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第96話

城のごとき巨大なドラゴンが、天から私たちを見下ろしていた。

圧倒的な存在感を前に、先ほどまで威勢の良かったドラゴンたちが、一斉に大地にひれ伏し、絶対的な王への敬意を示している。


(ひれ伏した……?ということは、あれがこの国の……ボス?いや、ラスボスってこと?)


もっと、こう……中ボスとか四天王的な何かを経ずに、いきなり最終ステージのラスボスが登場?

嘘だよな……?展開が雑すぎないか……?

……と思ったが、よく考えたら私はお見合いにきたのであって、別にRPGの冒険をしているわけじゃなかった。


そして、そんな勘違いをさせた諸悪の根源である、我が父と兄はと言うと……。


「やっと、お出ましかぁ。下位種だけじゃ、退屈で死んじゃうところだったよ」

「親父、数匹だけ上位種も混じっていたぞ。まぁ弱すぎて、俺でなければ見逃してしまうほどだったが」

「え?ほんと!?いやぁ、弱すぎて、全く気づかなかったなぁ!」

「大昔の連中に比べれば、竜人たちも随分と実力が落ちたものだ。やはり、大戦後に生まれてぬるま湯で育ったガキ共は……なんというか、こう、だらしないというか……情けない」

「そうなんだよなぁ~。僕たちエルフだってさぁ、最近は親も過保護で、厳しく教育しようものなら、すぐに『うちの子になんてことをするザマスか!』とか、口出ししてきて、面倒くさいんだよねぇ……主にノーブルエルフだけど」


どうやら、父と兄による老人の「最近の若者は、なってない」論が始まったようだ。

つーか、空を覆い尽くすほどのドラゴンを、背景に浮かぶ雲か少し珍しい鳥か何かのようにしか認識していない……?

私の家族は目の前のラスボスですら、ただの井戸端会議の肴にしかできないらしい。素晴らしい。


さて、あのどうしようもない老人二人組から私はそっと視線を移す。

お次は我が軍の誇り高きマスコットキャラクター、妖精さんたちの様子……。


「……(ぷすん)」


(……え?)


そこにいたのは、先ほどまであれほど元気に、無責任に飛び回っていた妖精さんたちが、糸の切れた操り人形のように、ぽとりぽとりと地面に落ちていく光景だった。

どうやら、あの巨大なドラゴンの圧倒的なプレッシャーに、彼女たちの、何も考えていない幸せな脳みそが耐えきれずに、完全にショートしてしまったらしい。


(……妖精さんが、気絶……だと!?一体、どれだけのプレッシャーなの!?つーか、キミら、そんな繊細な神経、持ち合わせてたんだね……)


私は意外な光景に、本気で驚いてしまった。

これは後で、私が密かに執筆している『妖精さん生態マニュアル』に、追記しておく必要がある。

『極度のプレッシャーに弱く、許容量を超えると、脳が思考を放棄し、気絶する』と……。


彼女たちは実に不思議で、そして頭の悪い生き物なのだ。

私の血と涙と胃痛の結晶である研究書は、きっと後の世に残していく大きな価値があるだろう。


そんな、くだらないことを考えている時であった。


「……ん?」


ふいに、私の頭の上にずしりと。

何か生暖かく、そしてずっしりとした無視できない重みが感じられた。


「ピピピピィ!」


甲高い、どこか切羽詰まったような鳴き声と共に私の頭の上に、がっしりと虫の、節くれだった足が数本固定された。

見上げると(見上げられないが)、そこには我がペット、ヴァスカリスが雛鳥が親鳥の巣に収まるかのように、鎮座している。


「え?きもっ……──じゃなくて、あ、あの……なにやってるんですか……!?」


私は姫として、飼い主として決して口にしてはならない、率直な感想を心の中で絶叫した。

今すぐハエでも追い払うかのようにひっぺがしたいところだが、それは、賢明な判断とは言えないだろう。

こんな巨大な蚊を私のか細い腕ではたき落とそうものなら……おそらく私の腕の骨の方が綺麗に粉砕されることだろうから。


それで問題は、この行動の意図。

これは私を自らの身を挺して守ろうとする、健気で忠実なペットの姿なのか?

それとも私を最も安全で、最も衝撃吸収に優れた『盾』として利用している、ただの狡猾な虫の姿なのか?


……分からない。全くもって、判断に困るところだ。もしかしたら、その両方かもしれない。


そうして私の頭に、生暖かく不気味な巨大な蚊のヘルメットが完全に装着されたところで。

地面にひれ伏していたドラゴンの方々が、天上のラスボスに向かって、情けない声を上げ始めた。


「おぉ、エンドドラゴン様!お助けください!」

「我らではこの凶暴で野蛮で頭の悪いエルフの群れには到底敵いません!」

「そうです!あいつら、話が通じないんです!助けてください、お願いしますぅ!」


──いや、ちょっと待て。


アンタら、さっきまで、『エルフ……コロス……』みたいな知性を感じさせない、カタコトの言葉で喋ってなかったか!?

どうして急に、流暢で感情豊かで、被害者ムーブの台詞回しで喋ってんだよ!?

もしかしてさっきのは演技!?「ドラゴンたるもの、カタコトで喋った方が、それっぽい」とか、そういうしょうもない理由での演出だったわけ!?


そんな怒涛のツッコミが、私の心の中から喉の真ん中あたりまで一気にせり上がってくる。

しかし、私は必死にそれをこらえた。

今、ここで私が叫べば、確実にラスボスの次なるターゲットにされてしまうから。


あぁ、ありがとうヴァスカリス。

貴女が私の頭の上に乗ってくれている重さのおかげで、私はかろうじて命取りになりかねないツッコミを、飲み込むことができている……。


そんな、緊迫した空気(?)の中。

我が父と兄は、いたってマイペースに、天上のあの巨大なドラゴンの正体について、どうでもいい会話を繰り広げ始めた。


「ありゃあ、一体、誰だろうねぇ?ヴァルカインじゃないよな。あの汗臭いオヤジ特有の、加齢臭がしそうな、くすんだ鱗の色じゃないし……。とすると、スコリアかなぁ」

「いや、あの筋肉女が、あんなに上品で、美しい鱗をしているわけがないだろう。あの女の鱗はもっと下品だったしな」


鱗の色とツヤと雰囲気で、相手を特定できるという我が父と兄のことはもう放っておこう。

……いつもスルーしたいと思ってるのに、ついつい彼らのほうを向いてしまう。

これが好奇心は、エルフをも殺すというやつか。しくしく。


二人は放置して、私は恐る恐る、再び巨大なドラゴンへと目を向けた。


「……」


彼(あるいは、彼女)は空から静かに、私たちを見下ろしているだけだ。


(……あれ?)


──気のせいかな……?

山のように巨大な顔が、ほんの少しだけ、私のいる方を向いているような気がしないでもないが……。


「……」


(や、やっぱり今、一瞬、溶岩だまりみたいな巨大な瞳とばっちり目が合ったような……!?)


いやいや、気のせいだ。気のせい。自意識過剰だ、私。

こんな豆粒のような私を、空の王者がわざわざ認識するわけがない。


「……」


(……いや、待って。また合った。もしかして、あのラスボスは、我が軍の中で一番お肉がおいしそうに見えるであろう私をロックオンしている……?)


ちらり、と私が何度目の視線を空に向けると、やはり巨大な瞳は、まっすぐに私を射抜いていた。


(あぁ、もうだめだぁ……完全に私をロックオンしてる……。きっとこれから私は、こんがりとウェルダンに焼き殺されるんだ……)


私が諦めきった表情で天を仰いだ、その時。

城のごとき巨大なドラゴンの口が、ゆっくりと開かれる。


(もう嫌だ!どうせ次に来るのは、『オマエヲ、クウ!』とか、そういう語彙力のないラスボスお決まりの台詞なんでしょ!?分かってる!この世界の、あまりにも安っぽい脚本のパターンは!さぁ早く、陳腐な台詞を言って、私を楽にしてくれぇ!)


そして──


天から響き渡ったのは、炎でも、殺意の咆哮でもなく。

澄んだ鈴を転がすかのような、凛とした声だった。


「双方、戦闘を直ちに停止していただきたい!私は、ドラゼア王国が第一王子、イグニス・ドラコニールである!この場は、私が預かる!」


父の酔った雄叫びも、兄の不遜な笑い声も。竜たちの唸り声も。全てがぴたりと、止んだ。

戦場が、完璧な静寂に包まれた。


「──普通に……理性的に……喋った……だと……?」


しんと静まり返った空気の中に、私の間の抜けた呆然とした呟きだけが、やけに大きく響いた。


私の声に、はっと我に返ったのか。

私の頭の上で、盾になるのか守っているのか分からない状態で鎮座していたヴァスカリスが「ピィ」と、小さな鳴き声を一つ残して、ふわりと飛び立っていった。

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