【世界樹の麓に住む妖精さんの一日】
今日も素晴らしい朝が始まった。
太陽の光が眩しくて、ちょっと目が痛いけど、それはきっと世界樹様の祝福。
「おはよーみんな!」
私、妖精のティナリアは今日も元気に飛び回っている。
まぁ、実はこの名前、さっき決めた名前だ。昨日の名前はもう覚えてない。
私たち妖精は、気分で名前を変えちゃうのだ。
「ねぇねぇ、ティナリア!今日はなにするの?」
隣で飛んでいた妖精の……えっと、名前なんだっけ?
まぁいいや。どうせ明日には別の名前になってるだろうし。
とにかく友達(たぶん)が、私にそう聞いてきた。
「今日はね!大事件が起きたんだよ!蝶々さんが、行方不明になっちゃったの!」
そう、それは由々しき問題だ。
たった今まで私の隣で羽を休めていた蝶々さんが、突然どこかへ飛んでいってしまった。
しかも挨拶もなしに。なんという無礼な蝶なんだろう。
「なんだって!?それは大変だぁ!」
「蝶々さんを探しに行かないと!これは世界の一大事だよ!」
「そうだね!蝶々さんがいなくなったら、お花さんたちが寂しくなっちゃう!」
次々と深刻な意見(?)を述べる友達たち。
私の名前がティナリアだってことは忘れかけているけど、蝶々さんを探すという目的だけは鮮明に覚えている。
私たちは重大な使命を背負い──たぶん重大な使命だったはず──光る翅を羽ばたかせ、風のように世界樹の森を突き進んでいく。
──ちなみに、出発地点のお花畑では件の蝶々さんが悠々と蜜を吸っていた。
でも気付かないし、気付いたとしても多分どうでもいい。
「あっ!お花さんだ!蝶々さんを見なかった?」
「ううん、それよりあのクローバーが可愛いね!」
「本当だ!数えてみようよ!」
そう、私たち妖精は飛び始めた瞬間から、何を探していたのかすっかり忘れているのだ。
でも、それって素敵なことだ。目的を忘れても、楽しく空を飛べるんだから。
そうして楽しく飛び回っていた時……
「世界樹の見回り、ご苦労様。異変はなかった?」
「あぁ。今日も世界樹は平穏だったよ。『門』が開く様子はない」
私たちは、真面目な顔でそんな話をしている二匹の妖精を見つけた。
見るからに頭が良さそうな……気がしないでもない妖精は、多分『じょういしゅ』ってやつだろう。
まぁ、私にとっては難しい単語だけど。
「あ!ぐれいすふぇありー様だ!」
これはいい遊び相手を見つけた。
私たち下位妖精は歓声を上げて彼女達に突撃する。
きっと一緒に楽しく遊んでくれるはず!
「げ、下位種か。めんどくさいな……はいっと」
「うぎゃあ!?」
が。
見えない壁にぶつかって、私たちは豪快に地面へと落下。
お花畑に顔から突っ込んで、綺麗な花びらが舞い散る。
「痛くないよ!痛くないよ!」
誰かがそう叫んでいるけど、実は結構痛い。
でも、私たち妖精は痛みすら楽しむことにしているのだ。
いや、ただの負け惜しみかもしれない。
ぐれいすふぇありー様は忙しいのか、あんまり遊んでくれない。
近付くと、こうして魔法で私達をはたき落とすのだ。
「下位種がこんなところに入り込んでるじゃないか。結界をすり抜けてきたのか?」
「今日はオベロン様の休息日だから……少し結界が弱まってるのかも」
ぐれいすふぇありー様たちはそんなことを言って、そのまま飛び去ってしまった。
彼女達の話す言葉は難しくてよく分からない。でもまぁ、分からなくていいのだ。
何故なら私たちは妖精だから。分かったところで何も出来ないのだから、最初から分からなくていいんだよね。
「ぐれいすふぇありー様に近づくには、もっと上品になる必要があるわ」
「そうだね。でも上品ってなーに?」
「えっと……お花の数を数えることかな?」
「ところで私たち何してたんだっけ?」
「さぁ。忘れるくらいだからきっとどうでもいいことだよ」
「そうだね。忘れるんだからどうでもいいことなんだ」
私たち妖精は、とても合理的な生き物なのだ。
大事なことは絶対に忘れない。だから忘れてしまうことは、きっと大事じゃないこと。
この完璧な理論に、誰も異論を挟むことはできない。
そうして、私達の一日は平和に過ぎていく。
よく分からないけど、暇なので花の蜜を集めようとしていたら、誰かが素晴らしいアイデアを思いついた。
「そうだ!お城に遊びに行こうよ!」
その声に、みんなが「いいね!」ときゃーきゃー騒ぎ出す。
お城には耳の長いエルフさんたちが沢山いるのだ。彼らの耳は私たちの翅より長くて、見ているだけでも楽しい。
それに、エルフさんたちは私たちが近づくと面白い反応をする。特に「ノーブル」とかいうエルフさんたちは、私たちを見るだけで顔を真っ赤にして怒るフリをするのだ。
森で遊ぶより、お城でエルフさんたちと遊ぶ方がずっとスリリングで楽しい。
エルフさんたちが私たちのことを「害虫」って呼ぶのは、きっと愛称に違いない。
「行こう行こう!お姫様にも会いに行きたいね!」
「あ、でも道を覚えてる?」
「いいの!道なんて適当に飛んでれば見つかるよ!」
そうして私たちは、どこかで見た蝶々が蜜を吸っているのも気にせず、楽しそうにお城へと飛んでいくのだった。
♢ ♢ ♢
「おい!勝手に入るんじゃない!うわっ!」
私たちがはしゃぎながら窓という窓からお城に入り込むと、エルフの兵隊さんがいつも通りの歓迎の挨拶をしてくれる。
あの叫び声は、きっと私たちを見て嬉しすぎるからに違いない。
そのお返しに、私たちは兜を回してあげたり、持っている武器を転がしてあげたりする。
だって、重そうに持ち歩いているんだから解放してあげなきゃね。
「きゃははは~!そんなノロマでよく兵士になれたわね~。そんなんだからいつまでもヒラの兵士なのよ~」
たまに口の悪い、チクチクする言葉を言うお友達もいる。
毒を持った蜂さんみたいに、エルフさんたちの急所を刺してしまう。
でも、それは仕方のないことなの。
だって、口が悪くなるのは『進化』する一歩手前の状態らしいから。
でも『しんか』ってなんだろう?
私たちは話しながら飛んでいるうちに、その単語の意味も忘れてしまった。
「あっ!エルフさんがまた寝ちゃった!」
「お昼寝好きだねぇ。私たちを見るとすぐ寝るの」
「私たちって、そんなに癒やし系なのかな?」
私たちは、床に転がる兵士さんを見ながら、自分たちの魅力について真剣に考えるが答えは出ない。
そうして、お城で遊び回る私達。
「おおっ!なんか良い匂い!」
「あそこから漂ってくるわ!」
私たちは良い匂いに誘われて、大きな部屋に潜入する。
そこはお城の厨房だった。美味しそうな香りが立ち込める夢の世界。
「あ!パイ焼いてる!」
「あそこにプリンもあるよ!」
私達は歓声を上げながら、次々とお菓子に群がっていく。
まるで花から花へと蜜を集める蝶々さんのように。
そういえば、さっきまで蝶々さんを探してたような……?まぁ、どうでもいいか。
「うわぁ!ケーキだ!」
「こっちはタルト!」
私たちは大はしゃぎで、あっちのお菓子をつまんでは食べ、こっちのケーキをつまんでは食べ。
これは『品質検査』という大事なお仕事。きっとそう。頭のいい妖精さんがそう言ってたから間違いない。
「このこのこのぉぉぉ!!また妖精どもがワシの厨房に!!」
太ったエルフさんだ。真っ赤な顔で怒鳴っている。
きっと私達と一緒に走りたいんだね。運動不足解消にぴったり!
「捕まえてごらん!」
「きゃはは!お腹の贅肉が揺れてるー!」
「おいしゅ~ございました!」
私達は口にクリームを付けたまま、怒りの赤鬼と化した料理長から逃げ回る。
彼の腕には包丁が握られているけど、きっとこれも遊びの道具。
だって私達が来るたびに、いつもこうやって追いかけっこしてくれるもの。
「待てぇい!今度こそ捕まえて、妖精のスープにしてやるぅ!」
料理長が吠える。新作レシピの提案かな?
でも残念。私達は翅があるから、絶対に捕まらないのだ。
お次はお城の廊下だ。
「あら?なぁに?あの隅っこで見つめ合ってるの?」
私たちはお城の片隅で、キラキラした目で見つめ合う二人のエルフさんを見つけた。
「あぁ、ヴァルアリア・センティアル・シリアリアフェルン……。貴方はヴァル(省略)どうしてなの……」
「ああ、フラウラシア・クランカルテ・ペルシェルア・メアリー……君はどうしてフラウ(省略)なんだ……」
「あはは!なんか長い名前言い合ってる!」
「難しい名前だねー。覚えられないよー」
「きっと自分たちも覚えられてないんじゃない?」
二人は私たちの声に気付かないみたい。というか、私も今言った名前、もう忘れちゃった。
まぁ、私たちは自分の名前すら覚えられないから、人の名前なんて覚える必要ないのだ。
「きゃっきゃっ!見て見て!エルフさんたちがくっついてるー!」
「みんなー!大変だよー!隅っこで面白いことしてるエルフさんがいるの!」
私たちは城中を飛び回りながら、この素敵なニュースを知らせて回る。
だって、こんな面白いことは、みんなで共有しなきゃ損だろう。
「なんとか様となんとか様が廊下で抱き合ってるの!早く見に来てー!」
「エルフさんたちって面白いねぇ。なんで隠れてくっつくの?みんなに見せてあげようよ!」
私たちの声が響く度に、エルフさんたちの顔が真っ赤になっていく。
まるでトマトみたい。可愛い!
「や、やめろ妖精ども!」
「こ、これは違うのです!」
慌てふためく二人の服の裾を踏んづけて、二人を仲良く転ばせてあげる。
「うぎゃ!?」
「きゃあ!」
まるでドミノ倒しみたいに、エルフさんたちが綺麗に倒れていく。
森のゴシップ好きなクマさんに教えてあげたら、きっと喜ぶだろうなぁ。
「次の場所行くよー!」
「おー!」
私たちは新たな冒険を求めて飛び立つ。
お城には面白いものが沢山あるのだ。
──図書室では。
本を片っ端から開いて、破いて、ページを混ぜ混ぜしてあげる。
だってエルフさんたち、いつも同じ順番で読んでるから。親切心で適当に混ぜてあげないと!
──会議室では。
偉そうな顔して机を囲んでるエルフさんたちの耳元で、「ブーン」って音を立てて飛んであげる。
みんな突然立ち上がって、慌てふためくの。この反応、やめられないんだよね~。
──広間では。
壁画に、お絵描きだってしちゃう。
エルフさんたちの絵に、妖精流の『改良』を加えてあげるの。
ヒゲを描いたり、面白い落書きを足したり。
芸術センスを磨くのは大切なことでしょ?
「きゃはは!今日も楽しいね!」
「そうそう!エルフさんたちのお城って、最高の遊び場だよ!」
そうして、私たちは最高の遊び場を飛び回る。
時々エルフさんたちがお追いかけっこしてくれたり、蝶々さんを探してたはずなのにすっかり忘れちゃったり。
しかし──。
「うっ……!」
とある扉の前を通った時だった。
なんか黒い靄みたいな、なんか気持ちの悪いオーラみたいなものが漏れ出している。
「な、なにこれ」
「なんかこわーい」
「でも、気になるー」
お城にあるとは思えない怖い気配のする扉……。
真っ黒な靄が、まるで私たちを誘うみたいにモワモワと漂っている。
普通なら逃げ出すところだけど……私達妖精は好奇心が強いの。
それに、怖いものこそ見てみたい!これぞ妖精の生き様なのだ。
「ねぇねぇ、中を覗いてみようよ!」
「うん!きっと面白いものがあるはず!」
「なんかヤバそうだけど、それがいいの!」
私たちは震える翅を必死に羽ばたかせながら、その不気味な扉に近づいていく。
そして、恐る恐る扉を開き、中を覗くと……
「──」
金髪の髪を靡かせる、紅い瞳のエルフが鏡に向かって恍惚とポーズを取っていた。
一瞬だけ、とっても綺麗に見えたけど……よく見たら黒い靄みたいなのはそのエルフから溢れ出ている邪気だった。
「な、なにあれ……」
「鏡の前でなにやってんの……?」
「お姫様ごっこ?」
私たちが困惑していると、そのエルフは陶酔した声で呟いた。
「くそっ……俺はなんという美しさなんだ……!まさに創世の女神が創り出した最高傑作……!これほどの美しさ故にエルミアと兄妹なのも当然だが……この完璧すぎる顔立ちゆえに、妹も惚れざるを得ないのだ……!」
鏡の前でそう呟きながら、いろんな角度から自分の顔を眺める謎のエルフ。
自分の顔に恋をしているようなその素振り。
そして何より、その黒いオーラが私たちの翅をゾクゾクさせる。
私は思わず、素直な感想を口にしていた。
「え、きも」
口が滑った。
でも、これって『進化』の一歩手前ってやつかな。
「……」
私たちは真顔になって、こっそりと扉を閉める。
そして、顔を見合わせて頷いた。
何も見なかったことにしよう。すぐに忘れるはずの私達の記憶……だけど、あのエルフの気持ち悪さだけは何故か中々消えてくれなかった。
「あれはもう、キモイを超えてるわ。なんていうか、おぞましいって感じ」
「マジ無理。生理的にアウトっていうか、妖精界の禁句に認定したいレベル」
「世界樹様に謝罪文を書くべきね。あんな化け物を見てしまってごめんなさいって」
気持ち悪くなって、吐き気がする。
普段なら何でも楽しく遊べる私たち妖精も、さすがにあのエルフだけは遊び相手には選びたくない。
こんな時は、姫様を見ると私たちは元気になるのだ。
「ひ、姫様に会おう!」
「そうだね、そしたらこの記憶が消えてくれるかも!」
「早く早く!あの人の顔面が私の脳に焼き付いちゃう前に!」
私達の覚束ない記憶でも、決して忘れない存在。それがエルミア姫様なのだ。
私たちは自分の名前すら忘れてしまうのに、どうしてか彼女を忘れることが出来ない。
どうしてだろう。
そして、姫様を探して飛び回る私達。
姫様の優しくて、懐かしくて、暖かい気配は近くにいたらすぐに分かるのだ。
それは私たちの小さな体に染み付いた本能のようなもの。
「たぶんこっちだよ!」
「この気配、きっと姫様!」
「早く会いに行こう!」
私たちは飛ぶ。翅をパタパタと羽ばたかせながら。
そして、廊下の角を曲がると、そこにはとっても綺麗で、とっても優しい背中が──。
「姫さま──」
私たちがそう叫んで、姫様に抱き着こうとしたその時……。
姫様の横にいる『小さな男の子』がぐるんと私達を見る──。
人形のように可愛らしい顔立ちをした少年。でも、その紅い瞳には底知れない何かが潜んでいて。
「おや、こんなとこに羽虫が」
得体の知れない何かが、得体の知れない言葉を喋った。
その時だった。
男の子の手から、魔法の渦が立ち昇る。
とっても綺麗で、でもとっても怖い魔法の波が。
「あっ──」
その魔法の波はあっという間に私達に迫って来た。
逃げようとしても、小さな翅は動かない。
光に呑まれる、その直前……。
(あぁ、そうか。思い出した。あいつも……私たちも……神さまに言われて……)
私の小さな思考が、まばゆい光に飲み込まれた。
私たちが、唯一覚えていた恐怖の存在。忘れようとしたけど、忘れられない昔の……。
その名前を思い出した時には、もう遅すぎたんだ。
私の意識は、七色の光の中へと溶けていった。
「……?今、なにか聞こえなかった?妖精さんの悲鳴みたいな……」
「気のせいですよ、エル姉様。最近お疲れ気味なのでは?」
最後に、エルミア姫様の優しい声と、危険な響きを持つ少年の声が聞こえたような気がした──。
♢ ♢ ♢
目が覚めると、私はお花畑にいた。
お日様が眩しくて、ちょっと目が痛いけど、それはきっと世界樹様の祝福。
「う~ん……?なんだか頭がふわふわする」
何をしていたんだっけ。思い出そうとするけど、思い出せない。
でも、なんだか胸がモヤモヤする。
まるで大切な何かを、無理やり忘れさせられたような……。
「あ!蝶々さんだ!」
そんなことを考えていると、一匹の蝶が目の前を舞っていく。
私は思わず飛び上がって、その後を追いかけた。
「待ってよ~!」
なんだか懐かしい気持ちになりながら、私は蝶々さんを追いかけていく。
きっと、これが私の日課なんだろう。
何千年も前から、こうして蝶々さんたちと遊んでいたような気がする。
そして、何千年後も、こうして蝶々さんたちと遊んでるんだろう。
たとえ記憶は消えても、今を楽しく生きることだけは忘れない。
──でも……もし、昔のことを思い出しちゃったら。
悲しくなって、心が壊れて、『進化』しちゃう。
それはとても怖いこと。
だから私たちは、今を楽しく生きる。
昔のことは忘れよう。楽しいことだけ思い出そう。
それが私たち妖精の生き方だから──。