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第93話

私の渾身の絶叫も虚しく、馬車の外ではすでに「戦闘」という名のカオスな何かが始まっていた。


「一体……一体、何がどうなって、こんなことになってるんだよ!?……まぁ原因が百パーセント、こっちなのは分かりきっているけどね!?」


窓の外からは父の酔った雄叫び、兄の楽しげな笑い声、そして誰かさんたちの怒りというよりは、むしろ困惑に近い叫び声が不協和音となって聞こえてくる。

私の解説(という名の、現実逃避)のトップバッターはもちろんこの人。


「うぃ~ひっく」


我が父、セーロス国王だ。あの汚物を父だと認めたくないが、事実だからしょうがない。

彼は屈強な竜人の兵士たちに完全に包囲されているというのに、状況を一切理解していないのか、酔っぱらいすぎてどうでもよくなったのか千鳥足でふらふらしている。


「出迎えご苦労さ~ん!ぎゃははは!!」


その威厳のない言葉に、竜人の兵士たちがヒソヒソと困惑したように囁き合っているのが聞こえてくる。


「おい……まさか、あの男……セーロスじゃないか……?」

「馬鹿を言え。あの『拳聖』と呼ばれ、大戦で竜王陛下と殴り合ったという伝説のエルフの将軍が、こんな汚らしい酔っぱらいな訳がないだろ。おそらくセーロスの名を騙る、ただの異常者だ」


(拳聖!?)


私はその単語を聞いて、思わず耳を疑った。


(あの酔っぱらい親父に、そんなRPGの強キャラみたいな格好良すぎる二つ名が!?嘘でしょ!?)


どうやら兵士の数人かは父のことを知っているらしいが、目の前のあまりにも情けない酔っぱらいの姿と、遥か昔のエルフの姿が全く結びつかないようだ。

そりゃ、そうだろうね。私だって、信じられないし。多分仰る通り、拳聖さんとやらの名を騙る、ただの異常者なんだろう。

つーかどう見ても『酔拳』の使い手だが……。いや、拳すら使っていない。ただの歩く公害だ。


「まぁいい。とりあえず、殺しとくか」

「あぁ、そうだな。それが一番、手っ取り早い」


(とりあえず、殺す!?)


なんだ、この人たち!?いや、竜人たち!?

思考回路が、私の父や兄と完全に同じじゃねぇか!?


いや……しかし……。うん。なるほど、理解した。

私たちも大概だけど、この国の人たちもどうやら『問題解決』の第一手段が『対象の物理的排除』で統一されているらしい。

素晴らしい。文化レベルが、完全に一致している。これならきっと、いいお付き合いができるな。墓石の下で。

私は人知れずぶるりと震えた。


(……いや、待てよ。これは……よく考えたら、ある意味チャンスじゃない?)


ここで父が、あの兵士たちの手によって名誉の戦死……いや、道端での酔っぱらい死(事故死)を遂げてくだされば、私はこの旅の最大の重荷、そしてお見合いという人生の重荷から、解放されるんじゃないか?

私だけ、こっそり逃げ出せば、万事解決じゃないか。


その思考に思い至った瞬間、私は目を輝かせた。


──そうだ。

私さえ、この場からうまく逃げられれば、万事解決じゃないか。


(頑張れ竜人の皆さん!我が父の息の根を、ぜひとも止めてくれ!ついでに兄の生命活動も止めてくれるとありがたい!)


私が心の中で、父の死を熱烈に応援し始めた、その時だった。

竜人の兵士たちが、確かな殺意を持って動き出したのだ。


「うぉぉぉ!」


竜人の兵士たちが一斉に、獲物を狩る獣のような速さで父セーロスへと襲い掛かる。

その光景に私は父の死を確信し心の中で慈悲深い祈りを捧げたのだが……。


「!?」


次の瞬間、私の目に映ったのは信じがたい光景だった。


「んあ~?」


父は千鳥足でふらふらと、迫りくる剣を酔って足がもつれたかのように、ひらりとかわす。そしてすれ違いざまに、屈強な竜人の腕を掴むと、ダンスでも踊るかのようにくるりと一回転させ、そのまま他の兵士たちに向かって豪快に投げ飛ばした。


「失礼だなぁ、君たちぃ!人の大事な酒瓶を、硬い兜で割ろうとするんじゃない!このワインの値段知ってるのか!?僕は知らないけどね!」


そんな理不尽な文句を言いながら、手に持っていたワインの瓶で兵士たちの兜をダルマ落としかのようにポコンポコンと小気味よく殴りつけていく。

ちなみに、父も値段を知らないらしい高価なワインは、木っ端みじんに砕け散った。


そして、一瞬のうちに。

あれだけいた竜人の兵士たちは全員地面の上で、呻き声を上げながら転がっていた。


「……?」


一体何が起こったのか、全く理解できない。


「え……つよ……」


今のはなに?お父様、あんなに強かったの?いや、でもあの動き……エルフの優雅な体術とは、似ても似つかない。

あれは、ただの酔っぱらいの喧嘩殺法……。足元はおぼつかないのに、繰り出される一撃だけは、やたらと重い。優雅さも美しさも、何もない。理不尽なまでの暴力……。

あぁそうか。我が家の基本戦術は、皆、これだったな。


『理不尽』。


納得した。


父の王族らしからぬ、しかし理不尽な強さを目の当たりにし私が呆然としていると、次に視界に飛び込んできたのはもう一つの地獄絵図だった。


「なんだぁ?この剣技はぁ……貴様ら、本当に兵士か?それとも、昨日剣を始めて握った農民かぁ?」


そう、我が愛しの兄君アイガイオンによる、一方的な蹂躙ショーである。


父の戦いが『ただの酔っぱらいの喧嘩』だとしたら、兄のそれは『サディスティックな芸術家による、公開処刑パフォーマンス』だ。


「おいおい、なんで人型のままなんだてめぇら?弱すぎるぜぇ……」


兄は幸いにも剣を抜いてはいなかった。いや、抜くまでもないと判断したのだろう。

彼は圧倒的な速度で、竜人たちの攻撃を戯れるかのように、ひらりひらりと躱していく。

そして一人の竜人兵の前に音もなく立つと、耳元で言葉を紡いだ。


「貴様、なんだその小鹿みてぇな剣筋はァ?昨日まで畑でも耕していた農民か?それとも今まで引きこもってきたクソ野郎か?どちらにせよ貴様には才能というものが絶望的に、致命的に欠如している。今すぐ剣を捨ててママのおっぱいでも吸ってろ、給料泥棒が」


辛辣で、魂を殺す言葉。

兄の言葉を浴びた、哀れな竜人兵は、がくりとその場に膝をついた。


「う……うわぁ……ぼ、僕の……僕の百二十七年間の努力は……無駄だったんだ……」


そう言って彼は身体的なダメージなど一切ないはずなのに、その場に崩れ落ちわんわんと泣き出してしまった。


……いや、メンタル弱っ!それで泣いちゃうの!?兵士、向いてないんじゃないか!?つーか百年以上努力してるのにそれ!?



私のツッコミが心の中で連続で炸裂する。

しかし、はっと我に返ると、ぶんぶんと首を横に振った。


い、いけない。何を考えているんだ、私は!

人には、それぞれ得手不得手があるものだ。彼にだって、きっと、何か別の才能が……。そうだ、兄のような、精神に異常をきたしている悪魔の口車に乗せられて心が折れてしまうのは、仕方がないこと。

そう、決して彼が弱いわけでは……。


必死に自分に言い聞かせ、彼への同情の念を、心の底から絞り出そうとするが……

彼が兵士に絶望的に向いていないのは、確かな気がするので別に同情しなくていいか。


結局私の思考は、元通りの慈悲のない結論へと静かに着地するのであった。

しょうがないね。

兄の一方的な精神攻撃から、私は視線を横にずらす。これ以上見てたら私まで性格が悪くなってしまいそうだからだ。


そして……そこでは我が国の誇る、黒鎧の騎士たちが竜人の兵士たちと激しい戦いを繰り広げていた。

……いや、訂正しよう。あれは戦いなどという、高尚なものではない。


お互いに「うぉぉぉ!」と、とりあえず雄叫びだけはあげているものの、武器を交えるのではなく、なぜかがっぷりと四つに組んで相撲のような押し合いへし合いを演じているのだ。

筋肉と筋肉がぶつかり合い、汗が飛び散り、野太い声が響き渡る……。実に、むさ苦しい光景である。


「くっ……やるな……!エルフのくせに、このパワー……!」

「そっちこそ……!竜人の癖に、なかなか粘るじゃねぇか……!」


何、この友情が芽生えそうな雰囲気は。

私は男臭く、そして汗臭い光景に本気でドン引きしていた。

というか、剣は?剣はどこにやったの?あなたたちのその腰にぶら下がっている、立派な飾り物は、一体何なの?

なんで武器つかわねーんだよ!


私のツッコミは、もちろん彼らの耳には届かない。


そして戦場という名のただのカオスな広場で、妖精さんたちは今回も元気に飛び回っていた。


「あははー!何やってるのこの人たち!ばかみたーい!」

「やっちゃえー!負けるなー!」

「汗臭いなぁ……お花の匂いでいい匂いにしてあげようか~」


口だけは達者な彼女たちは無責任な声援を送りながら、戦っている竜人の兵士たちの鎧の隙間に、悪戯な虫のように潜り込んでいく。


「な、なんだこいつら!?妖精……?」

「くそ、やめろ妖精ども!くすぐったい!」


屈強な兵士たちの脇腹のあたりをこちょこちょとくすぐったり、威厳の象徴であるはずの竜人の立派な角に、どこから摘んできたのか、愛らしい野花を輪っか状にして飾ったりして集中力を、見事に削いでいく……。

完全にただの迷惑行為のお邪魔虫……。

エルフの騎士と竜人兵たちの困惑と怒りと、そしてくすぐったさが入り混じった、なんとも言えない表情。

実に、実に哀れである……。


一方、我がペットにして、この国の騎士団を一人で壊滅させた実績を持つ最終兵器ヴァスカリスはというと……。


「ピッピピゥ~」


戦闘には一切微塵も興味を示さず、戦場の隅で火山地帯に自生している、いかにも「私、毒を持ってます!」と主張しているかのような、真っ赤な植物の蜜を夢中ですすっていた。

時折、押し合いへし合いの末に、邪魔な兵士が近くによろけてくると「ピィ!(邪魔しないで!)」と心底迷惑そうに威嚇して追い払う程度。

マイペースで自由な姿は、いっそ清々しいほどだ。我が軍の戦力は今日も平常運転である……。


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