光の牢獄で意識を失い、次に私が目覚めると……。
そこは異世界──。
ではなく。
相変わらずのキラキラ地獄(自室)だった。 どうやら気を失っている間に、あの親切心だけは有り余っている妖精さんたちが、ご丁寧に宝石でデコレーション済みのベッドまで運んでくれたらしい。
その心遣いには涙が出そうだが、目を開けた瞬間に再び網膜を直接攻撃され、二度目の失神をしそうになったのは言うまでもない。
「うっ……頭が……」
二日酔いならぬ「光酔い」とでも呼ぶべきか。 ズキズキとした頭痛と、胃の底からこみ上げてくる吐き気、そして目の奥でチカチカと点滅し続ける残像が、私をこの悪夢のような現実へと引き戻す。
部屋を見渡せば、そこはもはや光の暴力装置展示場とでも言うべき惨状。
壁という壁、天井という天井から、ありとあらゆる光り物が、これでもかと自己主張の激しい光を放っている。
その輝きは、「お前の視力を奪ってやる!」という強い意志を感じさせるほどだ。
「ち、畜生……!ここは天国?いや、天国みたいに明るいけど、方向性としては完全に地獄か……」
いつまでも寝ている訳にはいかない。
いや、本当はこのまま永遠に眠り続けて、この悪夢から覚めたいところだが、地獄と化した部屋で視神経をレーザーのように刺激されながら安眠できるほど、私の神経は鋼鉄製ではないのだ。
のろのろと、ゾンビ映画の主人公のようにベッドから這い出す。そして、ふらふらとおぼつかない足取りでドアノブに手をかけ、光の拷問部屋から廊下へと脱出した。
「くっ……ようやくあの光の地獄から解放された……」
私が安堵の溜息と共に、しかし新たな恐怖に怯えながら廊下を歩いていると、脳裏にあの能天気な妖精さんたちが言っていた言葉が、呪いの呪文のように過る。
『お城の中、全部改造したよォ!』
その言葉の重みが、鉛のように私の肩にのしかかる。
まさか、この城全体が、彼女たちの「ドラゴン対策」という名の、悪趣味なテーマパークへと変貌を遂げている……?
一刻も早く安全な場所を探さなければ。 いや、この城に「安全な場所」なんてものが、まだ残っているのだろうか……。
そんなことを考えながら、私は廊下の曲がり角を曲がった。
その瞬間だった。
「!?!?」
目の前の廊下の奥から、ダムが決壊したかのような勢いで、大量の水が押し寄せてくるではないか。
「え!?な、なに!?水!?なんで水が!?」
なに!?なんなの!?ここ王城だよな!?ついにこの城も老朽化で雨漏り……いや、これは雨漏りというレベルじゃない!洪水だ、洪水!
私は悲鳴を上げる間もなく、全速力で逃げようとするが、無駄に豪華でフリフリとしたこのドレスでは、オリンピック選手のような華麗な逃走劇など演じられるはずもない。
あっという間に、濁流……しかもなぜかキラキラと光るラメが混じっているのが見える水は私の足元をさらい、私は瞬く間に、水流に呑まれてしまった。
「が、がぼがぼ……!!」
私が突如として発生した王城ウォータースライダーを必死の形相で楽しんでいると、どこからともなく現れた葉っぱのボートに乗った妖精さんたちが、きゃっきゃとはしゃぎながら声をかけてくる。
「あ!姫様起きた?」
「ねぇねぇ、水路作ったの!どう思う?」
どう思う……だと?そうね、最高にクールで画期的なリフォームだ。
特に、お姫様を溺死させるための機能が充実している点が素晴らしい。あと、この水に含まれてるラメ、絶対掃除大変だよね。
私の内心で吹き荒れる皮肉などどこ吹く風、妖精たちは満面の笑みで、自慢げにこう言い放った。
「竜は火を吹くから、きっと水が苦手なはず!城中を水浸しにすれば、火なんて怖くないよ!」
その言葉に、私は目をぱちくりさせる。な、なんということだ。
この頭の中がお花畑で埋め尽くされた可愛らしい存在たちは、ドラゴンを撃退するために、こんな水浸しトラップを発動したというのか。
しかも私の為に? 感動しすぎて目から涙が溢れる……わけないだろ、ふざけるな。私の涙はもっと高尚なもののためにあるはずだ。
「ひ、ひめさま~!お助け~!」
どうやら、妖精さんの悪戯という名のテロ行為に引っかかったのは私だけではないらしい。
私のすぐ横を、エスカテリーナちゃんがメイド服をびしょ濡れにしながら、洗濯機の中で回転するハンカチのようにくるくると回って流されていく。 彼女の悲鳴は、濁流の轟音にかき消されそうになりながらも、私の耳にはっきりと届いた。
「て、敵襲!?ドワーフか!?ヴァンパイアか!?それともカフォン様か!?」
そして、王城を守るはずのエルフの兵士さんたちも、木の葉のように成す術もなく流されていく。彼らの勇ましいはずの甲冑も、今やただの重りにしかなっていない。
敵襲を疑っているのは立派だが、その容疑者リストの最後に自国の第二王子の名前がナチュラルに入ってくる辺りが、なんともこの国らしいというか、末期的というか。
「だ、誰か助けて……!」
私は遊園地の激流下りアトラクションのように、城内を流され続けた。 階段の急な段差はウォータースライダーの絶叫ポイントと化し、吹き抜けからは滝のように水が流れ落ち、私を新たな水流へと叩き込む。
あぁ、これぞまさに王城ならではのスペクタクルな水流アトラクション。入場料は私の命かもしれないが。
どれほどの時間、この強制的な水遊びに付き合わされただろうか。いつの間にか、私は大広間にまで流されてきてしまっていた。
ようやく水の勢いが収まり、私はびしょ濡れのドレスを引きずりながら、咳き込みつつよろよろと立ち上がる。
「……!?」
しかし、息つく暇もなく、私の目は新たな異変を捉えた。
大広間にも、やはり大量の妖精さんが、砂糖に群がるアリのように跋扈しており、その結果、大広間はとんでもない光景へと変貌を遂げていた。
それは、とっても甘い……というか甘すぎる……いや、甘すぎて胸焼けしそうなほどの、悪夢のような光景だった。
「あ!姫さまきたよー!」
私の登場に気づいた妖精たちが、砂糖菓子のように甘い声で歓迎してくれた。しかし、その歓迎の舞台は、もはや正気の沙汰とは思えない代物だった。
厨房から持ち出されたのであろう大量の蜂蜜、色とりどりのジャム、黄金色のシロップ、そして湯気を立てる溶かしたチョコレートが、大広間の壁という壁、床という床、荘厳な柱という柱に、現代アートのように塗りたくられている。 頭上のシャンデリアは、巨大なピンク色の綿あめで覆われ、時折甘い雨を降らせている。
そして、父がいつもふんぞり返っている玉座は、ウェハースとクッキーでメルヘンチックにデコレーションされ、もはや威厳の欠片も残っていなかった。
「な、なにしてるの……?」
私がドン引きし、床のベタつきを避けながら尋ねると、妖精さんたちは頬をジャムで汚しながらも、満面の笑みで答える。
「竜って、強いけど、きっと子供みたいなところもあるはずだよ!」
「そうそう!甘いもので機援を取れば、仲良くなれるかも!」
なるほど。ここにいる妖精さんは、敵をもてなすという騎士道精神(?)の持ち主らしい。
ただし、その方向性は狂気と紙一重、いや、完全に狂気の領域に足を踏み入れているが。
「……ん?」
ふと、視界の隅に、何かが見えた。床に広がる蜂蜜の川で、誰かが溺れている。よく見ると、それは……
「う、動けない!なんですかこのはちみつは!?誰かお助けくだされ!はちみつに溺れる~!!」
セルシルだった。彼は手足をバタつかせ、必死に蜂蜜の粘りから逃れようとしているが、無駄な努力のようだ。
そして、そのセルシルに向かって、どこからともなく現れたアリの大軍が、聖地巡礼のように整然と行軍を開始している。彼らの目には「今日の晩餐は執事の蜜漬けだ!」という喜びの光が宿っている。
「……」
私はそっと目を逸らし、セルシルの存在を記憶から抹消した。この甘ったるい地獄で生き残るには、時に非情な判断も必要なのだ。
合掌。
セルシルの「姫様ぁ~!アリが、アリが私の尊厳を~!」という悲痛な叫び声をバックコーラスに、私はそそくさと大広間から脱出した。
「こ、ここは危険だ……!そうだ!外に……外に行けば安全かも……!?」
まぁそんなこたぁないんだろうけどね。
私の人生に「安全地帯」なんてものは、もはや存在しないのかもしれない。そう思いつつも、藁にもすがる思いで、私は満身創痍の体を引きずりながら外に出た。
「……あ、あれは?」
すると、空ではヴァスカリスが、将軍のように妖精防衛隊を率いて勇ましくパトロールしているではないか。
「一番強い貴方が将軍でーす!」
「お姫様の為にドラゴンをやっつけようね、蚊将軍!」
と崇め奉り、彼の巨大な頭部には、不釣り合いなほど可愛らしい花の冠がちょこんと乗せられ、背中にはこれまた可愛らしい葉っぱのマントが風になびいている。
ヴァスカリス本人は明らかに迷惑千万というオーラを全身から、発散させつつも、妖精たちの「将軍!右です!」「いえ左ですわ!」「あっちに怪しい木の葉が!」という指示に、もはや抵抗する気力もないのか、城に近づく無害な鳥、ひらひらと舞う蝶、風に運ばれてきたただの木の葉にまで、無差別に体当たりを敢行している。
「……」
どうやらヴァスカリスは、妖精防衛隊なるものの将軍に任命されてしまったらしい。
私は今見ている壮絶な光景を、そっと心のシャッターを下ろして見なかったことにし、ベタベタのドレスから甘い香りを振りまきながら、中庭へと力なく歩いて行くのだった。
ほうほうの体で中庭まで避難してきた私は、ようやく一息つけるかと安堵の溜息を……吐く前に、そこに佇む二つの見慣れた、そして見慣れたくもない影を発見してしまった。
そこにいたのは……。
「げっ」
我が尊敬すべき父・セーロスと、我が愛すべき兄・アイガイオンであった。
彼らは、城内が妖精たちによって地獄絵図へと変貌していることなど露知らず、少数のエルフの従者を従えて、優雅に中庭でティーパーティーを開催しているではないか。
「おや、エルちゃん。どうしたんだい?なんだか今日の君は、いつもより甘ったるい匂いがするね。歩くハチミツの壺みたいだ。ところで、今お父さんの顔を見て『げっ』とか、明らかに嫌そうな声が駄々洩れだったような気がしたんだけど、気のせいだよね?ね?」
父はどこまでも穏やかな表情を浮かべながらティーカップを啜ってそんなことを言ってきた。
そして、その対面に座る我が兄は、同じように優雅(自己陶酔?)にティーカップを持ちながら、私にねっとりとした笑みを見せてくる。
「エルミア、どうしたんだ。そんな砂糖菓子のような甘い匂いを漂わせて。昔からお前はいい匂いがしていたが、こんなにも直接的に甘い匂いを発するようになったとは……もしや、俺のことを誘惑しているのかな?だとしたら、兄として、その愛らしい誘惑に全力で応えなければなるまい……」
その、あまりにも、とてつもなく、宇宙規模でキモい発言に、私の背筋を悪寒が走り抜け、全身の毛穴という毛穴からぶわっと拒絶反応が噴き出した。
「姫様、こちらへどうぞ」
エルフの従者が、私のために完璧なタイミングで椅子を用意してくれる。
城が妖精たちの手によってファンシーな地獄へと変貌しているというのに、彼らは眉一つ動かさず、完璧な執務を遂行している。
「ありがとう。せっかくだから、お茶会に参加させていただきますわ」
本当はこの二人と、一秒たりとも同じ空気を吸いたくないのだが、文句の一つや二つ、いや、百個くらい言ってやらないと私の気が済まないモードに突入してしまったので、参加することにする。
そう、元はと言えば、父が、竜とお見合いとかいう、あまりにも現実離れした訳の分からないことを言い出すからいけないのだ。 私も妖精さんも悪くない。
……いや、妖精さんはちょっと、いや、かなり悪いかもしれない。まぁいい、どうにかして最終的には父と兄のせいにすれば、私の心は平和だ。
「何処かの誰かさんが、私と空飛ぶ巨大トカゲ……いえ、竜でしたかしら?とにかく、そんなのとのお見合いをセッティングしたせいで、妖精さんが『エルミア姫を邪悪なドラゴンからお守りするの!』なんて、涙ぐましいほどに張り切っちゃってね」
私は従者が用意してくれたティーカップを、震える手で……いや、優雅に持ち上げ、ボロボロのドレスのことは一旦忘れ、口を開いた。
「その結果、お城が阿鼻叫喚、魑魅魍魎が跋扈する百鬼夜行のテーマパークへと華麗に変貌を遂げたみたい。でも、しょうがないですよね。これも全部、竜とお見合いなんていう、正気の沙汰とは思えないことを決めた、どこかの偉い御方の責任ですものね。あぁ、困った困った」
私の、それはもう見事なまでに皮肉と嫌味と諦観を煮詰めて濃縮還元したかのような言葉に、父と兄は顔をきょとんとして見合わせる。
「?」
……なんだ?なんだこの反応は。もしかして、この期に及んで「私たちはお見合いなんて決めちゃいないよ」とでもいうつもりなのだろうか?
そんな馬鹿な。じゃあ一体誰が、私とあの、最終兵器みたいな竜とのお見合いを決めたというのだ。
カフォンくんか?いやいや、彼がそんな面倒なことをするとは思えない。彼はもっとこう、直接的に世界を滅ぼすタイプだ。
私が胡散臭いものを見るような目で二人を睨んでいると、父がおずおずと、口を開く……。
「エルちゃん……そのぉ……」
父が言い辛そうに口ごもる。 すると、兄が「何をそんなにモタモタしているんだ」とばかりに首を傾げながら、代わりに言った。
「この王城の防衛力を高めようというその心意気は評価する。妖精たちも、たまには役に立つことを考えるじゃないか。だが……残念ながら、竜はここには来ないぞ」
「……え?」
私の間抜けな声が、中庭の優雅な空気に虚しく響く。
そして、父が最後に、とどめを刺すかのように、しかしどこか申し訳なさそうに言った。
「次のお見合いはね、エルちゃんが竜の国に行くんだ。だから、この城をいくら要塞化しても、竜さんには一切関係ないというか……」
シーン、と。
中庭に、痛々しいほどの静寂が訪れた。
ティーカップを置く音すら憚られるような、そんな沈黙。
風の音も、鳥のさえずりも、妖精の羽音も、何もかもが消え去ったかのような静けさの中。
「うそやん」
私の呟きが、中庭の静寂に消えて言った。