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第45話 「刻々と、刻々と」

 平日の昼間に出歩くという非日常感がわたしは好きだ。電車もお気に入りのお店も空いているし、なにより一番わたし自信の元気が有り余っているから。

 石畳の床を進み、秋を迎え再び花を咲かせるバラの間を通り抜けながら、改めてわたしは今日という日の喜びを噛みしめる。

 文化祭までは残り一週間。そして今日は水を差すように待ち構えていた中間テストの最終日であり、気を揉む必要もなく晴れ晴れとした気持ちで迎えた午前放課。

 連日の作業でバイトに出れていなかった朝風くんは、埋め合わせのシフトで今日の作業はできないらしい。

 ――急だけど、今って暇だったりする?

 このまま家に帰るなんて勿体ない。そんな気持ちで送ってしまったメッセージに亜希からの返信は無い。そっか、テストの日程が同じってわけでも無いもんね。

 別に会えなければそれでも良い、それならそれでわたしは咲き誇るバラを名一杯愛でることにしよう。予定をパズルのように埋めながら石畳を叩いていると、いつもの噴水がわたしを出迎えてくれた。


「うーん、やっぱりそうだよねぇ。急だったし」


 やはりそこに彼女は居なかった。ベンチには彼女の代わりにバラの花びらがひとひら、黒の混じった深い赤が小さくも大きく主張していた。

 負けじとわたしの携帯も小さく震える。亜希からのメッセージかな?

 ――おねえちゃんだれ?


「……おねえちゃん?」


 一瞬、誰から来たメッセージかは悩んでしまったけれど、送り主の名前にはたしかに一年 亜希と書かれていた。何?アカウントでも乗っ取られた?

 けれど実際にアプリを開いてみるとメッセージは既に消されていて、代わりに『今行く。3分くらい』と書かれた無機質な短文だけが残されていた。早いな。

 それだけ家が近いということなのだろうか。ここ一帯は施設や公園を見ることは多いけれど、マンションの数はそう多くない。ここから一番近くだと……目の前にあるアレだろうか。

 それは家と呼ぶことも出来るかもしれないが、こと日本においては『洋館』と呼んだ方がしっくりくるだろう。

 濃いダークブラウンの屋根と白く角ばった壁だけを見れば、ただの高そうな家。それを洋館たらしめているのは窓なのかもしれない。

 不均一に張られた窓は縦長の長方形だったり、上の部分だけが丸まっていたり、そもそもが丸い窓だったり、とにかくそのひとつひとつが大きく、どうやって開けるのだろうと思わせられる。採光用なのかな。

 ともあれ、そんな洋館は街中にあれば異質ではあるけれど、このバラに囲まれた公園に佇んでいるのだから、違和感は無い。


「ねぇちゃんもう行っちゃうのかよー。この間の続きは?」

「別に帰ってきてからも時間だってあるだろ――だから引っ張るなって」

「俺、最近ちょうちょ結び出来るようになったんだから!」

「お前のはなぜか縦になっちゃうやつだろ」


 ひとつは楽しそうな声、もうひとつは気だるげな声、洋館から聞こえる二つの子は徐々に近づき、わたしと同じ目線の彼女ともうひとりが姿を見せる。

 首元から延びる紐タイは解かれ、裾の長いスカートは小さな男の子の手によってひらひらと揺れる。知らない学校の制服を纏った亜希だった。


「今日は早かったな」

「テスト終わりだったからね。それと、わたしは海原おねえちゃんだぞ?」

「……あれ、ホントに私が書いたと思ってんのか?」

「簡単に可能性は捨てちゃいけない。基本だよ、ワトソン君」

「お前ってすぐ映画に影響されるよな」


 冗談を交わしながらも、わたしは目の前の彼女ではなく横で黙りこくってしまった彼、わたしをじっと見つめる小さな男の子に視線を奪われていた。おねぇちゃん、おねぇちゃん……


「きみは……亜希の弟くん?」


 その男の子はふるふると首を振る。わたしの推理は的外れだったみたい。


「なんだ、知らないお姉さんはまだ怖いか?」

「そんなんじゃない」

「まぁいいや、ほらさとし。挨拶」

君島 聡きみじま さとし。4年生」

「だから引っ張るなって」


 小さな聡くんはまた、亜希の長いスカートをつまんで自分を隠す。その瞳はなぜか鋭く、わたしを睨んでいるみたいだ。

 ま、詳しいことはまた今度話すから。言いながら亜希は優しく彼の頭を撫でる。


「最近になって、なんだかんだ突っかかって来るヤツなんだ。あぁ聡。こっちは海原、海原ねぇさんだ。最近は突っかかってくる奴と言えば、お前もそうかもしれないな」


 ニヒルな笑みを浮かべながら、なんだか棘のあるような言い方でそれぞれを紹介する亜希。笑顔に載せて振りまいた愛想は彼にばれているのか、聡くんはもうわたしを見てくれない。き、嫌われちゃったかな?


「あぁそうだ、今日も一年のねぇちゃんに持ってきたんだよ。もう行っちゃうなら最後にそれだけ。ね?」

「もういいって、それ見ねぇから」

「そんなこと言わないでさ!ほら!」

「えっ」


 言いながら聡くんは手に持っていた小さな箱を開けると、思わずわたしの笑みは引きつり、感情は声となり、小さな悲鳴にも似た嫌悪感が漏れ出る。

 昆虫標本だった。

 磔となったバッタは動きもしないようにわたしをじっと見つめているみたいで、作りの甘いソレの脚は折れ、標本というよりも無邪気が招いた死体と言った方が近いだろう。

 小さい男の子は確かにそう言うの好きかもしれないけど……亜希の言葉に込められた棘の意味が少しだけ、わかったような気がする。


「わかったから。もう見せなくていいからほら、戻ってろって」

「もうちょっと上手になったらまた、持ってくるね」

「いいよ。もう持ってこなくて。海原ねぇさんだって嫌そうだろ?」

「こんなにかっこいいのに……まぁいいや、またね」


 彼が再び箱を閉じ、その場を去るまで気が抜けることはなかった。いや、去ってからも胸に残る気持ちの悪さは当分、抜けないだろう。


「悪かったな。まぁ、あいつには今度言っておくから」

「逆にわたしが言ってみようか?」

「こっちの問題はこっちで解決するよ。私の周りはワケアリだらけなんだ」


 踏み込むな。そう言われているような気がして、それ以上その話を続けることは出来なかった。別に、したいとも思わないけど。


「んで、今日は朝風と密会もなかったのか」

「もうちょっと言い方あるでしょ! 今日はバイトなんだって。だからみっ、作業は明日から」

「ふぅん。文化祭、もうそろそろだもんな。文化祭、ねぇ」


 文化祭。その言葉の余韻に浸る亜希はぎこちなく紐タイを解いては結び、解いては結び、綺麗な蝶々結びで遊ぶ。こういう時の亜希は決まってわたしの言葉を待っているのだ。


「良かったらうちの文化祭、遊びに来てよ。なんとわたし、当日はお仕事ゼロなのです。ゼロ」

「この足でか? 人も多くて階段もある場所はやっぱり、難しいかもしれないな」

「うちのクラスはカフェをやるって言ったじゃない? 一階の美術室でやるからさ、亜希でも大丈夫だよ! それに、わたしの絵もまた見てほしいし」

「お前の絵、か」


 行きたいなら行きたいと言えば良いじゃない。そう言うのは簡単だが、軽々しく言って良い言葉でもない。それに、来てほしいという気持ちは本当だったから、また彼女に『いい絵』と言ってほしかったから、見てほしかったら、わたしは彼女の背を押すことにした。


「その言葉に乗ってやるよ。お前の『朝風くん』も見てみたかったしな」

「獲っちゃやだよ」

「獲らねぇよ。それなら、折角の文化祭に着てく服とかも考えとかなきゃな」

「それならさ、秋の新作ついでにこれから服でも見に行こうよ」

「そっちがついでなのか。まぁいいや、行くぞ」


 高く上がった陽を背にわたし達は公園を後にする。


「ねぇ亜希」

「ん、」

「……ホントに獲っちゃだめだからね」

「だから獲るわけねぇだろって」


  日は着々と進んでいき、わたしにとって高校生活最後の文化祭と、最初で最後のあの日を迎える。

 付きまとう不安もあるけれど、それ以上に『おもしろ』くなりそうな気がして、わたしの胸は小さく躍っていた。




「他校から借りてきたものはわかりやすいようにコレ、貼っておいて。あぁ剝がす時は気を付けてね」

「天野さん、展示で使う画鋲ってまだ余ってたりする?」

「天野、代理でもたしかハンコって押せたよな。適当に目通して押しといてくれるか?」

「天野さん、ステージ利用のスケジュールなんだけど……」


 天野さん、天野、天野さん。

 日を追うごとに私を求める声は増えて重なり、大きくなる。その度に私は私が2人いればよかったのにと思うけれど、増えたところで捌ける量でないことは既にわかっていた。

 けれど私は約束したもの、あれだけ本気の海原さんと、一生に一度だけの約束を。


「天野さん――天野さん?」


 力の入らなくなった指先は上手くペンを持てず、伸びているだけの脚は身体を支えることすら出来なくて、椅子から身体は離れない。

 私を呼ぶ声は徐々に鈍く、遠く、離れていく。


「天野さん?――ちょっと大丈夫?」


 その声に私はどう答えたのだろう、頭がうまく回らない。大丈夫、そんな強がりは言えただろうか。助けて、そんな弱音は吐けただろうか。

 ふわりと浮いたような感覚、夢うつつな私に答えを教えてくれたのは、薄いベッドと保健室の天井。


「親御さんに連絡はしてあるから、しばらくは休みなさい。その間は他の実行委員に任せておくから」

「斎藤、別にこの仕事って他の生徒会の人でもできるんだろ?」

「そうっすね、手空いてそうなところで言ったら……3Aの海原とかそろそろクラス展示準備も終わるし、行けるんじゃないすか?」


 動いて、ねぇお願い。あの約束を果たすまでだけでいいから、少しだけ無理をさせて頂戴。

 私はまだやれるから。


「それなら明日からはそこらへんに声でもかけておこう。斎藤も頼んだぞ」

「うっす」


 約束の崩れる音がした。

 積みあがる瓦礫の前ではただ、立ち尽くすことだけしかできなかった。


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