私の絶句など、妖精さんにとっては大した問題ではなかったらしい。
彼女たちの純粋な善……という名の悪意なき破壊活動は、留まることを知らない。
「きゃはは!見て見て!噴水がオレンジジュースになった!」
「わーい!飲み放題だー!」
町の美しい噴水は原型を留めていなかった。粘着質の甘ったるいオレンジ色の炭酸水が、勢いよく天に向かって噴き出し周囲に甘い香りと絶望を振りまいている。
そして先ほど妖精たちの手によって、情熱的な赤髪へと強制的にイメージチェンジさせられた哀れなエルフの青年はというと……。
「あぁ……なんてことだぁ……」
彼は近くの水たまりに映る自分の姿を見て、膝から崩れ落ちていた。
「僕の……僕の、美しい銀髪が……これじゃあ、彼女に振られちゃうよぉ……」
悲痛な叫びに、妖精たちは「えー?こっちの方がずっと素敵なのに!」「女の子は情熱的な男が好きなものよ!」「銀髪って白髪みたいじゃん!」と全く悪びれる様子もなく、無責任なアドバイスを送っている。
(ごめんなさい、名も知らぬエルフさん。貴方の髪と、ついでに貴方の未来の結婚生活まで、うちの連れてきた厄介者たちが台無しにしてしまって……)
私が心の中で同情と謝罪を繰り返していると、妖精たちの次なるターゲットは広場に面したパン屋に定めたようだ。
「わーい!パンだー!」
「パン屋さーん、遊ぼー!」
店主が逃げ出した後のパン屋に、妖精たちが雪崩れ込む。
そして、次の瞬間。
店先に並んでいた焼きたてのパンたちが、一斉に鳥のように羽ばたき始めた。
パンたちは、意思を持ったかのようにふわりと宙に浮き、広場の上空を編隊飛行し始める。その光景に、私は絶句した。
(……パンが……飛んでる……まぁ……もう驚かないけど)
オレンジソーダの噴水、絶望する赤髪の青年、そして空飛ぶパンの群れ。
この光景は、もはやシュールレアリズムの絵画だ。タイトルは『妖精が見た夢』、あるいは『姫が体験した地獄』あたりが妥当だろう。
そんな非現実的な光景を、私は魂の抜け殻のような顔で見つめることしかできなかった。
「……」
そして私の視線は、次なる惨劇の現場へと移った。
そこでは一般的に『化け物』と認識されるであろうヴァスカリスが、果物屋の店先に並んだ真っ赤なリンゴを「これは極上の血の塊に違いない!」と勘違いしたのか、巨大な口吻をブスブスと次々と突き刺し、ジュース製造機と化していた。
リンゴから滴り落ちる果汁を、彼は実に美味しそうに啜っている。
……あぁ、可哀そうに。店主が戻ってきたら、びっくりして腰を抜かすだろう。
ショック死する可能性も否定できないのがこの世界のやばいところだ。
──そして、最後に残された最大の厄災……兄の番だ。
さぁ、彼は一体、どんなとんでもないことをしてくれるのだろう。この町を火の海に?それとも、この町の民全員を強制的に「エルミア親衛隊」にでも改造する?
私が、覚悟を決めて兄へと視線を向けると──。
(……え?)
意外なことに兄は何もしていなかった。
木に寄りかかり腕を組んで、目の前で繰り広げられる、主に妖精と蚊によるカオスをどこか退屈そうに眺めているだけだった。
(な、何……?どうしたというの?お兄様が、おとなしくしている?嘘でしょ?)
私の脳が警鐘を鳴らす。
おかしい。絶対におかしい。彼が何もしないなんて。
何か企んでる?もしかして、この町の地下にすでに超巨大な魔法陣でも仕掛けて、町ごと私にプレゼントするサプライズの準備でもしている?この静けさは、そのための布石?
(……そう、きっとそうだ。この人が何もしないなんて、天地がひっくり返ってもありえないもの。何もしない、ということは、既にとんでもない『何か』を仕掛け終わった後だということ……!)
彼の静けさが、逆に私の恐怖を最大限に煽ってくる。
ああ、もう、いっそ何かやらかしてくれた方が、まだ心の準備ができたというのに!
「……」
取り合えず兄のよく分からない不気味な態度は一旦置いておいて……。
「と、とにかく……!この、我が王家が主催する『物理的に町を壊す町おこし』を、収拾しなくちゃ!」
私は意を決して動き出す。
そう、この惨劇の元凶たちをなんとかして馬車という名の鉄の檻に連れ戻すために……。
いつの間にか私の背後には例のやたらとごつい黒鎧の騎士たちが、影のように付き従っていた。
恐らく彼らも、父の傍にいるのは恥ずかしいのだろう。私も同じ気分だからねぇ。
「さぁ、貴方たち!これから、我がアズルウッド王国の輝かしい『威光』の数々…いえ、この国が生み出した『恥』を、全力で隠蔽……じゃなくて、『回収』するのを手伝ってもらいます!」
こうして私の尊厳を守るための「恥の回収作戦」が始まった。
最初のターゲットはもちろん、最も数が多く最も厄介な、あの小さなテロリストたちだ。
「いいこと、あなたたち!まずは、あのオレンジソーダの噴水で水浴びを楽しんでいる妖精さんたちを『保護』します!あくまで『保護』!決して、小さな羽をむしり取って、二度と飛べなくしてやろう、なんて考えてはいけないわ!絶対に!」
「はっ!」
そうして私の号令で、騎士たちは出撃する……のだが!
その光景は実にシュールであった。
ひらひらと舞う小さな妖精を、蝶々でも捕まえるかのように、巨大な手でそっと捕獲しようと試みるガチムチ騎士たち……。
「そ、そこです!」
「あ、逃げられました!」
「くっ、無駄に速い……!」
大の大人数人がかりで、小さな妖精一人に翻弄されている。その様子は、もはや喜劇だ。
彼らは戦いのプロかもしれないが、どうやら「いたずら好きの園児を捕まえる」というスキルは、持ち合わせていなかったらしい。
「きゃはは!鬼ごっこだー!楽しい!」
「このお兄さん、動きが鈍いわねー!なんつーか無駄な筋肉って感じ?」
「筋トレとか好きそう~。でも、女の子にはモテない筋肉っていうか~」
妖精たちは自分たちが捕獲対象になっているとは夢にも思わず、この状況を新たな遊びと認識しているようだ。
あまりにも平和で、あまりにも頭の悪い光景に、私のこめかみがピキピキと音を立てるのを感じる……。
「ひ、姫様……!なんとか……なんとか、全員捕まえました……!」
息も絶え絶え、鎧はベタベタ、誇り高きエルフの騎士としての尊厳はズタズタ。そんな満身創痍の騎士が、私の前に数匹の妖精を差し出した。
当の妖精たちは、巨大なガントレットにむんずと掴まれながらも、「きゃー!捕まっちゃったー!」「もっと高く持ち上げてー!」などと、この状況を最高に楽しんでいるようだ。
「ご苦労様、マジで。その、ええと……『保護』した方々は、鉄の棺桶……じゃなくて馬車の中に丁重に『ご案内』しておいてちょうだい」
私の許可を得て、騎士たちは最早優しさなどかなぐり捨て、捕まえた妖精たちを、迷惑な虫でも払うかのように、ポイポイと馬車の中に放り込んでいく。
さて、小さな害虫の駆除は終わった。次は……。
「あ、そこのキミ!可愛いね~♡どこ住み!?」
「え……僕、男ですけど……」
「男~?男ってなんだぁ~?ぎゃははは!」
次に私の視界に飛び込んできたのは、ワインを片手に、完全に出来上がっている我が父……「恥の極致」とでも言うべき存在が、明らかに男であるエルフの青年(でもなんか可愛い)に、熱烈なナンパを仕掛けている光景だった。
つーかさっき、蹴り飛ばしたのにいつの間に復活したんだ?……ま、まぁいいわ。
救いようのない姿に、私は天を仰ぎつつも背後の騎士たちに命令を下した。
「……あなたたち。次の任務です!」
私は父を指差す。本当は指差したくもないが、しょうがない。
「我が国の威厳を一身に背負い、今まさに平民と交流に励んでおられる、偉大なる国王陛下を、全力で『お守り』しなさい。超越種権限でマジでヤバいこと言わないうちに。そうね……タックルで!」
「はっ!」
私の号令一下、黒鉄の鎧に身を包んだガチムチの騎士たちが、一斉に父へと群がる。
「え……?なんだこいつら!?うぼぁ!?」
父は突然の屈強な男たちの襲撃に酔っぱらっているからか、なすすべもなく筋肉の壁に押しつぶされ苦しそうに悲鳴を上げた。
「く、くさい!男くさい!汗臭い!死ぬ、死ぬ~おぇー!!!」
私は筋肉の山の下で情けなくのたうち回る哀れな父を見下ろし、冷たい微笑みを浮かべて言った。
「お父様。今しがた、男性の方に大変ご執心でいらっしゃったようでしたので、お望み通り、我が国が誇る、それはもう逞しい男性陣に囲まれてみるのはいかがかと思いまして。一種のサプライズプレゼントですわ。お喜びいただけて?」
「い、いや……こういう筋肉マシマシの男は趣味じゃないっていうか……うぎゃあ!?やめろ、変なところ触んないでぇ!」
そうして父は騎士たちに米俵のように軽々と担がれ、馬車へと運ばれていく。
そして、先ほど回収された妖精たちが待っている、カオスな空間へと、無慈悲に放り込まれるのだった。
「さて……最後は……」
私は、この町に混沌をもたらした最後の敵へと、静かに向き直る……。
そこには、ヴァスカリスが「ピィィ……ブチュルルル……」と奇妙な羽音と吸引音を立てながら、果物屋のリンゴを片っ端から吸い尽くしている、という実に牧歌的な光景が広がっていた。
周囲では、まだ逃げ遅れた町の住民が「化け物だぁー!」と叫びながら走り回っている。
「くっ……我がペットながら、なんて悍ましい姿なの……!」
エルフの姫と、巨大な吸血昆虫。運命の糸に導かれ、今、二人は対峙する。
町の平和を、そして我が王家の僅かに残された尊厳を取り戻すために、私はこの最後の戦いに挑まねばならない──。
なんて、壮大なBGMが聞こえてきそうだけど……。
よく考えたらマジでしょうもないね、この状況。
壮大なる「恥の回収作戦」のラスボスが、リンゴジュースに夢中なペットの蚊か。
まぁでも……やるしかない!
──やるのは私じゃなくて、騎士さんたちだし。