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第61話

「あら、エルミア姫様。真夜中のお見合いは如何で……ひゃあ!?」


血塗れの私を見て、エルフのメイドさんが逃げる。

彼女のドレスの裾が廊下の角を曲がる瞬間、「本日付で退職します!」という叫び声だけが残った。


「おぉ、エルミア姫様。この紅い月夜が浮かぶ夜中の中でも貴女の美しさは不変で……おわぁ!?」


エルフの貴族の青年が、私が抱いている王子の生首を見て華麗に逃走していく。

「失礼、緊急の用事を思い出しました!」と叫びつつ、彼は窓から飛び降りた。二階からの落下より、生首との対面の方が恐ろしいと判断したらしい。


「あ!ひめさま!夜に起きてるなんて珍しいねぇ!私と遊んで……なんだその化け物!?」


夜行性の妖精さんが私の背後に浮いているヴァスカリスを見て「きもっ!?」と叫びながらあっという間にいなくなる。

その小さな体は光の速さで消え去った。壁の隙間に逃げ込んだのか、次元の狭間に消えたのかは不明だ。

通常、妖精さんは何に対しても好奇心旺盛なはずだが、どうやらロイヤルモスキートとやらは「好奇心の領域」を超えた存在らしい。


「う~ん。エルフの方々は昼行性の種族と聞いていたのですが……夜に活発に動かれる方がこうも多いとは、もしかして長い歴史の中で夜行性に変化したんですかね?」

「そうかもしれませんわねぇ」


王子は不思議そうな表情を浮かべ、我がエルフの従者たち(と妖精さん)の奇行を見ている。

私はというと、もう言い訳するのも疲れたので、適当に相槌を打っているだけである。

エルフは夜中に暴走するという新たな設定を作り出す気力すらない。


「しかし……エルミア姫は皆から慕われておられるのですね」


無駄に長い廊下を歩いていると、不意に王子がそんなことを言ってきた。

慕われてる?どの会話を見て、そう判断したのだろうか。今のところ、王子には、従者に悲鳴をあげて逃げられるシーンしか見せてないが……。


「僕は……超越種として、始祖として生まれたのもありますが……母がルナフォール大公というのもあって、配下の者たちからは距離を置かれることが多いんです。正直、母の近くにいる人は突然爆発したり肉片になったりする確率が異常に高いので、誰も近づきたがらないんですよね」


……なるほど。確かに、母君があのような人……というか、ヴァンパイアならば、普通の思考能力を持つ存在ならば関わりたくないと思うだろう。

部下を爆発させる趣味を持つ上司の息子というだけで、周囲から白い目で見られるのは想像に難くない。

……しかしそれについては私も同じだ。


「まぁ、では私と同じですね」

「え?」


王子が目を丸くする。生首なのに驚いた表情を浮かべるという離れ業を見せてくれた。


「……実は私も、家族には困り果てていて」


私はポツポツと話始めた。

愛情表現という名の精神的拷問を日々繰り広げる兄、世界を滅ぼしても構わないという愛の深さを誇る弟、そして酔っ払うと自分が誰かも分からなくなる国王である父。

彼らは「家族」という概念を独自の解釈で実践している。これが王族の標準なのか、それとも私たちだけがおかしいのか、日々自問自答の日々だ。

「うちの家族は外交問題を起こさないと気が済まない節があるみたいで」と説明しようとすると、言葉が詰まる。

家族愛が強すぎて、時々「戦争」や「殺す」や「世界滅亡」といった単語が飛び出る我が家の日常を、どう説明すればいいかは分からないが、事実を淡々と伝えていく。


「それは……なんとも独創的な家族といいますか……うん……まさに愛の形は種族それぞれという言葉の最終形態といいますか……」


王子が震えながらそう言った。

どうやら私の話を聞いて怯えているらしい。無理もない、王子も、私の兄と弟の行動というか、言動を少しではあるが体験したのだから。

流石に息子を肉片にする母親ほどのインパクトはないけど、それでも十分脅威は伝わったはずだ。


「ひぃ……ひぃ……結婚すれば公国から出れて、あのババァ……あ、いや母上から逃れられるかと思ったのに、ここにも狂った奴らがいるだなんて……地獄から別の地獄に飛び込むようなものじゃないか。これじゃあ『肉塊』になるか『首を取られる』かの二択になっちゃうよぉ……」


なんとも情けない王子の台詞だが、狂人に怯えるあたりまだ狂気に犯されていないことを確認できる。精神的に正気を保っていることが、この状況では稀有な才能だと言っていい。

生首というだけで既に十分異常なはずなのに、彼は「相対的正常者」として機能しているのがこの世界の狂いっぷりをよく表しているな……。


「あのぅ……もしかして、エルミア姫も、その……兄君や弟君のように、なんというか、狂った感じの力をお持ちで……?あ、いや、答えたくなければいいんです!なんというか、そのぉ、血は争えないっていう言葉の真実を確かめたいっていうか?別に貴女が狂った超越種で、私をさらに細かく刻む能力があるかどうかを確認したいわけじゃないですよ!ただ、命の危険を早めに察知したいという生存本能が働いただけでして!」


王子(の生首)がしどろもどろになりながら私にそう聞いてくる。頭部だけなのに汗をかいているような錯覚さえ覚える、そんな必死さだ。

なんてことだ、もしや私もあの狂ったエルフ王族の一員だと誤解されていたのか?いや、一員なのは間違いないんだけど。

DNAは共有しているわけだし、兄弟が狂人(狂エルフ)であるなら、私も何かしらの能力があるはずだという推測は理にかなっている。

まぁ、そんな能力があるなら既に使って逃げ出しているところだけど。

私は彼の問いに微笑みながら答える。


「ご安心ください。私はただのハイエルフのお姫様……剣も魔法も使えない、ただのお姫様ですから」


私の言葉に王子はきょとんとした表情を浮かべる。生首なのに「?」マークが頭上に浮かんでいるのが見えるような、そんな純粋な疑問の表情だ。


そして、私は続ける……。


「せいぜい、機嫌が悪い時に、使用人や妖精さんの首を刎ねるくらいで、私は正真正銘のか弱い姫です。まぁ、首を飛ばすのはあくまで趣味ですので、あまり得意ではありませんけど」

「ひぃ!?やっぱり!?」


ついつい、そんなことを言ってしまった。

なんだろう、普段私はそんな冗談なんて言わないのに、彼の姿を見ていたら、ついからかいたくなると言うか、嗜虐心を刺激されるというか。

ていうかやっぱり、てなんだよ?私そんな風に見えるのか?……まぁ、血まみれの今ならそんな風に見えるんだろうね。

血の杯を持ちながら「人を殺す趣味はありません」と言っても説得力がないように、ドレスが返り血まみれの状態では「首を飛ばす趣味はない」と言っても信じてもらえないのも当然か。


「もうだめだぁ……僕はこれから無残に頭部を握りしめられて、脳味噌を啜られて再生も出来ないほどにむちゃくちゃにされるんだぁ……なんでこんなところに来てしまったんだぁ……!もう死にたい、いや、もう死んでるか……!」


彼がそんなことを言い出した。随分な想像力に感心するが、このまま放置していたら彼の心が壊れてしまうからフォローしなくては。

この場の空気を重くするのは私の本意ではない。単なる悪趣味な冗談のつもりだったのに、心底恐れられるとはこれいかに。

そもそも私がそんなことする場合、間違っても予告などしない。襲うなら突然だよね、とか考えてる自分に恐怖を感じる。


「あーっ……その、王子?今のは冗談です、冗談。エルフジョークですのでご安心ください」

「へっ……?」


私の言葉に王子が怯えながらも落ち着きを取り戻す。「処刑が中止になった」と告げられた囚人のように、恐怖と安堵が入り混じった表情だ。


「じ、冗談ですか?本当に」

「えぇ、本当に」


ついまた、「嘘なのは嘘だ。これからお前の脳味噌を啜ってやる」と言いそうになるが堪える。なんとか舌を噛んで、その衝動を押さえ込んだ。私の舌さんは悪い子のようだ。

……私は一体どうしてしまったんだ?この王子の怯えようを見ると、どうしても虐めたくなってしまう!私は決してサドスティックな趣味なんてないはずなのに!

もしかして血塗れのドレス姿が「心」にも何らかの影響を与えているのだろうか。あるいは王子の生首を抱えていることで、脳に異変が起きたのかもしれない。


「首、斬らない?」

「えぇ。斬りません」


だってもう頭部だけじゃねぇか。これ以上何を斬れというのだ。


「脳味噌すすらない?」

「えぇ、すすりません」


私はどこの化け物だ?普通の女の子はこんな会話しないはずだ。前世でも、こんな会話をした記憶は、もちろんない。


暫くの静寂。

時間が止まったかのような沈黙が二人の間に流れる。

そして、不意に王子がホッとした表情を浮かべた。生首なのに、全身の力が抜けたかのような安堵感が伝わってくる。


「あぁ……良かった。噂通り、エルミア姫が慈悲深くて、常識的な姫で安心しました……」


なんだか彼の表情を見ていると、罪悪感に駆られてしまう。

彼はこんなにも、優しい青年だというのに、こんな意地悪をしてしまうだなんて、私も随分とこの世界に適応したようだ。

母親に肉塊にされ、兄弟に殺されかけた彼に、さらに精神的恐怖を与えるとは。「狂ったひとたち」の仲間入りを果たしてしまったかのような背徳感が私を包む。

周囲ではエルフの使用人たちがドン引きして逃げたり、悲鳴を上げたりして逃げいるが、もうその光景にも飽きてきた。


「全く、エルミア姫は冗談がお上手ですね」

「申し訳ございません、スピラーレ王子が可愛くて、つい」


私の言葉に、王子は穏やかな笑みを浮かべる。

それを見て、私は本当に彼は純真無垢でか弱い青年なんだなと実感する。生首だけど。


「いえいえ、構いませんよ。冗談くらい」


スピラーレ王子が、にこりと微笑む。


そして、言った。


「貴女の首筋に牙を立てて、血を吸って殺してさしあげたいという、私の歪んだ欲望に比べたら冗談なんて可愛いものですから」


その瞬間、王子の首から下が瞬く間に再生される。まるで高速撮影された映像のように、肉と骨が形を成し、血管が張り巡らされ、皮膚が覆っていく。

白い喉から胸、腹部、そして手足へと、見る見るうちに彼の身体が完成していく。スピラーレ王子の完璧な姿が月光に照らされ、その美しさに目を奪われる間もなく——


「──え?」


いつの間にか私は王子の腕に抱きこまれ、身動き一つとれない。

彼の腕は鋼のように強く、逃れることは不可能だ。純真そうに見えた青年の表情が一変し、その瞳に赤い光が宿って──。




牙が、赤い月の光を反射して、煌めいた。


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