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第69話

スピラーレ王子が肉片……いや、血の霧?になったあと、私は呆然と立ち尽くしていた。いや、立ち尽くすというより宙に浮いたまま固まっていた。

え、えっと……さっきまで腕の中にいた王子が、いきなり爆発して消えた……?

これって普通?ていうか日常茶飯事?まぁ、この世界では普通か。


……いや、違うだろ!今のは明らかに異常事態!誰かに撃たれたんだよ!


「あれ、私やばくない?」


そう、今まで王子の羽で空を飛んでいたが、このエルミア・アズルウッドという可憐だが、何の能力も持っていないハイエルフの姫様は、空を飛べるという能力を持ってないのだ。

これは非常にまずい。まさに「八方塞がり」「詰んだ」「ゲームオーバー直前」状態である。


つまり私は今、地面にめちゃくちゃな勢いでお見舞いされる運命だということだ!


「わあぁぁぁぁ!!!」


重力に従って、落ちていくのは当たり前である……。

高い所から落ちるとき、人は美しい最期の言葉を残すと言うが、私の場合は「わあぁぁぁぁ!!!」というとても詩的で文学的な悲鳴のみであった。

ハイエルフの姫ならばこんな時に「悠久なる世界樹の息吹よ、我が翼となりて」とかなんとか奇跡的に空を飛べる呪文を唱えるべきなんだろうけど、残念ながら私の脳内辞書にはそんな便利な呪文は登録されていない。


「だ、誰か助けてぇ!カフォン!父様!お兄様以外なら誰でもいいから!」


自由落下する私が叫ぶが、風の音に遮られ、誰の耳にも届かない。

そう、ここは高い高い空の上……こんなところに誰かがいるわけでもなく、私の叫びは空しく消え去るだけだ。

巨大な鳥が通りかかって助けてくれたみたいな展開が欲しいところだけど、現実はそんなに甘くない。空にいるのは私と、王子の残骸だけ……。


──あぁ、私はここで死ぬんだ。


ヴァンパイアとのお見合いで、高所から落下死するとはだれが思っただろう。まだカフォンくんの魔法に巻き込まれて死ぬ方が現実味がある。

明日の木の葉新聞の一面は、きっと『エルミア姫、投身か。度重なるお見合いで精神を病んでいたもよう』という見出しに違いない。

そしてその下に「ヴァンパイアの王子も行方不明」とか書かれるんだろうな。いや、「エルミア姫、ヴァンパイアの王子を殺害か」とかなりそう。


だが、その時であった。


「!?」


不意に、ガクンと落下が止まる。エレベーターが緊急停止したときのような衝撃で、私の身体が宙に浮かんだまま静止した。

胃が口から飛び出しそうになるほどの急激な減速だったが、少なくとも地面に激突するよりはマシだ。


「こ、これは……?」


落ちていない……!?いや、むしろ浮いてる……!?そうだ、飛んでいる……まではいかなくとも、浮いてる!!

ま、まさかついに、私の隠された能力が発現したというのだろうか?そうだ、そうに違いない。

おかしいとは思っていたんだよなぁ、兄や弟が超常的な力を持っている中で、私だけなにもないっていうのはさぁ。


「ピィ」


と思っていたが、ふと上を見ると、デッカイ蚊……ヴァスカリスが細い足で私のドレスを引っかけ、宙に浮かせてくれている。

その細い足は見た目以上に強靭で、血まみれのドレスをしっかりと掴んでいた。洗濯物を干すかのように、私は空中にぶら下がっている状態だ。


「……」


まぁ、そんなことだとは思ったけどね。分かってるよ、ちくしょう。能力が覚醒したとか、そういうカッコいい展開を期待してた自分が恥ずかしい。

ファンタジー世界なら空飛ぶ妖精の群れに助けられるとか、神秘の白馬が天駆けて私を背中に乗せてくれるとか、そういうの期待してたんだけど、グロテスクな蚊に助けられるってのは、やっぱりこの世界は「期待を裏切ってくる」ということを徹底してるよな。


「あ、ありがとうございます……ヴァスカリスさん」


だがまぁ、助けられたのは事実である。

こういう時に素直にお礼を言えるのがエルミアちゃんのいいところなのだ。例え相手が「蚊」でも……。

ちなみに、私の中の味方ランク付けでは、ヴァスカリスの存在は既にお兄様を遥かに凌駕している。二度も助けられた上に、何故か私を慕ってくれているような素振りをみせているからだ……。

「さん」付けがその証拠である。いくらこの世界が狂っているといっても、蚊に「さん」付けしている奴なんて私以外にはいないだろう。


そうして、緩やかに下降していくヴァスカリスと私だが……。


「ピィ……ピィ……」


そのうちヴァスカリスが辛そうな鳴き声を発し始めた。

どうやらいくらデカイ蚊だと言っても、私を抱えて飛行するのは相当辛いらしい。


「ヴァ、ヴァスカリスさん!?頑張って!お願い、ここで離されたら私、死んじゃう!てかこのままドレスがほつれたらどうしようとか考えちゃうけど、自分の命より高級ドレスを心配する私って一体何なんだろう!?」


ヴァスカリスの複眼は、「もう少しエルフらしい軽やかさを身につけてくれたら嬉しかったんだけど……」という感情が宿っているような気がした。

ごめん、ヴァスカリス!この前の晩餐会でエルフパイを3つも食べちゃったよね!でもしょうがないよな?こんな展開、普通予想出来ないよな!?


そして、ヴァスカリスの必死な尽力もあって、ようやく、私は地面に降り立つ。フワリと足が地面に着いた瞬間、全身から力が抜けていくのを感じた。


「い、生きてる……本当に生きてる……!」


ヴァスカリスは私が地面に降り立つのを確認すると、力尽きたように地面にふにゃりと崩れ落ちてしまった。

熱中症で倒れた犬のように、翅を広げたまま地面に横たわっている。大きな複眼はトロンとして、口吻はだらりと垂れ下がっていた。


「ヴァ……ヴァスカリスさん……貴方は私の命の恩人……いや、恩虫?恩蚊?なんて呼べばいいんだろう」


私はそっと彼(もしくは彼女)の身体を抱きかかえる。

最初見た時、キモッ!とか思っちゃっててごめん。(今でもちょっとキモいけど)やっぱり外見で判断するのって悪いことだ。

でも、犬サイズの蚊を見て「可愛い〜」って思えないのはしょうがないよね?それって種族差別じゃなくて、ただの生存本能というか……。


「しっかりして!お水……じゃなくて血?が欲しいなら、あげるから!」


この子は、私を助けてくれた、素晴らしい子だ……!いや、蚊だ!虫だ!息してるのかもよく分からないけど、とにかく命を救ってくれた恩人だ!

でも、やっぱり少しチワワ的な感じのマスコットとして扱うのは難しいな。外見的に。可愛いペットっていうより「恐怖映画の主役」みたいなビジュアルだし。

ここはひとつ、私の護衛的な召喚獣って感じのポジションで許して貰えないだろうか。


そして、私がそんなくだらないことを考えていると──


「ん?」


ふと、視線の隅に何かが映る。

恐る恐る、顔を上げるとそこには──


「えっ……?」


セルシルをはじめとするエルフの従者や、メイド妖精さん。それとヴァンパイアの従者たちが、大量の洗濯物を地面に放り投げたかのように散乱している。

血まみれの身体、千切れた腕……ホラー映画の撮影セットのような惨状。


「……えっ?えっ?」


思わず目が点になる。

え?なに?みんな、なんで寝てるの?いや、寝てるというか明らかに気絶してるし、血まみれだし。こんなの「ただの昼寝です」でごまかせるレベルじゃない。

お兄様の狂気のオーラとかが漏れ出して、みんな耐えられなかったのか?それともカフォンくんが持ってそうな特殊能力「周囲10メートル以内の雑魚キャラ、自動昏倒」みたいなチート能力が発動でもしたのか……?

そう、私が狼狽していると──


「エ、エルちゃぁん……」

「!?」


地面に倒れ伏す父・セーロス王。その姿は見るも無残だ。腹部を押さえ、苦しそうに呻いている。

二日酔い……ではない。二日酔いでは血塗れにならないし。

そして……。


「ちっ……。俺も身体が鈍ったもんだぜ」


赤黒い禍々しい剣を地面に突き立て、膝を立てて血塗れになっている我が愛しのお兄様の姿。

金色の美しい髪は血で赤黒く染まり、額からは血が流れている。それでも、その紅い瞳には殺気が宿り、刃のような鋭さを失っていなかった。瀕死の獣が、最期の力を振り絞って牙を剥くように。


「……!?」


それを見て、私は愕然とした。いや、愕然というよりも、もはや脳が処理しきれないほどの混乱状態。五感から入ってくる情報を脳が拒否しているような、そんな感覚だ。


「お、お父様!何が起こってるんです!?私がいない間に第二次エルフ・ヴァンパイア大戦でも勃発したんですか!?」


私はヴァスカリスを抱いたまま父に駆け寄る。抱きかかえた蚊の重さよりも、この異常事態の重さの方がずっと重い。

父はプルプルと震えながら、救いを求めるように手を伸ばす。その表情には先ほどの酔っぱらいの雰囲気は全くない。「酔っ払いスイッチ」がいきなり「瀕死の王様モード」に切り替わったかのよう。ていうか、お酒はどこいった?


「ぼ、僕はもうダメだ……やっぱり、歳を取ると動きが鈍くなって……いやぁ、反射神経とかさ、千年前とか違うんだよね。なんていうか、ワンテンポ遅れて動くっていうかさ、腰とか膝とかも痛いし……あー、そろそろ杖とか必要かなぁ。でも杖って格好悪いよね?王様の杖ってどんなのがいいかな?宝石埋め込むのも下品だけど、木だけで作るのも地味っていうかサァ」


もうダメだと言ってはいるものの、全然ダメそうではなくむしろ饒舌に話す父。この調子じゃボーナスステージレベルのダメージしか受けてないな。

むしろ口から泡を吹いて気絶してるセルシルの方が心配だ……。


「あの、すいません。何が起こったか答えて貰ってもいいですか?この惨状を見ながら『父の腰痛事情』とか聞きたくないんですけど?」

「しくしく、僕の心配をしてくれないんだね。まぁいいや、とりあえずアレ見てみなよ……」

「アレ?」


父が指を指す方向に視線を向けると──


「!?」


私は、見た。見てしまった。


「……」


金色の髪を揺らし、堂々たる佇まいで、しかし気だるげに立つカフォンの姿。

可愛らしい少年の体躯だが、その身体から発されるのは、紛れもなく破壊の魔力。小さな太陽が爆発寸前のように、彼の周囲には黒い魔力の渦が乱反射している。

それは空間を歪ませ、現実そのものを引き裂くような禍々しさを醸し出していた。

そして、そんなカフォンの前には──


「かっ……はっ……!」


──口から血を吐いて、豪著なドレスをぼろぼろにして、今にも倒れそうになっているヴァンパイアの大公──カルネヴァーレの姿があった。


「──!?」


傲慢で強大な力を持つヴァンパイアの女王が、踏みにじられた蚊のように力なくうずくまっている。

彼女の白銀の髪は血で赤く染まり、翼は引き裂かれ、あれほど美しかった顔は今や打撲の痕で青黒く腫れあがっていた。

華麗なる始祖ヴァンパイアは、今や一人の傷ついた女性としてカフォンの前に跪いていた。

唖然とする私。口はぽかんと開き、目は丸くなり、全身から血の気が引いていく。


この光景が意味するものを、私の脳はまだ理解できていない──。


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