「はぁ……」
私は王城の廊下を歩く。その道中、口からはどでかい溜息がこぼれ落ちる。
その原因は、勿論……勿論……。
勿論、なんなんだろう?
私を取り巻く理不尽が多すぎて、どれか一つに絞る方が困難なほどだ。
溜息の原因を特定しようとすること自体が、この世界の七不思議の一つに加えてもいいだろう。
「あぁもう、何に悩めばいいのか分からない。いっそ悩みのタネをリストアップして、優先順位でもつけようかな……?いや、そのリストが完成する頃には、また新たな悩みが追加されてるのが目に見えてる!」
目下の仮想敵は、もはや「お見合い」という概念そのものだ。無限に湧いてくるゴブリンの群れのように、次から次へと現れる。
そして、どうやら今度は超ド級の敵が来るらしい。いや、ラスボス級と表現しても過言ではない。
──竜。そう、竜である。
「竜って……。あの、ほら、アニメとか映画に出てくる、鱗で覆われてて、火を吹いて、金貨の上に寝転がってる、あの竜だよね?リュウさんとか、そういう親しみやすいお名前とかじゃなくて、純粋にドラゴンの竜だよね?」
先日、ヴァンパイアとのお見合い(と言う名の、血と肉片が飛び散るスプラッターショー)が終わった後に、あの毒舌執事カルタが言っていた言葉が、私の脳裏に鮮やかに響き渡る。
『次のお見合い相手が竜の王子様ということをお伝えした後に予想される狼狽ぷりよりも、今の取り乱しの方がまだマシだと思いますので』
竜の王子様?私の脳裏には、巨大な爬虫類が、豪華なタキシードを着て、ティーカップ片手に私に求愛している、あまりにもシュールな映像が映し出された。
いや、それは流石に想像力が豊かすぎか。でも、この世界の常識を考えると、あながち間違いでもない気がするから恐ろしい。
「竜ってなに?お見合いできるの?ていうか人(エルフ)語通じるの?まさか爬虫類の思考そのままとかないよね?『火を吹くから熱いね!』とか、『金貨の上は気持ちいいね!』とか、そういう分かり合えない会話を延々と繰り広げることになったら、私の脳味噌が先に燃え尽きるんだけど?」
とめどなく溢れる疑問符の嵐。ヴァンパイアとのお見合いの時は、相手が同じ人型の知的生命体とは思えない噂を腐るほど聞いたけれど、今回は紛れもなく化け物である。
というか、同じ哺乳類ですらない。爬虫類だ。
まさか、種族どころか類が違う存在とのお見合いだなんて、一体、何が始まるんだ?
私が食べられるショーが始まるのか?それとも、生きたまま金貨の山に埋められる拷問でも始まるのだろうか。冗談はよしこさんだ。
「食べられたくない……。いっそのこと、カフォンくんに全部破壊してもらって、お見合い自体をなかったことに……」
そう言いかけて、私は口を止めた。竜とのお見合いも、胃がキリキリする悩みの種の一つだが、それと同じくらい……いや、それ以上の悩みのタネが、我が愛しの弟カフォンくんなのだ。
先日見せたラスボスっぽい雰囲気を醸し出すカフォンくん。あの場の全てを無に帰すかのような魔力。
──明らかに、彼はおかしい。
いや、もうとっくに気づいてたけどね?彼の可愛らしい笑顔の裏に、深淵のような狂気が潜んでいることくらい。
「だ、だめだ……カフォンくんに頼んだら、お見合いどころか世界が滅亡するような気がする……」
そうして、私が王城の廊下で、世界で最も難しい「どうすれば竜に食べられないか選手権」の解決策を思案していると──。
「?」
遠くから、女の子たちの甲高い、楽しそうな戯れる声がする。
そして、その声は、獲物を見つけた狩人のように、どんどん私に近づいてくる……。
あぁ、これはいつもの──厄介で、可愛らしい、そして頭の弱い闖入者たちの襲来だ。
「あ!エルミア姫さまだー!」
「姫さまー!」
数匹の妖精さんが、廊下の間取り角から、ロケットのように高速で飛び出してきた。その勢いは、さっきまでどこかの部屋で暴れてきたことを物語っている。
妖精さんは、いつも元気だ。元気過ぎて、廊下の間取り角の向こうから、「このバカ者どもがぁ!」という誰かの怒鳴り声が微かに聞こえてくる。
今日はどんな悪戯をしたんだろうか?料理をつまみ食い?それとも、父の豪華な衣服に、またしても落書きでもしたのだろうか?
「あ……こんにちわ、妖精さんたち」
私の疲れた声を聞いて、妖精さんたちは急停止し、羽音を立てながら、互いに顔を見合わせた。
「姫さま、元気ないの?」
「なにか、悲しいことでもあった?」
なんということだ。あの、世界平和の解決策を考えるよりもアリさんウォッチングの方が好きな妖精さんに、心配されてしまうとは。
彼女たちは普段は脳味噌がとろけそうなほどに幼稚な話しかしないが、時折こうやって、人の心の機微を、高位の詩人のように理解する節がある。
それがまた、なんとも言えない不気味さというか、可愛らしさというか。
「うーん……貴方たちに相談しても、どうせ『アリさんのお腹はなんでフワフワなの?』とか、そういった類の答えしか返ってこないだろうし、そもそもこの話が理解できるのかすら怪しいから、意味がない……あ、いや、別に貴方たちの知性を疑っているわけじゃないのよ?ごめんね、妖精さん。でも、誰に相談しても意味がないっていうか……そう、この世界の誰もが、私の悩みを理解できるわけがないというか……」
私の煮え切らない、曖昧な言葉に、妖精さんたちは羽音を立てながら、余計に興味津々になってしまう。
彼女たちの大きな瞳が、まるで「もっと話して!」と訴えるかのようにキラキラと輝いている。
「……」
私は観念した。どうせ誰も助けてくれないのなら、この可愛らしい、しかし脳味噌がお花畑の存在に話すくらい、大したことじゃない。
そう自分に言い聞かせるように、深々と溜息をつくと、諦めたように言った。
「実はね、今度お見合いする相手が、あの、ほら、火を吹く巨大なトカゲさん……竜なのよ……。知ってる?ドラゴンさん……」
次の瞬間、妖精たちの目がキラキラと、まるで夜空の星のように輝き出した。「りゅー?」「ドラゴン?」「つよーい?」彼らは一斉に私の周りを飛び回り、何やらヒソヒソと相談し始めた。
「ねぇねぇ、ドラゴンってアレじゃない?絵本とかに出てくる『わるもの』!たぶん」
「えぇ!?姫さま、『わるもの』と結婚しちゃうの?そんなの嫌だ!」
「こ……これは妖精界の危機よ!なんとかしなくちゃ!ドラゴン退治よ!」
そう意気揚々と叫ぶ妖精さんたちだが、私は背筋に冷たいものが伝う嫌な予感がした。
だって、彼女たちがやる気になるというのは、ろくでもないことの前触れだからだ……。妖精の『やる気』ほど恐ろしいものはない。
「あ、あの?妖精さん?別に、無理しなくてもいいよ?だってどうしようもないですし……」
私のそんな言葉に、彼女たちは私に一斉に顔を向けて、口々に言い放つ。
その顔は、「何を言ってるんだこのダメな姫は」とでも言いたげだ。
「姫さま!簡単に諦めちゃだめ!」
「そうそう!姫さまって、昔から簡単に諦めてばっかりじゃん!それじゃ人生うまくいくわけないよ!」
「そんなんだからさぁ、独身のままなんだよ?なんていうか、やらないで諦めるのはさ、逃げ癖っていうかさぁ!努力しないと幸せは掴めないんだよ!わかった!?」
思わぬ妖精さんの、図星を突くような反撃に、私はたじろいだ。
え?妖精さんそんなこと言うの?私の硝子の心どころか、脳の髄までひびを入れるようなことを、この可愛らしい、しかし容赦のない存在が言うの?
しかもなんか正論っぽいのが余計にむかつくというか、クリーンヒットだ。
うそやん……この期に及んで、妖精さんにまで人生訓を説かれるとは。
妖精さんたちは、私の落ち込みもどこ吹く風とばかりに、目をキラキラと輝かせながら、口々に叫び始めた。
「姫さまの危機だ!アズルウッドの危機だぁ!」
「仲間を呼んでくる!きっとみんな来てくれるよ!空を覆い尽くすくらい、妖精が集まるかも!」
「妖精防衛隊を編成よ!隊長は……トーナメントで決めよう!」
お祭り騒ぎの中、妖精さんたちはキラキラと光る粉を撒き散らしながら、廊下を、いや王城全体を縦横無尽に駆け巡り、散っていく。
その姿は、火薬を撒き散らす小さな花火のようだ。
私はと言うと、そんな彼女たちの背中を、ただ呆然と見送るしかなかった。
これは……嵐が起こる前触れだ。
いや、嵐など生温い。妖精大騒乱が、この王城を舞台に巻き起こるに違いない……。
──ああ、誰か、この世界の誰か、私に安寧をください。
「……」
でも、私のせいじゃないよね。マジで。
私はただ、竜との縁談にため息をついていただけだ。
それで世界が、いや、城が、妖精たちの手によって混沌に陥るのは、私の責任ではない。
──そんなこんなで。
私ことエルミア姫は、責任転嫁しつつ、最高に嫌な予感を全身で感じながら、再び大きな溜め息を吐いたのであった。