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第42話「巡り巡って、空回り」

「カフェ?」

「うん。ウチの文化祭って結構早くて来月の中ぐらいなんだけど、それでやることになったの」

「んで、その朝風ってヤツと一緒に絵を描くことにしたと。ん、このにんじん甘くていい感じだな」

「ケガの功名? というか、わたしにとってはすごく嬉しいことではあるんだけどね」

「なるほど。それでついでに私は弁当の毒見をさせられてると」

「また人聞きの悪いこと言って」


 今日の昼食は珍しく公園で摂ることになった。そもそも1日に3食も食べない私にとってその時間こそなかったわけだが、咲がそうしてもと言って持ってきたソレに箸を箸を伸ばしている次第。

 ――明日はお腹空かせておいてね!

 昨日彼女から届いたメッセージに予感はしていたけれど、手作りが飛んでくるのは流石に予想外だ。

 ピクニックなんていつ以来だろうと、そんなことを考えながら箸を進める。芯まで柔らかく火の通ったにんじんはやさしい甘さが広がり、添えられた唐揚げは程よい味の濃さで普段は小食の私でも箸が止まることはなかった。


「にしても、その朝風ってやつはなんだか……たいへんそうだな」

「現実でそんなことあるんだーって思うよね。なんとかやっていけてるらしいけど」

「それで、胃袋を掴もうってことか」

「別にそんなんじゃないから! ただほら、男子なんて料理全然しない、というか出来ないでしょ? だから心配なだけだって!」

「はいはい。これならそいつも満足してくれるんじゃないか? 見た目良し味良し愛情良し。さっきは毒見なんて言って悪かったよ」


 手を合わせてから空になった弁当箱を返すと、彼女もまた同じタイミングで手を合わせていた。

 よし、小さく息を吐く彼女からは肩に入った力が抜けていくみたいで、やはりそれを見ていると本気で彼の胃袋を掴もうとしているようだった。


「外で昼ご飯っていうのも、たまには良いもんだな」

「亜希はいっつもお昼は家で?」

「そもそも食べてない。せっかくの休みなんだ、普通だったら今もまだ夢の中だろうな」

「もしかして夜型の人だった? それなら今日はちょっと、申し訳ないことしちゃったね」

「全然。たまにはこういう日が一日くらいあっても良いかもしれないしな」


 早く起きても暇だから寝てただけだしな。夜型というよりかは怠惰の方が近いのかもしれない。


「それに、今日はもともと早くから会おうと思ってたから」

「もしかして、そんなにわたしに会いたかったの?」

「どうだか。昼も摂ったことだし、そろそろ行くか」


 言いながら鞄のノートを取り出して確認する。横線の引かれた文字は少ないが、確かにその数は増えていて、ただの線に私の口は小さく笑う。


「行く?」

「ずっとここに居ても暇だろ? 丁度読んでた本が終わったんだ。今日はちょっと買い物にでも出かけよう」


 今日はどれくらい進むだろうか。彼女となら、どこまで進められるだろうか。

 ノートと期待を鞄に詰め込んで、私はゆっくりと車輪を回していた。




「ん、あの人新作出したのか。これもいいが……あっちも捨てがたいな……」

「あ、この人知ってる! 前に映画でやってた本書いた人だよね!」


 一番に目がつく新書コーナーで亜希は難しい顔をしながらひたすらに平積みされた本とにらめっこをしていた。笑ってはいないけど、この時間の亜希はなんだか、楽しそう。

 公園から15分くらい歩いたところにあるショッピングモールは亜希の行きつけらしく、よくここで本を買っていたらしい。なんでも、入荷量は多いけどお客さんが少ないから話題の本を手に取りやすいからとか。本屋にとってはうれしくなさそうなことを彼女は嬉々として話してくれた。


「なぁ、どっちがいいと思う?」

「えっと、どれとどれだっけ?」

「この2冊だ。こっちが話題になってるけどあんまり面白くなさそうなやつで、あっちが聞いたこともないけど面白そうなやつだ」

「それ、悩む必要ある?」

「あるだろ。面白く無さそうでも、話題になるってことは惹きつける何かがあるかもしれないだろ」


 当たり前に悩むだろと彼女は言うけれど、そこまで本気になって本を悩むことなんてなかったから、聞く相手を間違えているような気がする。

 けれど確かに、話題になっている本というのはわたしでも少し気になる。ホント、少しだけ。


「それならさ、わたしこっち読みたいから、亜希はこっちにしようよ。読み終わったら交換こすればどっちも読めるでしょ?」

「お前、読めるのか?」

「読めるでしょ! 読む読まないはあるかもしれないけど、読めないはないよ! それにさ、こうすれば読んだ後に感想会だって開けちゃうよ」


 1冊手に取ってレジへ向かおうとするが、悩む彼女は動かない。感想会か、とだけ呟く彼女の表情はここから見ることは出来ないが、その言葉に思うところはあるみたい。


「なんだか友達みたいだな」

「だって友達、でしょ?」


 言いながら会計を済ませたわたし達はお揃いの袋を手にしばらくの間、ウィンドウショッピングを楽しむことにした。

 とても学生の手には届かない値段をしている服や靴にわたしは目を逸らすけれど、亜希は時折手を止め、何も言わずに一息付いてからまた動き出す。


「服、見てかなくても大丈夫?」

「あぁいいんだ。私にはこれがあるし、こういう身だと好きな服も着れないからな」


 気にしていないと言うけれど、それならどうしてそんなに寂しそうな目をして、名残惜しそうに見つめ続けているんだろう。

 多分それは、聞かない方が良いことなんだろう。


「そうだ、咲はなにか見たいものとかないのか? こっちばっかり付き合わせて悪いしな」

「見たいものかぁ……なにかあるかな……あっ、あるかわからないんだけどさ、画材とか見たいかも」

「そっか、朝風とはじめての合作だもんな」

「べっ、別にそのためだけじゃないんだから!」


 すぐそういう風に結び付けて……別に、朝風くんの家で一緒に描くから自分用の筆が欲しいなんて……そんなことじゃないんだから。

 たしか、こっちだ。言いながら進む彼女にしばらくついていくと、フロアの一角に小さく佇む画材屋が見えてきた。

 一応大手の店舗らしく、品揃えは良いらしい。絵筆のコーナーにはサイズやメーカー、用途で細かく分けられた絵筆が並んでいて、逆に困ってしまいそうだ。


「とりあえず水彩の丸筆と平筆の……ちょっといいやつにしようかな」

「この『プロ用』ってやつは良さそうじゃないか?」

「わたしなんかがプロ用なんてちょっとおこがましくないかな……」

「すごい絵を描いてほしいなんて言われてるんだ。それだけ期待されてたらもうプロみたいなもんだろ。それに、お前の『いい絵』を見た私が言ってるんだ。自身持ったっていいんだぜ」


 まずは形から。なんて言葉もあるもんね。

 背中を押してくれた彼女の言葉を受けて筆を取る。亜希は絵のことを良く知らないけれど、こういう時に必ず背中を押してくれて、わたしの欲しい言葉をいつも掛けてくれる。

 元来彼女が持っている楽観的で前向きな言葉は、どれだけわたしの心に明るい色を落としてくれるのだろう。


「あ、それ私にも一本ずつくれ」

「もしかして亜希も描きたくなっちゃった?」

「そうじゃねぇよ。まぁとりあえずだ、いいから」


 頭に疑問符はいくつも浮かぶけれど、彼女の言うとおりに筆を渡すと、そそくさとレジへ向かい、会計を済ませてしまっていた。わたしもそれに続きながらも、やはり描くつもりも無いのに筆を持っていく彼女の気持ちばかりを考えていた。


「私な、考えたんだ」

「考えたって、何を?」

「急に追い出された朝風ってヤツは今、筆すらも持ってないんじゃないかってな。それ、プレゼントしてやれよ。んでこれは私から咲に」


 付き合ってくれた礼だ。言いながら彼女は買った筆を私の袋に入れ、笑う。


「そんな! 私だって好きで亜希と一緒に来たんだから、そんなの気にしなくていいんだよ?」

「それならそうだな……日頃の感謝ってところはどうだ? これは私の気持ちで、私は受け取ってほしいんだ。咲に。だから、だから……」


 言い淀む彼女は可愛らしく子供みたいに俯く。わたし自身は何も感じていなくても、彼女は少なからず、わたしに何かしらの感謝を感じているんだろう。

 自分のことになると恥ずかしくなってしまう亜希はやはり、わたしと同じひとりの少女だったんだ。


「亜希」

「うん」

「ありがとね」


 しばらく彼女は俯いたままではあったけれど、その表情を読み取るのは容易いことだった。しばらくするといつもの顔で彼女は口を開く。


「もう告っちゃえよ」

「早すぎるよ! せめてするとしても文化祭が終わってから!」

「ふふっ、楽しみにしてる」


 その笑顔は本当に、本当に楽しそうに、笑っていた。




 部屋の掃除を済ませたタイミングと同時に、俺を呼ぶインターホンが鳴る。と言っても、掃除するほど汚してはいないのだが。人が来る……ましてや女子が来るとなったら必要が無くてもしてしまうのは性というものなのかもしれない。

 扉の先にはおそらく、海原が立っているだろう。

 文化祭までは時間があると言っても、それは先送りにすればするほど自分の首を締めることになるだけ。学校の空いていない休日でも進められるよう、ここを文化祭準備期間中だけは俺と海原のアトリエにすることにした。


「よう海原、迷わず来れたみたい――」

「海原さんじゃなくて悪かったわね」

「お、おはよう。朝風くん」


 …………

 ……

 …

 なんで?


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