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第72話

散々に壊されたお見合い会場。もはや会場と呼べるような代物ではない。戦場跡とでも言うべき惨状だ。

地面には血しぶきが広がり、謎の肉片が転がっている。それが誰の肉片なのか考えるのも面倒になってきた。


「さぁ、あの魔王……あぁいえ、エルミア姫様の愛しき弟君も、ご満足なさって退席なされたことですし。私どもヴァンパイアとの、改めての親睦を深めるといたしましょうか」


ヴァンパイアの執事が、周囲の地獄絵図など存在しなかったかのように、優雅にそう言った。

なお、彼の燕尾服はもはや血の海に漬け込まれたかのような赤色に染まっているが、まるでそれがヴァンパイア界の最新ファッションであるかのように当たり前に佇んでいる。ドラキュラの血染めコレクション2025、みたいな……?

私はというと、まるで爆撃を受けたかのようにボロボロになったテーブルと、かろうじて四本足が残った椅子に座って、彼に紅茶を注いでもらっていた。


(これ、普通の紅茶……だよね?色的にはアールグレイっぽいけど……でも、今この場でこの色は……)


──これ、貴方の血とか混入してませんよね……?

もう色で判断できないんですけど。赤茶色が「紅茶の色」なのか「血の色」なのか区別つかないんですけど。

そんなツッコミを我慢しながら、私は「優雅」という言葉の定義を完全に再解釈するかのように、廃墟と化した空間の中で「貴族の嗜み」を発揮し、紅茶を口にする。


「うーん」


そして、私の対面に座るのは、カルネヴァーレ氏。我がお見合い相手の母親様である。彼女もなかなかの即興力の持ち主だ。


「少し、味が薄いわね。まぁ……このくらいが今はちょうどいいわ。強すぎる味だと、私の震えが止まらなくなるもの。この状況で全身が小刻みに震えるなんて、超越種としてふさわしくないでしょう?」


彼女はこれまたボロボロになったドレスを晒しながら、平然と優雅に紅茶を嗜んでいる。あのドレス、元々は真紅だったのか、それとも白だったのか黒だったのか、もはや判別不能だけど。

なるほど、この狂った世界の公爵ともなれば、何事にも動じない精神が必要なわけだ。

私も彼女と同じように嗜んでいるのだが、もしかしたら「平常心を保つ能力」だけで爵位を貰えるかもね。

……あぁ、お姫さまだから爵位なんていらないか。そういえば、この国の王族って何のために存在してるんだっけ?

魔王の弟を育てるため?


「あはは、震えてるのかい、カルネヴァーレ。とても大戦の時に、世界を震え上がらせたヴァンパイアとは思えない姿だねぇ……」


父セーロスが、まるで椅子というより「椅子の残骸」と呼ぶべき木片の集まりに座りながら、上半身の布がほぼ消滅して肌をさらけ出した状態で言った。

ちなみに、この発言と同時に父の手は震えており、ティーカップを持とうとするたびに中身が飛び散って、周囲に無数の「紅茶の小さな湖」が形成されつつある。


「なんか揺れてるねぇ。地震かな」

「お父様、それはご自身が震えてるだけです。冬の寒空の下で水浴びしたチワワみたいに」

「おっとこれは一本取られたね。ははは。ところでチワワってなに?」


この世界にチワワが存在しないという極めてどうでもいい事実を噛み締めながら、私はちらりと背後を見やる。

チワワのいない世界という事実が、今この惨状の中で最も重要な情報かのように脳内でピックアップされるのは、私の頭がもはや正常ではないという証明だろう。


そこには、未だに気絶したお兄様の姿。……と、ヴァスカリス。言い換えれば「化け物サイズの蚊」。

ヴァスカリスは何をしているのだろうか……?と私が思ってみていると、よろよろと巨大な口吻を気絶したお兄様の腕に、プスリと突き立てていた。

まるで医療行為の真似事をしているかのようだが、実際は倒れた獲物を発見した蚊が血を吸おうとしているだけの、極めて単純な状況である。


「ぉぁ……!?」


一瞬、お兄様が苦悶の声を上げたような気がしたが、見なかったことにした。

どうやら、ヴァスカリスは気絶した兄を看病しようとかそういう感じではなく、吸血して栄養補給したかっただけのようだ。まぁ、蚊は蚊らしく生きるしかないよね。


「さて……」


私が蚊の生態と哀れな獲物を見ていると、不意にカルネヴァーレ氏がティーカップを優雅にテーブルに置いて話を切り出した。

ティーカップがテーブルの傾きに耐えきれず、「カラン」という音とともに地面に落ち、血まみれの床に紅茶が染み込んでいく中、彼女は重々しく口を開く……。


「お見合いの続きをしようか」


……。


私は、彼女の言葉に思わず呆然として、手に持つティーカップを落としてしまう。二つ目の「カラン」という音が響き、これで会場の地面は「紅茶と血の混合湿地帯」という新たな生態系が誕生しそうな勢いだ。


(今、なんて?)


い、今……彼女はなんとおっしゃったのだ?お見合いの続き?


「……」


私は、周囲を見やる。ヴァンパイアの従者さんたちはにこにこと佇んでいるが(ただし全身が震えすぎて「笑顔」なのか「恐怖で引きつった表情」なのか判別不能)、辺りは血の海。そして、エルフの従者と妖精さんは戦争映画に出てくる戦死者のエキストラのように、無様に気絶したまま床に転がっている状況。


──この状況で、お見合いだって?


カフォンのしでかしたことも、爆発も、あの破壊も、全部スルーして「お見合い」?

彼女の頭の中は一体どうなっているんだろう。もしかして「現実逃避」という心の防衛機制がこんな形で出るのか?


「──!」


しかし、その時私の脳裏に電流が奔る──というよりは、頭の中で小さな豆電球が「チリンッ♪」と鳴ったような。

そう、私の脳内で唯一生き残っていた機能的な神経細胞が、最後の力を振り絞って信号を送ってきたのだ。


(そ、そうか……この御方は、全てをなかったことに……?)


正直、彼女の思惑は私には全部は理解できないが……取り合えず、カフォンくん大暴れ事件を「なかったこと」にしてくださるらしい。

学校の掃除当番で「誰がこのゴミ捨てたの?」と先生に聞かれた時の「知らない、見てない、関係ない」方式の対応だ。

ただし、ゴミではなく「魔王の素顔をさらけ出した弟」という破壊力満点の事件に対してだが。


もしかしたら、自身が死にそうになったことを隠したいのかもしれないし、エルフとヴァンパイアの全面戦争を避けたいのかもしれない。

──しかし、これに乗らない手は……ない!というか、乗らなかったらどうなるか想像したくない。「お見合いの続きをしましょう」か「最後まで殺し合いましょう」の二択ならば、答えは明白だ。


「そうですわね、カルネヴァーレ様。是非、お見合いの続きをいたしましょう。ちょっとした『アクシデント』がありましたけれど、水と紅茶に流しましょう」


私は満面の笑みでそう言った。「ちょっとしたアクシデント」と「魔王の弟の暴走」を同一視するあたり、私も十分に狂っている自覚はある。

その言葉に、カルネヴァーレ氏は満足気に頷き、ヴァンパイアの従者たちは「なんと聡明な姫君か」「ていうかすげぇ精神してますね、普通の人なら気が狂って泡吹いてますよ」「別の方向で既に狂ってそう。というか確実に狂ってる」などという喝采の言葉をひそひそと呟き、父セーロスは私に微妙な表情を浮かべている。


「お見合い……もいいんだけどさ。肝心の王子はどこに……?」


父がそう呟きかけた時だった。

不意に、上空からとても表現できない……というか、してはいけない状態の肉塊がテーブルに落ちてくる。

天から特製ミートソースが降ってきたかのような光景だ。ファンタジー小説では描写されないタイプのグロテスクである。


「なんか振ってきたぞ!?」

「きゃあ!なんて新鮮な肉塊!出来立てほやほやですわ!」


テーブルが盛大に壊れ、従者たちがざわめく中、椅子だけで謎の肉塊を挟んで向き合う私たち。

これが、エルフとヴァンパイア流のお見合いか。素晴らしすぎて泣けてくるね。

もはやお見合いというよりシュールレアリズムの芸術作品としか思えない状況だ。エドガー・アラン・ポーが見たら喜んで小説にしそう。


「う……うぅ……折角、いい雰囲気だったのに……どうしてこうも僕は運が悪いんだろう……」


謎の肉塊がそう喋った。まぁ、スピラーレ王子だということは分かってたので、私は動じなかった。

こんな光景を目にして動じない辺り、私はヴァンパイアの適性があるかもしれない。


「あら……?」


不意に、夜空を覆っていた紅い月の結界が消えた。

降り注ぐ紅い光が消え、代わりに満天の星空が姿を現す。恐怖のお化け屋敷の営業時間が終わって照明が通常モードに戻った感じだ。


「疲れたわ、今日は。妙なガキに殺されそうになるわ、息子はずっと肉塊のままだわ……はぁ、引退しようかしら。ヴァンパイアの始祖としての仕事より、南の島での悠々自適な隠居生活のほうが魅力的に思えてきたわ」


魔力が切れたのか、カルネヴァーレ氏は疲れた素振りでそう言った。

その姿を見て、私は噂で聞いていた、カルネヴァーレという人物と今、目の前にいる女性が随分と違うと思う。

噂では血の海を作り出す残虐な女帝なのに、そこはかとなく、育児や人付き合いに疲れた主婦のように見えてしまう。

「今日の晩御飯どうしよう」ではなく「息子の肉塊をどう元に戻そう」という違いはあれど、根本的な疲労感は同じものがある。異種族なのに何故か共感できるのが不思議だ。


「まぁ、カルネヴァーレ様もそのようなお悩みがあるのですね。私は、てっきりヴァンパイアらしく人間の内臓をどう細切れにしようかとか、血液カクテルの新しいレシピをどう考案するかとか、そんな悩みを抱えているとばかり……あ、いやなんでもございません!今の発言は魔力の影響で一時的に脳が溶けたせいです!」


やべぇ、つい口走っちゃった。どうやら私もカフォンくん事件のせいで、正常な判断力が消え失せているようだ。

「死にたくなかったら黙っておけ」という生存本能よりも「皮肉を言いたい欲求」が勝ってしまった。これは重症だ。

私はちらり、とカルネヴァーレ氏を伺うと……。彼女は一瞬驚いたような表現を浮かべたが、次の瞬間にはフッと笑みを浮かべて、口を開く。

「あ、今から殺されるな」と直感した瞬間、意外な反応が返ってきた。


「最近は、そういった類の悩みはないわ。あるのは、ただの退屈な毎日に対する絶望だけ……」


おぉ……てっきり激高して、息子スピレーラくんのように肉塊にされると思ったが……どうやら、今はそんな気分ではないらしい。

「人間の内臓を細切れにする」ことすら億劫になるほど、精神的に疲れ切っているのだろうか。ヴァンパイアの更年期とか存在するのだろうか?聞いたら真っ先に肉塊にされそうなので、絶対に口にしないでおこう。

ていうか、「最近」は?じゃあ、「昔」は……?私は恐ろしい想像をしてしまうが、何も考えないことにする。

カルネヴァーレ氏の若かりし頃のグルメ活動について脳内で思い浮かべた内容は、聞かなかったことにしよう。そして、その質問を口に出さなかった自分を称えよう。

私の自制心、ありがとう。マジで。


「あの」


そうして、私は知らず、こう口走っていた。


「もし、よろしければお話しません?お相手のご両親とお話するのも、『お見合い』だと思いますので。肉塊になった王子の代わりに、お母様と親睦を深めるという、通常とは少し手順が逆ですが、まぁ『お見合い』の一種、という事で」


私の言葉に、カルネヴァーレ氏は目を細めた。

何かを逡巡するように、何かを思い出すかのような表情。

暫くの静寂のあと──


「──そうね。これは『お見合い』だから、ね。たまには、こういうのも悪くないわ……。こんな状況でも諦めない、王女との会話も、数千年の退屈人生の中では珍しい体験かもしれないわ」


カルネヴァーレの言葉と共に周囲のヴァンパイアや父が「おぉ……」と安堵したかのような反応。まるで「ここで全員殺されると思った」という安堵感が空気を通して伝わってくる。

そして、和やかになりつつ雰囲気の中……。


「しくしく……紅い月が無くなっちゃったから、再生が遅いよ……あ、や、やめて!僕をテーブル代わりにしないで!あつ、ティーカップを直に置かないでぇ!熱いってば!」


お見合い相手が、肉塊のテーブルと化しているという奇妙なお見合いがようやく始まったのだ──。


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