華やかな薔薇園に囲まれた社交場。
紅茶の香りと共に、エルフたちの優雅な笑い声が響き渡る。
ノーブルエルフたちの姿は、まさしく「上品」という単語の擬人化と言えるだろう。
「素晴らしいお天気ですわね」
「本当に。世界樹様の恵みを感じますわ」
「このお茶会にふさわしい日和ですことね」
彼らの会話は、砂糖一杯のお菓子のように甘ったるい。
実に上品で洗練された言葉の応酬。これぞエルフの貴族たちによる社交界──。
(──って、誰が見たって作り笑顔じゃない)
ノーブルエルフ達が優雅にお茶を楽しむ中、私ことエルミア姫は豪華絢爛な椅子とテーブルの前で、この茶番劇を眺めていた。
彼らの会話は台本通りに進んでいる。「お天気」「世界樹」「素晴らしい」。この三つの単語があれば、エルフの社交界では生き残れるらしい。
「エルミア姫様。本日は貴女様の貴き御姿を拝見出来て光栄でございますわ」
向かいの席から、ある貴族の令嬢が話しかけてくる。
彼女の笑顔は、ワックスで固められたかのように完璧だ。表情筋が痙攣を起こしているのではないかと心配になる。
──ノーブルエルフ。
ハイエルフとエルフの中間に入る、中位種。
彼らは私のような上位種であるハイエルフと、下位種の一般エルフの間に位置する存在だ。
そして、この国の貴族階級の大半を占めている。
ノーブルエルフには二つの特徴がある。
一つは、ハイエルフに対する異常なまでの忠誠心。
その忠誠心たるや、犬が飼い主に尻尾を振るような──いや、むしろ犬以上かもしれない。
そしてもう一つが、下位エルフに対する異常なまでの差別意識。
自分たちの血筋がハイエルフに近いことを誇りに思うあまり、一般エルフを見下すのが彼らのお約束である。
彼らにとっての理想的な人生とは、ハイエルフに媚びを売りながら、下位エルフを踏み台にすること。
まさに、貴族の鑑とも言える生き方だ。
「姫様の御前でお茶を嗜めるなんて、夢のようでございます」
そう言って、私を見る。その仕草は計算されつくしているのだろう。
長い耳を優雅に震わせながら、役者のように、完璧なノーブルエルフを演じる。
ノーブルにもなると、エルフの長い耳すら上品さを競う道具になるらしい。
耳を左にしなやかに傾けて「お気遣い、恐縮でございます」、右に優美に揺らして「世界樹様の御加護を」。
孔雀の尾羽のように、己の上品さを主張するための道具なのだろう。多分。
「クリスタリア・アイフェス・テルミアーナ・ペロリスでございます。姫様の御前でこうしてお言葉を交わせること、この身に過ぎる光栄」
「アストラル・エターナリス・カルミオスリャータ・アイリと申します。姫様とお近づきになれますことを、心より」
「フェアリウス・セレニティ・ポラテリア・クランベリーと申しますわ。姫様の御前にて……」
次々と名乗り出るノーブルエルフたち。私は向かいの令嬢たちに微笑みかける。
この名前を覚えるのに、どれだけの脳細胞を犠牲にしてきたことか。
まぁその結果全く覚えられなかったので脳細胞は無駄死にだったようだ。
「まぁ、お久しぶりですね……」
私は苦し紛れに、全員に向かって包括的な挨拶をする。
「……みなさん」
この「みなさん」という言葉には、深い意味が込められている。
そう、「申し訳ありませんが、お名前が思い出せません」という謝罪の気持ちと、「というかもう誰が誰だか分かりません」という諦めの気持ちが。
「相変わらず姫様は優しいお方。私たち全員にお声がけくださるなんて」
向かいの誰かさん(おそらくクリスタリアなんたらさんかフェアリウスなんたらさん)が嬉しそうに微笑む。
いや、違います。これは記憶力の問題です。優しさではありません。
私は脳内で土下座しながら、表面上は完璧な笑顔を保ち続けた。
「フローラリス様。その耳の動かし方、とても優雅ですわ」
「ルミナリア様の方がもっと素敵ですわよ。うふふ」
彼女たち──いや、彼ら?の容姿は実に似通っている。
金髪をなびかせ、整った顔立ちに、キラキラと輝く瞳。
お人形工場で同じ型から作り出されたかのような均一性だ。
性別の判別すら難しい。というか、今この場にいる令息と令嬢の区別がついているのは、着ている服によるものだ。
もし男女が服を交換したら、私はきっと誰が誰だか永遠に分からなくなってしまうだろう。
「エルミア姫様、私、セフィリウス・エターナリスと申します」
そして、令息たちの出番が回ってきた。
ファンタジー小説の表紙から抜け出してきたような、完璧すぎるイケメンの貴族令息が私に深々と頭を下げる。
金色の長い髪がサラリと靡き、宝石のような瞳が熱い想いを込めて私を見つめていた。
「カリスティア・ルミナリス(長すぎて聞き取れない)でございます。姫様のお傍で……」
「エルフィリオン・セレスティ(活舌が悪くて聞き取れない)と申します。この想いをお受け取りください……」
「オルオーン・メリアルスター(複雑すぎて聞き取れない)と……」
(あぁ、もういい加減にして……)
次々と名乗り出るイケメン令息たち。その度に周囲の令嬢から悲鳴のような黄色い声が上がる。
でも、正直に言えば私の脳は既に限界だ。
意味不明な単語の羅列をこれ以上詰め込む余裕はない。
「きゃー!セフィリウス様ったらぁ!」
「アストラリウス様の横顔、月光に照らされた氷精のようで……すてき!♡」
「エルフィリオン様の瞳の輝き、春の露のように儚くて……」
令嬢たちは次々と歓喜の声を上げる。
その様子は、アイドルのファンクラブの集まりのようだが……。
ただし、このファンクラブの会員も、推しているアイドルも、見分けがつかない。
「この度は姫様とこうしてお近づきになれて、この身に余る光栄でございます」
金髪イケメンその⑥くらいが、ロマンス小説の主人公のように優雅に髪をかき上げながら言う。
「姫様の御前にて、この想いを──」
キミ、さっき挨拶してきたよね?……いや、別人か
よく見ると、髪の長さが2ミリくらい違うような気がする。気がするだけかもしれないけど。
もしかしたら、朝の湿度で髪が縮んでいるだけかもしれない。
「私の想い、届いておりますでしょうか?」
金髪イケメンその⑦……いや⑧?
もしかして最初の人?いや、どうだろう。
「はぁ……」
私は深いため息をつく。
誰が誰だか分からないこの状況で、後で『姫様、私の告白を無視されたのですか!?』なんて言われても困る。
その時私はきっとこう言うだろう……。
いえ、あなた誰なんですか?いつ告白されました?
というか、さっきの人とどこが違うんですか?
嗚呼、この社交パーティが終わる頃には、私の脳みそはきっと蒸発している。
ちくしょう。
「……ん?」
私がノーブルエルフの令嬢令息に囲まれている、その時。
「!」
不意に、みんなが同じ方角を振り向く。それも一斉に。
ロボット部隊が一斉に作動したかのような光景。
その瞬間、ノーブルエルフたちの顔が見る見るうちに真っ青に染まっていった。
「ひ、姫様!急にドレスの裾が泥で汚れてしまいました!このままでは社交界の恥!お色直しをしてきますわ!」
「あ、私も!裾が汚れましたの!世界樹様に申し訳ございません!」
「な、なんと私も!服に泥が!これはもうノーブル失格ですわ!」
ノーブルエルフの令嬢達が次々と意味不明な言い訳を並べ立てる。
しかも不思議なことに、全員同時に服が汚れたらしい。奇跡的な確率だ。
「あ、あぁ……!突然ですが私は腹痛が……!」
「僕は母上に呼ばれていたのを思い出しまして……!」
「私もペットの妖精に餌をやるのを忘れて……!」
令息達も負けじと意味不明な言い訳を並べ立てる。
しかもその度に言い訳がどんどんおかしくなっていく。
彼らは見事な身のこなしで、波が引くように私の周りから離れていく。
その動きは実に優雅で、さすがはノーブルエルフ。逃走の仕方まで上品だ。
全員がシンクロナイズドスイミングでも習っているのだろうか。
これはもう芸術の域だ。「集団逃亡の美学」とでも名付けたい。
「……えっ」
……と、そんな下らない感想を持っていた私の目の前に、ズイッと影が差す。
運命の悪意が実体化したかのように。
その影は私のテーブルの椅子に座ると、「優雅に」──少なくとも本人はそう思っているのだろう──私の瞳を見つめて言った。
「エルミア。今日は二人っきりでゆっくりとお茶が飲めるな」
金髪を腰まで伸ばし、整った顔立ちの美青年。煌めくような紅い瞳が私をジッと見つめている。
王族のような……というか、残念ながら本物の王族特有の雰囲気を纏う青年。
──兄、アイガイオン。
この国の第一王子にして、妹溺愛を趣味の域を超えて生き甲斐にしている狂った──いや、愛の重さで理性が押し潰されている御方である。
(あ、そういうこと……)
ノーブルエルフたちの行動が、今になって腑に落ちる。
むしろ、あの時点で全員が言い訳を述べて逃げ出したのは、貴族として、ノーブルとしての意地なのだろう。
普通のエルフは兄の姿を視界に入れた瞬間に、気絶するだろうから……。
「お兄様。申し訳ありませんが、二人きりではなく今日は社交パーティです。ノーブルの方々も沢山いらっしゃいますわ」
私は見苦しくない程度の冷や汗を浮かべながら、そう指摘する。
この愛しいお兄様は「二人きり」と宣ったが、この場には量産型美形ことノーブルエルフが大量に存在している。
なぜここから「二人きり」という結論が導き出されるのか、私には理解できない。
「あぁん……?」
完璧なイケメンの顔から、チンピラのような声が漏れる。
兄は首を傾げながら、ゆっくりと周囲を見渡した。
その視線の先には──。
壁際で静止している優雅な人形たち。いや、ノーブルエルフの面々が。
彼らは必死に存在感を消しながら、壁の装飾の一部になりすまそうとしている。まさに「壁との一体化」を極めた芸術的な立ち姿だ。
さっきまでキャーキャー騒いでいた令嬢たちも、今は息を潜めて壁との同化を図っている。
中には「私は高級な壁掛け絨毯です」とでも言いたげな表情で、完全に動きを止めている者も。
なんという見事な静止芸。もはや芸術の域。
「ん~?」
そして、兄は目の前に広がる壁際の貴族コレクションを見渡しながら、実に満足そうに言った。
「誰もいないじゃないか」
その瞬間、私は頭をハンマーで殴られたような──いや、それ以上の衝撃を受けた。
この場には明らかに大量の貴族様方が、壁紙になりきろうと必死な努力をしているというのに。
しかし、どうやら兄にとってノーブルエルフは「一人」と数える対象ではないらしい。
恐らく妖精さんと同様、一匹二匹と数えるような、塵芥にも似たような存在なのだろう。
いや、むしろ空気や、壁の染みのような扱いなのかもしれない。
これは貴族の傲慢を通り越して、もはや狂人の世界観と呼ぶべきものではないだろうか。
「お、お兄様……そうですね。まったく誰もいませんね。壁も空気も貴族も同じように見えてきました」
私は困惑の色を隠しきれない表情で、でも完璧な笑顔を作って返す。
この状況で正面から否定しても、きっと兄の脳内フィルターは私の言葉すら都合の良いように解釈するに違いない。
(お、落ち着け……落ち着け私……!)
兄の狂気具合を再確認できたところで、深呼吸をする。
さっきの糞つまらない作り笑い大会の方が余程楽しかった。
正直に言えば、見分けがつかないエルフ達の「世界樹の恵みを〜」という会話の方がまだマシだ。
「ところで」
兄が口を開く。あぁ、どんな狂った台詞が飛び出すのだろう。
「妹よ、今すぐ結婚しよう」とか「エルミア、お前は俺だけのものだ」とか。
私は震えながら言葉の続きを待った。これ以上常識が破壊されるのは勘弁願いたいものだが……。
「お前も大変だな。こうもお見合いが続くとは、気が休まらないだろう」
……はい?
今、何と?
私の聞き間違えでなければ、妹である私を気遣う言葉が聞こえてきたような。
しかも、その口調はまるで普通の兄のように。
(い、いや待て。これは罠なのでは?「だから俺と結婚しよう」という展開に繋がるんじゃ……?)
私は最悪の展開を予想しながら、震える声で返す。
心の中では防御態勢を整えていた。
「ドワーフとの見合いは大変だっただろう。そもそも、望んでない見合いほど苦痛なものはないからな」
「あ、はい……まぁ、確かに大変ではありましたけど……」
兄の異常な優しさに、私の脳は完全にパニックを起こしていた。
な、なにが起こっているんだ。もしや妖精さんの悪戯で耳から脳味噌をほじくられて別人になってしまったのだろうか?
あるいはこれは夢?私がノーブルエルフたちの退屈な会話で意識を失い、見ている悪夢とか?
しかし、私がそう思っていると……
「!?」
不意に。
兄の手が腰に伸び、鞘から剣を引き抜いた。
それは世間一般の剣とは一線を画す代物だった。
深紅に輝く刀身は、生きているかのように脈動している。というか、本当に生きてるんじゃないだろうか。
一瞬で立ち込める邪悪な気配に、私の長い耳が思わずピクリと震える。
「……え?」
思わず情けない声が漏れ出た。
どうして剣を?今の流れで、どうして武器を?
気遣いの言葉をかけてきたかと思えば、次の瞬間には不吉な剣を抜く。
──え、もしかして私、斬られるん?
妹を気遣う言葉は、死ぬ前の最後の思い出作りだったとか?
私は内心で嗚咽を漏らしながら、兄の次の行動を見守った。
「エルミア。もしもお前が、縁談という名の拷問から解放されたいのなら……」
兄の声は、恋人に囁きかけるように優しい。
そして、剣を優雅に回した。その姿たるや実に美しい……のだが、剣から滲み出る邪悪さがあまりにも強烈で、美しさどころの話ではない。
なお、その一振りだけで、壁際のノーブルエルフたちの幾人かは静かに気絶していた。
「俺が、この剣でお前に言い寄ってきた男どもを、真っ二つにしてやろう」
私の動きがピクリと止まる。
長い耳は止まらずプルプルと震えていたが。いや、むしろ加速している。
「ドワーフでも、ヴァンパイアでも、竜人でも……天使が相手だろうと、俺のエルミアを奪う奴は殺す。一族郎党皆殺しにしてやる」
その言葉は、お菓子の作り方でも教えるかのように、実に穏やかな口調で語られた。
だが、その内容たるや正気の沙汰ではない。
ていうか本音出てんじゃねぇか。
「俺のエルミア」という単語が、彼の本心を如実に表している。これは明らかに妹に使う表現ではない。
「そ、それは……とても狂って……あ、いや、嬉しゅうございますわ」
震える声でそう返答する私。
この状況で素直な感想を述べれば、間違いなく剣の餌食になるだろう。壁際で装飾と化しているノーブルエルフたちと一緒に斬られかねない。
「お兄様の愛情表現は、いつも通り規格外でドン引き……いえ、素敵ですね」
私の脳内では、既に「正しい返答」を選ぶゲームが始まっていた。
「そう、俺のエルミアに手を出す奴は誰であろうと容赦しねぇ……」
兄の禍々しい剣が優雅に、そして恐ろしく軌道を描く。
その一振り一振りの度に、一人、また一人と哀れなノーブルエルフたちは上品に意識を手放していく。
「お気分が悪くて……」という台詞を最後に、花びらが散るように、実に上品な気絶を披露していた。
さすがは貴族、気を失う姿まで様になっている。
……私も早く意識を手放したいのだが、このハイエルフという無駄に頑丈な身体がそれを許してくれない。
「兄と妹の美しい絆を割こうとする奴は……全員殺してやる──」
兄が、常人には理解できない台詞を叫んだ瞬間、深紅の剣が勢いよく振り下ろされた。
私の目の前にあった豪華絢爛なテーブルが、バターを切るかのようにすっぱりと分断される。
その切断部は赤黒く光っており、明らかに「やべー系の武器」で切ったことによる証左だ。
「……」
私は目の前で繰り広げられた惨劇に、笑みを浮かべたままだった。
いや、正確には半分気絶しながら微笑んでいた。
高価な紅茶がテーブルの割れ目から床にしたたり落ちていく。
血の涙のように。
「お兄様、大切な血税で作られた高価なテーブルを切断なさる必要はあったのでしょうか」
疑問が、思わず口をついて出た。
このテーブル、確か先日の緊急予算で買い替えたばかりのものだったはず。
まだ民からの税金の匂いが漂っているというのに。
すると兄は、当然のことを言うかのように答える。
「愛の形を示すためだ」
なるほど。やはり私の脳ではこの人の思考回路は理解できそうもない。
この状況で「なるほど」と思ってしまった私の脳の方がおかしいんだろうけど。
「ふぅ……」
机を無駄にぶった切って満足したのか、兄は満足気な表情を浮かべるとすくっと立ち上がった。
芸術作品を完成させた画家のような、誇らしげな顔つきで。
それと同時に机の残骸が、兄の狂気から逃げ出すかのように崩れ落ちる……。
「いいか、エルミア。何かあったらこの兄に言うんだぞ」
現在進行中で「何か」が起こっているのだが、言えない。
というか、その「何か」の主犯格が目の前で優雅に立っているのだが。
「それと、たまには昔みたいに『お兄ちゃん』と呼んでくれ」
え、なにそれ。そんな呼び方したことないんですけど。
いつの思い出だそれは。まさか兄の妄想の中の私が「お兄ちゃん」と呼んでいたとか?
「ではな、エルミア。『お兄ちゃん』は先にお暇させていただく」
そして、兄は颯爽と去っていった。自分が何をしたのか理解していないかのような優雅な足取りで。
残されたのは、上品に気絶したノーブルエルフの群れと、呆然と椅子に座る私だけ。
私は、この突如として訪れた災厄の余韻に浸りながら呟いた。
「……もしかして、お兄ちゃんと呼ばせたいがために、全部ぶっ壊しに来たの?」
私の問いかけに、誰も答えはしない。
まぁ、答えられる人は皆気絶しているか、既に部屋から逃亡しているので当然か。
エルフたちの「優雅な社交の場」は、たった一人の狂った男によって木っ端微塵に破壊されてしまった。
そして、私の脳味噌も一緒に。
──この出来事は後に「エルフ貴族社交パーティ崩壊事件」として、ノーブルエルフ達の間で語り継がれることとなる。
もちろん、誰も兄の名前は口にしない。それは暗黙の了解である……。