部分はあるけれど、私が彼を溺愛しているのは間違いない事実。

たまに悪の親玉みたいな台詞を発したり、とんでもない残忍な表情をする時もあるが、それでも私の弟なのだ……。


「カフォン、何してるんですか?」


私が声をかけた瞬間だった。

カフォンの動きが突如として停止し、彼はスッと立ち上がると、妖精さんに向かって手を翳した。

その手のひらに、恐ろしいまでの魔力が集中し始める。

とてつもないエネルギーが空気中に満ち溢れ、私の肌がピリピリと痺れるのを感じた。


「えっ」


私もセルシルも、その突然の事態に反応することができない。

彼の掌は妖精さんに向けられており、驚くべきことに彼女は何が起きているのか理解できていないのか、首を傾げているだけだった。


(な、なにしてるの!?)

(もしかして妖精さんを魔法で粉々にしようとしてるの!?)

(何故!?なんのために!?)


「カ、カフォン!?」


私は必死で叫ぶ。

まさか平和な砂遊びの時間が、妖精さん抹消タイムに変わるとは。さすが我が弟、予測不能な行動力は天才級である。

すると、カフォンはようやく私の存在に気付いたのか、パッと顔を輝かせた。

甘いお菓子を見つけた子供のように、その表情が途端に明るくなる。


「あ、姉さま!」


なんて可愛らしい笑顔なんだ。本当に天使みたいで思わず抱きしめたくなる……♡


──って、今そんなことを考えている場合じゃねぇ!


私は自分の頭を小突いて、危険な思考回路をリセットする。

急いでカフォンの元へ駆け寄り、彼の前にしゃがみ込んだ。

紅い瞳と向き合えば向き合うほど、この可愛らしい見た目と残虐性のギャップに目眩を覚えるが……姉として問いたださねばなるまい……。


「カフォン、一体どうしたの?突然妖精さんに向かって魔法を放とうとするだなんて……」


私の言葉に、カフォンは一瞬だけきょとんとした表情を浮かべる。

「何を言っているんだ?」とでも言いたげな、純真無垢な困惑の表情。

そして彼は「あぁ」と手を叩くと、妖精さんの方に目を向けた。


「この子とね、少し話をしていたんですよ」


……話?妖精さんと?

私は思わず目を疑う。

妖精さんには申し訳ないのだが、基本的に彼女達と実のある会話というのは不可能に近い。

彼女達は端的に言えば頭が悪い。かなり悪い。

いや、もっと正確に言えば、脳味噌が付いているのかすら疑わしいレベルで悪い。

「三つ葉のクローバーを数える」ことを提案してくる知能レベルの存在と、一体どんな建設的な話が出来るというのだろう。


「話……ね」


世にも賢い、上位妖精なる存在がいるらしい……と聞いたことはあるけれど、残念ながら私はまだそんな妖精さんにお目にかかったことがない。

目の前でカフォンに抹殺されかけた妖精さんを見れば、間違いなく下位の妖精さんだと分かる。

だって、その表情からして頭がクソ悪そう……いや、知的な印象があまり感じられないというか。

だからこそ、カフォンと妖精さんが会話を交わしていたという事実が、どうにも信じがたい。

我が弟は幼い見た目とは裏腹に、驚くほど聡明な少年なのだ。

そんな彼が妖精さんと、まともな会話が成立するとは思えない。


「どんなお話をしていたの?」


私は首を傾げながら尋ねる。

この会話の内容次第では、私の妖精観が大きく変わるかもしれない。


「えっーと……」


カフォンは一瞬言い淀むと、頬をぽりぽりと掻きながら、苦笑いを浮かべた。


「ほら、僕って少しだけ……そう、ほんの少しだけ子供っぽくないでしょう?少しでも年相応の子供っぽく見せる為にどうすればいいかをこの子に聞いていたんですよ」


なるほど。『少しだけ』子供っぽくない、か。我が愛しの弟ながら実に控えめな表現をするものだ。

確かにカフォンは少しだけ……そう、ほんの『少しだけ』子供っぽくない。

その『少しだけ』という表現が、何とも皮肉めいて聞こえる。

それは例えば、妙に大人びた言葉遣いとか、人を殺せる程度の魔法が使えるとか、そんな些細な違いの話ではない。

もっと根本的な部分で、彼は子供という概念からかけ離れているのだ。


「それはね、カフォン。大人っぽいとか子供っぽいとかそんな事は気にしなくていいの。貴方らしくあれば、それが一番だと私は思うわ」


私は彼の頭を優しく撫でながら微笑む。これは建前でも何でもない、私の本心だ。

彼が本当の意味で『子供』なのかどうかは置いておくとして……子供っぽくないのはどうしようもない事実なのだから。

しかし、カフォンは納得していないようだった。

その紅い瞳には、何かを訴えかけるような色が宿っている。


「ですが……僕としてはもっと子供っぽくなりたいのです」

「どうして?無理して自分を偽る事はないでしょう?」


私がそう問いかけると、カフォンは真っ直ぐな瞳で私を見つめてきた。

そして、大切な宝物を扱うかのように、そっと私の手を取る。


「だって……その方が姉さまも好きでしょう?」

「はぇ」


私は思わず奇妙な声を漏らしてしまった。

そ、そんな理由で無理して自分を変えようとするなんて……。


なんて健気な弟なのだろう。


これはもう、ある種の愛の告白とも取れる言葉だった。

私もカフォンのことが大好きなので、不覚にも胸がときめいてしまう。


──まぁ、兄が同じセリフを言ってきたら即座に「キモッ!!」って叫ぶけど。


「それで頭の弱い……じゃなくて、お子様な妖精さんたちに聞けば、子供らしさのコツが分かると思って話を聞いていたんですよ」


カフォンの説明に、私は思わずクスリと笑ってしまう。

なるほど、つまりカフォンは妖精さんたちに子供っぽさの秘訣を学ぼうとしていたというわけか。

確かに妖精さんたちは子供っぽくて、無邪気で、純粋な存在だ。

まぁ、脳みそが空っぽとも言えるのだが。

ということは、彼が砂場で遊んでいたのも、全て子供らしく見せるための演技だったというわけね。

なんだか泣けてくるような話じゃないか。私の愛情度が更に上がってしまう。


(なんて健気な子なんだ、カフォンくんは……)


他人を粉々に出来る魔力を持っているくせに、こんなに可愛らしい一面を見せてくれるなんて。


「でも、この蚊とも蠅ともつかないクソ虫……あ、いえ、この妖精さんは、とんでもなく失礼な事を僕に言うんですよ」

「失礼な事?」


私は不思議に思って妖精さんの方を見る。

すると彼女は、自分の言葉が持つ重みを理解していないかのように、けらけらと笑いながらカフォンに向かって言った。


「カフォン王子見てるとさー!悪魔が必死に子供の振りしてるように見えて、マジウケるんだよねー!」


その瞬間であった。

眩いばかりの光が辺りを覆った。

太陽が地上に落ちてきたかのような閃光が、私の視界を真っ白に染め上げる。

私は思わず目を細めながら、顔を背ける。

やがて光が収まると、そこには──。

ぶすぶすと煙を上げて倒れている妖精さんと、そして何事もなかったかのように晴れやかな表情を浮かべるカフォンの姿があった。


「よ、妖精さん!?」


私は慌てて倒れた妖精さんを抱き上げる。

彼女は最期の言葉とでも言うように、か細い声で呟いた。


「き、鬼畜王子がキレた……悪魔王子がキレた……」


そう言って、妖精さんはガクリと首を垂れ、意識を失った。

カフォンが放った一撃は、想像を絶するものだったらしい。

周囲の土は深々と抉れ、妖精さんのいた場所には立派なクレーターが出来ている。

隕石でも落ちてきたかのような惨状だ。

私は恐る恐る、カフォンの方を見やる。


彼は笑っていた。


それはもう、春の日差しのように晴れやかな笑顔。

その無邪気な表情と、目の前の惨状のギャップに、私は思わず背筋が凍る。


「全く、妖精というのは本当に口の悪い羽虫です。姉さまの教育上よろしくない言葉をペラペラと喋って……これはきっと天罰なんですね」


カフォンは気を失った妖精さんを抱きかかえる私を見つめながら、当然のことを述べるかのように言う。

その紅い瞳は氷のように冷たく、私は思わず背筋がゾクリとした。


(こ、この子は何か根本的に間違っている……)


私はそう直感したものの、その考えを口に出す勇気はなかった。


「でも安心してください姉さま。僕は変わります!子供っぽくなる為にも精神を鍛えてもっと心を無にしてみせますから!」

「そ、そう?頑張ってね……」

(いやそれ既に子供の思考じゃねぇだろ……)


精神を鍛えて心を無にする?

それはもはや子供らしさの真逆を行っているような。

でも、そんな突っ込みを入れる勇気が私には到底なかった。

だって、目の前には妖精さんという生きた証拠が横たわっているのだから。


「──ねぇ、セルシル。僕は悪魔に見えるかい?」


ぐるんと。

ゼンマイ仕掛けの人形のように、カフォンの首が不気味に回転する。

その紅い瞳が、私の横でひっそりと佇んでいた──いや、ひっそりと隠れていたセルシルに向けられた。


「ひぇっ!?」


紅い瞳に射抜かれ、セルシルの身体がびくりと震える。

さすがは長年の経験を持つ老執事、こんな時でも上手に震えることができる。


「い、いえ、カフォン様は悪魔などではありませんよ」


その言葉は見事なまでに震えていた。

嘘をつく時の演技としては、実に素晴らしい出来栄えだ。

というか、セルシルの全身が見事な演技を披露している。

まぁ演技じゃないんだろうけど。


「そうですよね。この可愛らしい僕が、悪魔みたいなゴミカスと一緒な訳ないですよねぇ」


セルシルの言葉にカフォンは満足気な表情を浮かべた。

さすが老執事、主人の機嫌を取る技術は一級品である。


──しかし次の瞬間、カフォンの表情が人形のように無表情に変化する。


「カ、カフォン様は悪魔如きでは収まらない存在……まさに魔王と言ったところ……あ、いえなんでもありま……ぶふぅあああ!?」


その瞬間。

セルシルの身体が破壊力抜群の『謎の力』を受けて吹き飛んだ。

ダンプカーに轢かれたかのような──いや、それ以上の衝撃で、彼の身体が宙を舞う。

そして地面に叩きつけられると、壊れた人形のように動かなくなった。


「セ、セルシル!?」


私は急いでセルシルの状態を確認する。

老人だというのに、こんな素敵な衝撃を受けて即死を免れたとは、さすがは我が執事。

一体どんな力で吹き飛ばされたのか……。

いや、犯人は明らかなのだけれど、そこには触れない方が賢明だろう。

そしてカフォンは無表情のまま、言った。


「おや、セルシル。どうしたんです急に吹き飛んで。不思議な事もあるものですね」


彼は首を傾げ、困惑の演技を見せる。

そう、演技……。


「えーっと……今のはカフォン、貴方が……あ、いえなんでもないわ」


私は一瞬考えたが、今はそんな些細な疑問を追及している場合ではない。

このままでは、セルシルが本当に天国行きの切符を手にしかねないのだ。


「それはそうと……カフォン!」


私が必死の思いで呼びかけると、彼の無表情な顔が劇的に変化した。

お面を付け替えるかのように、完璧な子供らしい笑顔を浮かべて私を見つめてくる。


「どうしましたか?姉さま?」

「お願い!貴方の魔法でセルシルを助けてあげて……!」


私は必死に懇願する。

セルシルは私にとって大切な存在で、ほとんど家族同然なのだ。

なぜ突然吹っ飛んだのかは分からない。いや、分かっているけど触れてはいけない。

とにかく治療が必要なのは間違いない。

カフォンは一瞬、演技の間を取るかのように考え込むような素振りを見せた。

そして、天使の羽を背負っているかのような、眩しいほどの笑顔を私に向ける。


「分かりました、姉さま。他ならぬ姉さまの頼みなら、僕はなんでもしますからね」


その笑顔は、先ほど妖精さんを吹き飛ばした時と全く同じ。

なんだか背筋が寒くなるような、そんな完璧すぎる笑顔だった。


「良かった……」


その返答に私は安堵の溜め息を吐く。

やはりカフォンはいい子だ。妖精を消し飛ばそうとしたり、老執事をふっ飛ばしたりする以外は。

彼はセルシルに近づくと手を翳し、最強の魔法使いらしからぬ呪文を唱えた。


「痛いの飛んでけ~」


あ、やっぱりそれなのね。カイナブル王子を助けたのと同じ、ずっこけそうになる魔法……。

しかし、その子供じみた呪文とは裏腹に、セルシルの身体が神々しい光に包まれる。

そして次の瞬間、セルシルは目を開けた。


「……はっ!姫様……私めは一体何を……?」


なんという完璧な治療魔法。

可愛らしい呪文から繰り出される、この恐ろしいまでの魔力。

魔法の詠唱だけは子供らしさが溢れているというのに……。


「セルシル……良かった!」


意識を取り戻したセルシルを見て、私はほっと息を吐く。

なんだか色々とあったけれど、とりあえず魔法は効いたみたいで良かった。

そんなセルシルに対し、カフォンは天使のような──いや、この状況で天使という表現を使うのは何か違う気がするが、とにかく満面の笑みで言った。


「おはようセルシル。急に倒れたから心配したよ。身体は大丈夫かい?」


そう言って、カフォンはセルシルに手を差し出す。

その光景に、私は思わず涙ぐんでしまった。


──なんて慈悲深い子なんだカフォンくんは……!


自分でセルシルを吹っ飛ばしておいて、今度は優しく手を差し伸べるなんて……。

素晴らしい二面性。さすが我が家の血を引く者……。まだ『子供』なのに、こんなにも完璧な演技ができるなんて!

素晴らしいわ。素晴らしすぎて、お姉ちゃん身体が震えてるけど。


私だけでなく、セルシルもまた「感極まって」言葉が出ないようだ。

いや、正確には「感極まった」のか「恐怖で固まった」のか、判別がつかないが。


「あ、ありがとうございます。カフォン王子のお陰で私はもう元気いっぱいです」


セルシルは震える声でそう言った。その「元気いっぱい」という表現に、どこか切実な響きが感じられる。


「うん、それは良かった」


カフォンは天使のような笑顔を浮かべると、セルシルの手を取った。

そして立ち上がり、何事もなかったかのように一緒に歩き始める。

その姿は遠目から見れば、祖父と孫のような微笑ましい光景に映るのだろう。

もちろん、数分前に孫が祖父を吹っ飛ばしたという事実を知らない人にとっては。


「カフォン……なんていい子なの……」


この子は聖人の生まれ変わりではなかろうか。いや、むしろ聖人以上の存在かもしれない。

だって普通の聖人は、人を吹っ飛ばした後にここまで完璧な優しさを演じられないだろうから。

彼は素晴らしい魔法使いになるだろう。きっと将来は歴史に名を残すような大英雄に──。


いや、もしかしたらそれ以上の、誰も近づけないような存在になるかもしれない。色んな意味で。


そんな不吉な予感がした。




♢   ♢   ♢




「……」


そんな微笑ましい光景を、近くから見つめる視線があった。

それは先ほどカフォンに「天罰」を下された妖精さんである。

彼女は気絶したフリをしながら、この一部始終をつぶさに観察していた。

セルシルを吹っ飛ばし、そしてそれを治癒するという、完璧な自作自演のような光景を。

子供らしさを追求するはずが、どこまでも歪んでいく少年の姿を。

妖精さんは、悪夢を見ているかのように震えながら、誰にも聞こえぬように小さく呟いた。


「だ、大魔王……」


そうか、これが彼の考える「子供らしさ」なのか。

妖精を気絶させ、老執事を吹っ飛ばし、そして完璧な笑顔で手を差し伸べる。

まさに、魔王の片鱗とでも言うべき振る舞い。

カフォンが大魔王と呼ばれる日も、そう遠くはないだろう。

そして彼は、きっとその時も天使のような笑顔を浮かべているに違いない。

妖精さんは、この世界に現れつつある新たな「恐怖」を目の当たりにしながら、そっと目を閉じた。




今度は本当の気絶である。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?