目次
ブックマーク
応援する
8
コメント
シェア
通報

第43話

豪華絢爛な食堂には、ただ一人の影があった。

金の装飾が施された長いテーブルの端に、私は座っている。

普段なら父も、兄も、カフォンも、そしてたくさんの使用人たちがいるはずなのに。

今日は私一人だ。もしかしてみんな兄の狂気にやられて気絶でもしてるのか?


「おかしい……」


私の声が、がらんとした食堂に虚しく響く。

高慢ちきなハイエルフとはいえ、食事の時間だけは家族で揃って取るのが習わし。

それなのに。

使用人の姿さえ見当たらないことに、私は不安を感じ始めていた。

いつもなら十人や二十人はいるはずの給仕たちが、誰一人としていない。

豪華な天井画も、キラキラと輝くシャンデリアも、今日に限って妙に寂しく感じられた。

そんな時だった。


コンコン、と。


静寂を破るノックの音。

扉が開き、白銀の髪をした小さな執事が食事を載せたカートを押して入ってきた。

燕尾服に身を包んだ優雅な佇まいの、おとぎ話から抜け出してきたような愛らしい容姿の少年執事──。

──カルタだ。


「本日の『孤独のディナー』、準備が整いました。お一人様特別コース、いかがでしょうか」


優雅に頭を下げ、にこやかに微笑む。

その笑顔は天使のようだが、言葉は相変わらず毒を含んでいる。


「カルタ……?えぇっと。みんなどこに?」

「ああ、王族の皆様でしょうか。それとも使用人の方々ですか?実は今、姫様の『明るい未来』について、秘密会議を開いているのです」


カルタは丁寧に料理を並べながら、さも当然のように言う。


「……明るい未来?」

「はい。とある吸血鬼の王子様とのお見合いについて。姫様の『永遠の幸せ』を真剣に討議なさっているとか。もっとも、永遠というのは文字通りの意味になるかもしれませんが」


私は一瞬、言葉を失った。


「カルタ、あなた知っていたの?」

「はい。下僕の私にも分かるほど、宮廷中が大騒ぎです。『エルフの姫君、吸血鬼の花嫁に』……まるで三文小説のタイトルのようですね」


カルタは銀の蓋を開けながら、相変わらずの毒舌を披露する。


「でも、考えようによっては素敵な組み合わせかもしれません。エルフの優雅さと、ヴァンパイアの妖艶さ。永遠の命を持つ者同士の結婚……。ロマンティックではありませんか?」

「ロマンティック……ね。それって嫌味でしょ?」

「いいえ、純粋な祝福の言葉です。姫様の首筋から血を吸われる瞬間を、私も楽しみにしております」


カルタの言葉に、私は苦笑した。

この小さな執事さんはいつでも容赦のない言葉を浴びせてくる……だけど、何故かそれが心地いい。

そうして、私がナイフとフォークで優雅に食事を始めようとした時……彼が穏やかな笑みを浮かべながら言った。


「ところで姫様。ルナフォール一族についてご存じですか?まさに優良なお見合い相手でございますよ。世界の歴史を『血で染めた』由緒正しき家系でございます」


ナイフを持つ私の手がピタリと止まった。

そしてギギギ……と錆びたブリキ人形のように、カルタを見やる。


「大戦の時に素敵な実績を残された一族です。まぁ、その実績を実際に見てしまった者は誰も生き残っていませんが」


カルタは銀のナイフを磨きながら、陽気に続ける。


「彼らの栄光の歴史と申しましょうか。都市も国も、触れた全てが消え去る……そんな芸術的な手腕をお持ちでした。特に満月の夜となれば、まさに神にも等しい存在に。殺そうとしても殺せない、まさに理想の結婚相手ではありませんか?」


彼は嬉しそうに両手を広げる。

どうやら本気で言っているようだ。彼も彼でどこか抜けてる……いや、違う。ぶっ飛んでるような……?


「想像してみてください姫様。満月の下、血に染まった戦場で、あなたの『愛しい』婚約者が優雅に舞い踊る姿を。その指先に触れた者は皆、美しい赤い花となって散っていく……。まさに、ロマンス小説の一場面のようではありませんか?」

「ロマンス小説というか、私にはホラー小説のような気がするけど……」


私は溜息をつくと、銀のフォークで料理をつつく。食欲が失せてきた。


「まぁまぁ姫様、そう悲観的になられては勿体ない。素敵な新婚生活が待っているかもしれません」


カルタは嬉しそうに手を叩く。その笑顔は満面の祝福に満ちているが、言葉は恐ろしい。


「想像してみましょう。満月の夜、愛しい旦那様が『今夜はキミの血が飲みたい』と熱烈なプロポーズ。姫様は『今日は頭痛がするの』と言い訳をするも、情熱的な旦那様は聞く耳を持たない……。ああ、なんと素敵な夜でしょう」

「情熱的っていうか、少し強引すぎる旦那様じゃない?」


カルタは陶酔したような表情を浮かべ、私の言葉など耳に入らないかのように続ける。


「朝食は『血のソーセージ』、お昼は『生血のスープ』、夜は『血のワイン』……そして夜更けには姫様が特別メニューとして供されると」

「ちょっと待って。私、デザートになるの?それとも夜食?どちらにしても食事の位置付けは拒絶したいんだけど」

「ご安心ください。噂では彼らは『上品』な吸血鬼。一度に全ての血を吸い尽くすことはありませんとか。少しずつ、ゆっくりと……まるでワインを味わうように、血を楽しむそうです」

「それ全然安心できる話じゃなくない?『今日はほんの少しだけいただきますね』なんて言われても、食材の賞味期限を延ばすみたいじゃない?」


カルタは相変わらず天使のような笑顔で続ける。


「なんと繊細な心遣いでしょう。これぞまさに、永遠の愛の証」

「永遠の愛というより、永遠の食料確保って感じがするんだけど……」


私は溜息まじりに皿の上の料理をつつく。急に目の前のステーキが、私の未来の姿に見えてきた気がする。

カルタは私の手が止まったことに首を傾げ、あぁ、と合点がいったように言った。


「おっと申し訳ございません。姫様を怖がらせてしまいました。では、ここでホッと一息つける、とても安心できる情報を一つ……」


そう言うと、カルタは優雅にナイフを手に取った。

次の瞬間──

シュンッという風を切る音と共に、彼の手が光の残像を描くように舞った。


「我が国の誉れ、アイガイオン殿下ですが……彼はその昔、ルナフォール一族の始祖を何人も、何十人も殺し……おっと失礼、抹殺いたしました」


私の目の前のステーキは、バターを切るかのような滑らかさで、完璧な一口サイズにカットされていた。


「ちょ、ちょっと待って。今の言い直す必要あったの!?『殺し』を『抹殺』に変えても全然印象変わらないんだけど!?ていうかそれ安心できる情報なの!?ねぇ!」


私は叫びながら、完璧な切り分けられ方をしたステーキを見つめる。

小さな執事の手の動きは、私の目では全く追えなかった。か、彼は一体……。


「今、私めがカットしたステーキのように、アイガイオン様は実に芸術的に、料理人が野菜を刻むかのように、ヴァンパイアの王族を細切れにしていったのです。ああ、なんと美しい殺戮でしょうか」

「要するに異常者ってこと?そうでしょ?」

「でも不思議なものですよね。通常、ヴァンパイアの始祖ともなれば、千の剣で突いても、万の矢で射ても、決して死なないはずなのです。それこそ、灰になっても月の光で蘇るほどにね」


カルタはそう言うと、くるんと回る。燕尾服が優雅に翻った。


「ですが、アイガイオン様の魔剣に斬られると……あぁ、なんてことでしょう。月下の始祖ですら、舞い散る桜のように、美しく永遠の眠りにつくのです。再生の魔力も通じず、ただただ消えゆく……。さぞや素晴らしい光景でしょうね?私は見ていませんが」


『見ていない』のに何故そこまで詳しく語れるのか。私はまた一つ溜息をつき、彼の言葉の続きを待つ。


「あるいはアイガイオン様の芸術的とも言える剣技で、まるで塵のように細かく切り刻まれ、月の光ですら拾い集められないほどバラバラになってしまうのかもしれません。なんと美しい最期で……おっと、まぁそんな些細な詳細はどうでもよろしいのです。要するに──」


カルタはニコニコと微笑みながら、天気の話でもするかのような気軽さで続けた。


「貴女様の『愛しい』お兄様が、お相手の親戚を何人も殺せる……もとい、『永遠の眠り』に誘えるという事実が重要なのです。なんと素敵な結婚の後ろ盾でしょう?『もし私に手を出したら、親族一同バラバラにしますよ。私の愛する兄様がね!』……と。新婚初夜の脅し文句にぴったりですね」


私が震えているのを見て、カルタは天使のような笑顔で言う。


「まぁ、お相手の王子様が『永遠の命に飽きました』とか『エルフの王子に殺されたい』とか、そういう素敵な願望をお持ちでない限り……今回のお見合いは、向こう様から丁重にお断りの言葉が届くかもしれませんね。命が惜しいという、不死の種族とは思えない実に俗っぽい理由で」


(……そもそも、ヴァンパイアの始祖にお見合いという概念があるの?)

(エルフが『お見合い』だと思っているものを、ヴァンパイアの人達は『試食会』だと考えてないよね?)


私がそんな不安な妄想を巡らせていると、カルタは優雅にサラダの用意をしながら、さも楽しそうに言った。


「あぁ、しかし姫様。ルナフォール大公カルネヴァーレ様だけは……特別にお気をつけくださいませ。彼女の手料理は絶品だとか。人を『骨の髄まで』もてなすそうです」

「え?」

「ルナフォールという残忍極まりない……おっと失礼。素敵極まりない一族を統べる、真の始祖カルネヴァーレ様。彼女は実験という名の魔法で、この世界に新たな地獄を作り出したそうです。まぁ、今となってはその実験場も、被験者も、証拠も何もかも消え失せましたが」

「ちょっと待って。今、すごく不穏なことを聞いた気がするんだけど。今のって冗談よね?ね?」


私が笑顔を引きつらせていると、カルタは最後の一撃を放った。


「なんて素敵な未来でしょう。義母上がルナフォール大公とは。きっと素晴らしい家族の集いになることでしょうね。姫様の首筋を狙う旦那様と、『中身』を見たがる義母様。『嫁姑問題』の新境地とでも申しましょうか」

「カルタ、私、急に体調が悪くなってきたわ。お見合い、延期にしてもらえないかしら。できれば百年後とか、千年後とか永遠に延期、というのは無理?」

「僭越ながら申し上げますと、ハイエルフも始祖も、永遠を生きる存在でございます。永遠に延期というのは、つまり永遠に食事を待ち望む始祖様と、永遠に食材として期待される姫様という、実に素敵な関係が続くということですね。少なくとも『さっさと食べられた方が楽』という選択肢もございますよ?」


カルタは本当に嬉しそうに両手を胸の前で組んで、まるで祝福するかのように微笑んだ。

永遠の苦しみか一瞬の死の二択しか、私には存在しないの?私は生まれて初めて、神に祈った。

──『どうか助けてください』と。

まぁ、そんなものはいないんだろう、この世界には。いたら、こんな狂った世界滅ぼしてるだろうから……。


「それに、この哀れで卑しい下僕には、姫様の永遠の命運を決定する権限など、微塵もございません。ただ、姫様の最後の……失礼、『見合い前の食事を、可能な限り優雅なものにさせていただくだけです」


カルタは華麗にくるりと回ると、次々と料理を配置していく。

その手さばきは目にも止まらぬ速さで、瞬く間に芸術的な料理の数々が私の前に並んだ。


「カルタくん?今最後の……って言わなかった?それに、これだけの料理を私一人で食べられるわけないじゃない。まるで……最後の晩餐……」


しかし、いつもなら毒を含んだ言葉を返すはずのカルタが、突然真剣な表情を浮かべた。


「──しかしながら、姫様。ヴァンパイアの方々が皆、相互理解が不可能な怪物というわけではございません」

「え……?」


カルタは優雅にくるりと回ると、銀の燭台を調整しながら続けた。


「一部、理解を超越された御方がおられるのも事実ですが……彼ら彼女らとて、我々と同じく意思を持ち、愛情を持ち、憎しみを持つのです。ただ、その表現の仕方が少々独特なだけでございます」


くるん、と回って今度はワインを注ぎながら。


「例えば、『愛しているからこそ、その血が飲みたい』とか、『大切だからこそ、永遠に側に置いておきたい』とか。それは確かに、食料保存の概念とは違うもの」


ぴたっと立ち止まり、にっこりと微笑む。


「彼らだって、普通に会話もできますし、お茶会も楽しめます。ただ、お茶の色が少々濃い目なだけです。そして、朝までというと彼らは夕暮れまでと考え、永遠の愛というと永遠の所有と解釈する……そんな、ちょっとした認識の違いがあるだけなのです」


えーっと……。

カルタの言い回しは私にはよく分からなかった。

もしかして、ヴァンパイアは案外普通だと言いたいのだろうか。


「もしかして慰めてくれてるの?それとも食材に対する最後の思いやり?」


私が疑わしげに尋ねると、カルタは天使のような笑顔を浮かべた。


「いいえ、普遍的な事実を申し上げただけです。姫様を『特別な実験台』にするのか、それとも『大切な食材』として扱うのか……その違いを説明させていただいただけですよ」


そして彼は優雅に一礼すると、燕尾服をひるがえす。

その仕草は完璧だったが……どこか意地悪な笑みを浮かべているような気がした。

この小さな執事は本当にいつも……不穏というか、皮肉気というか。


──だけど、何故だか少し心が軽くなった気がする。


こんな恐ろしい状況なのに、不思議と笑みがこぼれてしまう。


「さぁ姫様。平穏な日々はここまで。これよりお見合いという名の生贄の儀式の時間でございます。どうぞ、最後の食事を心ゆくまでお楽しみください。食材になる前の……失礼、花嫁になる前の」

「その『言い間違え』、本当は言い間違えてないでしょ。ていうか、私の将来を生贄とか食材って表現するの、やめてくれないかしら」


白銀の髪の少年は、最後まで天使のような笑顔を浮かべながら、静かに扉へと向かっていく。

その背中を見送りながら、私は溜息をついた。

結局のところ、このお見合い──。

私は『花嫁』として迎えられるのか、それとも『晩餐』として供されるのか。

どちらになることやら。


扉が静かに閉まる音が、まるで運命の幕が下りるかのように響いた。


少なくとも、今この瞬間だけは、私はまだ……生きている。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?