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第40話「公然の秘密」

 夏休み明けの教室はどことなく昨日までのソコとは違うようで、3割増しの笑顔と喧騒に包まれているようだった。

 夏期講習から解放され、束の間だけ訪れた本当の意味での夏休み。俺も満喫したと言えばしたけれど、どちらかと言うと耐え抜いたと言った方が近いだろう。


「にしても朝風お前すげーな。よくわかんねーけどあの賞ってすげーんだろ?」

「おう、ありがとな。……俺もどれくらい”すげー”賞なのかはわからんけど」


 五厘に刈った頭を光らせながら、俺とは正反対に元気な野球部の……誰だっけ。誰かが俺の背中を叩く。

 よくわからないことであっても、他人から褒められると言うのは嬉しいことだった。むしろ俺よりも喜んでいそうな彼らのモテる理由と言うのはここにあるんだろう。

 そのせいで移動教室の間に通る廊下はどことなく気まずかった。

 審査員特別賞 朝風悠。

 大賞 海原咲。

 俺と海原の絵がプリントアウトされた張り紙は他に活躍した部活の記録と一緒に張り出されていて、それを見かけるたびに声を掛けられるのだから。

 自分自身、その賞の特別さを知らないからと言うのもあるけれど、大賞と肩を並べている部分が一番の気まずさだろう。


「なんか、わたしより朝風くんの方が目立ってない? わたし大賞だよ?」

「それを俺の目の前で言うか。というかお前は表彰され過ぎてるからだろ」


 弁当を広げる最中、あまり気に留め無い様子で納得した彼女は空いた前の席を借り、机を合わせて弁当を広げる。いつも一緒に食べてる方には行かないのだろうか。


「んで、それを言うためだけに弁当持ってきたのか?」

「そうじゃないって。ほらこの間のさ、アレのことちょっと話しておこうかなって」


 広げはしたものの弁当には手を付けず、海原言うアレのことを聞き続けた。

 展示会で起こったこと。その後どこで何をしていたかということ。もう、大丈夫だということ。

 喧嘩して飛び出したーなんて言うけれど、それが本当かどうかはわからない。それでも彼女がそう言うのであればそうなんだろう。理解もしたし、とりあえず納得もしてみようと思う。


「ごめんね。心配かけちゃって」

「全然、そんな風に思ってないから大丈夫だ」

「それはそれで……ちょっと気になるけど」

「口下手で悪かったな」


 あまり触れ続けても良い話ではないだろうから早めに切り上げ、弁当に手をつける。

 ミニトマト、ブロッコリー、ミニハンバーグ、ミニグラタン。

 天野セレクトな弁当は見て楽しむ作品と言っても差し支えないだろう。

 色とりどりの野菜は目に優しく、飢えた身体にも優しい味で、物足りなさを補う肉類はしっかりと味付けされており、メリハリの効いた味と食感は五臓六腑に染み渡る。


「朝風くんのお弁当、結構手が込んでるよね……自分で作ってるの?」

「ん、これ天野から貰ったやつでさ。俺も初めてだったけどやっぱりあいつ、器用だよな」


 野菜に刺さる三色の串や、グラタンを分ける小さなカップからは確かに、手の込みようと食べる人に対してのやさしさが伺える。

 ハンバーグの下に仕込まれていたにんじんはかわいい花形に切り抜かれていて、そういうひと手間がより食事というものを楽しませてくれるんだろう。


「…………

 ……

 …

 ?」

「おいあさかぜー、天野が用あるってよ」

「おう、どうした?」

「食事中にごめんなさい。朝風く――」

「天野さんから貰ったお弁当!?」


 喧騒で混線した教室は一瞬にして静寂に包まれ、教室中の視線は俺と海原一点に注がれる。5秒、いや、10秒は経っただろうか。やがてそれは散り散りとなり、いつもの昼食風景が何事もなかったかのように流れる。

 ただひとり、満点の笑顔を浮かべながらこめかみを震わせ、固まる彼女を除いては。


「あ、天野? ちょっと待て待て、なぁ天野」


 教室の扉に立つ天野はその顔のままゆっくりと立ち去ろうとする。追いかけて声を掛けても反応は驚くほど薄い。


「丁度今用が無くなったから大丈夫よ。大丈夫。えぇ本当に、秘密にしてねなんてことは朝に言っておけばよかったわね」


 乾いた笑いには薄ら溜息が交じり、その比率を段々と上げながら彼女は去る。その背中を追いかけようとしても、取り囲む周りの男子についに彼女の姿は見えなくなった。


「おい朝風今のって……」

「そうじゃなくてだな……まぁ、色々あるんだ、色々」

「色々って……俺てっきりお前は海原かと思ってたんだけど」

「どっちでもねぇって。まぁもう、仕方ねぇか」


 言ってしまったもの、行ってしまったものは仕方ないだろう。おとなしく席に戻り、せめて海原だけには伝えても良いだろう。


「んで海原、今の話なんだけど――」

「お弁当、お弁当……天野さん、天野、さん?」


 ダメだ、こいつもこいつで完全におかしくなってしまっている。

 ……通り過ぎた夏の暑さのせいにでも、しておこう。





「今のところ、おしゃれ?なカフェ? が有力みたいだけど、他に意見ある人っている?」

「それでいんじゃね?」

「ウチメイドさんみたいなかわいい服着てみたかったんだよね!」

「それ、おしゃれなカフェじゃなくてメイドカフェじゃない?」


 5限の時間は珍しく教科書もノートも開かずに、黒板に書かれた白文字に対してああでもないこうでもないと言うだけの自由気ままで、悪く言えば勝手な時間が流れていた。

 文化祭のクラス出し物投票。と添えられた黒板を横目に、まだ緑の色がついている校庭の木々に茶の色を着けた。


「ってか、うちの学校文化祭早くない?」

「まぁ、受験もあるからウチらにとってはごーりてきでしょ」

「他の学校とも被らないしね」


 学校のイベントで一番季節感のあるものと言えばこれ、文化祭だろう。準備がめんどくさいとか、企画を決めるまでがめんどくさいとか思うことは色々あるけれど、いざ当日になってみれば意外と楽しめるものだ。


「と、言うことで! うちのクラスはなんかおしゃれかカフェで決定です!」


 なんかってアバウト過ぎるだろ。


「でもさ、おしゃれなカフェってどうすればおしゃれになるんだろね」

「うーん、とりあえずシックでモダンで、歴史ある感じ?」

「高そうな家具とか飾ってあったりね!」


 ワイワイと盛り上がるクラスは受験生と言うことを忘れさせるくらいに楽しそうだった。俺も勿論、心の内では少し忘れていたような気がする。あぁ、ほんの少しだけ。


「よくわかんないけど、高そうな絵とか飾ってあるよね」


 誰かが言った一言を皮切りに、クラスの視線は俺と海原に向く。えっ、俺も?

 それは海原も同様で、自分に指を向けながら目を見開いて、周りを見渡していた。海原、お前の後ろに席は無いぞ。


「海原と朝風のふたりにさ、なんかこう、でっかくてすごい絵とか描いてもらえばいいんじゃね?」

「たしかに! だってなんかすげー賞取ってたもんな!よくわかんねぇけど!」


 よくわかんねぇは余計だな。


「ウチそれ賛成! ふたりはさ、絵描いてくれたら当日のシフトとか入らなくていいから!ね!」


 海原と仲の良かった気がする女子が口を開く。念押しの”ね!”と共に送られたアイコンタクトはどういう意味で、誰に向けたものだったのだろう。


「って言われてもすごい絵なんてなぁ海原。……海原?」


 誰かに向かって、小さく頷く彼女は意を決すると俺に向き直って――


「やろうよ、朝風くん。難しいかもしれないけど、やっぱりおもしろそうだし。うん、きっとおもしろいよ。うんうん」


 なぜかやる気な彼女は俺に告げる。そしてそれは、自分自身にも言い聞かせているみたい。

 彼女の妙なやる気とクラスの雰囲気には流石に、俺も流されるしかなかった。


「最高の絵に見合ったコーヒー、出してくれよ」


 ……通り過ぎた夏の暑さにやられてしまったのは、俺もなのかもしれない。



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