黒鉄の馬車が、とある丘の頂上に差し掛かった時だった。
「おっ。ようやくお目当ての都が見えてきたねぇ」
父の言葉と共に私の目に飛び込んできたのは、息を呑むような光景。
荒廃した火山地帯の中心に、巨大な黒い宝石のように一つの都市が輝いている。
天を突くほどに優美な塔、磨き上げられた黒曜石の城壁、そして計算され尽くしたかのような幾何学的な美しさを持つ街並み。
「えっ……」
私が想像していた「溶岩の洞窟で金貨の上で寝ている」という野蛮なイメージとは真逆の、高度な文明を誇る威容がそこにはあった……。
「え……あ、あれが竜の国……!?」
──めちゃくちゃセンス、良くね?うち(エルフ)よりも、なんていうか無骨だけど静寂の中にある美しさっていうか?
そんな私の、生まれて初めて見るであろう壮大な景色への感動は、隣から聞こえてきた不穏な会話によって即座に台無しにされた。
「いやぁ、久しぶりに見たねぇ、竜の都は。相変わらず見事なもんだよ。まぁあいつらが建てたもんじゃないけど」
「首都以外は、俺たちが全部滅ぼしちまったからな。ここしか残ってないのも当然だ」
唐突な物騒な告白に、私の心の中で芽生えかけていた感動の芽は一瞬にして黒焦げの炭と化した。
私は完璧な真顔を作り上げると、今しがた行われた恐ろしい会話を完全に聞こえなかったことにしてスルーする。
そう、このスキルこそが私がこの狂った家族の中で生き抜くために身につけた最強の防御魔法なのだ。
「……ん?」
しかし、私はとあることに気づく。
あれだけ巨大な都市だというのに、建物のサイズがどう見ても人間やエルフに合わせられているように見えるのだ。
竜が住むには、あまりにも小さいような気がする……。
「あの、一つよろしいです?竜の方々って、あの巨体で、どうやってあんな小さな家の中に入るんですかね……?」
私の疑問に父は「あぁ」と、さも当たり前のように言った。
「竜はねぇ……普段は人型の形態なんだよ。ずっと竜の姿でいると、燃費が悪いらしくて疲れるらしいよ」
「そうそう。人型の時は脆くて、殺すのも哀れになるくらい弱いんだよな。実に、狩り甲斐がない」
またしても兄がサイコパスとしか思えない感想を付け加えたが、それはもう私の耳には入っていなかった。
(人型!?……そう、そうだよね。よく考えたら恐竜みたいなのと、どうやってお見合いすんのさ……)
どうやら、完全なる巨大な爬虫類と食卓を囲むという最悪の事態だけは避けられたらしい。
その事実に、私はほんの少しだけ……マジで本当に米粒ほどだけ、安堵した。
しかし、その安堵は次の瞬間には絶望へと変わる。
我々はお見合いじゃなくて、絶賛不法侵入中の嫌がらせに来た軍隊だということを思い出したからだ。
(ぐっ……相手が人型だろうがトカゲだろうが、状況は一切好転してねぇ……!!)
絶望的な状況で、私はふと、この場にいない恐ろしい……じゃなくて、愛しい弟の顔を思い浮かべていた。
父よりも兄よりも、あの小さな弟の方が遥かに頼りになる。
その事実がなんとも皮肉で、そして情けない。
──もちろん彼という存在は、下手をすれば竜よりも危険な究極の諸刃の剣ではあるのだが……。
そんなことを考えていると、私の口から思わず疑問がこぼれ落ちた。
「ところで……カフォンはどうしてついてこなかったのです?いえ、別に、連れてきてほしかったわけでは、断じてないのだけれど……。でも。自分が死ぬくらいなら全部滅びた方がいいかなって……あぁいえ、なんでも」
私の歯切れの悪い言葉に、父は「えーっと」と、何かを誤魔化すように視線を彷徨わせた。
「カフォンはねぇ……そのぉ……今頃、妖精と仲良く遊んでるんじゃないかなぁ?」
「そうだったか?確か、最近妙に色気づいてきて、『新しい服を買いに行く』とか、どこかに出かけるとか……」
妖精さんと仲良く?
色気づいて、新しい服を買いに行く?
……怪しい。
私は胡散臭い言い訳に、じっとりとした疑いの視線を二人に送る。
(妖精さんと遊ぶ?あの、カフォンくんが?彼が近づくだけで、森中の妖精が恐怖で逃げ惑うというのに?それに、色気づくって……お兄様、あの子が一体何歳だと思っているんだろうか。……いや、私も知らないけど?)
しかし、これ以上この二人に追及したところでまともな答えが返ってくるとは到底思えない。
私は深く深ーく溜息を吐くと、無理やり自分を納得させることにした。
だって、そうだろう。彼がここにいなくて、一番ホッとしているのは、何を隠そう、私なのだから……。
そんな時だった。
私のどうでもいい自己完結を打ち破るように、突如馬車の外で警備(という名の、ただの遊び)をしていた妖精さんとヴァスカリスが、けたたましい声を上げた。
「ねぇねぇ、なんかすごいの来たよ!」
「わーい!お祭りかな?ピカピカしてて綺麗ー!」
「あ!あの人たちのツノ、かっこいい!私の頭にもつけてほしいなー!」
「ピィィィッ!!(威嚇音)」
妖精さんたちの気の抜けた見当違いな歓声と、それとは対照的なヴァスカリスの本能的な危険を察知したかのような鋭い鳴き声。
その不協和音に私は眉をひそめ、窓の外へと視線を向けた。
すると護衛についていた、黒鎧の騎士たちが一斉に剣を抜き、完全な臨戦態勢に入っているではないか。
「えっ……?」
目の前には、兵士たちが整然と隊列を組んで、私たちの馬車の行く手を完全に塞いでいた。
彼らは皆、黒い鎧に身を包んだ美しい人型でありながら、その頭には鋭い角、背には巨大な竜の翼を生やしている。
そして、その瞳には冷たい絶対的な敵意が宿っていた……。
「!?」
な、なんじゃありゃあ……!?
いや、マジでなにあれ?これから戦争でも始まるの?
ていうか、何この最終決戦みたいな雰囲気?魔王軍でも攻めてきたのか?
私の脳内でパニックと、テンプレ通りの展開へのツッコミが激しく衝突する。
しかし、その時私は気づいてしまった。
(……あ、そっか)
相手の国から「来たら殺す」と言われているのに、それを無視して武装した集団で無理やり国境を越えてきた、私たち。
──魔王軍って、私たちのことじゃん。
ことじゃん。
じゃん……。
私の絶望を他所に、父と兄は目の前に広がる敵意に満ちた光景を見て、ご馳走を前にしたかのように、にやりと舌なめずりをした。
「おやおや、盛大なお出迎えじゃないかぁ。道案内に、こんなに人員を割いてくれるだなんて……うーん、感激しちゃう!」
「意外とあいつらも乗り気だったのか?ふん、そうならそうと、最初から言えばいいものを……。回りくどいことをする。これだから、竜は嫌いなんだ」
父と兄がそれぞれ、見当違いのポジティブなことを呟きながら、馬車の扉を開けて外に出て行く。
彼らの脳内では、私のお見合いの話がいつの間にか殺し合いになっているようだ。実に素晴らしい脳内変換回路をお持ちらしい。
(あ、ああ……もう、ダメだ……)
私は、ただ頭を抱えることしかできなかった。
だって多分……ろくなことにならないだろうから……。