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第91話

ドラゼア王国の謁見の間。

磨き上げられた巨大なテーブルを、竜の王族とこの国の主要な官僚たちが囲んでいた。

空気は張り詰め、そしてどこか焦げた匂いがする……。どうやら先ほどまで誰かがここで肉を焼いていたらしい。


それはさておき。


一人の大臣らしき竜人が資料をめくりながら、乾いた声で報告を始めた。


「えー……まず、状況を端的に申し上げますと、エルフの王族が乗ったとみられる馬車が、我が国の領地に侵犯している模様で……」


その報告は淡々と続く。

エルフの国の物々しい黒鉄の馬車が我がドラゼア王国の国境を散歩でもするかのように、当たり前の顔で超えてきたという。

そして、その馬車の構成員はエルフの国王セーロス、第一王子アイガイオン、そして王女エルミアだということだ。


「待て、待て待て」


大臣の報告を、一人の王族が手を上げて遮った。

第一王子、イグニス・ドラコニールである。


「ふむ……領地侵犯、か。なるほど、理解した。……いや、すまない、訂正しよう。事象は認識したが、その裏にあるであろう、彼らの思考プロセスが、私の理解の範疇を完全に超越している」


イグニスはズキズキと痛み始めたこめかみを、指で抑えながら言う。


「もう一度、確認させてもらおうか。私の疲弊しきった耳が聞き間違えた可能性も否定はできん。その勇敢な……というか意味不明な行動を選択した三名とは……誰と、誰と、誰だと?」


イグニスの回りくどい言葉に、報告していた大臣は隠すことなく盛大な溜息を吐いた。


「はぁ。ではもう一度、申し上げますぞ。馬車に乗って、我が国の領地に来たのは、エルフの国王、第一王子、そして王女。この三名でございます」


大臣は一度言葉を区切ると、呆れたように言った。


「何か問題でもおありで?イグニス王子」

(問題が、あるか、だと……?)


──問題しかないだろうがッ!!


(一国の王とその世継ぎたちが、揃いも揃って他国に自ら乗り込んでくる……?なんだそれは!?新しい形の外交か!?理解できない!私の理性が、このあまりにも非論理的な行動の理解を、完全に拒絶している……!)


──だが。

イグニスの脳は、高速で回転を始めていた。

ここで短絡的に動くのは、悪手中の悪手。相手はエルフの……それも超越種たる王族。

下手に手を出せば、全面戦争の口実を与えるだけ。そもそも、こんなあまりにも馬鹿げた行動……罠である可能性すら、ゼロではない。


そう考えたイグニスは、ごほんと一つ咳払いをして冷静に口を開いた。


「まず事実関係の整理から入るのが筋というものだ。相手は極めて非礼な集団。だが同時に、一国の王とその第一王子でもある。すなわち……これは紛れもない『愚行』ではあるが、これを即座に『敵対行動』と断定し、軍事力で応じるのは短絡的だと言わざるを得ない」


イグニスがそう言った、その瞬間である。


「……」

「……?」

「??」


議場が時間が止まったかのような、完璧な静寂に包まれる。

大臣も、筋肉モリモリの兄妹たちも、玉座にふんぞり返る父王も……。みんな揃いも揃って真顔でイグニスを見つめている。

これはイグニスの理路整然とした、見事な弁舌に感銘を受けたから……ではない。

全くもって、ない!


これは──


言葉の意味を、理解できていないだけ、である──!


(あぁ、こいつら……私の言葉の、単語の一つたりとも理解していない)


元よりイグニスは分かってはいたが、それでも強烈な眩暈がする思いであった。


「兄貴ぃ!」


静寂を破ったのは、妹フィアメッタであった。

彼女はキラキラとした、一点の曇りもない瞳でイグニスを見上げて言った。


「全然、何言ってるか分かんないんスけど!ちゃんと、私たちにも分かる共通言語で喋って貰っていいスか!?」


──ほらきた、とイグニスは内心で溜息を吐いた。

そう、自分の言葉はこの国……ひいては竜人という種族にはどうやら難しすぎるらしい。

いや、無論自分の言葉遣いが多少、理屈っぽく、そして回りくどいかもしれないという自覚はある……。

だが、彼らはそういう次元を遥か彼方へと超越しているのだ。


そして更に残念なのは、それが妹だけではないということだ。


「フィアメッタ。イグニスは昔から、よく分からない変な言語を喋る、可哀そうな子なのですから、真正面から指摘してあげては駄目よ。可哀そうじゃない~」


凛とした、しかしどこか姉としての優越感を含んだ声。

そう言ったのは、イグニスの姉……この国の第一王女スコリアであった。

彼女の淑やかな物腰と優雅な言葉遣いだけを聞けば、誰もが気品あふれる王女を想像するだろう。


しかし、その見た目は声のイメージを木っ端微塵に、暴力的に打ち砕く。


「筋肉が足りないから、そんな妙なこと言っちゃうのよね。イグニス、貴方はもっと筋肉を付けた方がいいわ~」


彼女が身に纏う最高級のシルクで作られたはずのドレスは、内側から盛り上がる見事な僧帽筋と、丸太のように太い上腕二頭筋によって悲鳴を上げていた。

繊細なレースも美しい刺繍も、圧倒的な筋肉の前ではただの飾り……というか、哀れな布切れである。


「姉上。本日も生物学的な性差という些細な概念を超越なされた、実に見事な筋肉でございますね。ただ、誠に申し上げにくいのですが……今の議題『エルフの不法侵入に対する外交的措置』において、その素晴らしい上腕二頭筋が、どのような論理的貢献をもたらすのか、私には皆目見当も付きません」


イグニスの丁寧だが、棘だらけの言葉にスコリア王女は気恥ずかしそうに言った。


「あら~イグニス~。そんなにむくれて。もしかして、怒っているのかしら?駄目よ、難しいことを考えると貴方の小さな頭が、熱を出してしまうわ。貴方は何も考えず、私たちの言うことを、素直に聞いていれば可愛げがあるのに~」


そう言いながら、王女は手に持っていた実に可憐なレースの扇子を、ミシミシ……バキィッ!と驚異的な握力で粉々に砕いてしまった。

それを見たイグニスは顔を引き攣らせながら、言った。


「今貴女が、原子レベルにまで粉砕なされた物体は、先日貴女が『少しは、か弱い女の子らしさを演出したい』と、私にねだって国庫から予算を出させて購入させた最高級の扇子。物理的にそれを破壊するということは、貴女の中に芽生えたはずの『女の子らしさ』という概念そのものを自らの手で否定したということになりますが……その哲学的矛盾について、何か見解をお願いします」


またしてもイグニスの長ったらしい、極めて面倒くさい言葉。

それに対しスコリアは、自慢の上腕二頭筋にぐっと力を込めて見せびらかすように言った。


「う~ん、あの時の私は、どこかの吟遊詩人が書いたお芝居を見て、少し感傷的な気分になっていただけよ~。でも、もう駄目ね。やっぱり、こうして筋肉がしっかりある方が、よっぽど女の子らしいし!あんな、ひらひらした扇子なんて、ゴミだったって、ようやく気付いたのよ~。ていうか、女々しいのは好きじゃないっていうかぁ~、やっぱり女の子はぁ女々しいのは駄目なのよね~」

「……一つの台詞の中に、矛盾が共存し、そしてそのどちらもが論理的に破綻しているとは……流石は姉上。もはや貴女は新たな哲学の開祖の境地に達しておられる。私の脆弱な理性を根元から破壊するのに、実に見事な弁証法ですね」


イグニスの最大限の皮肉をスコリアはどう受け取ったのか。彼女は「えへへ」と、恥ずかしそうに、くねくねと身体をよじらせながら(なお、その動きの余波で、円卓の角が、メキメキと音を立てて砕け散った)満足気に口を閉ざした。


(くっ……駄目だ……!こいつらと対話していると、私の脳細胞までもが思考を放棄して、ただの筋繊維に退化していく感覚がする……!これ以上は危険だ……!)


イグニスは理性的な会話が不可能であるという残酷な苦痛を噛み締めながら、強引に議論を本題へと進めようとする……。


「と、兎にも角にも!皆々方、静粛に!生産性のない、知性の欠片も見られない会話はここで打ち切る!はい、やめやめ!!」


イグニスは痛む胃と、それ以上に痛む頭を抱えながら叫んだ。


「まずは、我らが偉大なる父君……この国の王であらせられる、ヴァルカイン陛下の思慮深いご意見を伺おうではないか!」


イグニスは玉座に座る父……国王ヴァルカインを見やり、そう言った。

ドラゼア王国の玉座に鎮座する偉大なる王は「山脈」という言葉の方がしっくりくるほどの圧倒的な肉体を誇っている。


そして玉座の「山」が重々しく、喋り始める……。


「うむ……」


その一言は万物を従える王の威厳に満ちていた。議場の誰もが、固唾をのんで、王の次なる言葉を待つ。

イグニスは心のどこかで……ほんの少しだけ期待していたのかもしれない。このどうしようもない状況を打開する、王としての賢明な一言を。


そして、王は言った。


「全員ぶっ殺して、そのままエルフの国に攻め入るってのは、どうだぁ?」


その瞬間、議場が静寂に包まれた。


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