鉄の塊……もとい、最新鋭の耐熱装甲馬車がいよいよ竜の国の領土に足を踏み入れた。
その瞬間。車窓からの景色は一変した。
エルフの国の目に優しい緑豊かな風景は完全に消え失せ、代わりに岩、黒い砂と大地を裂くように流れる溶岩が支配する、荒涼とした大地が広がっていた。
空気は、腐った卵を凝縮したかのような強烈な硫黄の匂いに満ち、地面のあちこちから不気味な熱気が立ち上っている……。
「ここが、竜の国……。なんというか……とても、その……素敵な火山地帯って感じで素敵ですね。今にも爆発して馬車ごと消し炭になりそうっていうか?」
私の口から、我ながら感心するほどに空虚で心のこもっていない感想が漏れた。
初めて見る異国の風景。しかし、私の心を満たしたのは、感動よりも先に、本能的な恐怖である……。
──ここ、本当に生物が住んでるの?住んでたとしても、絶対まともな生物じゃねぇ……!
私が戦慄してるいると、車内の父と兄の地獄の一丁目のような光景を前に「おお、これは酒が進みそうな景色だ!」だの、「血が滾るな……」だのと、それぞれ見当違いにも程がある感想を述べ、どういうわけかワクワクしているようだ。
私の恐怖と、彼らの興奮。その温度差が、この旅の全てを物語っている。
そんな時だった。
突如、空を引き裂くような、腹の底まで響き渡る轟音が鳴り響いた。
──Guooooooo!!!
「……!?」
馬車が、地響きでガタガタと激しく揺れる。
──なに?なにごと!?
父と兄の狂気に、大地の神様みたいなのが怒ったか?(願わくば天罰でそのまま死んでほしい)
私が驚いて窓の外を見上げると、そこには……。
「え、なにあれは……」
漆黒の鱗を持つ巨大な竜たちが、空高くで編隊を組み、私たちを威嚇するかのようにゆっくりと旋回していた。
しかし我が父はその光景を、実にめでたいものとして捉えたらしい。
「いやぁ、お出迎えしてくれてるのかなぁ。随分見ないうちに、随分と礼儀正しくなったじゃないか、ドラゴンさんは」
(出迎え……?あれは完全に、侵入してきた不審者を威嚇して、追い払おうとしている動きに見えるんだけど……)
私の脳が現実逃避じみた皮肉を組み立てている間にも、何か形容しがたい違和感が私の背筋を這い上がってくる。
──なんか、妙だな……?
空から降り注いでくる咆哮は、ただの威嚇には聞こえなかった。
あれはもっと……直接的な、純粋な殺意の塊。そう、今にも私たちを鉄の馬車ごと黒焦げのオブジェに変えてしまいたいとでも叫んでいるかのように……。
あまりにもあからさまな殺意に、募る不安を抑えきれなくなった私は、旅の元凶である二人に尋ねた。
「お父様、お兄様……。あの、もしかして昔、竜の方々と何か……そのぉ……ちょっとした、すれ違いでも……?」
すると、父と兄は待ってましたとばかりに、エルフと竜がいかにして殺し合ってきたかの輝かしい歴史を、実に楽しげに語り始めた。
それはもう、聞いているだけでこちらの精神が削られるような、血で血を洗う物語。
どちらが先に裏切ったとか、どちらが先に手を出したとか、そんな水掛け論を話し出す……。
「いや、違うんだよエルちゃん。最初にちょっかいを出してきたのは、あの欲深いトカゲなんだよね。大事に飾ってた『竜瞳の石』を、あいつらが『我々から奪った宝を返せ』とか言ってきて、炎を吐いてきたのが全ての始まりでさぁ。まぁ、最初は竜の国にあったものかもしれないけど、ちょっと奪……じゃなくて、貰っただけなのに。あいつらときたらさぁ……」
「石ころ一つで何百年も根に持つとは、しょうもない爬虫類どもだ。だが、あの平原での戦いは最高だった。竜の王族が三匹同時にかかってきたのを、俺一人で華麗な解体ショーにしてやった時の、奴らの絶望に満ちた顔……あれはまさに芸術だったな」
「まぁ、その戦いでたくさんのエルフのステーキが出来上がったけどね……。でもさぁ!あいつらは和平交渉の席で、いきなり火を吹いてきたこともあるんだよ!『お前たちは信用ならない』とか、ふざけたことを言いながら!あれはマナー違反!そりゃ?確かに?先に殺そうとしたけど?でも、結果的にはあっちが先に攻撃してきたんだから、あっちが悪いんだよなぁ!」
……。
……?
私の聞き間違いでなければ、今、お父様は『竜の国から石を、まず間違いなく強奪して』。
そして、和平交渉の席では『先手必勝とばかりに殺意を向けた』けど、反撃されたから『あっちが全面的に悪い』。
原因は盗品、交渉の席では殺意マシマシ、それで反撃されたら『マナー違反』だと……?
父の逆ギレと、兄のあまりにも常識外れな価値観に、私はもはやドン引きという感情すら通り越し、これから会いに行く相手との絶望的なまでの関係性を再認識させられる。
だが、それでも。
それでも、私は最後の、本当に最後の望みをかけて、震える声で尋ねた。
「で、でも……それだけ仲が悪くても、お見合いを承諾してくれたんなら、一応は、形だけでも仲直りしたってことで……いいんですよね……?」
その言葉に、父と兄はばつが悪そうに顔を見合わせた。
悪戯がばれた子供のような、情けないアイコンタクト。
それを見た瞬間、私の背筋を、これまでで最大級の、そして最も致命的な嫌な予感が氷の刃のように走り抜ける……。
(あれ……?この流れ……まさか……)
父が、えへらと乾いた笑いを浮かべて口を開く。
「えへへ……言ってなかったっけ?竜のクソ野郎どもはさぁ、エルちゃんとのお見合いを全力で拒否してきてね。 『我らの土地に足を踏み入れた瞬間、黒焦げにする』とか、物騒な手紙を送ってきたからさぁ……だから、無理やり来ちゃったんだよねぇ~、てへぺろ!」
そして、追い打ちをかけるように兄が冷たく言い放った。
「全く、失礼なトカゲどもだぜ。俺の愛しいエルミアとのお見合いを、爬虫類の方から拒否するとは。いや、どちらにしろ婚約などさせる気は微塵もないが……拒否されるのは不愉快だからな……。 少し、灸を据えてやらないと」
……?
……????
父と兄の言葉を聞いて、私の思考は完全に停止した。
──拒否された?「来たら殺す」と?
──だから、無理やり来た?
その短絡的で、破滅的な理屈が私の脳内でぐるぐると意味をなさないまま回り続ける。
数秒の、永遠にも思える沈黙の後。
私の口から、馬車全体を揺るがすほどの、渾身の絶叫が響き渡った。
「──はぁ!?!?!?」
じゃあ、これって……お見合いじゃなくて、ただの……ただの武装したストーカー集団による、不法侵入ってことじゃねぇか──!?