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第53話

「え……あ……はい……?」


恐らく私の表情は、奇妙なものになっているだろう。

いや、「奇妙」なんてまどろっこしい言葉では表現しきれない。「絶望的な混乱」とか「精神崩壊寸前」とか「人生諦め顔」とか、そういうレベルだ。

だけど、それもしょうがない。だって、目の前にいた……今まで和やかに話していたヴァンパイアたちの首が突然宙を舞ったのだから。


ポタン、ポタン、と妙に軽快な音を立てて、ヴァンパイアの頭部が次々と地面に落ちる。その表情は今起きたことを理解できていないのか、まだ礼儀正しい微笑みを浮かべたままだ。

続いて、ぐらり、どさり、と彼らの身体が地面に倒れていく。花壇に新たな肥料でも追加されたかのように、きれいに並んで。


「……」


ちなみに、私の全身は鮮血で血まみれである。

高級ドレスは見事に赤く染まり、顔にも髪にも紅い液体がべっとりとこびりついている。これぞまさに「血の洗礼」というやつか。


……しかし私は冷静であった。

兄の狂った愛情表現、弟の危険な魔法、父の政略結婚──これらを体験しつつ生き延びた私には、些細な首飛ばしくらいでは精神が崩壊しないという素晴らしい耐性が身についていたようだ。

いらん能力だな。こんな能力より、せめて「兄の愛情を消し去る能力」とか「父をまともにする能力」の方が何倍も役立ったはずなのに。


──つーか、そんなこと考えてる場合じゃねぇ。


なに?なんなの!?この惨劇は一体なに!?

目の前で繰り広げられた虐殺劇。それも一瞬で、まるで魔法のように──いや、実際に魔法か何かだろう──首が飛ぶという非現実的な出来事。

そして私の表情が固まったままのこの辺りには、誰一人犯人らしき人物はいない。まさか、私のお見合い相手が到着する前に、何者かが使者を殺してしまったというのか?


(いや、待てよ)


あの不穏な会話。「ぶっ殺す」「どうやって殺すか」。

ま、まさか……

兄か、弟が大量殺人を犯してしまったのか……?ついに、彼らの隠された本性が私の目の前で……?

いや今までも「隠された本性」とは名ばかりの、むしろ「喜んで晒している本性」だったけれど。


私は恐る恐る背後を振り返る。もし彼らが犯人なら、きっと誇らしげな表情で「見たか、俺(僕)の腕前を!」とか言うに違いない。

しかし彼らは以外にも、この凄惨な光景など知らないとばかりに和やかに会話を繰り広げていた。


「ところでハーブティーはどうした?俺はキシュメール産のハーブティーを飲まなきゃ調子が出ないんだが。この料理に合わねぇんだよなぁ」

「ハーブティーは、ヴァンパイアたちが苦手だから今日は出ませんよ。代わりに血を混ぜたローズヒップティーを用意したとか」

「なにぃ……!?この俺様に断りもなく……こんな侮辱があるか!?」


しょうもない会話がくり広げられているが、どうやら二人は犯人ではないらしい。いや、「犯人ではない」というよりも「そもそも犯行に気づいていない」感じだ。

目の前で起きた首飛ばしショーを完全にスルー、代わりにハーブティーの有無というマジでどうでもいい問題に全力で取り組んでいる。

ならば、父が……?しかし、父は酔っぱらってそもそもヴァンパイアが来たことを認識していないようだ。いやそれどころか「自分が誰か」も認識していないレベルでベロベロに酔いつぶれている。「俺の髪は世界樹の葉っぱより綺麗だろぉ~♡」などと意味不明な独り言を呟いている。


(ど、どうする……!?どうする私……!?)


どうするもなにも、私のせいじゃないし(ここ重要)、そもそもこんな凄惨な光景を目にして意外と動じてない自分に一番動揺しているという矛盾。兄が「敵を殺した」とか言ってるのを聞いても「ふーん」で済ませるくらいには精神がおかしくなってきているのかもしれない。

何が起こっているのかは分からないが、なんとかしないと──いや、そもそも何をどうするというのだろう。首が飛んだヴァンパイアたちに「すみません、うちの兄弟が…」とでも言えばいいのか?そもそも死体に謝る意味あるのか?いや死体に謝るのはおかしいだろ!?


──その時である。


「失礼いたしました。尊きハイエルフの姫君に、みっともない姿を見せてしまいましたね。我々の粗相をどうかお許しください」

「!?」


頭部がしゃべった!?

正確に言えば、胴体から切り離された頭部が、地面に転がりながらしゃべった!?

これって幽霊とかじゃなくて?切断された首から声が出るって物理的にどうなってんの?そもそも身体から離れた頭でどうやって空気を振動させてるの?そんなの可能なの?


「え……あ……うん……はい!?」


私の瞬きが超高速で行われる。もしや夢でも見ているのか?いや、それなら父が酔っ払わず、兄が妹に恋心を抱かず、弟が魔法使いじゃない、そんな素敵な夢を見せてくれ!

しかしそんな私の動揺など、ヴァンパイアたちは気にした様子もなく、朗らかに笑みを浮かべている。


自分たちの首が切り離されているというのに、当たり前のようにしているヴァンパイアたちに戦慄を覚える。

いや、正確には「戦慄」というよりも「あー、この世界の常識の基準点がまた下がったな」という諦めに近い感情だ。

エルフ王族の常識もおかしいと思っていたが、どうやらヴァンパイアはそれ以上におかしいらしい。

その時、セルシルがそっと私に耳打ちをする。その表情は「大したことないよ」と言いながら「実は大したことだよ」と目が訴えているような、複雑なものだった。


「姫様……ヴァンパイアは、首を斬られても痛いだけで死にはしません。更に、この結界の中だとすぐに再生するので……問題ないかと。まぁ一応、痛いみたいですけどね。人間でいうと足の小指をぶつけたくらいの痛みだとか」


なんだそれは……。言うほど問題ないか……?

小指をぶつけたレベルの痛みで済む首切りとか、そんな便利なボディはどこで買えるんですか?私も欲しいわ。


「俺の頭は……これか」

「やだ、このメイド服、おろしたばっかりなのに汚れちゃった……」


しかし、私のドン引きとは裏腹にヴァンパイアたちの身体(首無し)はゆっくりと立ち上がり、各々の頭部を抱えると、首につける。

そして、あっという間に首がくっつき、元に戻る。

彼らのフォーマルウェアは見事に赤く染まっていたが、それを気にする様子もない。


「……」


それを私は唖然として見ている。

いや、「唖然」という表現も少し違う気がする。もはや「へぇ〜、そうなんだ〜」くらいの冷めた驚きしか残っていない。


ヴァンパイアのメイドは、恥ずかしそうに血まみれのメイド服に付いた土埃を払っている。

「洗濯物に猫の毛が付いちゃった」くらいの軽いノリだ。地面に倒れたことによる汚れを気にする前に、自分の血で真っ赤に染まった服を気にするべきではないだろうか。

傍らでは執事が優雅に燕尾服の汚れを取っている。彼の動きは洗練されていて、血だらけの黒い服をハンカチで拭う姿は、高級レストランでワインをこぼした時のような所作だ。


「おや、エルミア姫様。いつの間に御召し物を変えられたので?その血のように紅いドレス……とても美しくて妖艶でございますね。我々好みの血の色に合わせてくださったとは、なんと心遣いの細やかな姫君でしょう」

「……」


私の全身は鮮血で染まっているが、これは彼らの首から噴き出た血によるものだ。つまり私は彼らの体液まみれになっているのだが、なぜかそれを「素敵なドレス」と表現されている。

今や私は血まみれの姫となっており、とんでもなく恐ろしい姿だろう。

正気の人なら逃げ出すか悲鳴をあげるレベルの姿。ホラー映画に出てくる「呪われた人形」か「祟られた少女」みたいな見た目のはず。でも彼らはそれを「美しい」と言う。

あまりの文化の違いに、私の脳味噌は軋みを上げていた。


「ほ、褒めてくださり……光栄ですわ……はい……。血まみれファッションは初めての挑戦だったので、お気に召していただけて嬉しいです」


私は震える声を必死に隠しながら、こう言うしかないのだ。

だって、他になんといえばいい?「あなたたちの首から噴き出した血のせいでドレスが台無しになったわ!クリーニング代請求するわよ!」とでも言えばいいのか?


「ん……。このローズヒップティー、意外といけるな。やはり血が隠し味だからか?」

「エルフの国で一番血が美味しいと評判の青年の血らしいですよ。快く採血に協力してくれたので、まだまだ在庫は沢山ありますからね」


背後では、相変わらず酒を飲んだり食事をしたりして、団らんの時を過ごしている我がファミリー。彼らの世界では「首が飛ぶ」レベルの大事件すらさほど重要ではないらしい。


(ど、どうして私だけこんな目に──)


いや、何を言っているんだ私は。彼らが気づかないからこそ、この場が更なる修羅場と化さずに済んでいるのかもしれない。

だが、私だけではない。私の横にはセルシル(彼も返り血で血まみれになり、白髭が真っ赤に染まって、まるで「炎の老人」みたいな見た目になっている)がいるし、少し離れたところでは我が麗しきエルフの従者たちが侍っているし、メイド服を着たそこはかとなく頼もしい妖精さんたちもいる──


──筈なのだが、セルシルは震えて置物と化しているし、エルフの従者たちは白目になって硬直しているし(一部は気絶で仮死状態になっている)、メイド妖精さんたちは恐怖のあまり花瓶や私のドレスのスカートの中に隠れてしまっている。

なんとも素晴らしい従者たちだ。これは頼りになるなぁ。死を覚悟した騎士のように立ちはだかる姿とか、「姫様、私がお守りします!」という盾となる健気さとか、そういうのはどこへ行ったんだろう?

代わりに「自分だけ生き延びよう」の精神に満ち溢れている。まるで私みたいだぁ。


「おっと、そういえば王子をまだお連れしておりませんでしたね。これは失礼いたしました、ハイエルフの姫君をお待たせするとは我々の沽券にかかわる一大事……」


ヴァンパイアの執事が、不意にそう言ってきた。

そしてその言葉に、血まみれの顔を両手で拭いながら、部下たちに命令を下す。


「スピラーレ殿下をここに『持って』きなさい!姫様をお待たせしているので、急ぎなさい!」


その言葉に、私が違和感を覚える。

……持ってくる……?連れてくる、の言い間違いか?

いや、彼らのような完璧な執事たちが、そんな初歩的な言い間違いをするだろうか?


そこはかとなく、嫌な予感が……する……。

というか、この状況で「良い予感」なんかあるわけない。首が飛んで平気という時点で、もはや何が起きても驚かない覚悟はできている。


私が死んだ目で全てを諦めていると、ヴァンパイアたちが奥から棺桶のようなものを持ってくる。

いや、「棺桶のようなもの」といった曖昧な表現は必要ない。あれは間違いなく棺桶だ。漆黒の木材で作られた、高級そうな彫刻が施された、紛うことなき棺桶。


「えっ……」


棺桶……?

何故、この場所に棺桶が?正確にいうと、どうしてお見合いに棺桶が……?

「花束」「手土産」「自己紹介カード」なら分かるが、「棺桶」はお見合いの定番アイテムではないはずだ。


ヴァンパイアたちが棺桶の正面を私に見せるようにして、立たせて地面に置く。

彼らの所作は優雅で丁寧だ。棺桶という不吉極まりないオブジェを私の前に優雅に、そして誇らしげに陳列している。


──え、なにこれ?


まさかこの棺桶に私を入れてやるとかそういう流れ?お気に召さなければその場で殺しますとかそういう究極の婚活パターン?

いくらなんでもそれは……まぁ、この世界の常識からすると「あり得るかも」と思えてくるのが恐ろしい。


私が今日何度目か分からない戦慄を覚えていると、ヴァンパイアの従者たちがゆっくりと棺桶の蓋に手を掛け、開いていく。

重厚な扉がきしむような音を立てて、少しずつ、少しずつ開かれる棺の蓋。


私は固唾を飲みながら、その中身を見守った。


棺桶の中にあったのは──


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