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第16話:ソーラム家とミラ

 ほんの数十年前まで、ソーラム家は森林地帯を領地に治める貴族家だった。森の恵を享受し、大型の獣の食肉や毛皮、或いは畜産業によって周辺地域と交易を結んでいた。


 しかし、そんな貴族家も帝国による西侵攻による戦禍からは逃れられなかった。


 ソーラム家は領土を持つ貴族家として、当時侵攻を開始していた帝国軍と剣を交えた。戦争は長く続き、多くの貴族家がソーラム家に続き、そして敗れて滅亡を迎えていた。


 ソーラム家の当代当主は屋敷で自害し、多くの使用人は散り散りに各地へと去って行き、ソーラムという名は歴史の影に消えていた。けれど一人のメイドが……、ソーラム家に使えていた彼女は恨みを抱き、ソーラムの滅亡を認められていなかった。


「今逃げている彼女を人形にすれば、今回手に入れた使用人は九人ですか。黒竜や腕の立つ傭兵までいるのは僥倖でした」


 既に手に入れた数体の人形を操りながら薄く笑うダイアナ。


 一階の窓の殆どは封鎖されていて、屋敷から逃げることは難しい。屋敷の奥へと逃げ込んだようだが、外は濃霧が広がっている。何の力も無い貴族令嬢が逃げられるとは思えなかった。




 一方でミラは戸惑いを隠せなかった。


「静かにしてくださいね……。音が聞こえれば……ここに居てもバレてしまいます」


 彼女が逃げ込んだ――、いや、屋敷の主であるシュタリットに引きずり込まれたのは、屋敷の礼拝室の中。その中に置かれている懺悔室の中に二人は身を寄せ合うように隠れていた。


 ミラが無言のままに頷いて懺悔室の外の様子を伺う。すると礼拝室の入り口には木製の人形となった冒険者の男性が立っている。しかし、この礼拝室に入ることができなかったようで、やがて去って行った。


「シュタリットさん……、これは……この部屋はなんなの?」

「この部屋は微弱ですが礼拝室ですからね。聖なる結界によって守られています。ですから、弱い魔物や邪気を持った者に入ることはできません。外からもミラ様がここに居ることは分からないように隠蔽が施されているはずです」

「そう……。それで……」


 シュタリットに窮地を救われて、しかしミラはもう立ち上がる気力も無かった。逃げる途中で聞こえた声を思い出す。


 自分を呼ぶ声の中には、確かにジンの声も混ざっていたのだ。


(たぶんジンももう……)


 蹲り、その場でもう動きたくないと思ってしまう。ここ数日の疲労が身体に現れて、絶望的な状況に心が折れそうになっていた。


「ミラ様、しっかりしてください」


 そんなミラの指先にひんやりとした指先が触れる。顔を上げれば、シュタリットが気遣うような表情を自分に向けていた。


「しっかりはしているわ。ただ、この絶望的な状況に嫌気が差しただけ。本当に……どうしようも無いわよね? 相手のこっちの戦力分析が正しかったとしか言えないわ。残っていたのがジンでも、クロでも、他の誰かだったら何か逆転の手があったかもしれない。でも、私には本当に何も無いの。人形使いに対抗する手段なんて、本当に何も……」

「そんな事はありません」


 しかし、シュタリットはそんなミラを叱咤するように言葉を掛ける。


「人形使いの能力は確かに脅威です。しかし、今はまだ人形化の能力が使えないはず……。人形自体の能力は低く、本来の力の半分も出せません。それに……糸さえ無くなれば、操作からも外れるはずです」

「……糸?」

「覚えていませんか? 操られていた人形に繋がれていた糸を……」


 ミラの脳裏によみがえったのは操り人形となったクロの姿。たしかに彼女の身体からは糸が伸びていて、ダイアナによって操作されていた。


「糸を見えないように光明に隠蔽されている人形もあります。けれど、相手が人形である以上、かならず糸は彼等の頭上から伸びているはず。その糸さえ切ってしまえば、彼女はもう操ることはできません」


 僅かに見えた光明。しかし、これは時間との戦いだった。


「急がなければ、彼女が再び魔眼を使えるようになります」


 用意されたカードを思い浮かべるミラ。


 ダイアナは人形化を再度使うには一時間の時間が必要と言っていた。時計を見れば、ジンが人形化されてから既に十分が経過している。


 行く手を阻む人形を無力化しながらダイアナに向かうのなら、今がラストチャンスだったのだ。


「及ばずながら、私も援護させていただきます。ミラ様……、彼等はあなたの友人なのでしょう? どうか……私達を助けてください……」

「シュタリットさん……」


 彼女の言葉に胸に込み上げてくる勇気。ミラは再び立ち上がる。そして彼女はシュタリットに宣言した。


「残念だけど友人とはまだ言えないわ。精々、私の大切な従業員ってところよ」


 そしてミラもまた杖を手に取った。


 ………………。


 ダイアナは戸惑っていた。すぐに終わると思っていたミラの捕縛。しかし、彼女の姿が忽然と屋敷内で消えたのだ。人形達を操って捜索をさせているが、一向に見つかる様子は無い。


 まさか外に逃げたのか、と可能性を考えたが、一階の窓は昨夜に全て板によって塞がれている。外と繋がる玄関を守るリックスの人形からは、誰かが来たというような報告は送られていなかった。


「一体どこに……」


 今の状況が理解できずに爪を噛む。


 その時、屋敷内を探し回っていた。人形の一つから糸を通して信号が送られてくる。それは、ミラを発見したという報せだった。




 ミラが対峙したのは人形に変えられた傭兵のコクの操り人形だった。


 大剣こそ装備していないものの、その太い腕を伸ばしてミラを捕まえようとする。そしてミラには、コクの身体から伸びている幾つもの糸がハッキリと見てとれていた。


「やあぁぁっ!」


 ミラが手にした杖を振るうと、彼女の周囲に浮かぶ幾つかの氷。それを矢にして狙うのはコクの身体から伸びた糸。その一本が切れると、コクの右腕がガクリと落ちる。


 しかし糸はすぐに繋がって、ミラに更に迫ってくる。


「ミラ様、次です」


 シュタリットが両手を前にしてミラと同じように氷を飛ばせる。しかし、どれだけ二人で糸を処理しても終わりが見えない。


(これじゃあ埒があかない……。せめて、私に剣が使えれば、一気に切ることもできただろうけど……。時間が無いのに!)


 徐々に追い込まれていく二人。


 やがてその場に冒険者の操り人形がやって来る。その人形は武装もしていて、ミラに剣先を向ける。


「捕まえた……。ダイアナ様のところに来て貰おうか」


 操られた木製人形の二人が語る。そして彼等の身体を介して、ミラの身体に向かって伸ばされたのは、二人を操っているものと同種の糸だった。


「ミラ様! おそらく魔眼が復活するまで拘束するつもりです。逃げてください!」


 シュタリットが魔法を使ってミラを捕らえる二人を退けようとする。しかし、彼女の魔法など二人は脅威とも思っていないようだった。


(拘束される……)


 自分の身体に向かって伸びる糸。ミラがここまでかと覚悟を決める。しかし、直後にミラの身体に触れた糸が燃え上がった。


「え……、何で……」


 燃える炎の勢いは止まること無く、糸を伝って木製人形の二人へと飛び火する。そして人形に絡みついた糸を焼き切ると、その場で甲高い音をたてて二体の人形が倒れ伏した。


「ミラ様、それは……。そのマントは何ですか?」

「これ? これは……ヒヒイロモスの……」


 糸を焼き切った炎が上がったのは、ミラが外に出るために身に着けていた緋色のマント。それは、先日の宿場町でミラが手に入れたヒヒイロモスの絹を使ったマントだった。


「そのマントが……魔法の糸に反応して燃え上がって……」

「……っ」


 ヒヒイロモスは炎の魔力を好んで食す蛾だ。成虫となる為に作った繭はヒヒイロモスがそれまで蓄えた炎の魔力を糸に凝縮したものであり、その繭から作り出した絹は炎の属性を備えている。


 ミラが外に出るために身に着けたマントが、彼女の身体を守ったのだった。


(ってことは……、全員を解放するためには……)


 ミラの脳裏によぎった逆転の可能性。ミラが足早に向かったのはダイアナに与えられていた自分達が利用していた客室だ。


「ミラ様、どこに行くのですか?」


 彼女の後を追うシュタリット。そんな彼女にミラは満面の笑みを浮かべて応える。


「私達の部屋よ。あの部屋には私が持ち込んだヒヒイロモスの絹の巻物が置いてある。あの布を手近な道具にでも巻き付ければ、充分以上の武器になるはずよ!」


 その絹の巻物はミラが屋敷に滞在する間の返礼としてシュタリットに渡そうとして断わられた物だ。ミラとシュタリットの二人は、その絹を手に入れるために部屋へ駆けていった。

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