所変わって、ここは(元)お見合い会場。
壮麗なエルフの王宮の庭園……しかし、今は紅い月が真上に浮かび、肉片が飛び交う凄惨な犯行現場と化している。元々は見合いの儀式のはずが、いつの間にか野蛮人の祭典のような様相を呈していた。
花々は血に染まり、高級テーブルクロスは肉片の寝床と化し、ワイングラスは赤い液体を含み——それがワインなのか血なのかは、もはや判別不能だ。
「そう言えば、あの峡谷での戦いを覚えてる?アイガイオン。あの戦いで、私は可愛い可愛い息子を二人失ったわ。どこかの気の狂ったエルフ野郎に刺し殺されてねぇ」
大公カルネヴァーレが艶やかな動作でそう言う。白い指先でワイングラスを優雅に回しながら、その紅い瞳は敵を値踏みするように冷たく見据えていた。
それに対し、エルフの麗しき第一王子・アイガイオンは長い金髪を靡かせ、眉をピクリと動かした。
「可愛い息子だと?もしかして、ノーベアスとケグアのクソ野郎共のことか?あいつらを可愛いなんて言える母親がいるなんて、奴らも泣いて喜んでるだろう。地獄の底でな」
アイガイオンはワイングラスを一気に飲み干すと、そのまま握りつぶしてしまう。
砕け散るガラスの破片が紅い月光を浴びて、一瞬だけ星屑のように輝いた。
「あのクソ外道共を可愛いと抜かす辺り、テメェの感覚が常識とズレているのは明白だな。あのクソ野郎共は、テメェに似て散々残酷極まりないことをしでかしたマジモンの化け物だったんだからよ」
カルネヴァーレの白い肌が怒りで僅かに紅潮し、蝙蝠の翼が不機嫌そうにピクピクと震えている。
猫が尻尾を振るようなリズムで、彼女の感情が視覚化されていた。
「お前に殺された私の子供たちはどれくらいでしょうねぇ。みんな、魔剣に切り裂かれて『助けてママ!』って叫びながら消滅していったわ。あの時の光景を私は一生忘れられない……そう、あの大戦では、私の愛しい子供達が、お前のような野蛮なエルフに惨殺されていく様を見ながら、私はただ泣くことしかできなかったの」
そう言い、悲し気に顔を伏せるカルネヴァーレにアイガイオンは目を何度も瞬かせ、二度見、いや三度見をする。
彼の顔は「今聞いたことが本当に現実か」と疑うような、あまりの虚言に脳が追いつかないような表情だった。
「テメェ何言ってやがる?老化で脳味噌溶けてきてんのか?奴らの死に顔なら覚えてるぜ、何千人も命を奪ってきたクソゴミらしい憎悪と負け惜しみに満ちた悍ましい化け物の死にざまだった。間違っても『助けてママ!』とか言いながら死んでいく可愛い奴らじゃなかったのは確かだ。むしろ最後まで『エルフどもを殺せ!』『あの世でも殺してやる!ぐはは!』とか叫んでたクソ共だ」
アイガイオンの金髪が怒りに震え、まるで生き物のように揺らめいている。美しい瞳からは殺意が溢れ、テーブルの上のワインが沸騰し始めるほどだ。
「つーかテメェ、母性愛の欠片も無いくせに何が『可愛い子供』だ。テメェの魔法に巻き込まれて塵になってった哀れな奴らを忘れたのか?まぁ、泣くどころか嬉々として自分の子供を巻き添えにする気が狂った女に言っても無駄か」
二人の殺気が蔓延する。
空気が重くなり、呼吸さえ困難な状況。彼らが放つ敵意は、実体を持った黒い霧のように辺りを覆い尽くしていく。庭園の花々が萎れ、ワインが凍りつき、テーブルクロスの端が焦げ始めるほどの凄まじい殺気。
そして、そんな中──
「あ、あわわ……どうすれば……!?」
エルミア姫の忠実なる老執事、セルシルは呆然と立ち尽くしていた。
アイガイオンとカルネヴァーレの殺気のぶつかり合いを至近距離から見ていた老執事は恐怖に震えている。膝がガクガクと音を立て、白い髭が震え、その手に持った高級ティーポットからは中身が零れ落ちていた。
超越種同士の一触即発の状況など、その圧で下位種は気絶するのが常であるが、運の悪いことに常々、その狂った気に充てられているセルシルは未だ意識を保ってしまっている。
素晴らしいエルフの王族の傍で長年仕えてきた彼の精神は、この種の狂気に対する耐性を持ってしまったのだ。
いっそ気絶すれば、この恐怖から逃れられるというのに。セルシルは死にたくなるような気持ちで立ちすくんでいた。「なぜ気絶できないの?」と自分の脳に問いかけながら、彼は瞳から涙を流す。
「ふぅむ……これは如何いたしましょうかねぇ」
そんなセルシルに、声がかかる。
そういえば、ヴァンパイアの従者たちがいた。勢力こそ違うが、今は彼らと共に生き延びるために協力を──
「ぎゃあ!?」
しかし、セルシルが見たのはヴァンパイアの従者の首であった。
地面に転がっている生首がセルシルに声をかけてきたのだ。その首は真面目な表情でセルシルを見上げている。
「カルネヴァーレ様がお怒りになったら、我々など肉塊になるしかありません。そんな運命を経験しすぎて、もはや趣味と化しておりますがね。痛みというものに麻痺すると、粉々に砕かれるのも一種の娯楽になるものですよ」
「そうそう、エルフの皆さんも早く死んだ方が楽ですわよ~。頭が吹き飛ぶ瞬間の解放感と、体がバラバラになる時のあの独特の浮遊感…最初は怖いかもしれませんが、三回目くらいからは癖になりますの。私なんて、週に一度は粉々にされないと落ち着かないんですよ~」
生首の横にある謎の肉塊が、そう言った。恐らくメイド服の切れ端が傍に落ちていることから、侍女かなにかだったものの果てだろう。
どうやって発声しているのかは謎だが、残念だがヴァンパイアと違ってエルフにはそのような特殊技能はないのだ……。
「その……お心遣いありがとうございます。ただ、エルフには死んだら再生できる能力が備わっておりませんので、なるべく死にたくないというかなんというか。私どもは『一度限りの命』という非常に時代遅れの仕様でして。粉々になっても復活できないという、実に不便な種族なんですよ」
セルシルの言葉に生首や肉塊のヴァンパイアの従者たちが「まぁ!」「それは不便ですねぇ!」「一度死んだら終わりなんて、なんて原始的な!」などとこの場に似つかわしくない言葉が返ってくる。
ヴァンパイアたちのそんな言葉を聞き、セルシルは頭痛と眩暈を我慢しながら、なんとかこの場を離れようとする。
その足取りは、嵐の中を歩く老人のようにおぼつかない。華麗に逃げ出すことさえできないほど、彼の精神と肉体は疲弊していた。
「というか、姫様は何処に……!?いつの間にか、いなくなっておられる!?この爺やを置いて、一人で逃げるとはなんて殺生な!どうか、この老い先短い爺を見捨てないでくださいまし!姫様ぁ~!」
セルシルがよよよと泣き崩れる。白い髭を涙で濡らしながら、彼は床に膝をつき、両手で顔を覆った。
一国の宮廷執事としての威厳も何もかも忘れ、ただ生き延びるための祈りを捧げるように。
そんなセルシルに対し、幼い少年の声がかかる……。
「セルシル、何を泣き崩れているんです。あぁ、もしかして兄さまとカルネヴァーレが怖いのですか」
カフォンである。第二王子である彼は、可愛らしく席に座り、食事を一人黙々と食べている。周囲の修羅場とは対照的に、彼の動作は優雅そのもの。
ナイフとフォークを持つ小さな手は、舞踏のように舞い、肉を切り分けている。飛び散る肉片や散乱する首など、彼の目には映っていないかのようだ。
「セルシル、僕の近くなら安全ですよ。死にたくないなら僕の傍で……」
魔王──ではなく、カフォンがそう言った瞬間であった。
「そんなに死にたいなら、今すぐ殺してやる。アイガイオン!」
「上等だぁ!本性表しやがったな!このクソババァが!」
遂に殺し合いが始まる。アイガイオンが魔剣を抜き、カルネヴァーレが全身に魔力をみなぎらせる。その動きは瞬く間のことで、目を見張るより早く二人は戦闘態勢に入った。
アイガイオンの魔剣からは赤黒い光が溢れ、生きた炎のように蠢いている。対するカルネヴァーレの周囲には、深い闇よりも黒い魔力が渦巻き、その姿はもはや人型の悪魔と化していた。
美しい女性の姿を保ちながらも、その背後には巨大な蝙蝠の影が広がっている。
それだけで、周囲に凄まじい暴風のような圧が発生し、ヴァンパイアの従者たちが吹き飛ばされる。生首も肉片も空中に舞い上がり、まるで血の雨のように散らばっていく……。
「うわぁ!?」
そして、一人のヴァンパイアの従者が吹き飛ばされ、カフォンへと飛んでくるが──
「おっと」
カフォンは手を翳し、魔法で自身に吹き飛んできたヴァンパイアをぐちゃぐちゃにしてしまう。その小さな手から放たれた魔力は、ヴァンパイアを内側から破壊し、骨も肉も溶かしていく。その光景は、まるで風船が膨らみすぎて破裂する様を思わせた。
「うぼぁ!」と断末魔を上げ、凄惨な光景が広がるのをセルシルが震えながら見ている。
彼の青ざめた顔は、もはや「恐怖」という言葉では表現できないほどの絶望に満ちていた。
「誰ですか、ゴミが飛ばしたのは。僕は清潔好きなんですから、やめてほしいなぁ」
「──」
老執事の顔は青ざめ、両手で目を覆おうとするが、恐怖で固まった体が思うように動かない。
だ、駄目だ。この御方の近くにいるのが一番危険だ──!
カフォン王子の微笑みの裏に潜む狂気を、誰よりも理解しているのはセルシルであった。あの可愛らしい笑顔の下に眠る闇の深さ。
今まさに粉砕されたヴァンパイアのように、自分もいつ『不要な存在』と判断されるか分からない。真の恐怖とは、この幼い魔王の気まぐれにかかっているのだ。
ならば、と思いセーロス王をちらりと見るも……。
「えへ、えへ……可愛いねぇ。キミ何歳?趣味は?」
「歳は……確か2742歳でぇ……趣味はエルフの血で作ったカクテルを飲むことですわ。特に上位種の血は香りが高くて、飲むと体の芯から温まるのですよ~。セーロス様、血吸わせてくださるの?」
我が栄えあるエルフの王、セーロスは酔っぱらいながら、ヴァンパイアのメイドの生首を口説いていた。
片手で生首を持ち上げ、もう片方の手でワインを注ぎながら、ロマンチックなディナーでもしているかのような甘い声音で話しかけている。
かつて威厳に満ちていたはずの国王が、血まみれの生首に酔った調子で「キミみたいな子と一緒に朝日が見たいねぇ~」などと囁いている光景は、悪夢としか言いようがない。
「……」
セルシルは目頭が熱くなる思いであった。あの頃の凛々しいセーロス王はどこに行ってしまったのか。
王国のために剣を振るい、かのエルグレイス王と共に、厳かに儀式を執り行っていた姿は、もはや遥か昔の思い出でしかない。
今やその姿は、生首とイチャイチャするただの酔っぱらいに成り下がってしまった。
「やだ、なにあの酔っぱらい……?」
「あれって退化ってやつ……?」
そして、その光景を見てエルフの従者たちも、妖精たちもドン引きし、小声で囁き合っていた。
彼女らの瞳に移るのは王国の絶望の未来である。
その中にはもちろん、セルシルも入っている……。
「王よ……私、情けなさと悲しみで胸が張り裂けそうでございます……マジで……」
そうして、主役不在のお見合いは続く──。
アイガイオンとカルネヴァーレの殺し合い、カフォンの無意識の殺戮、そして酔っぱらい王の生首ナンパ。
お見合いという名の国際儀式は、大量虐殺ディナーショーへと華麗に変貌を遂げていた。
このお見合いは、後世まで語り継がれることとなるだろう……。もしも外交史の教科書に載るとしたら、「異種族外交の失敗例として避けるべき事例No.1」という扱いは間違いない。
そしてハイエルフ王家の栄光と凋落という章の、まさに終焉を飾るにふさわしい一幕になるに違いない……。
「ひ、姫様……お助けくだされぇ!」
セルシルの絶叫が響き渡り、闇夜に消えていく。その悲痛な叫びは、真夜中の王城に長く尾を引きながら、やがて赤い月の光の中へと溶けていった。