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第94話

戦場はますます混沌の様相を呈してきた。

これを戦場と言ってもいいのか迷うところだが……まぁ、私の脳内閣議ではギリ戦場だ。

ただし、この世で一番しょうもない戦場である。子供の玩具箱の方がまだマシだな。


「あ~あ、ワインもなくなっちゃったしさぁ……お酒欲しいなぁ~……。竜の都に行けばお酒あるかなぁ~」


父セーロスがそんなことを言いながら、ゴミでも投げるかのように軽々と放り投げた竜人兵が、ちょうど兄アイガイオンの的確な精神攻撃によって心を折られて泣き崩れていた兵士の上に、見事なボディアタックを決める。


「ぐえ~っ!」

「も、もう……メンタルもフィジカルも限界……」


二つの悲鳴が、美しくハモった。

かと思えば、その横では妖精たちが魔法で虹色の泉の水(どうやら、今度はイチゴソーダ味らしい)を生成し、放出している……。


「わーい!イチゴソーダの水流だよ~!」

「ここってなんか無駄に暑いから、喉乾いてくるよね~」


唐突にイチゴソーダの甘ったるい匂いが充満する戦場。硫黄の香りと混じって吐き気すら催してくる。

そして、ジュースの水流を浴びた騎士たちの鎧が滑り、彼らが演じていたむさ苦しい相撲は、カーリングのようになっていた。


「なっ!?このベタベタする液体は一体……うわぁっ!?」

「馬鹿者!俺を巻き込むな!……と言いたいところだが、俺も止まらん!誰か助けてくれぇ!」


そしてトドメとばかりに、ヴァスカリスが夢中ですすっていた毒々しい植物の花粉が風に乗って舞い上がり、それを吸い込んでしまった竜人の兵士たちが派手なくしゃみを連発し始める。


「へっ、へっくしょん!!……こ、この花粉は……鼻が……目が……!」

「おい!こっちを向いてくしゃみをするな!毒の粉が飛ぶだろうが!」

「ピピィ!ピピィ!」


その光景を私は無表情で眺めていた。


「……」


目の前で繰り広げられるカオスの連鎖。これ半分芸術の域だろ。

そして、張り詰めていた最後の緊張の糸が切れる音がした。


──まぁ、いつものことだよね。


家族と愉快な仲間たちが集まれば、大体いつもこうなる。いつものカオスだ。

カフォンくんがいないだけ、マシ。


「は~、もう、どうでもいいや。どうせ父様も兄様も、超越種だかなんだかで死ぬわけないし」


最初は殺意マシマシだったと思った竜人さんたちも、なんだかんだで手加減しているみたいだし。

そう……これは誰も死なない、迷惑でやかましくて後片付けがとてつもなく大変なだけの、いつもの茶番……。


「しょうもな。もう、勝手にすればいいわ。ていうか、私帰ろうかな。今帰っても誰も気付かないでしょ」


今日一番重い溜息を吐くと、私は馬車のふかふかした座席にもたれかかった。

腕を組み、完全に「観客」モードに入る。

ここにカフォンくんがいたら、間違いなくこの視界に入っている入っている全員を魔法で吹き飛ばしてくれとお願いするところだが……今日はいないのが悔やまれる。


──そんな時であった。


それまで部下たちの無様な姿を、苦虫を噛み潰したような顔で見ていた隊長らしき竜人が、ついに腹の底から絞り出すように叫んだのだ。


「駄目だ!人型では、こいつらの『理不尽』には、到底対抗できん!」

「総員、本来の姿に戻れ!これより、我々は、この厄災の『狩り』を開始する!」


なんか一番偉そうな人が、急に大袈裟な台詞を叫び始めた。

私は馬車の窓に頬杖をつきながら、ぼんやりと聞いていたのだが……。まぁ、どうでもいいね。もう。


(はいはい、すごいすごい。もう、好きになさい。どうせ茶番だし?)


私の心は凪いでいた。

これから何が起ころうと日常の延長線上に過ぎないのだから。


……つーかヴァンパイアとのあのスプラッターなお見合いを経験した後だと、全部茶番に見えるな?

あぁ、ありがとう吸血鬼さんたち。貴女たちは私の人生の中のラスボスだったよ。多分あれを超えるとんでもない種族は存在しないだろう。

ある意味耐性が付いたといえなくもない。まぁ、無論これは皮肉だが。


私がそんな後ろ向きで、不毛なことを思っている時だった。


「ようやく本気を出すのかぁ~いやぁ、そろそろこの酔いも醒まさなきゃねぇ」

「ちっ……ようやくか。人型のままで戦うとは、舐められたもんだと思ったが……ようやく本気を出すってワケだな」


父や兄がこれからが本番だとでも言うように、にやりと笑っている。

そして、先ほどまでイチゴ味のソーダ水で滑って転んで無様なカーリングを演じていた我が国の騎士さんたちまでもが、「ここが正念場!」とでも言いたげな、キリッとした表情で剣を構え直しているではないか。


「……ん?」


──その時だった。


私のこの狂った世界で培われた、数々の苦難と理不尽によってのみ鍛え上げられた無駄なスキル……『面倒事限定の未来予知』が、脳内でけたたましく警報を鳴らし始めたのだ。

どんな警報かって?そりゃあ、もちろん「敵が来ます、避けてください!」なんて生存に役立つ親切なものではない。

「これからあなたの精神と胃を限界まで削り取る、とんでもなく面倒なことが起きます。ですが、あなたに出来ることは何もありません。ただ諦めて絶望してください」

──という、神の悪意としか思えないクソの役にも立たない事前告知(アナウンス)である。


(まずい……!なんだこの胃のあたりを、巨大な手に鷲掴みにされるような強烈な圧迫感は……!これはいつものしょうもない『面倒事』の予感とは、次元が違う……!何かが本当に取り返しのつかない何かが、起ころうとしている……?)


私の思考は、そこで完全に断ち切られる。


「もはや、言葉は不要!我が同胞よ!今こそ、我らが真の力を見せる時だ!祖先の誇りを、その身に宿せ!」


人型だった彼らのシルエットが、みるみるうちに巨大化していく。

服や鎧が、内側からの圧力に耐えきれず弾け飛んだ。


(え……)


硬質な鱗が、瞬く間に全身を覆い、口からは獲物の肉を切り裂くための鋭い牙が、腕からは鉄をも引き裂くであろう、長大な爪が。

そして背中からは……空を覆い尽くすほどの巨大な翼が突き出した。


「グ……グォォ……!!」


先ほどまでそこにいたはずの整然と隊列を組んでいた人型の軍隊は、今や大地を埋め尽くす本物の「ドラゴン」の軍勢へと姿を変える。

その瞳には先ほどまでの困惑の色など、どこにもない。

そこにあるのは獲物を見つけた、捕食者としての燃えるような殺意だけ──。


「えーっと」


私のまばたきが、自分でも引くほどの高速で行われていた。

一秒間に百回くらい。もしかしたら千回くらい。

そうすれば目の前の悪夢のような光景がバグか何かで消えてくれるかもしれない、と。そんな非現実的な期待を込めて。

しかし何度、網膜のシャッターを切ろうとも、目の前の光景は一切変わらない。


──これは、現実、なのだろうか?


まぁ、そうだろうね。

この鼓膜を突き破る地響きも、肌を焼く熱気も、目の前の巨大なトカゲの群れも、全てリアルすぎるし。


「へ……へへ……」


私の口から姫らしからぬ、完全に引き攣った笑い声が漏れ出る。


──ドラゴン。


そう、ドラゴン。

物語の中の、最強の幻想種。神話の中の、終末の象徴。そして、そんなやべー奴らが私の目の前に、数十匹単位でいらっしゃる。


やばい。


いや、「やばい」なんていう、陳腐な言葉では表現できないレベルで、やばい……!


そう……これは……。


「やべぇぇぇぇ!!!!」

「グォォォォォ!!!!」


私の絶叫に、呼応するように。大地を埋め尽くしたドラゴンたちが、一斉に天に向かって咆哮した。

それは「声」というより「音の壁」。暴力的なまでの音圧が馬車ごと私の身体を揺さぶり、鼓膜がこのまま消滅してくれた方が楽なのではないかと、本気で思うレベルだ。


──い、いや!まだ、まだ早とちりしては駄目だ、私!

一見すると、とんでもなくやばそうな存在が意外と優しくて、話の通じる相手だったという経験は、これまでに何回かあったじゃないか!

ドワーフとか!ヴァンパイアとか!

もしかしたら、このドラゴンさんたちも見た目は怖いが心は優しい、というよくあるパターンかもしれない!


つーか、そうであってくれ!


そう、そうだ……。

きっと次に、大きな口から発せられるのは、とっても友好的で優しい言葉なんだ……。


「コロシテヤル……コロシて、喰らい尽くして、骨の一本も残してヤラなイ゛!!!!」

「オマエラ、エルフ、ゼンイン、ニガサナイ!コロス!!」


あ、今回はそういう話が通じない方のパターンなのね。

ガチで一切の対話の余地がない、ヤベー奴ら、と。


ふーん……。そう……。


(終わった。さよなら私の人生。さようならカフォンくん。お姉ちゃんは骨だけになって帰国するわ。あとは世界を滅ぼすなりなんなりしてください。ていうかなんか悔しいから滅ぼしてください)


そんなことを考えながら、私は彼らの方向を聞いていた。

「殺ス」「喰ウ」という語彙力の低い、それ故に純粋な殺意に満ちた咆哮の合唱。

しかし、私は一つだけ明らかに毛色の違う、情けない叫び声が混じっているのを聞き逃さなかった。


「アノサァ!オレダッテ、百歳コエテ無職ノ期間長カッタノ、気ニシテルンダカラサァ!ソウイウコトイウノヨクナイトオモウンダヨナ!!」


(……ん?なんか、あの一匹だけ、叫びの方向性がおかしくね?)


私は声のした方へと視線を向ける。そこには一際必死な形相で吠えている、一匹のドラゴンがいた。


「ツーカサァ!無理ダヨ!俺ダッテ兵士ニナリタクナカッタノニサァ!親ガ働ケッテウルサイモンダカラ働イタラコレダヨ!家デ寝テルノガ好キダッタノニ!」


(……あ、あいつ、さっき兄様にいびられて、メソメソ泣いてた兵士さんじゃないか)


ドラゴンになっても、まだ根に持ってるのかよ!?

そのトラウマを植え付けた張本人(兄)に、文句を言うのはいいが私に八つ当たりしないで欲しい!

しかも言ってること情けなさすぎるだろ!ドラゴンになって叫ぶことか!?それ!


と、とりあえず……メンタルが豆腐なドラゴンさんは一旦、置いといて……。

他の正常に(?)怒り狂っているドラゴンたちは燃えるような瞳で、父と兄、そして……私をしっかりと睨みつけていた。

口の端からは抑えきれない殺意が、ちろちろと小さな炎となって漏れ出している。

わぁ、すごい。涎じゃなくて炎が漏れるんだ。ドラゴンってすげぇ……。


──ん?


(え、ちょっと待って)


私も、ばっちり、睨まれてる?

なんで?


そんな私の素朴な疑問に答えるかのように、一際巨大なドラゴンが、高らかに彼らの総意を咆哮した。


「エルフ、ゼンイン、コロス!!」


──ああ、なるほど。実に、シンプルで、美しい三段論法だったか。


前提①エルフは全員殺す。

前提②私はエルフである。

結論・よって私も殺す。


完璧だ。

一切の無駄も、一切の知性も感じられない、完璧な論理だ。


「──って!納得してる場合じゃねぇ!私は……私は、関係ありません!殺すなら、そこの父と兄だけにしてください!!」

「グォォォォォォォ!!!!!」


私の絶叫は、ドラゴンたちの咆哮によって無慈悲にかき消された。

そして、その口から赤い炎が噴き出され──


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