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第52話

「お、お父様……?」


声のした方向を見やれば──そこには私の心配など自分のタンブラーに注がれた赤ワインと同じくらいしか気にせず、テーブルの先端に陣取って「国王様」の風格も何もかもをかなぐり捨てた父・セーロスの姿があった。

月光に照らされた白い食卓布の上でグラスを傾け、ガブガブとワインを飲み干す国王。

彼は何度目かのグラスを乱暴に掲げると、「もう一杯!」と叫び、震える手でボトルを探す。王族の威厳は既に第一杯目あたりでどこかに消え失せたらしい。


「エルちゃ~ん!♡そろそろヴァンパイアたちが来るみたいだからさぁ~♡キミのその『ため息と絶望』コンボは控えめにして、もっと『私は永遠の美を体現した生ける芸術品ですのよ~』って感じの姿勢で出迎えないと~♡」


装癖に加えて、酒癖も悪かったとは……とんでもない父親だ。

正直、これまで父上のことを「少し自由奔放な王様」くらいに思っていたけど、何だこれは。

今まで気づかなかった本性が、酒という名の真実の水を浴びて剥き出しになっている。

見た目は若々しい青年だが、中身はとんでもないジジイであることが発覚した今、私は呪術的な何かで彼の寿命を縮められないものかと、不謹慎にも思ってしまう。


そして、そんな時だった。


「エル姉さま。溜息ばかり吐いていると、幸せさんが逃げていってしまいますよ」


カフォンくんである。愛すべき私の弟は、長テーブルの端っこで、お上品に料理をもぐもぐと可愛らしく食べていた。その姿は、まるでウサギがニンジンを齧るような愛らしさだ。


……ところで、愛らしいのはいいのだが……何故カフォンくんまでここに?

ここはお見合い会場ではなかったのだろうか。いつから家族団らん(団らんという言葉を使いたくないが)の場になったんだ?


「そうだぞエルミア……溜息ばかり吐いてると幸せが逃げる」


いつの間にか兄・アイガイオンもカフォンくんの横にお行儀よく座り、ナイフとフォークを手に、豪華な料理を貪っている……。

いやあんたら何で料理食ってんだよ。ここお見合いの場だよな?夕食じゃねぇんだぞ……!


これではどう見ても家族会食会場……。父は酔っ払い、兄は意味不明な自慢後にご飯を食べ、弟は天使の笑顔でフォークを握っている。

この光景を見たヴァンパイアの王子は、きっと「こいつらヤベェ……」と思うに違いない。いや、もしかしたら「同類を見つけた」と喜ぶかもしれない。どちらにせよ、私の未来は暗い。


「な、何でみんなここにいるの……?」


私の問いかけに、カフォンはまるでそれが常識だとでも言うかのように首を傾げた。


「エル姉さまのお見合いですからね。弟の僕が出席しないなんて考えられませんよ。むしろ出席できなかったら、相手に失礼ですからね」


そうかなぁ。お見合いに弟と兄を連れてくる方が失礼だと思うんだけど。

ていうか今現在進行形で、酔っぱらった失礼の極みである父がいるのだがアレはいいのだろうか。


「それに、カルネヴァーレのババァを殺せるチャンス……おっと失礼、口が滑ってしまいました」


カフォンは天使のような笑顔で、悪魔のような言葉を吐いた後、お上品な仕草でナプキンを口元に当てる。

何か恐ろしい文言が聞こえたような気がするが、私は華麗にスルーした。

今の言葉は、きっと私の無駄に長いエルフ耳が疲れて勝手に作り出した幻聴に違いない。


「僕がいる限りエル姉さまに手出しはさせません。危険な気配を感じたら即座に動きます。消滅魔法の詠唱なら2秒、首をちぎるなら0.2秒もかかりませんので」

「そうだぞエルミア……。俺がいる限りお前には傷一つ付けさせやしねぇ。羽虫どもが不穏な動きを見せた瞬間、あの女の頭を真っ先に切り落とすから心配するな。血が飛び散るかもしれないが、そこは許してくれ」


カフォンとアイガイオンが自信満々にそう言った。

普通は「緊張しないで」とか「自然体でいなさい」とかそんな言葉をかけるもんじゃないの?


いや、確かに一緒にいて欲しいって思ってたけど、先制攻撃を仕掛けろとは一言も言ってないからね?もし二人がこの調子で相手を殺してしまったら、私は結婚どころか戦争の引き金を引くことになる。

きっとお墓には「ヴァンパイア・エルフ大戦の原因となった悲劇の姫」と刻まれるんだろうな。それを読む後世の人は「姫のお見合いが原因で戦争が?何て馬鹿げた話だ」とほくそ笑むに違いない。


でも笑えないよ!これ私の人生なんだから!


そ、そうだ……。父に止めてもらおう──

だが、そんな私の浅はかな考えはすぐに消滅した。


「んあ~♡皆仲良くするんだよー♡喧嘩なんてダメなんだからねぇ♡」


……ダメだ、完全に酔い潰れてる。


「お父様、それでも国王ですか!?何千年も生きてきて、それが最善の言葉ですか!?いい加減しゃきっとしてください!私の人生……いや、エルフ生が掛かってるんですよ!?」


私は父をガクガク揺すりながらそう言う。だが彼は酩酊しきった瞳で虚空を見つめるばかり。その目は「精神的にはもっとお酒を飲んでもいけるんだけどな」と言わんばかりの哀愁を帯びている。

最後の望みも潰えた今、この場の指揮を執れるのは私しかいない。そう、今こそハイエルフの姫として、毅然とした態度で家族を統率する時なのだ。

まぁ無理だろうけど。


「お兄様、カフォン。まずは落ち着いて──」


言いかけた時、夜空に不吉な影が現れた。

天に浮かぶ満月が一瞬だけ、何かの影に覆われたような気がする。


「──来たか」


兄がにやりと笑った。彼の目の中に、狩りを前にした獣のような輝きが宿る。


──その時であった。


突如として、空が奇妙な膜に覆われた。

巨大なクラゲが天空を包み込むような、半透明の膜が広がっていく。そして次の瞬間、月が赤く──血のように紅く染まり始めた。

それは美しくも不気味な光景で、誰かの巨大な瞳が私たちを見下ろしているようだった。

私はぽかんと口を開け、その異様な光景を呆然と見上げる。


「ル、ルナフォールの血月結界だ……!」


使用人たちが青ざめ、慌てふためいている。

エルフたちの優雅な仕草も何処へやら、猫に追われるネズミのように右往左往。メイド服の妖精さんたちも翅をバタバタさせながら、花瓶の中に隠れようとしている。


「ひぃ!」


セルシルに至っては、すたこらさっさと私の背中に回り込み、ガタガタと震え始めた。

おかしい、この老執事は私を守ってくれるはずではなかったのか?何故私の背中に隠れているのだろうか。むしろなぜ私の体がそんな盾になれると思ったのだろうか。


「な、なんと邪悪な結界……!この結界の下では、ヴァンパイアの力は極限まで高まり、如何なる干渉も無効化されるのです!しかもこの結界は彼らの領域となり、どこからでも現れる事が……!」


成程、漫画とかでよくいる説明役だったか。ありがとう、セルシル。状況は理解した。

それと以前、彼の口から発せられた『もし何かあれば私が命に変えてもお守り致します!』という文言も全くの嘘だったことも理解した。


赤い月の光が庭園全体を妖しく照らし、影は濃く、光は鮮烈になる。

写真のコントラストを極限まで上げたような世界。


そして――血のような赤い月の下、何かが近づいてくる気配がした。


天空を覆うように、無数の蝙蝠の影が月光を遮った。

それは墨絵の濃淡のように、夜空に浮かび上がる不気味な群れ。


「──」


恐怖とともに、奇妙な感動が胸の内に広がる。世界が一瞬で塗り替えられる様は、畏怖すら感じさせた。

そうして。紅い月を背に、蝙蝠たちは徐々に人の形を作り、次々に地面に降り立った。

厳密にいえば、蝙蝠ではなかったのだろう。影は瞬く間に優雅な姿をしたメイドや執事たちに様変わりした。


「──アズルウッドの尊き御方々。この紅き夜に我らをお招きいただき、翼が震えるほどに喜びを感じております」


その声音は氷のように冷たく、しかし絹のように滑らかだった。

優雅な身のこなしで頭を下げる黒衣の執事の姿は、どこか私のセルシルと正反対である。(主に威厳的な意味で)


白い……まるで化粧下地を三桁ほど使い果たしたような病的な白さの肌を持つ使用人たち。彼らの背後では巨大な蝙蝠の羽がゆらりと揺れている。

その様子は「優雅」と言えなくもないが、正直なところ死体を思わせる佇まいに私は恐怖していた。

私たちエルフに勝るとも劣らない美貌のヴァンパイアたちだが……どこかその雰囲気は異質だ。


「えっと……」


しかし、このまま驚いているだけではハイエルフの名折れ。

横では、兄と弟が、何の反応も示さずに料理をお上品に貪っている。さすがはエルフの王族、どんな状況でも「食事中」という絶対的優先事項を崩さない。心の底から軽蔑……いや、感服する。

そして、背後では酔っぱらいのゴミがヘラヘラ笑っている。どうやら父という名の国家の恥は、ヴァンパイアの使者が来ても状況を把握できないほど出来上がっているようだ。


「ようこそおいでくださいました。ルナフォール公国のヴァンパイアの皆様。遠路はるばる、夜の帳の中をお越しいただき光栄です」


私は精一杯に腰を伸ばし、上品なお姫様のふりをする……あぁいや、本当にお姫様だったか。

心の中では「どうか恥をかかせないで」と家族に祈りながら、表面上は完璧な微笑みを保つ。

すると、彼らは一様に目を見開き、驚愕の表情を浮かべた。


「貴女様が、エルフの至宝と呼ばれるエルミア姫でございますか。噂に聞いた美貌も、実物の前では色あせる話だったとは。まさに満月の光すら羨むほどの輝きを放っておられます」


彼らは、恍惚の表情を浮かべ一斉に跪き、首を垂れる。

まるで舞台の一場面のような光景で、私の方こそ彼らの優雅な動きにほれぼれしてしまうところだが……。


「我らに合わせ、月下の見合いの場を設けてくださったこと、心より感謝いたします。ヴァンパイアは昼間の光に弱いため、このようなご配慮は身に染みる思いでございます」


……私は、彼らのまともぶりに驚愕していた。

これが恐ろしいと言われるヴァンパイア?これが化け物と恐れられる存在?

これまで私の耳に入ってきた噂は、まるで別の種族の話のように思える。彼らはむしろ洗練されていて、礼儀正しく、驚くほど常識的だ。


「ギャハハ!!もう一杯だぁ!!そこの妖精、花の蜜ワインじゃなくて血の杯もってこいやぁ~♡お父さんは今日は血の海で泳ぐ気分なのさぁ~♡」


父……いや、酔っぱらいの下品な声が響き渡る。

この洗練されたヴァンパイアの使者の前で、我が父はついに最終形態である「酒に溺れた道化」へと進化を遂げたようだ。


「チッ……あのババァ、くだらねぇ結界張りやがって。先を越されたか」

「うーん、この結界の中にいるといくらぶっ殺しても始祖ならすぐに再生しますねぇ。僕、嫌いなんですよね。何度も殺すのって面倒くさいんで」

「この魔剣で斬ってもある程度はすぐに再生しちまうな……どうやって殺すか。首を切ってから灰にするか、それとも灰にしてから首を切るか」


そして横では、我が兄弟のとんでもない発言が聞こえてくる。

よりにもよってヴァンパイアの前で、彼らの主君を「ぶっ殺す」などと口走る彼らの化け物染みた常識に私は人知れず震えた。


普通、お見合いの席で「どうやって相手の親族を殺すか」なんて会話はしないものだろう。少なくとも、相手に聞こえる距離では。


(あ、これもしかして私たちの方が化け物だったパターン?)


ヴァンパイアの使者たちは、こんな会話を聞きながらも完璧な礼儀正しさを崩さない。

その姿に、私は妙に感心してしまう。彼らは真の意味での紳士なのかもしれない。


「ヴァンパイアの皆さま。後ろにいる……その……この王宮に不法侵入した謎の変質エルフたちはお気になさらず。彼らがこの庭園で奇声を上げたり人殺しの計画を立てたりしているのは、単なる気のせいです。言わば、幻影です。存在しない者たちですので」


なんて苦しい言い訳なんだ。だけど、仕方ないじゃないか。

あれをなんて呼べばいいんだ?私の家族?冗談じゃねぇ……!

家族と公言した途端、エルフという種族の全ての威厳と品格が地に落ちる気がする。


「勝手に入り込んだ……。成程、それは興味深い存在でございますね」


ヴァンパイアの方々の視線が後ろの謎のエルフたちに注がれる。いつの間にか私の背後から飛び出たセルシルも、私と同じように彼らの視線をブロックしようとするが……まぁ無理だ。

彼らの視線は私の横を貫通し、ワインをがぶ飲みする国王と「殺す計画」を仲良く立てている王子たちに確実に届いている。そしてその視線には、困惑と共に、何か別の感情が宿っていた。


それは……理解?共感?あるいは親近感?まさか彼らも自分たちの国ではこんな感じなのだろうか。

それとも我が家の狂った状況を見て「やっぱりエルフも大差ない」と安心したのか。

どちらにせよ、私の頬を赤く染める恥辱に変わりはない。


ま、まぁいい……いや、世界で一番よくない状況だが、とにかく『アレ』(その言葉以外の何かで表現できないレベルのファミリーモンスター)から気を逸らさないと!

私は慌てて話題を変えようと口を開く。自分の家族から視線を逸らしてもらうために、私はかつてないほど必死だった。


「と、ところで……王子はどこに……」


──その時であった。


「王子は只今……あっ」


私の言葉に、何かを言いかけたヴァンパイアのメイドや執事たちの首筋に、紅い線が一閃する。

それは一瞬の出来事だった。


「──!?」


眼の前で、光のような、風のような何かが通り過ぎた感覚。

月の赤い光を受けて煌めく、鋭利な刃の軌跡。


──そして、ヴァンパイアの使用人たちの首が一斉に宙を舞った。


「えっ……」


まるで夢の中の出来事のように、現実感のない光景。


首は美しく弧を描き、その断面からは鮮血が噴水のように吹き出し、辺りに巻き散らかっていく。


赤い月の下、赤い血が舞い散る。


私は、ただ目を見開いたまま、この悪夢のような光景を見つめていた──。


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