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第65話

あぁ、壮麗なるイレネス大連邦。

世界を牽引する煌びやかな大勢力の首都、イレネシア。その圧倒的な規模は、一つの国と言ってもいいほどの広大さを誇る。

そして驚くべきことに、その首都イレネシアの『中』には、複数の都市が存在するのだ。

都市の中に都市があるという奇妙な光景。でもそれも当然。イレネシアという都市はそれほどまでに巨大だったのだから。


軍事都市、芸術都市、魔法都市……そして、学問都市。それぞれが独自の文化と役割を持ち、互いに支え合いながら存在していた。


その学問都市の中心に位置する「イレネス学園」こそが、スピラーレ王子が留学していた場所。世界中から集まる英才たちが学ぶ、華やかで煌びやかな大学──。


「そう、あの場所はまさに楽園でした」


スピラーレの瞳に懐かしさが灯る。彼の言葉とともに、イレネス学園の光景が鮮やかに浮かび上がってくる。

学園の中心には巨大な水晶塔が立ち、朝日を浴びて七色に輝いていた。その周りには、様々な建築様式の校舎が広がる。エルフの流麗な曲線を活かした木造の建物、ドワーフの堅牢な石造りの低層建築、人間の実用的でありながらも美しい中層建築、そして空に向かって伸びる魔法の高層建物。


そして、校舎を結ぶ通路では、互いに挨拶を交わす生徒たち。彼らの間には、種族の壁を越えた友情が育まれていた。


『おはよう』『良い天気だね』『今日の授業はどうだった?』


単純な言葉の交換だが、それは異なる文化が共存するという奇跡を象徴していた。


公国と違い、


『今日は首を斬って殺してやる。それとも爆死がいいか?』『今日は何度死んだかな』『生き返るのも疲れますわぁ~』


などといった気の狂った文言は、どこからも聞こえてこない。


「──そう、イレネスにいた方々は『理性』と『常識』というものを持っているのです」


エルフは皆高慢ではあるが、毅然としていて、美しい容姿と気高い心を誇示するかのように学園を紳士淑女の場に変えていた。

彼らの長い耳が微風に揺れる姿は、森の精霊が舞っているようで優美そのもの。講義では常に最前列に座り、美しい筆跡でノートを取る姿は他の種族の模範である。


ドワーフは堅実で勤勉、その屈強な腕で実験器具を巧みに操り、精密な作業を黙々とこなしていく。彼らの作る機械仕掛けは芸術品のような美しさを持ち、実験の成功率は学園一。

豪快に笑い、豪快に怒り、感情表現は派手だが、その友情は岩よりも固い。


人魚は水の都市から通学し、器用に尾びれを跳ねさせ、陸を行く者もいれば、空を泳ぐという不思議な者も。

水に関する学問では右に出る者はおらず、海の生態系や環境保全の研究で多くの功績を残していた。


空を飛ぶハーピーたちは、宅配や連絡役として学園に欠かせない存在。風を読む力に長け、気象学の授業では常に上位の成績を収める。

彼女たちの美しい翼は時に太陽の光を浴びて虹色に輝き、学園の空に色彩を添えながら美麗な歌声で数多の種族を魅了する。


獣人たちは嗅覚や聴覚に優れ、フィールドワークや探検の授業で活躍。彼らの中には王国の高官の子弟もおり、外交や政治学を学ぶ者も多い。

柔軟な考え方と行動力で、学園のさまざまな行事を盛り上げる立役者となっていた。


そして、滅多に姿を見せない竜人。彼らは古代からの知恵を持つ、産まれながらの支配者である。

その威厳ある姿は学園の誰もが敬意を払うほどで、彼らの語る古代の歴史は教科書にも載っていない貴重な知識の宝庫だった。


これらの種族が互いを尊重し、時に意見をぶつけ合いながらも、共に学び、成長していく──それがイレネス学園の日常だった。


「勿論、イレネスには魔法使いがいます。それも沢山の」


かつて世界が闇に包まれた時代、狂気に染まった魔法使いたちが引き起こした大戦。

その混沌の中で、理性と良心を持った魔法使いたちが立ち上がり、伝説の「女神の騎士」と共に戦ったのだ。

彼らは命を懸けて世界を守り、戦いの終結後に新たな時代の礎としてイレネスを築いたのだ。


「しかし、私が学園で会った魔法使いは、僕の母カルネヴァーレのような……」


大戦が終わると同時に、多くの魔法使いは表舞台から姿を消した。女神の騎士も使命を終えたかのように、歴史の闇へと消えていった。

しかし、その精神は失われることなく受け継がれていった。今もなお、彼らの弟子たちが世界の均衡を保つため、イレネスの繁栄を支え、闇の再来を警戒し続けている。

目立たない場所で、しかし確かに存在する見えざる守護者たち。

そんな歴史を持つイレネスだからこそ、魔法使いは特別な存在として敬意を払われていた。


「破壊的な力を振りかざす者ではなく、創造と秩序のために力を使う者たちでした。彼らは魔法の力を理解し、尊重し、そして正しく使うことを教えていました」


スピラーレの脳裏に思い浮かぶのは、思慮深い魔法使いたちの姿だった。彼らは杖や魔導書を手に、真摯な表情で研究に打ち込み、学生たちに知識を伝える。

魔法の本質を理解し、力を制御すること、そして何より責任を持つことを教えていた。

彼らの使う魔法は、砕くためではなく創るために。壊すためではなく、守るために。そして何より、命を奪うためではなく、命を育むためにあった。


「そう、常識です。命を奪う、奪われるということの非常識さを、僕はそこで初めて知ったのです」


スピラーレの声には痛みが混じっていた。彼の言葉の端々から、ルナフォール公国での日々がどれほど歪んだものだったかが伝わってくる。


その他にも、スピラーレは色々な「常識」を知った。


最初の頃は辛かった。

ルナフォールという悪名高きヴァンパイアの血族というだけで、周囲の学生たちは皆、恐れと警戒の目で彼を見ていた。授業では一人ぼっち、食堂でも誰も隣に座らない。

しかし、時が経つにつれて状況は変わっていった。彼の純真な性格、そして何よりも害を成さない姿勢が、少しずつ周囲の壁を溶かしていった。

最初に話しかけてくれたのは人間の少年だった。次に獣人の双子が彼の隣の席に座ってくれた。やがて、エルフの図書委員が彼に本を薦めるようになった。


そうして築かれた友情の中で、彼は「常識」というものを学んでいった。怒りは言葉で表現するものであって、暴力で示すものではないこと。

意見の相違は議論で解決するものであって、力で押さえつけるものではないこと。そして何より、命は尊いものであり、互いに尊重し合う価値があること。


「そう──僕は、命の尊さを、知っている」


スピラーレの声は静かだが、確かな信念を秘めていた。


「一度失われた命は二度と戻らない。蘇ってしまうヴァンパイアこそが、『歪み』なんでしょう。だからこそ……命は守るべきものなのだと、そう思っているのです」


そうして、スピラーレ王子は紅い星空を見上げた。空には歪んだ魔法によって作られた不自然な赤い月が浮かんでいる。その禍々しい光は世界を血に染めていた……。

しかし、彼の心はその赤に染まってはいなかった。忌み嫌われた残酷な一族の血を引きながらも、その魂は確かに純白で、静かに煌めいていた。

母と同じ血が流れていても、彼は別の道を選んだのだ。苦しみを知るからこそ、他者の痛みを理解できる。闇を見てきたからこそ、光の尊さを知っている。


「……」


そんな、彼の横顔を私はただ目を見開いて、見ていた。

彼は美しかった。いや、美しいというよりも、気高いという表現が合うだろう。夜空の星のように遠く、でも確かな光を放っている。

何を見て、何を思い、何を感じてきたのか。私には想像もつかない世界を生きてきた彼が、今、同じ空の下で私の隣にいる。


彼は、私に会ってから何度も殺されていた。最初見た時、私は彼の事を虚弱で、ただ殺されているだけのヴァンパイアだと思っていた。

肉塊にされ、粉々にされ、首だけになったり……。吹けば飛ぶような儚さと脆さを持った、哀れな犠牲者のように見えた。


──だけど。


「スピラーレ王子は、強いのですね」


不意に紡がれた私の言葉に、王子はきょとんとした表情を浮かべた。


「僕が強い、ですか?」


彼は不思議そうにそう言った。頬に月の赤い光が映り、その瞳は深い疑問を湛えている。私は、くすりと頷いて行った。


「えぇ、私なんかよりも、ずっと」


彼は、超越種としては弱いのかもしれない。……私と同じで。

でも……母親に殺されても、それでも立ち上がり続ける。その肉体は何度も壊れても、彼の中にある信念は決して砕けていない。


「貴方は何度殺されても、自分の考えを変えず、邪悪に染まることなく、在りのままの自分──「弱い」自分で在り続けている」


私は、彼の顔を見上げて言った。赤い月の光に照らされた私たちの影が、長く伸びている。

恐らく、肉体的に強くなろうとすれば可能なのだろう。

他者を省みることなく、自身の欲望に身を任せれば、超越種というのは強くなれる──。

それは私もそうなのだろう。

でも、彼はそうしなかった。


「それはとても尊くて。それはとても、気高いことだと、私は思うのです」


私の言葉に、王子は目をぱちくりとさせていたが、何かを思い出したかのようにハッとした後、目を細めて言った。

その表情には、懐かしさと温かさが混ざり合っている。


「貴女は、彼女と同じことを言うのですね」

「え?」


彼女?誰だろう?

私の脳裏に疑問符が浮かぶ。まさか父が再婚していて、私に隠れた姉妹がいるとか?いや、それはあり得ない。母さんの記憶はないけど、そんな大事なことなら誰かが教えてくれているはず。

でも、誰だろう?王子の恋人?彼が出会った何か特別な人?


私のそんな疑問を他所に、彼は突然立ち上がり、私の前で一礼すると恭しく膝まづいて、右手を差し出した。

その仕草は練習を重ねたかのように優雅で、宮廷舞踏会の一場面のようだった。


「?」


私が首を傾げていると、彼は言った。まるで、王子様のように。

いや、本当に王子様なのだ。その姿は赤い月の光を浴びながらも、どこか神々しさすら感じさせた。


「エルミア姫、この美しい夜に、一曲踊っていただけませんか?」


スピラーレ王子の眼差しには真摯さが宿り、伸ばされた手はほんの少し震えていた。紅い月の下、バルコニーで王子が姫に舞踏を誘う──

それではまるで、貴族のお見合いのようで──


私の目が丸くなり、言葉が出てこない。


「……えっと?」


宙を舞うヴァスカリスの羽音だけが、静寂の中に響いていた。



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