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第70話

しーん、と静まり返るお見合い会場。舞台の幕が下りた後のような、不気味な静けさだ。

視界に飛び込んできたのは、床に転がる使用人たち。

お父様やお兄様は……なんか少年漫画のラスボス戦の後みたいにボロッボロになっている。

そして私のお見合い相手のお母様……ええと、カルネヴァーレさん? も、同じくダウンしてる模様。


(え? なに? 何が起こってるの? 私の貧弱な脳味噌 のキャパシティを完全にオーバーしてるんですけど!理解不能、理解不能!)


いや、まあ……でも、分かっちゃうんだよなあ、これが。

分かりたくない。全っ然分かりたくないんだけど、この状況証拠が揃いすぎちゃってて。

あーもう、なんで分かっちゃうかなぁ。だってしょうがないじゃないか。


── 我が愛しの弟、カフォンくんが。

──一人だけ、 ピッカピカの無傷で。

──なんか『我、邪悪なり』みたいな、禍々しいオーラだだ漏れさせちゃって、そこにスッと立ってるのだから。


次の展開はなんだ?カフォンくんが魔王みたいなことを言い出すのかな。

「この世界を滅ぼして八つ折りにしてやる……」とか「姉さまの為に、秩序を解体します」とか、そんなコピペみたいなセリフを言うのかな。

私はもう絶望的な気分になり、この場を見守るしかない……。「主人公の弟が実は最終ボス」みたいな展開はやめてくれ、マジで。


そんな私を他所に、カフォンくんはカルネヴァーレをつまらなさそうな視線で射抜く。

その眼差しは冷たく、まるで虫けらを見るような、いや、それ以下の何かを見るような軽蔑に満ちていた。全能の神が、塵一つに視線を向けるような、そんな眼差し。

そして、言った。


「魔法使いにも『格』というものが、存在する」


ポツリと呟かれたその言葉に、周囲の空気がより一層重くなったような気がした。

まるで空気自体が凍りついたかのように、息をするだけでも痛いような感覚。


「以前の貴様ならともかく……狂気が薄れた貴様など、この幼き身体でも訳もなく倒せる。始祖の力は、狂気と共に消え去ったのだから」


その言葉に、私は震える。

いや、もうなんか、完全に『素』が出てるカフォンくんを目の当たりにして、このエルミアお姉ちゃんの身体は完全フリーズ状態。

エルミア.exeは応答していませんって画面が出てきそうなレベル。心の中で再起動ボタンを必死に探してる感じだ。


(カフォンくん?ど、どうしたのいきなり……?)


それもう魔王とかそういう類のヤベー奴の口調とポーズでは……?

今まで見せてたあの可愛らしい弟の姿は何だったの?あれって演技?

……まぁ、演技なんだろうね。知ってた。


「ちっ……!古傷がうずきやがる……!骨の髄まで痛みが走る……!」


そんな中、お兄様が膝を付きながら、そんなことを言い出した。

全身血塗れで、今にも倒れそうだが……どうせ死なないから大丈夫だろう。私のことチラチラ横目で見てるし。

きっとあれは、私に「大丈夫ですかお兄様!?あぁ、なんて酷い御怪我を……!」みたいなことを妹に言われたいからこその演技に違いない。

そんな演技に騙される程、私は単純ではない。ていうか、今はそういう場面じゃない。

華麗にスルー。


「エルちゃん……お見合いはどうだった……?いつの間にかいなくなってたけど、やっぱり若い二人同士だと話が弾んだかい?気が合った?それとも気まずかった?やっぱ恋は難しいよね~。ま、上手くいかなくても次があるさ~。ドラゴンの王子様とかさぁ、色々と……」


父は父で、ボロボロになりながらも未だにお見合いの話を持ち出してくる。

正直、もうお見合いとかそういう問題じゃないような気がするのだが、この酔っぱらいはそのことに気付かないらしい。

それともこれは我が子を魔王から守りたい、でも魔王に話しかけて怒らせたら殺される……という微妙な選択から出た話題なのか?

いずれにせよ、今は王子の生死とか、この場の状況とか、そういう緊急の問題が山ほどあるんだけど。

華麗にスルー(二回目)


そんな私たちのしょうもないやり取りの横で、カフォンとカルネヴァーレの会話は続いていた。


「貴様らが、この余を殺すためにこの会を仕組んだということは、分かっていた。だが、思惑通りにはいかなかったようだな。余を滅ぼしたいのであれば、この肉体が誕生した瞬間に断つべきであった。今となっては、すべてが手遅れだが」


つ、ついに一人称まで『私』から『余』とかいう、重厚な言い回しにまで代わってしまった。もはや、今まで見ていた「可愛い弟」は幻だったんじゃないかってレベルだ……。

でも、うちの家の場合「可愛い弟が魔王でした」程度の展開は日常の延長線上でしかないというのが悲しい。


(今はそんなことを考えている場合じゃない……!)


父はしょうもないお見合い話、兄は演技かなんか知らないけど、構ってとばかりにぶつぶつ言っている状況──。

その中で、カフォンとカルネヴァーレ氏の間では、まさに神々の戦いさながらの緊張が走っている。重圧感と威圧感が渦巻き、二人の間では目に見えない力がぶつかり合っているようだった。


「さて、下らん茶番は終いだ。ヴァンパイアとの見合いは、失敗に終わった。だが、それほどの痛手ではない。貴女らがいなくとも、まだまだ他の種族は存在する。つまるところ──」


そして、カフォンが手を翳す。その小さな掌から、月明かりが否定されるような暗黒の光が集まり始めた。


「お前たちは、用済みだ」


カフォンの掌から、邪悪な魔力が迸る。漆黒の閃光が彼の指先に集約され、それは渦を巻きながら膨張していく。

戦いの事なんててんで分からない私にも、分かる。あれが放たれた瞬間、カルネヴァーレ氏は粉々に消滅するだろう。

ヴァンパイアの再生能力とか、始祖の不死性とか、そんなものを無効化してしまうほどの破壊力が、あの小さな掌に宿っている──何故か、私にはそれが分かった。分かってしまった。



──でも、私には何もできない。



できない、のに。


「……!」


私の身体は、無意識にカルネヴァーレを庇うように、手を広げてカフォンと対峙してしまった。


「エルちゃん!」

「エルミア……!?」


父と兄が、叫ぶ。その声には純粋な恐怖が含まれていた。私の背後でも、カルネヴァーレが息を呑んでいるのが伝わってくる。

そして、静寂が周囲を包む。まるで時間が止まったかのように、風の音も、虫の声も、すべてが消えた。


「……」


どうして私はカルネヴァーレを庇っているのだろうか。私にとっては、今日初めて会ったばかりの女性。それも、恐ろしいヴァンパイアの女王を。

自らの息子を肉片にするのも厭わない、ヴァンパイアの中でも特に狂気を宿した恐るべき存在。そんな彼女を、なぜ私は守ろうとしているのか。


「……ほぅ?」


カフォンの紅い瞳が、私を射抜く。彼の目には感情が浮かんでいない。ただ、まっすぐに私を観察しているだけ。

いつも私を「エル姉さま!」と呼び、慕っている振りをしている彼の眼差しは、そこにはない。あの無邪気で愛らしい弟の面影は消え失せ、代わりに古き存在の冷たさが宿っていた。

何千年もの時を生きた何かが、少年の仮面を脱ぎ捨てたかのように。


正直、怖い。今まで目を逸らして、考えないようにしていたが、兄よりも、ドワーフの鎧よりも、このカフォンくんこそが恐ろしい存在なのだ、と私はこの瞬間に再認識してしまう。

いや、再認識というより直視という表現が正しいかもしれない。

心の奥底では、ずっと気づいていたのだ。彼が何者なのかを。ただ、その恐ろしさから目を背けていただけ。


「カフォン」


私は、いつものように彼の名前を呼んだ。

果たして、私の呼びかけに彼は何と言うのだろうか。私を「貴様」と呼び、そのまま掌の魔法を飛ばしてくるのだろうか。


それとも──


永遠に思える静寂。誰も、声を発さない。

風の音すら止まったかのように、世界全体が息を止めて見守っている。


そして、カフォンがゆっくりと口を開き──


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