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第67話

エルミア姫とスピラーレ王子が紅い月を背景に、宙で踊っていた。銀色の月光ならば、二人の姿は優雅な影絵のようだったかもしれない。

ヴァンパイアの黒い翼がゆっくりと広がり、エルフの金色の髪が風になびく。彼らのドレスと衣装が夜空に舞い……そして、その傍らには不釣り合いなほど大きな蚊の影。

月光に照らされた巨大な蚊の姿は、異様でありながら、絵画のように美しい光景の一部として溶け込んでいた。


「……」


──そんな奇妙な光景を、見上げる一人の少年。

金色の髪、赤色の瞳を持つハイエルフの少年……カフォンである。

彼は城の庭園にある長テーブルに座り、空で舞う二人を見上げている。周囲には血と肉片が散乱しているが、少年はそれらを気にする様子もない。


「ふぅん」


カフォンはナイフとフォークで優雅に肉を切り分け、口に運んだ。その動作は年齢に似つかわしくないほど洗練されている。

彼の口元には、微かな笑みが浮かんでいた。


「意外と、仲良くやってますねぇ。やはり、魔力に汚染されてないからか」


横を見ると、兄・アイガイオンと大公カルネヴァーレが子供のような言い争いを繰り広げている真っ最中だった。


「そもそもテメェ、よくここに顔を出せたな!?あぁん!?この国にはテメェを死ぬほど恨んでるやつがわんさかいるってのによぉ!俺もその一人だがな!」

「それはこっちの台詞よ。アイガイオン、お前は世界中の種族から恨まれてるはずだけど、なんでまだ生きてるの?とっくに復讐されて死んでるかと思ってたわ。ああ、そうか。誰も近づけないほどの悪臭を放ってるから、暗殺者も気絶するのね」


両者の間には、魔力と殺気の渦が巻き起こり、テーブルクロスが不気味に波打っている。

しかし二人とも、互いの顔に酒杯の残り物を投げつけることしかしていない。最凶の超越種たちが、幼稚園児のような喧嘩を繰り広げていた。


「……」


反対を見ると、父・セーロスがヴァンパイアの生首を相手に口説いている。

しかも、いつの間にかメイドだった生首がヴァンパイアの男の執事の生首に代わっていることに気付いてないという有様。彼の酔眼には「美女の生首」としか映っていないらしい。


「キミさっきとなんか声違うねぇ。もしかして、修正とかしてたり?それが地声?ああ~なんて素敵な低音ボイスなんだ~♡」

「セーロス王、もしかして『ソッチ』の趣味をお持ちで?超越種様のご要望ならば、この身を捧げますが……」


ここはお見合いの場。

そのはずだったが、このありさま。エルフの品格も何もかもが地に落ちた状態だ。

国王でありながら性別も区別できないほど酔い潰れる父、相手の国の大公と言い争う兄。そして……それを傍観する自分。


──なんたる、滑稽さ。


「くっくく……」


知らず、カフォンは笑みを漏らしていた。その裏にある、邪悪さを隠そうとせずに。紅い瞳が、禍々しく輝いている。


──不意に。


カフォンは、指をゆっくりと空に掲げた。その小さな指が、紅い月に向かって伸びる。


その瞬間、悍ましい魔力の渦が放たれ、周囲に膨れ上がった。黒く濃密な霧のような魔力が少年の身体から迸り、辺りを侵食していく──。


「!?」


周囲の反応は様々であった。

妖精やエルフの従者たち、セルシルは魔力の圧に耐えられずに、気絶した。彼らは木の葉のように風に吹かれ、あちこちに倒れ込んでいく。

セルシルはテーブルの下に隠れようとしたが、途中で脚の力が抜け、まるで人形のように崩れ落ちた。


ヴァンパイアの従者たちは目を鋭くし、一斉に翼を広げた。彼らはルナフォール大公カルネヴァーレの元に集い、まるで盾となるように構える。

アイガイオンとカルネヴァーレは口を閉ざし、カフォンに視線を向けた。先ほどまでの幼稚な言い争いなど忘れたかのように、二人の表情は真剣そのものになっていた。


セーロスは手元から消えた生首を一瞥することもなく、ただジッとカフォンを見つめていた。彼の目には酔いの色が消え、代わりに鋭い光が宿っていた。


「……」


そして、静寂が支配する中、カフォンに視線が集中する。誰も一言も発しない。ただカフォンの次なる行動を、固唾を呑んで見守っていた。

カフォンの周りの空気が歪み、不自然に揺らめいている。


「──そろそろ、茶番は終わりにするとしようか」


カフォンがそう呟き、席を立った。机上の食器類が、彼の魔力に反応して微かに震えている。


「エルミア姫とスピラーレ王子は、『若い二人』で親睦を深め合っているようだしな。我々は我々で、親睦を深めようではないか」


普段の口調とは明らかに違う、まるで老人を思わせる口調。

何百年、何千年という時を生きた者の風格が、この小さな少年の姿から漏れ出ていた。

その圧に、ヴァンパイアはもちろん、アイガイオンとセーロスですら身構えた。二人の表情には、戦いの心構えと同時に、警戒心が浮かんでいる。


「さて、カルネヴァーレよ」


カフォンの瞳がカルネヴァーレを射抜いた。真紅の目がルナフォール大公を捉えた瞬間、彼女の傍に侍っていたヴァンパイアの従者たち数人が悶え苦しみ、崩れ落ちた。

彼らの体から血のような黒い煙が立ち上り、やがて灰になって消えていく。

しかし、カルネヴァーレは微動だにせず、むしろ興味深そうにカフォンを見返した。彼女の唇には、かすかな笑みさえ浮かんでいる。それは恐れではなく、むしろ期待の表情だった。


「──ここに、何をしにきた?」


お見合いの場で、何をしにきたのかと問う奇妙さ。

しかし、この場にいる全員にはその問いの意味が分かっているのだ。カフォンの発した言葉は、表面上の意味を超えた質問だった。

だが、カルネヴァーレは敢えてとぼける。優雅に扇子を開き、それで顔を半分隠すように。カフォンという存在を試すために……。


「お見合いに決まってるでしょう?私たちとて礼節というものを心得ているわ。私の愚息がエルミア姫と結ばれることは、両国の平和に繋がるというものよ」


カルネヴァーレの言葉に、カフォンは顔を歪め、笑った。その笑みには、幼い子供のあどけなさなど微塵もなかった。


「お見合い?そうかそうか、それは素晴らしい」


そして、嘲るように言った。


「──ところで、お前の引き連れてきたヴァンパイアの『戦士』たちの従者の真似事……実に似合っているよ。立派な従者の格好をして、まさに演技の神髄というやつだな」


カフォンには分かっていた。カルネヴァーレが連れてきたヴァンパイアの従者たちは、ただの従者ではない。

戦士……恐らくは、上位種の、大戦を経験した精鋭。

今しがた、魔法領域を展開した瞬間の、彼らの反応は、大戦を経験し、生き延びた猛者でなければ成し得ない動きなのだから──


「……」


カルネヴァーレは鋭い目つきで、無言でカフォンを睨み返した。彼女の赤い瞳が、月の光を受けて不気味に輝いている。

そして、暫くの静寂の後、カフォンは言った。


「エルミアを強奪するつもりだったのだろう?分かっているぞ、お前の考えることは……そもそも貴様らが『結婚』という概念を理解しているとは思えんからな」


カフォンの小さな体躯から、悍ましい魔力が吹き荒れた。黒い炎のような魔力が彼を中心に渦巻き、周囲の空間を歪めていく。

花々が枯れ、テーブルクロスが焦げ、グラスの水が沸騰し始める。

そのあまりの悍ましさに、カルネヴァーレは目を見張った。何千年も生きてきた彼女ですら、この魔力の質に驚きを隠せない。

幼い少年の姿をした者から放たれる魔力とは思えないほどの、古く、そして深い魔力。


「貴様は、一体何者だ」


カルネヴァーレがそう言った。その声には、驚きと共に、かすかな恐れの色が混じっていた。

カフォンの言う通り、ルナフォール大公カルネヴァーレはここにお見合いしにきたわけではなかった。


エルミア姫を、強奪しにきたのだ。


その為に、選りすぐりの戦士を引き連れ、結界をこの場に張ったのだ。赤い月の結界は、ヴァンパイアの力を増幅させると同時に、外部からの介入を防ぐ働きをしていた。

万全の体制で、彼女は今夜の作戦に挑んでいた。

お見合いなど、意味がない。仮に見合いが成立したとしても、それがどうしたというのだ。

この世界を取り巻く狂気は、変わらない。超越種同士の争いは、婚姻などで解決する程度のものではないのだから。


それを理解しているからこそ、カルネヴァーレは息子を出しにして、このエルフの国の中枢まで入り込んだ。

そして、アイガイオンとセーロスを抹殺し、そのままエルミア姫を奪い取るつもりだった。


──そう。かつての約束を、守るために。


だが、その計画は頓挫した。

何故なら、情報にないハイエルフの魔法使いが、見合いの場にいたのだから。

この子供は何者だ。このような悍ましい魔法使い、情報にはなかった。

そして、その子供の身から放たれる気に圧され、カルネヴァーレは計画を実行できなかった。


「何者か、だと」


子供がしてはいけない表情を浮かべるカフォン。彼の唇が薄く伸び、残忍な笑みが幼い顔を歪めた。

そして……その両脇に侍るように、セーロスとアイガイオンが、立ち並ぶ。


「……!」


まるで主に従うように佇む二人のハイエルフ。

カルネヴァーレの瞳に。脳裏に。遥か昔の大戦の景色が思い浮かぶ。

血と炎に包まれた戦場。無数の死体の上に立つ一人の男。その周りを取り囲む忠実な部下たち。煌めく一族の紋章。


そうだ。


狂ったハイエルフの王。数多もの命を奪ってきた、残虐非道な超越種。

彼の傍には、いつも一族の戦士が侍っていた。


アズルウッドの大将軍・セーロス。

深淵の騎士を率いる王族・アイガイオン。


そして、その中央に佇んでいたのが、純白の長髪を靡かせる王──


「……馬鹿な。貴様は、死んだはず──」


次の瞬間、カルネヴァーレの意識が現実に戻り、目の前の少年を見据えていた。

彼女の顔から血の気が引き、白い肌がさらに白く煌めいた。

そして、カフォンは言った。


「余を忘れたか。至高にして、崇高である、この世界の真の主を」


その言葉に、周囲の空間がわずかに震える。


「貴様の記憶が薄れたとしても、余のことは忘れるはずがなかろう。あの『庭園』で、産まれた間柄なのだから──」


そして、カフォンが残酷な笑みで空を見上げる。

紅い月を背景に踊っているハイエルフの姫とヴァンパイアの王子の影が優雅に舞っている。二人の影は月光に照らされ、庭に影を映し出していた。


彼らは何も知らず、ただ互いの温もりを感じながら、夜空のワルツを続けている。

その光景を見上げながら、カフォンの紅い瞳が妖しく輝いた。


「──さぁ、もう一度聞くぞ。お前たちヴァンパイアは何をしにきた?見合いか?それとも、戦争か」


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