ジンの全身に走り抜けた悪寒。同時に全身から力が抜けていくような脱力感。そしてジンが見たのは、自分の右腕がゆっくりと木製の人形の腕へと変わっていく光景だった。
「ああぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっ!」
玄関に響く悲鳴。見れば、先程まで冒険者の人形を抱いていたコクもまた、ゆっくりとその身を人形へと変えつつあった。
「ジンさん、どうして分かったんです? 僕達はバレないように自然に動いていたはずなのに気付かれるなんて思っていませんでした。さすがですね……。そうです、全部僕達がやっていたんですよ」
丁寧な口調で、しかし明らかに敵意を滲ませているリックス。彼が薄く嗤う背後では、ダイアナがその紫色の瞳を赤く光らせ、その双眸でジッとジンとコクを見ていた。
「コク達が魔物の討伐に行くって言った時、お前は言ったよな? 魔物が霧が晴れていなくなれば、人形になった奴はもう戻れないって……。だけどそんなことはありえない……」
「なるほど。ジンさんの言うとおりですね。解呪師や解呪のマジックアイテムがあれば治せたかもしれない」
「ああ、そうだ。なのにお前は魔物を倒すしか方法が無いと俺達を誘導していた。あれは露骨すぎたんじゃ無いか?」
「……そうでしたね。いやぁ……、霧の中に脳筋の三人を連れ込むにはいい手だと思ったんですが、貴方の前でするべきでは無かった。まぁ、結果は狙い通りになりましたが」
「ミラ……、俺の後ろに……」
右腕を肩まで木に変えられ、徐々に身体の縮んでいるジン。そんな彼を嘲笑するリックス。
ジンは追い詰められていたが、それでも自分の後ろにミラに隠れるように言うと、どうにか片手で杖を構えようとする。
しかし、そんなジンの姿を見て、リックスはさらに酷薄な笑みを強くする。
「僕達と戦いますか? その人形になりかけの身体で。無駄ですよ。ジンさん、あなたは戦える人じゃ無い」
リックスの言う通りだった。ジンは軍師として策を練ることには長けているが、こと戦闘に関しては戦力としては数えられない。たとえ相手がメイドと旅人だとしても、人形に変えられ掛けている身体では戦えなかった。
「確かに俺は戦える人間じゃあ無い。でも、お前らの注意を少しでも引ければ、それで充分だったんだ」
「……なに?」
嘲笑するリックスに対してジンが不敵な笑みを浮かべる。そして次の瞬間、リックスの歪んだ顔が一撃でなぎ払われた。
「お、お前が……原因……だったんだなぁ……!」
見れば、半身をほとんど人形に変えられたコクが、大剣を振り抜いていたのだ。その大剣によってリックスの頭を吹き飛ばしていたのだ。
しかし、リックスは死んでいない。いや、元より物理的な攻撃は意味を持っていなかったらしい。
ガラガラと甲高い音をたてて崩れるリックスの身体。それまでは幻覚が彼の肌の質感を人間に近く見せていたのだろう。リックスはただの木製の操り人形でしか無かった。
「あらあら、壊されてしまいましたか。まぁ、無駄な抵抗ですが……」
「あああぁぁぁぁぁぁああぁぁぁっっ!」
その状況を静観していたダイアナが薄く嗤う。同時に玄関ホールに響く絶叫。そしてその声が消える頃には、コクが物言わぬ狼型の操り人形へと変えられていた。
「クールタイムがあると思ったんだが……」
「ええ、あなたの推測通り魔眼は一度に二人までしか人形化できません。その上、一度使うと一定時間は使えなくなります。本当なら数秒で人形になるのに、進行が遅いのは充分な時間を掛けなかったからです」
「全く使えなくなる訳じゃなかったのか……」
「そうですね。使えなくなるのは一時間程度です。ですが、最後に使ってからもう一時間は経っていますから」
「そんな時間……与えなかったはずだが?」
「はい、貴方の判断は的確でした。ですが、せめてコク様がどれだけの時間、霧の中で二人を庇いながら戦ったのかを聞くべきでしたね」
そう言って嗤うダイアナ。
「三人が屋敷から出てすぐに、私は見送るフリをしながら冒険者のお二人に人形化の呪いを掛けたのですよ。いる筈の無い魔物捜しをしている間に人形化はゆっくりと進行し、コク様が気付いた時には手遅れでした。あなたたちが部屋にいる間に、コク様は足手まといになった二人を庇いながら、リックスを始めとした私の人形と戦っていたのですよ。時間を稼がれているとも知らずにね」
言いながらダイアナがパチッと指を鳴らす。その瞬間、その場で転がっていた三体の人形が起き上がる。
それは人形にされたコクと二人の冒険者だった。
一体一体は人の頭程の大きさの無い人形。しかし今、その腕や足にはどこからが糸が伸ばされている。そしてダイアナが指先を動かすと、ジンとミラに対して武器を手に襲い掛った。
「くっ……!」
右半身を人形に変えられながら、ジンが杖を振って対抗する。人形に向かって撃った空気の弾が人形の一つを跳ね飛ばす。しかし、人形は何のダメージも受けていないかのように起き上がっていた。
「無駄ですよ。どうしてあなた達お二人を、最後まで人形にしなかったと思います? それはあなた達に戦う力が無いからです。私は非力ですが、人形使いとしての異能があります。この力を魔力を必要としない、私の一族に伝わる力です。この力を使えばあなた達二人を人形にする事は訳ありません」
「なるほど……。誰もあんたが犯人だと気付かなかったのは……、魔力を必要としていなかったから何だな」
「ご名答です」
状況は絶望的だった。
刻一刻と人形化の進むジン。倒しても起き上がる人形。
「ふふっ、こういうこともできるんですよ」
そしてこの状況を楽しむかのようにダイアナが指先の糸を操って、一体の人形を呼び寄せる。すると、その人形は巨大化して人間大の大きさへと戻り一人の少女の姿となった。
「兄様、ここでお終いだよ」
ジンの目の前で広がる黒い髪。もう一度見たかった赤い瞳。酷薄な笑みを浮かべたクロが、木製の操り人形としてジンに対峙していた。
「どうです? リックスと同じように壊しますか? できませんよねぇ? 大事な仲間ですからねぇ!」
狂気の笑みを浮かべるダイアナ。そんな彼女に操られているクロは糸の繋がれた身体でゆっくりとジンににじり寄る。そして彼の目の前で黒竜に戻った右腕を振りかぶってジンに対して振り下ろした。
「ジンっ!」
咄嗟にミラがジンを庇うように横に飛ぶ。辛うじてクロの爪は逸れて床に突き刺さるが、当たっていたら無事では済まなかっただろう。
「ク、クロが……俺に攻撃を……」
「しっかりしなさい! あれはクロじゃ無い。クロは操られているだけなの! 割り切りなさい!」
ミラの言葉に絶望の表情を浮かべながらクロを見るジン。木で作られた人形の顔でクロはニコリと笑みを浮かべていた。
「兄様、諦めて。クロと同じ人形になろう……」
クロが操られていることは間違いない。だがジンにはクロを傷つけることなどは到底できなかった。人形と化したクロを捕まえるように、ジンが抱き締めて叫ぶ。
「ミラ、逃げろ! お前だけでも……この屋敷から!」
「で、でも……ジン! アイツを倒せば……」
「俺達には無理だ。誰か……助けを呼ぶんだ!」
既に足までもが人形に変わりつつあるジン。もう自分が逃げられないことを彼も悟っているのだろう。そんな彼を見て歯を噛みしめると、ミラは弾かれたように走り出す。
「ミラ様、どこに行かれるんですかぁ?」
背後に聞こえるダイアナの声。しかし、直後に玄関ホールから轟音が鳴る。おそらくはジンがミラを追おうとしたダイアナの足止めをしたのだろう。
(誰か……誰か連れてこないと……)
自室に戻り緋色のマントを羽織ると、ミラは外に出ようとする。しかし、窓は昨夜の内に立て板が打ちつけられていて、外に出られそうもない。隣の部屋を回って見ても、どの部屋にも同様に窓は塞がれていた。
「これじゃあ……外には……」
外に出られる場所を探してミラは屋敷の奥に向かって走り出す。しかし、どの部屋を見ても窓は封鎖されていた。
(どうしよう。どうすれば……)
屋敷の奥へと追い込まれていくミラ。
その時――、不意にミラが感じたのは誰かに腕を掴まれる感触。次の瞬間、彼女はとある一室へと引き込まれていた。
………………。
「あははははははははっ!」
一方で玄関ホールでは人形を従えたダイアナが哄笑を響かせていた。ダイアナの眼前には一人の人形が立っている。灰色の髪に黒いマント、優しげな顔立ちの人形はかつてジンだった木製の操り人形だ。
そしてジンと同じようにクロや人形にされたコクや、壊されたはずのリックスも、元の人だった時の大きさに戻されて、再び立ち上がっている。そしてダイアナは高らかに宣言したのだ。
「これで……、これでソーラム家を再興できる。再びソーラム家が領主として……、使用人を使い、再興できる」と――。
彼女は指先で使用人となった人形を操ると、最初の命令を人形達に下す。それは、屋敷の中に逃げた貴族令嬢を捕まえること。
操られたジンやクロが屋敷を進み始める。
「姉様……、どこですか?」
「ミラ、出てこいよ!」
「ミラさん、僕達ならもう大丈夫です。出てきてください!」
彼等は一部屋一部屋をゆっくりと探していく。ミラが掴まるのも時間の問題に思えた。